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部落起源と朝鮮

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0001日本@名無史さん2006/04/30(日) 22:05:47
近畿、西日本に多いのは関連性あるの
0002日本@名無史さん2006/04/30(日) 22:07:38
部落と朝鮮の女性て何で美人が多いのかな
0003日本@名無史さん2006/04/30(日) 22:08:01
天は二物を与えず
0004日本@名無史さん2006/05/01(月) 00:40:42
1
0005日本@名無史さん2006/05/02(火) 19:19:08
帰化人の末裔と朝鮮出兵関係あるの?
0006日本@名無史さん2006/05/03(水) 10:00:53
>>2がきもい
考えが創価
0007日本@名無史さん2006/05/06(土) 22:16:48
都(大和・平安京)があったからだよ。
そして、政治の中心(特に豊臣政権)も大坂。

結局、政権の動きについて行けなかった連中が賎民とされた。

よって、奈良・京都・大阪近辺の都のベッドタウンに部落が多い。
0008日本@名無史さん2006/05/06(土) 22:23:03
その可能性は高いな、厄介者は選民にしちゃえみたいな
0009日本@名無史さん2006/05/07(日) 06:37:01
さらに限って言えば、
JR沿い、高速が走っている、インターチェンジ。
まあ、そこにあるから通した訳だが。。。

0010日本@名無史さん2006/05/07(日) 06:37:39
川の近くも多いね。
0011日本@名無史さん2006/05/12(金) 20:26:06
朝鮮出兵関係あるの?
0012あぼーんNGNG
あぼーん
0013日本@名無史さん2006/05/13(土) 07:20:45
やはり、予想するに
それまでにも賎民は多く存在したが、
加えて
豊臣政権で士農工商という身分制が確立された。

大阪は、豊臣時代、政治経済の中心。
それ以降も関西圏の経済中心地。

余計に経済格差・所得格差・身分格差が生じたように
思うが。
0014日本@名無史さん2006/05/13(土) 09:01:19
既存の賎民集落に落ち武者や失脚した政権一族が逃げて同化した可能性は?
朝鮮出兵の捕虜の関連性は?
西国大名の領地に多いじゃないですか?
0015日本@名無史さん2006/05/13(土) 13:18:54
大和朝廷の賎民から、ライ病の人や失脚した政権一族・罪人などが
加わったのだろうか?
0016日本@名無史さん2006/05/13(土) 16:36:57
西国から見れば東国は下賎そのもの。
なんたって「下らない」存在なんだからなw

西国>西国の部落民>東国でFA
0017日本@名無史さん2006/05/13(土) 21:45:48
芸能人もそう、能も歌舞伎の役者も放浪する旅芸人の一種。
中国や英国でも演劇は最下層の賎民の仕事とみなされていた。

0018日本@名無史さん2006/05/15(月) 15:26:05
被差別部落に真宗の寺院が多いのは、「反抗的な一向宗徒を賤民にしちまえ」っていう、豊臣・徳川の政策ですか?
0019日本@名無史さん2006/05/15(月) 19:46:08
宗徒の人口真宗が一番多いだろ
0020日本@名無史さん2006/05/15(月) 20:15:06
>>17 今じゃ逆転して芸人長者が増えている。
0021日本@名無史さん2006/05/15(月) 20:32:59
江戸時代の歌舞伎役者も、収入だけは凄かった。
0022日本@名無史さん2006/05/17(水) 00:13:41
>>2はオサーン。

昔の人って部落とか在日の女性に妖しい魅力を感じるらしい。
ってコヴァが言ってたwwww
0023日本@名無史さん2006/05/17(水) 00:16:13
>>18
賤民を押し付けられたってのが一般的な考え方だったはず。
東西本願寺の対立の辺りでそうなったと。うろ覚えだけど。
だからある意味徳川の政策ではある。

ソースがわからんから無視してくれてもかまわん。
0024日本@名無史さん2006/05/17(水) 00:36:44
>>16こういう輩は、鎌倉時代以降東国から西国はさんざん復讐されたことを
忘れている。東国武者の西遷により西国の民は東国の奴隷だった。西国は東国
の奴婢である。
0025日本@名無史さん2006/05/17(水) 01:20:59
>19今は日蓮系が一番?

