例えば、1月は仕事で大きな失敗をし、2月に母が倒れ、3月に自分も原因不明の病気になり、
4月は父親が連帯保証人になった借金がふりかかり、5月に自分が交通事故にあって両足折って入院
そんなイメージの生活を長年送ってきた。
負けてられないと意気込んでも、さすがにときおりブルーに塞ぎ込むのを
「何でも話して」と何度も言ってくれた友人に、それ以来少しだけ自分の事や誰にも言わなかったつらかった事を話してきた。
相手の愚痴もよく聞いた。正直うまくやってると思ってた。元気付けられ、また元気付ける関係だと思っていた。
あるとき自分がひどい体調になってしまい、人と会える精神でもなくなった時、遊びに誘ってきたその人にその旨を伝えた。
元気付けようとしてくれているのはわかってたから、なおさら「今はヤバイ。気を使わないでいい。ごめん」的な事を伝えたら
「そんなひねくれた事言って」と言いその人が押しかけてきてしまって、正直参ってしまった。

話し合いをしたら、やはり自分の愚痴は重すぎて苦痛だった、その人にとっては、
「何故こんな重い話をきかされなきゃならんのだ」と不満だった、と吐露され、
あの何でも話して、という言葉自体も「あんなのは社交辞令」と言われてしまった。

何もかも自分が一人で解決できない未熟者だったせいなのだが、それでも、何年もその人を「一方的な苦痛」に置いていた事に気付かなかった事に、
自分がそれほど他人にストレスを与えかねない人間だという事に落ち込んだ。
「解決できない愚痴は友達に話すべきではない」というその人の言葉がずっと刺さっている。
こんな事なら友達にならなければ良かったとも思う。

その人には「可哀想ぶって欲しい構ってちゃんのメンヘラ」のような認識をされたまま、互いにco状態になっています。