>>251
>221さんは、僕の説明だとこのように聞こえますよ、と言ってるわけでしょう?
>なので"そのように書き手の意図に反して受止められる"のは問題だと思ったわけです。

で、結局HESONO自身、「データを与え続ければ自我が目覚める」と書いたわけだろ?
(cf.>>56,220,222,228,238)

>>自我の認識というのを、仮に、ぼくという単語の意味を知ることだとしよう
>>意味を知るってことに、どれだけの問題なり課題があるか理解しているの?
>   ↓ これを、
>「自我の話はひとまずいいや、言葉を理解する話をしてみろよ」と受け取りました。
>で、すぐ下に「言葉の認識に関連する過去の書き込み」を書いたのですが、違いま
>したか?

なぁ、なんであの文脈で、そういう判断ができるの?
頼むから教えて。

>>240
>>238
>>でもこの”自我の認識”の本質を「ぼく」という言葉の意味を知る程度にしか
>>捉えていないので、「数える」という言葉の概念を知る、「きれい」の意味、
>>「あぶない」の意味を知るのと変わらないと言っている。

>自我の認識というのを、仮に、ぼくという単語の意味を知ることだとしよう。
>で、ある単語の意味を知るってことに、どれだけの問題なり課題があるか理解しているの?

「自我の認識=『ぼく』という単語の意味を知る」ことだと、仮にそうしよう。
その場合、「単語の意味を知る」とはどういうことを意味するのか理解しているの?
という質問だよ?
そりゃ、言語の理解は文脈に依存するから、誤解は生まれうるだろうけど、
それにしてもひどいだろ、この誤解は。

>>251
>>スクリプト理論 
>なんですかこれ?記憶や連想を表現するのにぴったりじゃないですか?

なのに、なぜ、今主流として使われていないのかもあわせて考えてみようよ。

>>考えられるよな?

> 考えられますね。

考えられますね、じゃなくて・・・
「1躊躇や2葛藤や3逃避などの表現」で見ても、まるで正反対の説明・解釈がありうることが
指摘されているわけだろ。
そういう解釈を突きつけられて、「考えられますね」以外に、何か言うことはないの?