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五百旗頭真

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0001法の下の名無し2005/03/24(木) 23:25:28ID:pTGZ7a7j
単著
『米国の日本占領政策――戦後日本の設計図(上・下)』(中央公論社, 1985年)
『日本政治外交史』(放送大学教育振興会, 1985年)
『日米戦争と戦後日本』(大阪書籍, 1989年)
『秩序変革期の日本の選択――「米・欧・日」三極システムのすすめ』(PHP研究所, 1991年)
『占領期――首相たちの新日本』(読売新聞社, 1997年)
『戦争・占領・講和――1941-1955』(中央公論新社, 2001年)

編著
『「アジア型リーダーシップ」と国家形成』(TBSブリタニカ, 1998年)
『戦後日本外交史』(有斐閣, 1999年)

共編著
(北岡伸一)『開戦と終戦――太平洋戦争の国際関係』(情報文化研究所, 1998年)
(北岡伸一)『占領と講和――戦後日本の出発』(情報文化研究所, 1999年)
(下斗米伸夫)『20世紀世界の誕生――両大戦間の巨人たち』(情報文化研究所, 2000年)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%99%BE%E6%97%97%E9%A0%AD%E7%9C%9F" より作成
0217法の下の名無し2006/12/06(水) 16:35:32ID:JbEch3Ma
【正論】真珠湾への道 日米開戦65年(5)防衛大学校長・五百旗頭真

>日本軍の真珠湾攻撃による開戦であったから、日本政府がそれをやめれば、
日米戦争はなかった。
>日本は第一次世界大戦以上の特需を楽しみ、世界水準を抜くに至った日本の戦闘機や
軍艦の購入を切望する両陣営に対して、有利な取引の出来る立場を得たであろう。
>大統領は日本の開戦を予知していた。たぶん、それを歓迎していたであろう。だが日本軍
の南進を予期し、真珠湾攻撃を想定できなかった。
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/061205/srn061205000.htm


・独ソ戦争でドイツが守勢となり、米国は対独参戦に目処を付けつつあったんだろ。
ドイツ降伏後、石油が切れた日本に米ソが攻撃をしかけてこない保証があったのか?
日本の軍艦が動かなくなれば、米国は無血でサイパンを陥落させ、そこから日本を
爆撃して、容易に降伏に追い込むことが可能となったんだぞ。米議会も反対はしないだろ。
・屑鉄の輸出を止められ、鉄鉱石からの一貫製鉄技術を確立できてなかった日本が
どうやって輸出用の戦闘機や軍艦を製造・輸出できたんだよ?
・ルーズベルトは、ニューヨーク州知事時代に、「日本は真珠湾を攻撃してくる」という
論文を書いてたんだろ。想定できなかったはずがない。

この程度の男が防衛大学校校長かよ?小泉の靖国参拝も非難してたけど。
0218法の下の名無し2006/12/06(水) 18:17:29ID:JbEch3Ma
>>217
それに、ルーズベルトは、真珠湾攻撃より先に、日本本土を爆撃する先制攻撃作戦に
ゴーサインを出していたんだろ。五百旗頭はそんなことも知らねーのか?


ルーズベルトは陸海軍代表の意 見を採り、日本空爆計画は一旦中止となった。
しかし、この計画はこれで消滅したわけではない。翌年の一九四一年五月に、
陸海軍統合参謀本部によって、日本空爆作戦計画が作成された。七月に
ルーズベルトがこの作戦 にゴーサインを出している。この作戦は、米軍パイロットが
義勇兵として中国軍に参加し、三百五十機の戦闘機と百五十機の爆撃機で日本本土に
焼夷弾攻撃を行うという計画だった。うまく行けば九月下旬に最初の空爆を実施する予定
だったという。この作戦は、文字通り米国の先制攻撃案だった。ルーズベルトは、
この作戦に大変乗り気で、陸 海軍に作戦の早期実施を命じていた。しかし、中国基地に
送られたのは、戦闘機ばかりだった。肝腎の爆撃機の到来は大幅に遅れてしまい、
日本の真珠湾攻撃に間に合わなかった。なぜ爆撃機の中国到着が遅れたのか、
その理由は、いまだに謎につつまれている。
http://www.jsec.or.jp/book/pdf/077kikanshi_zuisou02.pdf

■2.真珠湾の7ヶ月前に日本爆撃計画■
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog116.html
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