>23近畿、北陸、尾濃三は、一向宗門徒が多い → 賤民と為し職業も限定 → 次いで、この地方に多い芸能の民も賤民化 → 関西、北陸3県、岐阜・愛知県は今でも被差別部落が多い
……確か、解同の上杉さんが言ってたような
0026日本@名無史さん2006/05/17(水) 01:42:12
え、街道の上杉さん?
そんな上杉謙信みたいな名前の人がそれなの?
0027日本@名無史さん2006/05/17(水) 01:49:30
朝鮮出兵の捕虜の関連性は?
0028日本@名無史さん2006/05/17(水) 02:13:53
それ信じてる人いるけど、徳川は朝鮮すきだし通信士送ってるし
陶工との区別わからんし、それに彼らの名前とか居留地
文化みると朝鮮とは直接結びつかない。
0029日本@名無史さん2006/05/17(水) 12:04:53
部落起源が朝鮮?
何いまさら取るに足らないトンデモ説を堂々とスレタイにしてんの?
0030日本@名無史さん2006/05/17(水) 13:22:24
有田とか大河内とかある意味朝鮮部落みたいなもんだ、陶器職人連衡して住まわせたんだからさ
今となりゃ立派な陶器町だ、たいしたもんだよなあ。
では、帰還出来なかった数千の単なる捕虜どもはどうなったのか?そりゃ言葉は通じないわ
ウンコ食うわで、エタ避妊一直線だべ。
0031日本@名無史さん2006/05/17(水) 13:35:01
たぶん、単なる捕虜は朝鮮に帰したとおもうよ。
じゃねーと、通信士なんかおくってこんだろ
0032日本@名無史さん2006/05/17(水) 13:48:30
事実、帰還出来なかった消息不明の捕虜ってイパーイいたらしいよ。
通信士は琉球がやってた「江戸上り」と同じ位置づけ。参勤交代と似ている。
0033日本@名無史さん2006/05/17(水) 14:10:32
加賀前田家の侍で、
大阪の陣で功名した脇田という朝鮮人がいたな。

佐賀鍋島家の家中にもいたはず。
0034日本@名無史さん2006/05/17(水) 14:19:08
贖罪の念か豊臣を滅ぼすためか
しらんが徳川は通信士に国費を出して招いてるし
0035日本@名無史さん2006/05/17(水) 14:19:35
通信使は,幕府の視点では確かに>>32なんだが,朝鮮の視点となると対等外交でしかない。
双方が思い込んでるわけだが,その原因は対馬宗氏にある。
初期外交で幕府−朝鮮間の取次ぎをやってたんだが,文書の偽造をやりまくるというかなり
アクロバティックな外交をして,しかもそれが成功してしまった。

ちなみに,通信使の初期は捕虜の受け取りが第一目的だったので>>31はその通り。
詳しい数字は忘れたが何千人かの捕虜が送還されたと思う。
当然現地に残された捕虜はたくさんいた。
0036日本@名無史さん2006/05/17(水) 14:21:06
>>33これ?
脇田直賢は、秀吉の朝鮮侵略の際、宇喜田秀家と戦って
死んだ金時省の遺児である
0037日本@名無史さん2006/05/17(水) 14:44:17
どっちにしても徳川の被差別部落制度の
発端が朝鮮出兵捕虜は考えにくかろうて、
闇でいくらかあったにせよ、根本的にそういうのが
被差別扱いされたたら朝鮮もなにか言ってくるだろーよ
0038日本@名無史さん2006/05/17(水) 14:44:28
日の丸は、朝廷に貢献した大名などに下賜して有り難がらせて
またバカをやらすことに使われたもので、
いわば天皇家の象徴。
その朝廷は日本を征服支配した朝鮮人が作ったもの。
つまり、日の丸は、朝鮮人による日本支配の象徴なのである。
0039日本@名無史さん2006/05/17(水) 14:50:31
日の丸は赤い丸と白い四角の合成
赤い丸は古い倭国を示し
四角い白は朝鮮を示す。

