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ヘーゲル【法哲学】は、必須ですよね。

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0001名無しさん@お腹いっぱい。04/09/06 01:56ID:q3DCNsXF
法学に限らず、社会科学系の学者、研究者で、
これを読んでない、という人間は信用できない。
0002名無しさん@お腹いっぱい。04/09/06 02:00ID:zWgAETiI
糞スレ立てんな。
0003名無しさん@お腹いっぱい。04/09/06 02:34ID:O3fR3HtF
結論から言えば全く不要である。
0004名無しさん@お腹いっぱい。04/09/06 02:36ID:s6I5CEuB
ヘーゲルの「法哲学綱要」原書で読みましたよ。
パズルが好きな人にとっては、ドイツ語が面白いのでは?
関係代名詞が何重にも重なって、分離動詞の頭が半ページ先に来て・・・
内容はぜんぜん分からなかったけど。
0005名無しさん@お腹いっぱい。04/09/06 02:38ID:s6I5CEuB
理解するためにはまず、「精神の現象学」から読まないとだめなんでしょうね。
これを理解するにはカントを読んでないとだめだろうし。
なかなか法律の勉強に行き着かない。
0006名無しさん@お腹いっぱい。04/09/06 03:45ID:9PD/emMl
>>3
はげどう。
「法人」といっても株式会社もない時代に書かれた本だぜ。
0007名無しさん@お腹いっぱい。04/09/06 07:19ID:BC7BtAWO
講義録の存在すら知らないお前らには語る資格なし
0008名無しさん@お腹いっぱい。04/09/06 08:23ID:zsqjq4HP
カントも読んでいない法学者はたくさんいる。
政治学だと読んでいないと馬鹿にされるが
原著である必要はない。
0009名無しさん@お腹いっぱい。04/09/06 11:16ID:AfLEtFu6
いやでも法学でも必要だろ。
また少、なくとも引用するときは原典にあたらなきゃならんし。
0010名無しさん@お腹いっぱい。04/09/06 12:19ID:zwXkn6Os
ヘーゲル翻訳者の長谷川さんってまだ駿台で教えてるのかな。
高校生じゃ有り難味分からんよね。
0011名無しさん@お腹いっぱい。04/09/12 04:46:29ID:9Wd/ZnHv
>>5
漏れ、河出の「現象学」は即行挫折したけど、
中公の「法の哲学」は、氏ぬほど再読してる。
べんしょーほー、ってわけわらかんけど、
仕様→犯→所為の順で、!
人倫→道徳→権利って読むのが(・∀・)イイ!!
0012§70 ◆3s1xgyGWHg 04/09/17 05:05:26ID:zIG0Vavf
 へー様は言います。自殺イクナイ(・A・)!!
 なぜか?
 人間(人格)は人間(生命)そのものだからである。

 自殺が「生命を捨てること=人格を放棄すること」である以上、
個人には自殺する権利が一切無い。Q.E.D.

(で、ここからがぼくには難しいんだけど)
しかし、ある特定の倫理=理念(へー様の時代だったら、た・と・え・ば国民国家)は、
まるで殺されるように、個人を自殺(殉死)させることができる。(はぁ!?)
だから人間は、死をアクシデントとして受け入れるか、ある倫理=理念に身を捧げ
死ぬか、どっちかだし、それは選びようがない。
(どっちにしても、個人には「死ぬ権利」など無い)


来週は序文、再来週は緒論について独り抄読会を始めたいと思います。
特に§33(区分)は序盤では重要なので念入りに。
底本は、中公(or中公新社)の「法の哲学」でします。
0013序文 ◆3s1xgyGWHg 04/09/24 04:37:31ID:KMvMmuFF
基本的にグダグダ自慢話。
ただ、第44段落は独特の皮肉も併せ、秀逸。
『すなわち哲学は、理性的なものの根本を究めることであり、
それだからこそ、現在的かつ現実的なものを把握することで
あって、彼岸的なものをうち立てることではないということ
である。そんな彼岸的なものがいったいどこにあるかは神様
だけが知っている』
つまり、箴言にもされがちな、
『現実的であるものこそ現実的であり、
 現実的であるものこそ理性的である』
とは、「哲学に、人類の未来や将来の予測など、できる/分かる
わけないじゃん?」という、ある種の諦観にも似た
(カッコ付きの「哲学」に過度の期待を持った18c.的文明人への)
警告にもなっているし、ヘーゲル流の現実主義を表している。
(=脱・観念主義の看板)
 そして、しめくくりは自分への皮肉で終える。第63段落
『世界をいかにあるべきかを<教える>ことにかんして、なお一言
つけくわえるなら、そのためには哲学はもともと、いつも、きかたが
遅すぎるのである。哲学は世界の思想である以上、哲学は世界の思想
である以上、現実がその形成過程を完了しておのれを仕上げたあとで
はじめて、哲学は時間の中に現れる。』

すなわち、本稿『法の哲学』は、19世紀的現実をのみ前提に
話しを始め、そして終わる。
0014名無しさん@名無し案予備選挙実施中04/10/02 22:16:07ID:6sYZOTzh
ヘーゲル流の文章ははっきり言って悪文だと思います。
0015電脳プリオン04/11/13 11:03:41ID:SOzRxddw
そろそろこのスレをアウフヘーベンすべきだな。。
0016法の下の名無し04/11/14 06:08:42ID:XD2YbiAg
結論:
この板の香具師どもにヘーゲルなんざ読めやしない。
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