>>524
>日本国憲法制定時にはすでに国籍制度が定着していたんだから、
>憲法22条2項のいう「国籍を離脱する自由」とは、日本国民でなくなる自由を指すと解するのが
>自然なんじゃないか。

自然かもしれないが必然的ではないね。

T、憲法上の国民:文字通り憲法上の国民で、憲法とは政府を規制する役割を持っている。
U、実際の国籍保持者:さんざん指摘されてきたように、これは政府による国民認定であり、不当である可能性を無とすることはできない。

このような差異があるわけで、それゆえ、22条は「政府の(国民認定)拘束から自由になる権利」とも解せる。
また、上記の二つ以外に、

V、国籍制度の理念上の国籍保持者

ってのが想定できる。これは、「国民は国籍で示す」という国籍法の趣旨を述べたもので、
国籍法が憲法十条の指定法であることを自認する以上、ここでいう国民は憲法上の国民となる。
で、ここで注意すべきなのは、「趣旨(目的)は結果(政府による実際の国籍認定)を正当化しない」ということ。
それゆえ、>>508で挙げた判例のように、政府の国籍認定(国民認定)が
違憲である(憲法上の国民に正しく国籍を付与してない)場合、
ある意味で、「この国籍法の趣旨に、政府の結果が反している」と言える。
(国籍法内の規定が不当なら、国籍法の趣旨にも、当該規定は反している)
多少蛇足になったが、Vは本論の否定対象にならないし、これをもってUの正当化をすることもできない。
そして、憲法条文が述べる「国籍」がVである場合に限って、「国民でなくなる」に直結するが、
上記のようにV自体が結果と乖離した「理想(趣旨、目的)」であるので、Uの正当化にはならない。
ただ、明らかにV(国民は国籍で示す)を憲法が謳っているなら、UとTとの乖離を解消する対策として、
新法制定でやることが不適切になる。しかし、何度も言うが、本論はUとTとの乖離を指摘するもので、
その対策の一つを「これじゃないとダメ」と求めているものではない。できるなら、国籍でもいいわけ。