>>676
テキストと解釈に関してはあなたの指摘する通りです。
条約法規範に典型的ですが、テキストとしての規範はそれ自体としては
何の意味もなさず、解釈を通じてのみ実質的な規範が認識されるわけです。
問題は、各主体によって受容された規範の解釈の優越性を巡る争いに転化
されるわけですが、ここで言う主体は決して国家に限定されるわけでは
ありません。我々のように、条約形成過程に参加していない者にとっては
国家の意思とは無関係に、テキストから様々な意味を受け取るわけです。
この点は、文学におけるテキストの解釈論と類似すると思われます。

また国家の意思の成立過程に関してですが、私は公共選択論に詳しくなく
詳細に応答することはできません。しかし、私はあくまでも規範論としての
過程に着目しています。従って、「何故そのような意思が形成されたか」と
いう因果関係に関する分析ではなく、「そのような意思は規範の妥当性の
根拠として正統か否か、説得力を有しているか」という疑問です。この点
想起されるのが、フランクの正統性の議論です。意思形成過程それ自体が
legitimateではなければ、意思によって形成された規範それ自体も正統では
なく、遵守への牽引力が失われるという議論は、私の問題関心と重なって
います。

従って、国家の意思に規範の妥当性を求める人たちに言いたいのですが、
国家の意思をアプリオリに認める態度は、意思主義それ自体を形骸化する
恐れがあるということです。このような意思の背景、意思形成の制度に
着目しない限り、ヴェイユのいうところの「規範性の閾」擁護論は
国際法学それ自体を無意味なものにするのではないでしょうか。