>>226 >定義の問題
分かりました。では>>218>>225の質問の本質はもっと生々しい”我ここに有り”
とか”生きている実感”とか、バーチャ感でなくて現実感とかを感じるか、と言い
たいのでしょうか?  ↓そのような決め付けで勝手に質問を↓

Q.少年Bが、格ゲーで「あいたっ」「やられた」「くそう」と言った。また少年Bは
実際の喧嘩でもボコられ、溢れる涙をこらえながら「痛ってえ・・ちっくしょう」
と言った。
AIに、格ゲーに於ける少年Bと同様の行動を選択させることは可能である。そして、AI
に喧嘩をさせて少年Bと同じ行動選択をさせることも。でもボコられたBの本当の痛みと
悔しさは、AIにはきっと「格ゲーと同じ悔しさ」でしか分からない。数値でない感覚と
しての本物の悔しさを”味わう”のは難しい。これでは偽物ghostではないか?

A.AI製作においての行動反応には障害ないと思います。でもAI自身にとって、痛みや
喜びを「本当の意味」で味わえるのか?というと、微妙。これがクオリアの問題。
そしてAIにとっての”感受”の問題なので、未来のAIが喋れるような時代が来たら
AI本人に聞いてみましょう、で問題ないと思います。(>>220の最後)
 確かにこれ(クオリアの感受方法)が先に解明できる事も有り得ますが、僕は今の
所(>>179のハーモニズム)位が限界です。