>>274
> (1)追従者が多いということは日本人がそれだけ権威とされている者に弱く
> 権威者が唱えた説というだけで無批判的に受け容れ易いということを示している。
> 同じ説を唱えても我妻が八百屋のオッサンだったなら追従者ははいなかっただろう。

たしかに,我妻先生が東大教授だったから,その説に追従者がでたという面はあるだろう。
でも,逆の因果関係も大いにありえて,それは(最高裁も含めて)追従者が多くでたから,我妻先生が権威になったともいえる。どっちの因果関係が強かったのか,それは即断しかねる問題だと思う。


> (2)既存の法学説を理解することは必要だが、学説に我妻だとかという
> 個人名をつける必要はない。自然科学の実験のような真偽の判定手段をもたない
> 法学の分野では、我妻だとか、東大法学部教授などという肩書きが批判を抑圧させ、
> 過大評価させる心理的圧力となるからだ。

「必要ない」とは思うけど,学者の心理的圧力になる程度の話で,わざわざ用語を変えるもでもないとは思うんだけど。
言葉は通じるのが一番大事な機能だし,その程度のことで用語をいちいち変えていては言葉狩りになっちゃう。「これからは『マルクス』って単語を使うな!」ってお触れを出すようなもの。

たしかに,自然科学についてはあなたの言っているような懸念をほとんど持たなくて良いほど,自然科学の方法論は洗練されているのかもしれない。
また,そこまで洗練された方法論を法学が持っていないということと,だから法学においては自然科学におけるより権威への懐疑が必要だっていうのは分かる。

でも,だからこそというべきか,我妻先生の権威にひれ伏すのがまずいのと同様,端に我妻先生が権威だからという理由で否定するのもおかしいと思う。ただ,個々の論点について是々非々でやっていくというのが良いのではないだろうか。


これ以上,この議論を深化させようと思ったら科学哲学の難しい議論,法律学方法論の出口の見えない議論をあれこれ考えなくちゃいけなくなって,これはそうとう大変な作業なんで,そろそろ我妻ミーハー気分のユルい方向にスレを直したいのだが…