憲法9条改正・軍隊保持に賛成か反対か
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
04/09/13 18:37:36ID:uVDM61bA憲法9条を改正して、軍隊を保持することには、賛成か反対か。
そもそも、いまの日本社会に、自衛隊のような「国軍」は必要か不要か。
0339法の下の名無し
2006/02/19(日) 22:06:15ID:LEGdsYpS日本国憲法弟9条2項には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とある。戦力の破棄を謳った条項であるが、
日本は実際には自衛隊という武装組織を抱え、外国からの軍事攻撃に備えを行っている。さて、「自衛隊」は「戦力」で無いのか?
答えはNO どう見ても戦力です。本当にありがとうございました。
自衛隊は違憲の存在である。これは明白な事実であるし、憲法学者の通説でもそうなっている。しかし、かといって自衛隊
廃止論が持ち上がることは特に無い。少数の空想的平和主義者が声高に唱えているようだが、ここでは放置させていただく。
(もしもの時は鍬・斧で戦うそうだ。) つまり護憲論者は自衛隊の存在を容認しながら、それでいて自衛隊を否認する憲法の
維持を叫ぶ矛盾した存在なのだ。何故この矛盾が生まれたのだろうか。
0340法の下の名無し
2006/02/19(日) 22:09:25ID:LEGdsYpS1945年日本は死力を尽くした戦争に負けた。その後日本で始まったのは「日本狩り」である。伝統・歴史ある文化・伝習は、昭和20年
の破滅と結び付けられ排除されていった。そして日本から奪われた最大のものは軍事力であった。勿論、現実の廃止に繋がったのは、
アメリカの日本弱化計画であったが、国内の思潮においても、軍事は破滅の最重要戦犯とされ、徹底的に排除された。軍事は日本人は
触れていけない禁忌とされたのだ。
ここで軍事に対する穢れ意識が醸成されていったのである。
江戸時代、特に綱吉による儒教に基づく文治政治の転換後、死に対する穢れ意識が広まった。生類憐れみの令、服忌令などがその発端で
ある。それ以後の時代において、死は日常生活から排除されるようになった。えた、非人といった、士農工商の社会秩序から隔離された身分
の者達に押し付けられ、彼らは蔑視の対象となった。
0341法の下の名無し
2006/02/19(日) 22:12:13ID:LEGdsYpS軍事は穢れ。穢れは自衛隊に押し付ける。彼らも誰かしら国を守るものがいるべきであることは了解しているから、自衛隊の廃止を唱える
わけではない。しかし、自衛隊を憲法上で認めることは拒否反応を示している。それは、穢れ身分の自衛隊を憲法という国家秩序の規定内
に含めることを嫌悪しているからだ。穢れたものは秩序の外部に隔離されていなければならない。それがゆえである。彼らは、身体に取り憑
いた穢れ意識によって、国は国民全員で守るべきものという国民国家の原則を忘れてしまっているのだ。そして蔑視対象としての自衛隊を
確保し、自らは軍事という穢れに一分も関与しない、清らかな人間だという自己法悦に浸っているのである。
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