西日本の丸もち、東日本の角もち
平家の赤旗、源氏の白旗
0040日本@名無史さん2006/05/17(水) 14:53:12
>>37
同意。
0041日本@名無史さん2006/05/17(水) 15:07:00
古代の賎民制は途中で終わっている。
中世に職能差別されたのが契機。
江戸時代では差別はされたが、
意外と経済的優位性は持っていた。皮革産業の独占など。
明治に比較産業に大資本が参入し、これが崩れ、貧困化した。
0042日本@名無史さん2006/05/17(水) 15:17:56
>26元 副議長
0043日本@名無史さん2006/05/17(水) 15:20:02
漏れは隠れキリシタンかなとかおもったりしたけどね
0044日本@名無史さん2006/05/17(水) 16:31:07
洩れの知り合いの朝鮮部落出身者が言うには、
部落内には一目置かれた不思議な連中がいたらしく、
何時から入り込みだか分からないんだと、
同胞には間違いないならしいのだが、はっきりとは分からない、
そいつが言うには秀吉が連れて来たんだと。
冗談かと思ったけど、意外にマジだったな。
0045日本@名無史さん2006/05/17(水) 16:34:17
行方をくらまし送還されなかった捕虜が、
祖国に帰れなかったか、帰りたくなかったか、その理由は定かではないが、
朝鮮での生活よりは日本での生活の方が意外に良いかも?・・・
例え部落であってもイイかも?・・・
と日本の現状を目の当たりにした逃走捕虜が部落に下ったとも考えられる。
現に時が経っているが、連行された陶工らは自らの意思で日本に残った。
0046日本@名無史さん2006/05/17(水) 16:39:47
時代は繰り返す。
0047日本@名無史さん2006/05/17(水) 16:45:24
部落起源を朝鮮と信じてる在日がいるんだからね
>>1はなかなか鋭いよw
0048日本@名無史さん2006/05/17(水) 16:52:08
>>46 繰り返すならお前は死なない。 アフォか(^д^)

時代は変わる。
0049日本@名無史さん2006/05/17(水) 16:53:44
>>48
民団と総連のように仲良くやろうぜw
0050日本@名無史さん2006/05/17(水) 17:06:30
東北の金や紺野、金子は白山信仰とともに高麗、新羅から渡ってるし
伊藤とかの伊、伊達、も古代の朝鮮系、まあ
そんなこんなで朝鮮系は古代から結構入ってるさ
だからこそ日本人と朝鮮人は似た顔してるんだろう

結局、いつから日本人かという問題さ
そもそも日本という名称だって新羅からはいったんだぜw
0051日本@名無史さん2006/05/17(水) 17:08:45
しかしまあ下手糞な釣りだなあ、おい
上の方では見事にスルーされてんじゃよw
寂しいのかい?www
0052日本@名無史さん2006/05/17(水) 17:20:54
金偏の名前はその傾向はあるのは確かだよ。
金偏の名前おもいだしてみ、伊もほぼそう。
伊予の予は余で扶余とか
0053日本@名無史さん2006/05/17(水) 17:24:47
朝鮮部落の朴とかはそりゃ
日韓併合時の人だろ
0054日本@名無史さん2006/05/17(水) 17:31:49
もっとも有名な朝鮮人で様々な文献から多角的にみて
実在は確認される人として丹波但馬に移住した
新羅のアメノヒボコがいる。
彼の子孫は近江の天皇一族の祖先となり天孫として
各地の司令官になるんだ。
五十手、伊系の苗字か彼らの子孫。
藤原も伊部氏も彼らの手先、もちろん血も混じってるでしょ。
まあ、われわれは朝鮮とはきってもきれない間柄ってこったw
0055日本@名無史さん2006/05/17(水) 17:33:06
はいはいファビョンファビョンw
てことで、部落半分は在日朝鮮人地域だったり。同じ部落に住みながら、
日本人部落民と朝鮮人部落民は全くと言っていいほど交流がない。
それどころか、お互いに反目すらしあってる。
ところって結構多いらしいね。
0056日本@名無史さん2006/05/17(水) 17:37:54
おおむね、出雲丹波但馬近江が高句麗、新羅と蜜な関係にあった。
但馬から脱解が新羅に移住し王になってるし
その代わりとしてアメノヒボコが但馬に移住してるし

