数年後私は東京の大学にいた。
もう楽器はやめた。
あの時の恥ずかしさが忘れられなくて。

ある日講義の合間に友達と話しているとケイタイが鳴った。
番号を知らないはずの父からだった。
「母さんが死んだよ」

私は電車に揺られ、実家に帰った。
そこにはシワだらけの父と、真っ白な母がいた。
他に誰もいなかった。
母は鼻に脱脂綿を詰められて少し苦しそうに見えた。
「お母さんこんな顔だった?」
東京へ出てから一度も実家には帰っていなかった。
「母さんなぁ、耳の癌だったんよ。もう聞こえなくなってずいぶん経ってたんよ。
普通は猫の病気らしいんだけど、母さん運悪かったんだなぁ」

じゃあ、あの演奏会のときも聞こえてなかったの?
聞こえてないのにソロ入れなかったのわかったの?

母には聴こえていたんだ。
私達の音楽が聞こえていたんだ。

私は改めて母の顔を見た。
ふと目を横にやると棺には、おじから借りっ放しだった私のクラリネットが添えられていた。
私の耳にはあの時失敗したソロが聴こえている気がした。
私は泣いた。
母の耳元で泣いた。