うちの親、ファミコンのソフトとかあまり買ってくれなかったな。
確かに話についていけない事はあった。
小〜中の友達て少なかったかな。
地元を離れた今では全く接点なし。
大学では普通に友達できたし、散り散りになった今でも交流はある。
Facebookを頼りに地元の知人を探したが、全く見つけれず。
唯一トヨタ勤務の奴だけ見つけた。
そりゃまあな
あれ、勝組に入ってなきゃやっても辛いだけだもんな。
難関私立の学生って、卒後も繋がりが強いらしい。
働き出してからもそこそこの地位に付くから、昔馴染みのコネクションでも友人として繋がっている価値があるんだろう。
さて、俺が市立小学校生時代の同級生と再び知り合って、なんの得があるのだろうか?
おそらくはうだつの上がらないリーマン生活送ってる人達に、起業してそれなりの生活をしている自分の毎日を話すのだろうか。
たぶん会話も成り立たないだろう。
そのくらい烏合の一部であり流されて生きてきた人達と、幼い時から家族と共に節制し、努力し、自分で考えて生きてきた自分とは差がある。
つまりだ
ゲーム持ってない程度で切れる程度の底辺学童と友達になってても仕方ねえぞ。
そりゃまぁ
地元に残って地元の中小零細に勤めて一生地元の枠の中で生きてくなら、竹馬の友としてええかも知れんけど、上のレベルに行くんならね。
そんなのと付き合ってどうなんの?って話だなちんこ