百済が大和と結びついたのはずっと後の話。
0057日本@名無史さん2006/05/17(水) 17:39:03
>>55
朝鮮野郎お誘いの飲み会を断ると、お前は「協調性が無い!」
とかいってすぐ怒鳴るんだよね。
調性がない民族が何言ってんだか?とつくづく思うよ。
0058日本@名無史さん2006/05/17(水) 17:43:49
ヤマトだの新羅だの逝ってる場違いなアホっていろんなとこにいるんだな。
0059日本@名無史さん2006/05/17(水) 17:55:53
古代史ヲタって古事記や日本書紀頭には隠された歴史への暗示がある!とかいう解釈こそ
「歴史」を「小説」レベルに引き下げているって事に気づいてないらしい。
科学的な裏付けが無ければ、単なる仮説に過ぎないし。古代史はその性格上、殆どが仮説の域を出ていない。
「仮説」を「事実」であるかのように主張する事自体が大間、てか変人扱い。
しかもスレとは全然関係ない。バカの極み。
0060日本@名無史さん2006/05/17(水) 18:16:44
全然関係なくねーよ。
朝鮮人は出雲神話タマムスビノカミ
でもその後の天孫神話でも
もっとも位の高い人たちだったわけだ。
朝鮮人の地位が下がったのは6、7世紀の話。
そういう経緯も知らないと部落と朝鮮の関係もわからないだろ
0061日本@名無史さん2006/05/17(水) 18:17:19
>>57
朝鮮ぶら、いやコリアタウンも、もうちと中華街を見習うべきだな。
開放的になれや、と。 交流しろや、と。

交流っても日本人に強制的に反省を求める従来型のじゃないヤシでないと駄目だ。
0062日本@名無史さん2006/05/17(水) 18:21:49
開放ねー・・・
これ以上在日を増やすと日本が腐るよ。
治安も悪くなりしね、交通事故も増える。さらに地価や民度も下がる。
0063日本@名無史さん2006/05/17(水) 18:23:38
>>62
いや移民とかのそっち系の開放とは違いうんだけど
0064日本@名無史さん2006/05/17(水) 18:30:28
>>63
斜め読みしてましたスマソ
中国人でも変な留学生とか密航者とか犯罪者はいるんですけど、
地域に溶け込んでる人はいる。かつ、民族的な部分も生かして
やってる人って、いるんですよね。

なんで朝鮮系って問題ばかり起こすのでしょ?
0065日本@名無史さん2006/05/17(水) 18:33:00
(´・ω・`)知らんがな
0066日本@名無史さん2006/05/17(水) 18:34:58
日韓併合時に日本に入った人が裏世界と
繋がってるからでしょ、生きるためにそういう
道で生きざるえなかった。
0067日本@名無史さん2006/05/17(水) 19:03:53
いまさら被差別部落違民族起源説かよ!   
そんな説はどこでも通用せん。    
   
