>>233-237 たくさんのご意見有難うございます。答えるの大変かなあと
一瞬思いましたが、よく読むとテーマは自我に集約出来そうなので書いてみます。

皆さんのいう「自我」と僕の言う「自我」が、認識が違う気がする。
多分僕の言っている認識は皆さんの言っている認識よりも随分と小さく、
取るに足らない数ある認識の1つとしか捉えていない。

>>226>>233
>XとYに次々と値を与えて計算させて、それだけで自我が目覚めるか?
>能力・機能を無視して、データを与え続ければ計算機が自然とそういうことを

ちょっと極端だけど、まあそうです。認識と応用を積み重ねて新しく”ぼく”の
認識をつくる。
でもこの”自我の認識”の本質を「ぼく」という言葉の意味を知る程度にしか
捉えていないので、「数える」という言葉の概念を知る、「きれい」の意味、
「あぶない」の意味を知るのと変わらないと言っている。
だから僕は皆さんの反応に戸惑い、
[固有名詞ではなく状態や概念を表す]言葉なので特別視しているのでは?ならば
有形でない概念を認識するプロセス例を書いた方がいいのか?  と思ったり、
多分”自我”という言葉の捉え方が、僕と皆さんで違うようだ。が、皆さんそれ
ぞれが同じか違うかもまた分からない。(違えば公約数的解は出せない)ので、
「自我の目覚め」ってなんだと思いますか?と聞いたりする訳です。

というわけで、
>>233、251(≒151) >その能力・機能
先天的なハードウェアを否定しているのではなくて、その能力・機能と言っている
ものの多くはデータから抽出した後天的なものだと言っている、の方が近いかな。
>>234      >自我=アルゴリズムの複合体
他の皆さんもその定義なのでしょうか?
>>236  >誰も説明できないのにHESONOだけが理解しているのを
僕は”自我”という言葉の認識には「誰も説明出来ないほど難解なもの」なんて
ややこしいものは含まれていません。と言っているのです。
>>237 上4行:やはり皆さんの「自我」という言葉の捉え方がそれぞれ違うかな。
繰り返しますが、僕の中では「自我」=”ぼく”という言葉・概念を覚えること
くらいなので、「思い込みたいだけ」とかいわれても、です。
>>237 下4行。そのとおりです。がんばります。