なぞなぞが解ける人工知能
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0449HESONO
2008/03/12(水) 10:38:47ID:DOEnCVto0久しぶりに見に来たのだけれど、「自分が無能だと悟(>447)」るのはいいとして、
「無意識で物事を考えることができない(>448)」ならむしろ一凡人にも研究する
余地がある。AI研究には、脳波計の扱いや医学知識や臨床心理の知識やロボット工学や
脳科学やプログラミングや・・・の他に、実際の自分自身が臨床披見体としての考察等、
さまざまな研究すべき分野があると思います。
おわかりかと思いますが、僕は特に最後の項目について「どこに研究者に遠慮
して自分の研究したいという枝を折る必要があるのか?」と思って書いています。
(というかそれを老後の趣味にしようと決めたと書いた)
皆さん自身もそうです。上の全ての項目に精通したものなどおそらくいる事は
なく、それぞれの研究者はきっと"各々の得意分野"で頑張っているのでしょう。
でも「最後の項目」は自分自身への研究でもあり、検証披検体はみんな一人いっこ
ずつもっている筈です。>448さん、「そこ(心)は既に何千年もの間に研究されつく
した」と仰るつもりですか?僕は、「自身の心の研究者(世の中全ての人が研
究者)」のひとりとして「これで心の解読は完了した」などという納得する文献
や発表を聞いたつもりはないし、ましてそれが人工生命、AIの研究に投影されき
ったとはとても思えないし、それは「専門家の研究」に任せる必要もなく、自分
自身で互角(研究者も一般人も互角の観察対象もってるじゃん、という意味)に
考察出来る事だろうと思います。
448さんが「話相手の気持ちや自分の気持ち」を生活の中で考えたりする時、"自分
の経験や教訓は、「多数の研究機関」の論理の前には無力である"と思いその学説を
機軸に生活・行動スタイルを決定している、もしくは重用しているというのなら何も
いえませんが、普通は自分の知らない事がどこかに書いてあったら「ふーん、なるほ
どな」くらいではないでしょうか?
自分を天才と思う必要はないと思いますが、自分を研究機関に太刀打ちできない、心の
考察などする器ではない、とまで遠慮する必要はないと思いますよ。
復活したら「思い出す」と「思いつく」の違いの考察あたり、お話してみようかと
思っています。宜しくです。
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