子供の頃、離婚した父が月に1回だけ会いに来た。その日は母が朝から出かけて、祖母と
待ってると父がやって来る。1日中父にまとわりつき、一方的に喋る俺を、父は満面の笑みで
見つめてくれた。

夕方になると父は帰るので、通りのバス停まで祖母と二人で父を送っていった。バス停が近く
なると俺は無口になり、父の言葉にただ頷くだけだった。バス停に着くと、バスの来る方角を
見ながら、ずっとバスが来ないで欲しいと思っていた。

やがてバスが来ると、父は短く「またね」と言って、祖母に一礼して乗っていった。顔を上げると、
父はやはり満面の笑みで手を振ってくれた。ずっと、バスが角を曲がるまで、その笑顔がだんだん
小さくなっていくのが悲しかった。

やがて母は再婚し、父は来なくなった。母の再婚相手に俺はなじめず、とうとう「父」とは呼べ
なかったが、俺と母をきちんと養ってくれた。少し大きくなった俺は、父のことを口にしないのが
礼儀なんじゃないかと思うようになった。

俺は社会人となり、結婚して息子が生まれた。7歳になった息子は俺にすごく懐いている。
単身赴任中の俺は、週末だけ家に帰る。日曜の夜には赴任先に戻るので、妻が駅まで車で
送ってくれる。去ってゆく車の中から俺に手を振る息子に、俺も見えなくなるまで満面の笑みで
手を振っている。

笑顔の人間が心の中まで笑ってるわけじゃないんだなぁと、この歳になってやっと実感できた。