県庁は当日の夕刻から比治山の多門院で臨時防空本部を設置。
(翌日には東警察署に移転)
市役所は翌7日からくすぶる庁舎前で罹災証明書発行などを開始。

県知事は他県出張中で命拾いしたのに対し市長は公邸で爆死した
というところで若干のギャップが生じたのか?

よく知られてるところでは軍(陸軍)は第二総軍以下ほぼ全滅したので
宇品の船舶司令部が事実上第二総軍の指揮をとり市内の警備に当たった。