0068日本@名無史さん2006/05/17(水) 22:48:41
古代中世賤民部落+帰還出来なかった朝鮮捕虜の部落
=部落になってしまった説
0069日本@名無史さん2006/05/17(水) 23:02:57
どちらも皮革の仕事にどちらも肉を食らう
似てるとこ多いやん
0070日本@名無史さん2006/05/17(水) 23:34:47
朝鮮半島そのものが被差別部落であり
賎人はエッタヒニンみたいなもんでしょう
それに比べると日本の部落民の方が断然人らしく生きてるよw
0071日本@名無史さん2006/05/17(水) 23:54:13
馬鹿だなぁ。
朝鮮ヒトモドキは人類ではないから、
部落民にすらなれないんだぜ。
0072日本@名無史さん2006/05/20(土) 22:10:06
古代中世賤民部落+帰還出来なかった朝鮮捕虜の部落
=部落になってしまった説

0073日本@名無史さん2006/05/20(土) 22:32:37
ってゆーかさ〜どうして真宗興正派は同和運動してなくて風化してるのに東西本願寺門徒は大正時代から糾弾闘争系運動してるの?
0074日本@名無史さん2006/05/20(土) 23:03:11
これが学術的に説明できれば日本史の「神」
0075日本@名無史さん2006/05/20(土) 23:07:38
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1143731063/l50#tag916
騎馬民族スレの400あたりから読んでごらん。
扶余が部落の主流だというのが分かるから。
0076日本@名無史さん2006/05/20(土) 23:15:10
わかった君の説は忘れない
0077日本@名無史さん2006/05/21(日) 00:31:51
部落の起源は職業の固定化に求めるのが妥当ではないでしょうか。
古代から近世にかけて支配階級をのぞく国民のほとんどが農民でした。
しかし実際の生活には工人や芸人なども必要です。
それらの家業は近代になって会社ができるまでは、
特定の家族に受け継がれるものだったため、
それらの家族を被差別民として固定化し、
ある意味においては保護したのではないでしょうか。
0078日本@名無史さん2006/05/21(日) 00:45:08
>>75
俺、そのスレ行ってるけど、昨日こっちにレスした。
秦氏=朝鮮人 京都県民と部落民の関係
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1131991701/l50

171
江戸期の寺檀制度下じゃ教義も何も(ry


176
一向一揆起源説も証明出来ないっていうし
第一、百済と結びつかないし
古代と部落民すら結びつかないし、中世までだろうよ。

神を部落扱いですか。
そうですか。


180
181
濫僧、屠者とかケガレた者は、清浄な鴨の河原に住んだらだめだぞ!
っていう。
濫僧(ひにん)

ケガレ観念と被差別民の関連を考えれば、少なくとも古代の関東と関連付けるのは無理じゃないかと。
0079日本@名無史さん2006/05/21(日) 00:51:06
忘れる、忘れないより、
何か評価をしてくれ。
0080日本@名無史さん2006/05/21(日) 00:54:36
>>78
秦氏は部落民ではない。

牛殺しをたしなめるアメノヒボコだ。
秦氏が扶余を私有民として管理してたのだろう。
0081日本@名無史さん2006/05/21(日) 01:02:39
>>80
いや、俺は例の扶余君ではないよ。

秦氏が部落民のわけない。
秦氏(渡来系豪族)⇒秦人(渡来系)、秦人部(日本人農民)
0082日本@名無史さん2006/05/21(日) 01:11:09
>>81
うん、分かってる。
秦氏の行くところ、必ず被差別民の影がつきまとう。
播磨、但馬、摂津、山城、河内や和泉。
0083日本@名無史さん2006/05/21(日) 01:14:54
>>82
まあ、いいや。
広島ちゃんは軍スレがお忙しいようでw
0084日本@名無史さん2006/05/21(日) 01:26:46
>>83
白馬青牛さんは関係ないだろw

