>>243関係最終コメ。多分この辺の解釈不全が主因かなと。文章力なくてスマンコ。

<僕はこう言いました>
プログラムの変更なしで、データのフィードバックや書き換えだけで勝手にAI
が学習・成長が出来るようになる。

<読み手の解釈>
そして遂にはAIは自らの手によって「超すげえプログラム」になる。

<僕の言いたいこと>
プログラムが変わるわけ無いじゃんです。マイノート(事典)がスーパーに
なっていくんです。行動選択のソースはデータにのみ有る、と言う主張ですから。

おまけ

同じ事繰り返すネタで長文って最悪だな、という人へ。新しいの1個混ぜときます。
                      (難しいかも)
例えば「1躊躇や2葛藤や3逃避などの表現」をする時、1,2は行動選択ではない。
3は意図しての行動表現。1,2は意思をもっていた行動じゃないから"結果現象"。

躊躇せよ、葛藤せよ、という命令が下るのではない。でも3は「逃げろ」と命令
が下ったもの。つまりghostが選んだ選択。
 「躊躇」はただghostがどちらのページをめくったほうが(行動をした方が)いい
のか迷った結果「戦う?いや逃げる?」とオロオロする、最後には選択するのだろう
が、選択を決定出来ずにぶれてパニクる現象が、データファイルにない「躊躇」現象で、
行動選択ではなく「行動・思考プロセス中の現象」として出ただけ。ちなみに結局
「逃げる」を選んだのなら”逃避”を選んだ行為自体は通常の行動選択。
だが結果”@今、目の前の危険を回避したい”という欲求の達成は得たが、”A今後また
敵に遭遇する恐怖”の克服は得られていない。でももうここでこの「敵に遭遇した事に
た事項」は終結したので、1/2(A)の欲求を残したまま選択候補から落ちていく。この時
のジレンマが「葛藤」現象。体を鍛えよう、隠れ家を作ろうというAを解決する為の積極的
行動をとる事もありながら。「いいや、今回はとりあえず。飯食いに行こ」とするのは
「逃避」(選択行動)。
 つまり、「躊躇やら葛藤やら逃避」といっても実は分類が違ったりする。でもそれ用
のプログラムを作る必要はない。(自我も必要ないといいたかったのですが・・)
行動は全てデータから選択されている。が、表層的には”意思を持った行動だけでなく、
"結果として現れる意思のない行動/結果状態(現象)」が見えるはず。
作らないで表出させるから面白いのに・・と思います。