>各フロアには地元地権者保有床が虫食い状態で存在しており、
>地元地権者の店舗が混在していた。

>小倉そごう閉店後も、一部の地権者は引き続き店舗を営業しており、
>家賃・共益費の約30%減を提示してそごうの営業再開を求めていたが、実現しなかった。

>伊勢丹は権利床の一括賃貸を出店の条件としていたが、地元地権者との交渉が難航

>地権者保有床を北九州都市開発が賃借することでセントシティ北九州ビルの権利一本化を実現し、
>小倉伊勢丹の出店が実現

>小倉伊勢丹は地下1階の一部と地上1階から6階までに入居し、
>残るフロアは北九州都心開発が運営する「I'm専門店街」となった。

からの

>井筒屋は固定費を削減するため、セントシティ北九州の大部分を所有、
>運営する北九州都心開発(北九州市)と家賃の減額交渉を進めてきたが、交渉は難航。
>将来的な経営改善の見通しが立たないため、事業の整理に踏み切ったもよう。
>コレットの後継の運営会社は未定とみられる。

さて最大の戦犯は?