>>229
関東と源氏の繋がりは頼義・義家以前からあった。
武蔵介だった満仲をはじめ、弟たちも関東の地方官を歴任してる。
そういう下地があったからこそ、後の源氏と東国の結びつきも生まれてる。
河内だけじゃなく、相模などにも頼義の家人がいた。

義家は軍事貴族、つまり都の武者だから、中級貴族として京都が生活の中心。
「都の武者」としては、京に近い本拠地の河内で郎党を養わなければならない。
実際、義朝が平治で負けたのは、畿内周辺に地盤がなくて兵を集められなかったから。
義朝の出生地は不明。京かもしれないし。相模説は『源威集』など。

>>230
その通りだと思う。