しかし騎馬民族・扶余と、
部落問題がつながるとは、
誰も予想しなかっただろうな。
0085日本@名無史さん2006/05/21(日) 01:39:05
≫81
むしろ同じ人種と考えるのが妥当だろうな
0086日本@名無史さん2006/05/21(日) 02:00:17
扶余といえば、最近「余部」という地名の語源が気になってた。
天部、海部、扶余部…と、いろいろ連想させる。
0087日本@名無史さん2006/05/21(日) 02:03:33
      _,,-―''   ヽ、
     /     ヾ   ヽ、
   /      彡ノヽ    ヽ
   /  ,,ノ-~  ̄   ヽ     |
   |  /へ_ ,=、 _ノヾ \ミ  ノ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  /彡| -・=/ ヽ =・-  |   )  |   土井たか子ニダよ。
   ヽ .|   、_っヽ  ノ |  ノ   | 本名は李高順ニダよ。
   `-.|  / _   ヽ | |_ノ  ∠   北朝鮮に親戚いるニダよ。
      .|  ノ`-´\   |     \____________
     ヽ'  ⌒   ' 丿
       |ー - ―~ |、
     /|ヽ___ ノ| ヽ、
0088日本@名無史さん2006/05/21(日) 03:52:55
>>1
あんまり言いたくないが

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E9%83%A8%E8%90%BD%E3%80%80%E6%9D%B1%E5%8C%97%E3%80%80%E4%BF%98%E5%9B%9A&lr=
0089日本@名無史さん2006/05/21(日) 03:57:39
蝦夷 と戦があった。


簡単な話し、「勝てば官軍 負ければ賊軍」


きっと、蝦夷が勝てば蝦夷社会になってたね!
0090日本@名無史さん2006/05/21(日) 04:58:09
 渡 来 系 は 数 種 存 在 し た 
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1133544342/

