>>476 「中国語の部屋」について、これは只の"反射"でしょう、と考えます。

>コンピュータで実現することは不可能

僕の言う「現在のAI研究が電卓の延長的だ」と言うのは、オペコードとオペ
ランド(演算命令と対象データ)で作られた電卓を、そのまま延長させても
あくまで電卓の域を超えないだろう、会話したとしてもそれは反射(命令に
従って反応しただけ)にすぎない、という話と同意かと思います。つまり、
ノイマン式はオペランドとオペコード→AIは不可、というのがこの話だと思います。
対して以下の解釈があるのかな?世間の話は良く分かりませんが。
・agent論でノイマン表現可能(僕はこれに近い)
・クオリアとか表現出来る非ノイマンなバイオICや新システム必要では?
 (*僕とはクオリアへの解釈が多分違うと思われます)
・なんだかんだで進化していけばいつかは・・(一般人)

へんてこな例えですがグラフィック技術の進化になぞらえて言えば
2Dが(自律性の無い)行動・表現、3Dグラフィックが(自律機能を足した)思考・
行動、と例えちゃいますと、
オペランドとオペコードは只の画材道具。そして「中国の部屋」の話はA"画面に
描く以上は立体的に表現は不可である"という話。
対して諸学説(なんて知らないけど)が、B1"絵を重ねることで立体感が出る"とか
B2"小さく書くと遠くに、大きく書くと近くに見えて遠近感が出る"と言っている。
そして僕がC"それは否定しないがそれだけでは擬似的なある程度で限界になる。
どんな位置関係でそれをどんな視点から見るからこう描くのだ、という構図をとり
入れたものこそより本物だ"と主張している(つもり)です。
Aを平安京エイリアンやインベーダ、Bを当時のスト2、Cをバーチャファイターで
イメージしてもらえると分かるかなと。