上の26歳氏にほぼ同意。

ただ、「猫テ」の『これでいいのだ』は、
従来あった同種のギタリストからなるツインリードではなく、
全くタイプの異なる橘高と本城をいかに絡めるか、という
指針を作った点で意義深いと思う。

つまり、オーソドックスなHR/HMスタイルの橘高のギターと、
ニューウェーブからFUNKまでを昇華したテクノロジー駆使型
の本城のギターとの融合という、この既視感のなさこそが、
『これでいいのだ』の意義ではないか?と思うのね。

また、歌詞の面においては、『いくじなし』で一度結実した世界観を、
いい意味で商業ベースに乗せた成功例、だとも思うが。
どうだろう?