在日コリアンは憲法上の日本国民なのだが
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0179法の下の名無し
2008/02/08(金) 18:07:18ID:8Bcg/vsg>「選挙権(参政権)を認めるべき」で十分であり、無理矢理治者にするなんてものではない。
「認めるべき」なら、「無理矢理」にでも治者にして良いはずです。無理矢理やっても、それが純粋に良い事
なら何の問題も無い。例えば凶悪大量殺人犯は犯人が望もうと望まなかろうと「無理矢理」刑に処されて然るべきです。
「認めるべき」なのに「無理矢理治者」にすべきでないと貴方が主張するなら、その根拠は何なのですか?
被治者というステータスが全てなら、無理矢理でも問題無いはずです。それとも、貴方が国民認定するのにおいて、
被治者ステータス以外に何か他にも考慮すべき属性が存在するんですか?
>可能な疑問の全てに答えられるわけないでしょ?
(1)被治者の人間は、その被治者というステータス故に、治者になるべきである
(2)被治者と治者が一致する自治の政体(民主制)が望ましい
この2つの主張は性質が全く異なります。社会契約論に基づく「一般的な民主主義」において2の「被治者と
治者が一致する政体」が望ましいとされるのは、権力の乱用を防ぐために他なりません。まず、政府(国家)は
人民が自身の利便の為に、合意に基づき設立する機関であるとされている。そうした目的の機関の形態として、
例えば世襲の君主制や貴族制を採用すると、まずい問題が生じる。斯様な政体では、一部の特権階級にのみ
政治権力を付与することになり、権力を私利私欲の為に乱用する危険性があるからです。そうなれば人民の
不利益となり、政府の設立目的に反することになる。その点、被治者=治者になるような政体である民主制に
すれば、自分達で権力を行使し、自らを統治するのだから、自分達に不利益になるようなことは論理上不可能。
それゆえ民主制は安全であり理想政体とされる。
無論、2の場合の「被治者=治者」とは、国家共同体に参加すると同意した(契約した)者のみが対象であり、
参加を望まない外国人は含まれない。参政権には、政治において運用するところの国家権力を維持するために
必要な納税、兵役などの義務が諸々セットで付いてくるため、そのような義務を相手の同意も無しに課すことは
できないから、同意は重要になる。
一方、1の「被治者の人間が、被治者というステータス故に、治者になるべきである」は話が全く異なります。
「被治者というステータス」を第一の持ってきているのだから、相手の同意や意志など関係ない。2のように
「被治者=治者」の状態が別の目的のために、道具的に有用だから目指されるのではなく、あたかも「被治者=治者」
という状態自体が至高善であるかのように、それが自体において目的とされ追求されている。1を字義通り取れば、
このような「被治者=治者」カルトになってしまう。それは違うと貴方が言うなら、どう違うのか解説願います。
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