>509
こうしたなかで、その年(昭和20年)の春のころと思われるが、「四月長崎花の町、
八月○○灰の町」といった文面のビラが多数撒かれた。このころに撒かれたビラは
国民の厭戦気分を誘う抽象的なビラだったようである。

この種のビラは、つづいての原爆投下を仄めかしながらも、実際に投下を予定している
目標都市とは無関係に全国多数の都市に大量に撒かれている。そして前述の予告ビラと
は異なり、特にどこに投下するという特定の都市名は全く記されていない。この点前記
の爆撃予告ビラとは大きく異なっている。
ところで、この種のビラは、長崎にも多数撒かれ、現在、長崎原爆資料館にも数枚が展示
されているが、さて、この種のビラが長崎にはいつ撒かれたものか?長崎原爆投下の前か
後か?この問題については長崎ではこれまで何回も議論がなされ、検討が行なわれた。
くわしく言うと、まず原爆投下後の八月九日の夜か十日の朝に大量に撒かれ拾われたという
ことは、多くの証言や手記にもあり、まぎれもない事実として認められながらも、一方、原爆
前に拾ったと主張する市民の声もあり、果たして原爆投下の前と後の二回にわたって撒かれた
ものかどうか。この点については未だに疑問として残っている。(原爆資料館に展示されている
ビラは原爆後に撒かれたもの)

前述の長崎に投下されたビラ(リーフレット)は前記のAB-11に該当するものである。

「即刻都市より待避せよ」の文言から、これは原爆投下予告ビラと解されたときもあった
が、投下側の本来の目的からみれば、日本に早期降伏を勧告するビラと呼ぶのが妥当と
みられる。
(「長崎原爆戦災誌 第一巻改訂版」2006 長崎市」)