>>469-470
続きです。
「謀殺説支持派」という表現は、謀殺と断言しているとか妄信しているとかいうマイナスイメージを無理
やり植え付けるものではありません。だから、貴方が謀殺説支持派だと表現したことも不適切だった
とは全く考えていません。

>現段階においてわたしには、両者の言い分 が同程度に確からしい、と考えておりますので、どちらを
>支持する、という ことはありません。きつく言えば、どちらの説も疑わしい、と考えております。

謀殺説を立証する事なく、憶測だけで関係者に嫌がらせ等をするべきでないというだけの事です。

謀殺説支持派が現在やっている事は、憶測だけで私的制裁を加えようとする不法行為です。絶対的に
自殺であるかどうかという議論などしていません。予断ですが、「相手を責める以上はきちんと立証責任
を果たせ」という意見を、貴方は自殺妄信派と決めつけようとしているのではないですか?

貴方は謀殺説寄りな立場で議論に入って来ました。終盤になって中立という立ち位置を表明し始め
ましたが、創価学会員が偏見で本件を判断しているという前提の呼びかけから語り始めていることを
なかった事にすることは出来ませんよ。

支持する度合いが、関係者に現実世界で迷惑をかけても反省しないほど妄信的な人たちと違うという
だけで、謀殺説を信じているという意味では彼らと同じ方向性でしょう。

「悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。」と言ったのは貴方です。現実社会で嫌がらせを
する人たちを見逃して、被害者に逃げればいいと言ってのける以上、共に悪名は逃れ得ません。

同一視されたくないというなら、悪いことは悪いと決然とした姿勢を見せるべきではないのですか?