法と正義の関係については極めて難しい問題が横たわっていて、誰も解決しえて
いないわけだが(驚くべきことに>>14氏はいとも簡単に解決してしまわれた!
しかも己の主張と同じくする者ばかりで只の一人の例外もないとのたまう!)、
叩き台として次のように考えてみるのもいいかもしれない。もちろん小生は>>14
とは違って妄想与太話を弄するを得意としないし、ましてや只の一人の例外もない
などと夜郎自大な戯言を吐く厚顔無恥の輩でもないつもりだから、かかる愚行はしたくない。

小生自身はかろうじて否定的に指し示されるものでしかない、と極めて正義の積極的定立には懐疑的
だが、ただしそれが統整的理念として機能するならば、有用な概念ではないかと思うようにしている。
これが現状。その後の見通しは未だつかめていない段階だが、とりあえずは、以下のように整理できるかも
しれないと甘い期待も抱いていることは確かであろう。
すなわち、
政治的決定・制度を全ての人の異議申し立てに開き、その公共的正当化可能性を
絶えず批判的に再吟味しつづけるための規制理念として普遍主義的正義理念を基底に置きながら、
集合体より個人を公共的正当化の名宛人とすることによって個人を公共的討議において語りかけられる
べき主体とみなすこと。

その主体である個人が公共的討議における対等な存在として配慮され尊重されることを要求し、
所与の決定・制度・社会的配備等を最終的真理または自然的秩序として批判封じを認めないこと。

その公共的正当化可能性の絶えざる批判的再吟味とそれによる修正の可能性を保証するため現状を
支配する公式非公式の一切の権力の政治的答責性の確保を求めること。