>被治者というステータスだけで自動的に(社会契約も無しに)主権者/統治者なれると、
>ルソーは一体どの著作の、どの箇所で、書いているんですか?

こんなことはルソーも私も言っておりません。それどころかどんなラディカルな人民主権論者も言っていないと思われます。
曲解は嵐と同レベルです。オシエテ君も指摘シテ君も嵐と同様です。
主権者と人民の関係については岩波社会契約論29頁以下に基本的な用語の整理がされています。
そこで前提となっているのは主権者を構成するのがプープルだということです。
しかしそれよりも明示的に書かれていないことのほうが重要です。それが議論の射程または含蓄を推し量る材料になるからです。
プープルは国籍という法律によって一般的抽象的に確定された集団であることを意味しない。というかそうした帰結は論理的に出てこない。
ルソーから導きうるのはプープルによる政治参加を肯定する規範理論でしかなく、在日コリアンの日本国民性をストレートに導くことはできないと思います。
もちろん逆もまたしかりです。
しかし在日コリアンの国民性を肯定する議論と同じ土俵で議論するためには、社会契約参加者を判断する別の基準をもってくる必要があります。