在日コリアンは憲法上の日本国民なのだが
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0016法の下の名無し
2008/02/02(土) 02:14:55ID:6NUVLGvmなどに対抗して生まれた思想。被統治側という地位が自動的に主権を付与するというような
滅茶苦茶なことを言う思想ではない。
ジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソーら西欧近代の思想家が生んだ自由民主主義思想において
政府というのは、権力の裏付けのある共同生活ルールを人民が必要とすることから、自由意志で互いに
契約(社会契約)を結んで設けられたとされる。
例えば、政府(政治権力)の無い「自然状態」では、人から物を盗んでも誰にも処罰されないゆえ、
「窃盗はしてはいけない」という共同生活のルールにも拘束力が全く無く機能しない。それゆえ、
そうしたルールに力を持たせる為に、政府が要される。窃盗禁止の例の場合、泥棒を取り締まる
警察機構が必要になる。それで、みんなで少しずつ出資して(税金払払って)、これを設立すると
人民が合意する。(当然、自分たちも共同生活のルール、法律を遵守すると誓う。)
しかし、人民が互いに少しずつ出資(自然権を一部譲渡)して政府を設立するのはいいが、では
それを誰に運営させるのか、という問題が残る。政治権力の創設は必要だが、それを誰に託するべきか?
昔ながらの貴族や王族など一部特権階級に託せば、歴史が示すように、自分たちの利益の為に
権力を乱用すること必至である。
それを避けるためには、自分たちで政治権力を行使すれば良い。つまり、自分達で自分達を統治する
「自治」(self-government)にすれば良い。そもそも政府は人民の利便のために設立されるのだから、
人民が自らこれを運営すれば私利私欲の為の乱用などということはありえないからである。
以上のような意味で「主権在民」という理念がある。主権在民は社会契約とセットの概念であり、
憲法の条文にある字面だけ取り出して好き勝手に解釈し詭弁に利用されては困る。
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