>>649の続き
(3)法的利益の認められる場合(補足意見4)
>私は,例えば緊密な生活を共に過ごした人への敬慕の念から,その人の意思を
>尊重したり,その人の霊をどのように祀るかについて各人の抱く感情などは法的に
>保護されるべき利益となり得るものであると考える。したがって,何人も公権力が
>自己の信じる宗教によって静謐な環境の下で特別の関係のある故人の霊を追悼する
>ことを妨げたり,その意に反して別の宗旨で故人を追悼することを拒否することが
>できるのであって,それが行われたとすれば,強制を伴うものでなくても法的保護
>を求め得るものと考える。

この見解によると
@公権力による追悼の妨げ
A公権力がその意に反して別の宗旨で故人を追悼
上記@またはAにあたるときは拒否することができ、強制を伴うものでなくても法的
保護を求め得る。つまり、損害賠償の前提となる法的利益が認められるとしている。
なお、Aについては遺族の意思より戦没者本人の意思を優先すべきと思われる。

国立追悼施設における追悼が「宗教」といえるのならば、上記A(公権力がその意に
反して別の宗旨で故人を追悼)にあたり損害賠償の前提となる法的利益が認められる。
また、国による追悼行為が憲法上「国及びその機関」の行為にあたることには問題なく、
目的効果基準による判断となるが、その「目的」が「宗教的意義をもつか」について、
問題となる。「効果」については、その建設の目的からすると宗教法人である靖国神社に
対する「圧迫」・「干渉」にあたるといえる。

国立追悼施設における追悼が「宗教」といえないのであれば(いえるとしても)、
その建設の目的からすると靖国神社に対する上記@(公権力による追悼の妨げ)に
あたり、損害賠償の前提となる法的利益が認められる。また、憲法上も靖国神社の
信教の自由(戦没者慰霊)の侵害にあたる可能性すらあるといえるのではないか。