>>661
確かに20世紀以降、とりわけ1960年代に国際社会が地理的にも文化的にも
拡大して以降「国際共同体」「一般意思」あるいは指摘のとおり
「コンセンサス」という概念が議論されてきました。

しかし、よく考えてみますと「コンセンサス」というのは、一定の数の
国家の「意思」を擬制によりすべての国家の「意思」とみなす法技術です。
また「一般意思」も同様です。およそすべての法体系はこのような擬制を
必要としますが、重要なのは何故このような擬制を必要とするのか、という
ことです。この理由付けを「意思」に求めることはトートロジーです。

従って、限定された数の国家の意思を「コンセンサス」「一般意思」あるいは
「国際共同体」という観念のもと、すべての国家の意思と同一視することは
既に、厳密な「意思主義」から離脱しています。そこには、このような
観念、擬制を行ってまで一般国際法ないし強行規範を認めなければならない
という価値判断が存在しているわけです。

この価値判断は様々な根拠に支えられると思いますが、それは既に「意思主義」
ではなく、意思以外の根拠(例えば「必要性」)に求めるという意味において
「客観主義」の文脈に位置づけられるでしょう。

問題点は、一般国際法あるいは強行規範の議論において「意思主義」が、このような
価値判断を捨象する点にあるのではないでしょうか?