トップページhistory
317コメント88KB

源氏の種類

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001日本@名無史さん2006/03/02(木) 17:52:58
源氏の一族を教えよう(知ってるかと思うが)
清和源氏 河内源氏 甲斐源氏 近江源氏 村上源氏 摂津源氏
足利源氏 新田源氏 三条源氏 宇田源氏・・・
ほかにあったかな?
0175日本@名無史さん2006/06/21(水) 18:38:01
「源―」という名は町人百姓でも源氏
「藤―」という名は町人百姓でも藤原氏
「平―」「―平」という名は町人百姓でも藤原氏
「吉―」「―吉」という名は町人百姓でも橘氏
0176日本@名無史さん2006/06/21(水) 20:59:35
渡辺党は自称源氏
0177日本@名無史さん2006/06/21(水) 23:23:42
>>175
「平―」「―平」という名は町人百姓でも藤原氏
平氏の間違い?
0178日本@名無史さん2006/06/22(木) 00:23:56
>176
江戸時代ならともかく、平安時代では無理。
まだ源氏の代数がそれほど経っていないからね。
0179日本@名無史さん2006/06/30(金) 13:08:19
age
0180日本@名無史さん2006/06/30(金) 13:58:36
>>9
超マイナーで有名な人が1人もいないけど、
清和源氏には井上氏というのがいるよ。

源頼季(よりすえ)っていう人が
信濃の井上荘園に住み着いて井上を名乗ったことに始まる。
信濃源氏。武田や上杉に仕えた。

俺の先祖なんだが。
0181日本@名無史さん2006/07/01(土) 02:28:53
>>180
詳しい系図を述べよ。
0182日本@名無史さん2006/07/01(土) 11:52:38
>>173
源内、平内、藤内などもある
0183日本@名無史さん2006/07/02(日) 21:06:44
>>181
河内源氏初代源頼信の三男。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E5%AD%A3

源頼季
源頼季(みなもと の よりすえ、生没年未詳)は、平安時代中期の武将。
源頼信の三男で信濃源氏・井上氏族の始祖。

兄弟に頼義、頼清、頼任、義政らがある。 兄・頼清と共に
信濃に所領を得て、信濃源氏を形成する(頼清は村上氏の始祖)。

河内源氏初代源頼信の三男として河内国石川郡壷井
(現大阪府羽曳野市)に生まれ、当初近江国に本拠を置いていた。
しかし、長元元年(1028年)、関東の下総で平忠常の乱が勃発。
父の頼信は、乱を平定して東国に勢力を張った。
その功績を以って三男である頼季も信濃に封を得て、
嫡男満実とともに長久年間に高井郡井上(現長野県須坂市)に移住し、
地名をもって名字とし井上頼季と名乗り井上氏の祖となった。


あとね、今川義元の家臣に小笠原氏というのがいて、これも清和源氏だよ。
この小笠原氏はのちに家康に仕えて、小泉氏を名乗る。
小泉総理の母方の祖父、小泉又次郎逓信大臣はこの一族のはず。
父純也氏は桓武平氏鮫島氏。
0184日本@名無史さん2006/07/08(土) 00:40:02
小泉総理の祖父は確かとび職出身だぜ。
苗字は明治以降、適当につけたものなんじゃないかな。
0185日本@名無史さん2006/07/08(土) 00:50:38
鮫島? 名家だけど、明治以降難職だろ?


