まあ、そういう藻前らは大屋さんの「規則とその意味」@国家学会雑誌連載中でも読んでおけと。

しかしなぁ、ある公理系での推論が、公理系によって定められている
推論規則による記号変形として捉えられていれば、確かに誰がやっても
同じ結果になるのかも知れんが、推論規則そのものの妥当性はどうするのか
という大問題があってですね。なんである推論規則が妥当だと我々にはわかるのか。

そこには論理法則は事実なのか当為なのか、という神学論争が待っておるわけですよ。