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見沼がうにだったのは縄文時代前期、まわりに貝塚が発見されている
6000年前ごろから海退がはじまり、出雲族が来たときには既に海からは隔離されていて沼になっていた
有史以降、飛鳥時代、平安時代、中世までは葦が生い茂る沼が広がっていて、近世の江戸時代の初めに灌漑用水源として見沼の水を利用し始め(見沼溜井)、
約300年前の享保の改革で見沼の干拓が事業化され、沼の水を排水して広大な田んぼが造られた(見沼たんぼ)。
見沼溜井の代わりとなる水源が利根川から引かれ(見沼代用水)、流域の農業用水として利用されるだけでなく、通船運輸の交通網としても活用された。
自動車や鉄道輸送の普及に伴い、通船は役割を終え、さrたに1970年からの減反政策により見沼田んぼのほとんどは米生産を止められ、
田んぼとして使えないように、全域が2mにも及ぶ土が盛られて、現在は畑や園芸栽培に利用されている。