>>184小学生?
0186日本@名無史さん2006/07/08(土) 01:46:37
>>183
小笠原って、甲斐源氏出身で室町期に信濃守護になった小笠原とは違うの?
0187日本@名無史さん2006/07/10(月) 10:23:15
>>186
それの分家。
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/ogasa_tk.html
こいつらのことだろ。
0188日本@名無史さん2006/07/13(木) 02:30:10
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ogasa_tk.html
0189日本@名無史さん2006/08/02(水) 18:07:52
明治以降に臣籍降下した皇族って、本姓あるんですか?あるならやっぱり源姓?
0190日本@名無史さん2006/08/03(木) 12:35:00
「嫡流」の考え方そのものが時代とともに変化してきたよね。
本来は嫡男の系統をいうものだったのだろうけど、武家氏族が増大してそれぞれの
流派が独自に勃興するにつれて、「嫡流」は血統の優先順位だけでなく、同氏族の
中で最も繁栄をしている家に「嫡流」或いは、「棟梁」の座が明渡さられることで
も決められるようになったんだよね。
その代表例が清和源氏だよね。
清和源氏の嫡流は源頼光の摂津源氏だった。三位頼政の頃までは正しく摂津源氏が
清和源氏嫡流だったんだけど、頼政一族は平家に討たれて勢いを失い、それと入替
る形で頼朝一族の河内源氏が「源氏の棟梁」を名乗って旗揚げした。
頼朝一族はいろいろあったものの、結局は天下を取って、名実ともに「棟梁」とな
った。しかし、この頼朝はただの「源氏の棟梁」であるだけでなく、「武家の棟梁
」となったところに大きな意味があって、後の時代に「征夷大将軍」=「政権担当
者」=「清和源氏」=「源氏の長者」という図式が出来上がった。
これ以降、実力のある一族が、同氏族のなかでも「棟梁」=「嫡流」であるという
便利な考えが定着していったのだと思う。
長々と何が言いたいかというと、清和源氏の嫡流は、本来的な意味から言えば、血
統の順番からいって摂津源氏に近い土岐源氏あたりで、実力のある一族という点か
らは新田氏の末裔を称する徳川氏なのではないだろうか・・・
0191日本@名無史さん2006/08/05(土) 00:09:33
源氏は最高だよ。
0192日本@名無史さん2006/08/07(月) 13:27:33
源頼政一族の後の摂津源氏の嫡流は、どこになるの?
0193日本@名無史さん2006/08/07(月) 13:40:27
>>192
美濃の土岐氏でしょ。
0194日本@名無史さん2006/08/07(月) 18:19:44
>>192
それはとても難しいです。
血統的には摂津源氏嫡流=清和源氏嫡流であることは確かで、
頼政がその摂津源氏嫡流=清和源氏嫡流なので、血統的には、
頼政の末裔系統が清和源氏嫡流だといえるかもしれません。
例えば、太田道灌の太田氏や、本願寺の重臣下間氏とその末裔
の池田重利という小大名などは、その系統です。
その他に、摂津源氏の中には、その祖である多田満仲の多田姓を
継ぐ多田源氏などもあります。この系統は兵庫のほうに多田神社
という源氏を祭った神社があるのですが、そこの宮司一族が多田
源氏嫡流ではないでしょうか。
しかし、摂津源氏嫡統や多田源氏は後の世で、これといった繁栄
をしていません。摂津源氏の系統中では、土岐源氏が最も繁栄したのは確か
です。しかし、土岐氏は美濃でおこり、美濃源氏という一氏族集団を形成し
ています。確かに、繁栄ベースで摂津源氏嫡流を決めるならば、土岐氏かも
しれません。しかし、その場合、繁栄ベースですから、摂津源氏の嫡流とは
考えられても、清和源氏嫡流とはいえませんよね。その場合、清和源氏嫡流
は征夷大将軍家です。そこに、大きな違和感が生まれます。つまり、本来、
摂津源氏嫡流が清和源氏嫡流であるのに、繁栄ベースでは、摂津源氏嫡流が
清和源氏嫡流ではなくなってしまいます。
つまり、摂津源氏の嫡流は、血統的には、頼政の子孫の系統のどれか
だといえるでしょう。しかし、その血統の嫡統順位が、今ではおそらく
あいまいになってしまっているかもしれないので、多田氏が摂津源氏
嫡流とも考えられます。







