確かでなかったら誰か指摘して訂正して下さい。

なんか90年代が終わりかけてて大槻の頭の中に2000年代の筋少のプランがあったんじゃなかったっけ?
それで、特撮でもやってる「ピアノデスピアノ」を本城が作ったんだよね。
それで、ここからは推測だけどああいうハードコアの曲をやっていくには橘高のような
ギタリストはいるのか?とかいう話になって橘高が抜けたんじゃないかな、、。
それでHP上で筋少というのは大槻、太田、内田、橘高、本城っていうメンバーでほとんどのアルバムを作り
やってきたわけやから2000年代の筋少を作るためにメンバーを変えたりするのはどうなんだ!とかいう意見が
BBSに書き込まれて、その一方で初期筋少の形(エデイがいたころ)こそオリジナル筋少だからあのスタイルに
近くなるなら歓迎する、、っていうかあのスタイルにもどるべき!という意見もあって、
対立したんじゃなかったかなあ、、。大槻自身もAGSで「筋少はほんとはアングラなロックをやる予定だった」とか
言ってたし、AGSの音も特撮っぽかったからね。大槻自身は初期筋少を復活させたかったのは事実だと思う。

それでまあ、橘高の人気は凄かったし結構橘高ファンから叩かれたんだよね。
それで大槻もやめたと、、。
俺は初期ファンの気持ちも後期ファンの気持ちもわかるから複雑だったなあ。
でもやっぱり続けて欲しかった。特撮の様な音も橘高だったら出せたと思うし、
(カーネーションリーンカーネーションもいけてたから)もしかしたらエデイーが筋少加入なんて
凄い事がおこったかもしれなかったしね、、。