自殺という極めて残念な結果に終わったが、何よりも「イケナイのでは?」と思う事は
「事件の現場になった場所に、鳥の巣があって
動物好きな宮城くんが助けようとしたんじゃないか」などという記事も含め
真相を闇に葬って、挙句の果てには伝説化したり美化することだと思う。

まずは宮城宗典が生前、死ぬほど憧れぬいたであろう「ロカビリー」という音楽を確実に踏まえたうえで
(当然のことながらロカビリー以外の音楽にも影響を受けていることなど言うまでもなく、聞かれるまでもないが)
宮城宗典をはじめとするメンバー達が残した作品群
(うち幾つかは「ロカビリー・バンドとして」の彼らの意思が無条件に反映されたと思われる素晴らしい作品で、
当時それらを僕は自分自身の中で「夢」と形容していた。今では少しせつなくもあるが愛しく微笑ましい「夢のかけら」だ。)
を良くも、そして悪くも「正当に評価する」ことが必要不可欠なのではないだろうか?
数こそ少ないが音楽を制作・発表した、いち「音楽家」として。
これをせずに、どうしてファンと言えるだろうか?
1stアルバムの帯に書いてある言葉を理解している人にとっては「当たり前」のことと思うが、念のため。
闇雲に、無邪気に「宮城くん?」←こんな輩の多さでレコードのセールスやライヴの動員数、
メンバーの収入やその後の活動環境が変化するのもHillbilly Bopsに限ったことではないが。
タレント? アイドル? 受け取り方は人それぞれだが、個人的に答えは全て「No」。
宮城宗典は紛れも無く Hillbilly Bops という名のバンドの「ヴォーカリスト」以外の何者でもない。
こう書いた理由は、友人からこのスレの存在を教えられ
最初から読んでみたが。。。。何故かもう一度自分の中で再確認しておきたくなったもので。

宮城宗典は様々な想いの中で亡くなって行ったのではないか?
と彼のことを考えるたびに強く思う。
その「様々な想い」とは。。。。