0195日本@名無史さん2006/08/07(月) 19:39:29
>>189
源平藤橘などの「姓」は明治になって廃止されたので、それ以降に臣籍降下した者に
本姓にあたるものはなく、「山階」とか「筑波」などはいずれも名字である。
0196日本@名無史さん2006/08/10(木) 04:03:06
陸奥六郎源義時
0197日本@名無史さん2006/08/10(木) 08:11:28
岡野毒郎源友彦
0198日本@名無史さん2006/08/10(木) 09:18:20
>>196
河内源氏の八幡太郎義家の六男。

>>197
無知な馬鹿が書いた適当な名前。
0199日本@名無史さん2006/08/10(木) 11:37:10
実はうちの墓に

姓○○ 名○○
源 義○

とかいう墓が沢山あるのです
うちは源氏の流れをくむなんて言ってます
自分でも調べたんですけど有名な源氏じゃないみたい
なんちゃって源氏とちゃんとした源氏はどこで見分ければいいでしょうか
ちなみに家紋は「丸に抱きおもだか」です
0200日本@名無史さん2006/08/13(日) 23:29:13
保守
0201日本@名無史さん2006/08/14(月) 00:39:29
>>195
レスありがとう。
ただ、もちろん書いてくれたことは知ってます。
その上で敢えて質問しました。本姓がないと、なにか不都合(例えば華族同士の付き合いとかで)ないのかなと思った次第です。
0202日本@名無史さん2006/08/19(土) 01:52:45
保守
0203日本@名無史さん2006/08/25(金) 18:33:10
捕手
0204日本@名無史さ2006/08/25(金) 18:45:30
大本州を天下統一
0205鎌倉っ子2006/08/29(火) 22:27:47
源氏は大阪が本拠地だったんだ・・・・
0206日本@名無史さん2006/08/29(火) 23:00:06
>>199

源氏が否かの区別は、事実、その人物がいたかどうか。そして、その子々孫々の続柄の真偽性にかかっている。
古いところから系図を辿り、有名でない人物名から、いくつかの系図を見比べて系譜上の違いがないかどうか。
少しでも怪しければ疑ってかかるべき。

また、一方で自分の戸籍や宗門人別帳など現代から昔に遡り、昔の祖先とつながるかどうかを観る。

どこまで明らかにできるかは人にもよるが、これで少なくとも系図の真偽性だけはある程度の判断が可能。
0207日本@名無史さん2006/08/29(火) 23:15:23
フーゾクとかの子を源氏名とか付いてるけど
あの場合の「源氏名」ってどういう意味なの?
なんで源氏っていうんだ?
0208日本@名無史さん2006/08/29(火) 23:36:45
源氏物語の登場人物430人の中、実名なのは6人だけであとは全部通称・愛称など。
そのために水商売で使う別名を「源氏名」と言う。
0209日本@名無史さん2006/08/29(火) 23:46:24
へぇ〜
なんか勉強になった
dクスコ
0210日本@名無史さん2006/08/30(水) 03:35:43
>>205
源氏の本拠地は、現在でいえば、大阪府羽曳野市壷井。
ここには、源氏氏神や菩提寺跡、八幡太郎義家らの墓などがある。
0211日本@名無史さん2006/08/30(水) 12:07:26
>210

