■【合憲判決】 最高裁 【靖国参拝】■
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0380法の下の名無し
2006/07/15(土) 04:14:09ID:+/+vzmN6関係については国または時代により各々異なっており、政教分離原則を憲法において宣言
している国は多くないというのが現状のようです。
また仮に政教分離原則を宣言していても、そが厳格に適用されているのか、比較的緩やかに
適用されているのかという違いもあって、千差万別といった様相で、何が正しい政教分離の姿
など誰も決定できるものでもありません。
日本においても、政教分離原則の法的性格について大して面白くもない議論が戦わされてきましたが、
一応いわゆる制度的保障説が判例となっていますね。
学説の中には客観的制度説やら人権説やら錯綜していて、ただとりあえず制度的保障説が大勢を占めているの
ではないかと思われます。この制度的保障説を主張したのが、戦後の憲法学の重鎮であった宮沢俊義です。
掻い摘んで言うと、憲法は信教の自由の保障を強化するための手段として政教分離原則を制度として保障しており、
政教分離規定は制度的保障であるという学説です。そもそも制度的保障論としてかかる理解が正しいものなのか、
私としては疑わしい側面があることを否定できないと思われるのですが、ともかく、わが国における
伝統的な理解では、個人的権利とりわけ自由権と異なる一定の制度に対して、立法によってもその核心ないし本質的内容を
侵害することができない特別の保護を与え当該制度それ自体を客観的に保障していると解されている場合、それ以って
制度的保障であるとされるところの法的枠組みの謂いとされています(この理解で十分なのか極めて怪しいところもありますが、
制度的保障論ともなるとさらに錯綜するのでこのあたりでとどめます)。
人権説は、憲法は政教分離を定めることにより間接的な圧迫をも排除し、信教の自由の完全な保障を図る人権保障条項である、という
理解に立つ説です。客観的制度説は、信教の自由の保障を完全なものにすることに向けられた制度であって、その内容は
憲法上明示されており、その明示されたところに従って公権力を厳格に拘束するもの、と解する説です
ところで政教分離原則の内容ですが、これはおよそ3つに分かれます。
@特権付与の禁止、A宗教団体の「政治上の権力」行使の禁止、B国の宗教的活動の禁止
です。そして主として一連のいわゆる靖国訴訟において問題とされるのが、Bについてあって、
「国およびその機関」の行為として禁止されている対象であるところの「宗教的活動」の意義を画するに
あたって判例は津地鎮祭訴訟以来、いわゆる「目的・効果」基準を採用してきたわけです。
もっともこの基準はアメリカのレーモン判決で採用された基準を持ち込んだわけですが、その運用の
され方がアメリカと日本では異なります。この辺り、いかに基準を定立して結論を導くように装っても、
その実運用のされ方でどうにでもなるいい加減さを法解釈学の特徴が際立っていると思われますが、学説は
いわゆる神道指令の影響もあってか、その方向性において政教分離を厳格に捉える傾向にあるのに対し、
政教分離原則に絡む裁判において採用されている「目的・効果」基準の本来の性格とはずらして緩和して
捉える傾向にあって、それぞれがばらばらですが、いずれにしても共通しているのは、どんなに法的意匠でかためようと、
いい加減な価値判断によって最終的に決定されるという力学が働いているに過ぎないということであろうと
思われます。
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