埼玉県久喜市 Part11
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0576名無しさん
2019/04/06(土) 22:59:13.60ID:sM2C9HHpわかってないようだからマジレスする
1 イトーヨーカドー久喜店の周辺について
昭和49年の開店当時、店の北側には駐車場も道路もなかったと思う
店の北側が駐車場になったのは丸島大橋ができた後だと思う
中落堀の左岸は旧太田村の地域で純農村だったしHonda Cars久喜店は農機具屋さんだった
北二丁目のパークタウンは宅地化に向けて掘り上げ田の水抜きと土盛りをしていたと思う(当時は広範囲に立ち入り禁止っぽい雰囲気だったから詳細はわからない)
今の市役所通りは半分の道幅だったし旧駅前通りから六間道路までは一方通行だった
幸手新道は長〜い踏切で今の愛宕通りとつながっていた
久喜駅西口(東口ではない)から幸手駅や五霞村まで東武バスが日に5〜6本走っていた
2 県道幸手久喜線(幸手新道)について
都市計画道路としては昭和40年代に2車線・幅員18mで決定
もともとの幸手新道は、明治時代に幸手の町場(鉄道がない)と久喜の町場(鉄道がある)を最短で結ぶ道として県費で新規築造したもの
今の道路の丸島大橋とその西側は、踏切渋滞解消(踏切廃止)と市街地へのクルマ流入回避を目的に幸手新道のバイパスとして新規築造したもの(昭和50年代の話)
幸橋(葛西用水)から丸島大橋東詰までは、幸手新道沿線の土地区画整理事業に合わせて歩道を整備したり渋滞解消を目指して右折レーンやバスベイを少しずつ整備したもの(昭和60年代以降の話)
3 旧市内の4車線道路の計画について
今の都市計画では、県道さいたま栗橋線(都市計画道路大宮栗橋線)のみ
かつては県道春日部久喜線(都市計画道路杉戸久喜線)も4車線・幅員22mだったが今の計画では2車線
(15年ぐらい前、県全体で長期未整備の都市計画道路の見直しを行った結果)
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