部落起源と朝鮮
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1146402347/

日本の起源を探ろう
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1130554729/


一人で乱立せず、スレッド纏めてくれ!
0091日本@名無史さん2006/05/21(日) 08:15:30
俺は高校の時、九大法出の先生が特別授業で同和関連の話をしたのを覚えているが、
彼の説明では、加藤清正が現朝鮮から連れてきた人々を住まわせたのが始まりとの
ことだった。
何故、連れて来たかと言うと、藩内の百姓連中に厳しい年貢を課していて、百姓
達のガス抜きをしないと一揆が絶えないので、百姓の下の身分を作るのが目的
だったらしい。
元々、部落とは現朝鮮からの移民を住まわせた地域のことでないかい?
確かに、福岡は多いよ、学生時代に博多区の焼肉店に何気なく入ったら、店主が
店員に「日本人は入れるな!」とか小言を言っていた。
それから、解同は確かに解同の為の活動をしていると思う。
俺の町でも知事まで呼んでそれらの活動をしていたが、面白いのは部落から逃れて
来た連中が威勢よくて、元々部落でもなんでもない人はまったく無関心なこと。
これって、部落見極め運動そのものになってる。
人間は金さえ貰えれば、人権はどうでもいいようです。
0092部落とは2006/05/21(日) 10:33:39
部落とは騎馬民族が日本列島へ渡来時に古代海人族を収容し、藤原時代には良でな
い人口九割の賎の民をとじこめ、反仏派の北条期には源氏の「四つ」をはじめ、赤系
でない者を追い込んだ。
 足利幕府になると今度は逆で、赤系の祇の「八つ」も反体制の南朝方と、橋のない
川へ入れられたのが実際の処で、喜田博士は日本部落史研究の第一人者とされている
が、何も全然ご存じない。
0093曖昧模糊の喜田史観2006/05/21(日) 10:35:32
曖昧模糊の喜田史観の間違いだらけよりも、明石書店
刊行の高柳金芳の「江戸時代被差別分層の生活史」の方が正確である。そこから逆に
さかのぼってゆけば、九対一ぐらいの割合だった征服者と被征服者の悲劇。つまり吾
々の先祖の虐げられてきた真相が判り得るといえる。
「良い事を言われると、人は悪い気がしない」という人情の機微を巧く利用して、な
んでも美化してしまい、敗戦民族を「国津神」などとしてしまうからして、それを文
字通りで読まされては、喜田先生でもわけが判らなくなる。仕方がないというか、ま
ぁ当たり前みたいになっている。
0094「四つ」と「八つ」2006/05/21(日) 10:40:22
さて拝火宗で「祇」とよばれる「八」は、西南渡来系の日本原住民だし、「四つ」
は騎馬民族で東北沿海州から日本海を親潮で流されてきた北方民族であるが、治安維
持のため徳川時代には施政方針を「四つ」と「八つ」を交互にくりこんで、互いに牽
制しあわせて被差別。藤ナイ[内?]は十世紀流入の契丹系をさす。
 契丹は唐を滅ぼしてとって換った国ゆえ、大陸系でも御所からは賎民視されていた
のである。だが、太平洋側に黒潮で這い上がった「八つ」は八母音の原住民で、農耕
漁業製塩をしたから食用課役奴隷にされた。が、「四つ」は沿海州北鮮系で遊牧民族
ゆえ、討伐されて捕えられる飼戸(しこ)。
0095契丹系2006/05/21(日) 10:42:05
石岡の部落にしても、夷岡とよばれショウモンと蔑まれ、区別されていたというが、
契丹系で、天慶の乱とされた時の者らの押し込み限定地。だが「エの民」つまり江戸
の以北はみな部落ゆえ、一緒くたにされて被差別され、少しでも反抗すれば徹底的に
こらしめて、オカミの言いなりになる奴隷人民に仕立ててしまった。だから藤原王朝
の鉄武器による権力はえらいものであった。
0096島崎藤村の「破戒」2006/05/21(日) 10:45:43
部落問題は関西では捕虜奴隷として連行された末裔ゆえ、被差別されて地域的だっ
た。全国的に「解放」の美名で広められたのは、神武陵の守戸の子孫の丑松が教壇で
告白する島崎藤村の「破戒」、それとこの「民族と歴史」が、まったく何も知らぬ人
々にまで、部落について初めて知らされる結果となり、一般庶民が驚き仰天した。そ
の結果の名残りが、住井すゑの「橋のない川」である。
 せっかく親や祖父母も絶対に口にしないことを自分らもその出身者なのを本で知ら
され、そこでまだ残っている部落に対し本当の事は何も知らず、子供などは苛める対
象にまでしてのけた。
0097日本@名無史さん2006/05/21(日) 10:47:53
年寄りなんて基本的に皇国史観に洗脳されてるよ。
0098部落出身者2006/05/21(日) 10:49:16
部落出身者は立身すると同じ出の者を忌み嫌う。旗本になった連中は後から採
用され三十人扶持程度の奉行所同心や材木座火盗同心の連中へ、「不浄役人め」とか、
「溝さらえ」と、はっきり差別。この名残りか現代でも特殊部落出身の大製菓や大製
陶会社では、興信所を使い部落出身者の就職差別し不採用にする。
0099日本人の九割2006/05/21(日) 10:50:16
日本人の九割を占める庶民とは、江戸期亨保時代に部落をば脱出し、寺人別を銀や
銭で購入した「八つ」の者や、「四つ」の連中なのに、最後まで残ったのを部落者扱
いで人非人して非人と誤る。
0100日本@名無史さん2006/05/21(日) 10:50:59
それに大正時代から現在まで糾弾闘争して「武士がなんだ〜」とか叫んでるいる人達のご先祖は歴史的には徳川幕府を守るためにボシン戦争してたんだぜ。いや〜教育による洗脳って怖いね。
0101特殊部落とは2006/05/21(日) 10:54:00
歴史家は。崇神王朝系騎馬民族の「四つ」とよばれるのと、黒潮渡来の古代海
人族の「八つ」との区別もできずに、十世紀に夥しく日本海を渡ってきた唐を滅ぼし
て取って代わった契丹系が「唐ない」ゆえに「十ない」であろうと、指が八本との妄
説まで立てる。江戸時代の戯作者でさえも、「和藤内」とし国姓爺合戦に、清に滅ぼ
された明の彼が台湾を基地に本国へ挑戦の話を書いているのに、喜田貞吉らは気づか
ず、「特殊部落とは社会の落伍者と三韓征伐の時の捕虜」としてしまう。
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