河内源氏に限っていえばそのとおりだが、河内源氏も含む
清和源氏全体の元々の本拠地は摂津多田荘(現在の兵庫県川西市)。

ここには清和源氏の霊廟とされ、満仲と頼光の墓所もある多田神社
(多田院)がある。

足利家や徳川家もそのことを認めており、歴代の足利将軍家は
尊氏以降、遺骨を多田院に分納しているし、歴代の徳川将軍家も
それに倣って位牌を多田院に納めている。

この他に多田神社には清和源氏の末裔によって構成されている
清和源氏同族会もある。
0212日本@名無史さん2006/08/30(水) 21:10:51
>211
そう、摂津源氏が清和源氏の嫡流だからね。
大阪の河内源氏は武家源氏の主流で武家棟梁だが、清和源氏の庶流だから。
0213日本@名無史さん2006/08/30(水) 21:13:59
大阪府羽曳野市の壷井八幡宮は、源頼義が石清水八幡宮を勧請し、河内源氏の氏神。
併設されている壷井権現には、源頼信、頼義や、八幡太郎義家、加茂次郎義綱、新羅三郎義光が祀られている。
0214日本@名無史さん2006/08/30(水) 21:20:33
清和源氏三神社

六孫王神社(京都市南区)源経基を祀る。源満仲が創建。清和源氏発祥の神社。
多田神社(兵庫県川西市多田)源満仲、頼光、頼信、頼義、義家を祀る。清和源氏霊廟。
壷井八幡宮(大阪府羽曳野市壷井)清和源氏の河内源氏の氏神。源頼信、頼義、義家、義綱、義光を祀る壷井権現を併設。
0215日本@名無史さん2006/08/31(木) 11:32:59
関西の源氏
関東の平氏
ですね。
0216日本@名無史さん2006/08/31(木) 22:49:07
佐竹
新田
足利
志田
0217日本@名無史さん2006/09/01(金) 05:30:13
>216
源氏の庶流分家で、関東地域の支店みたいなものだね。
0218日本@名無史さん2006/09/01(金) 07:42:24
武士の家系図は全部平安以降の仮冒ですよ

真相は蝦夷の末裔達が系図屋に頼んで有力な御門氏の系図に繋げただけ
(見栄っ張りの韓国人が皆で名門金氏族を詐称したのと同じシステムです)
その為、プライドの高い安東氏は意地になって「ウチは蝦夷の末裔だ」と主張したんです
0219日本@名無史さん2006/09/06(水) 02:16:40
>281
0220日本@名無史さん2006/09/06(水) 02:19:11
>281
全部仮冒かどうかは分からんよ。
板東平氏などは大半が仮冒だといわれるが、実際は、
土地の豪族の娘が、平氏の子種を宿し、子供は娘の実家が育て、娘の実家の苗字を名のったということだろう。
0221日本@名無史さん2006/09/06(水) 18:35:12
三浦青竜とかいうの居たね。御浦の子孫?
0222日本@名無史さん2006/09/07(木) 05:12:13
六孫王神社は清和源氏発祥の地
壷井八幡宮は河内源氏の氏神
しかし、頼朝父祖以来の本拠地は鎌倉(を中心にした相模国)

こんな風に認識してた俺は間違ってる?
0223日本@名無史さん2006/09/07(木) 08:59:48
>222
少し間違っている。
鎌倉や相模国は、頼朝の「父祖」ではなく、頼朝の父の義朝以来の本拠地。
それ以前は、鎌倉は、関東の支店所在地のような所。
0224日本@名無史さん2006/09/07(木) 09:03:46
河内源氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%86%85%E6%BA%90%E6%B0%8F
0225日本@名無史さん2006/09/07(木) 18:21:41
>222
>六孫王神社は清和源氏発祥の地

発祥の地というよりは経基の邸宅跡といったほうがいいかも。
六孫王神社のホームページを見ても「清和源氏発祥の宮」となっている。

ttp://www.rokunomiya.ecnet.jp/
0226日本@名無史さん2006/09/07(木) 20:58:57
院や摂関家に奉仕する軍事貴族(都の武者)だから、中心となるのは京の都。
ただ都では軍事訓練(狩猟)が出来ない。
京から近い場所に所領を形成し、家人を養い狩猟も行わせる。伊勢平氏なら伊勢・伊賀。

相模も源頼義の軍事基盤。
義家に関しては、生まれながらの坂東武者の棟梁といえるかも。
0227日本@名無史さん2006/09/07(木) 22:17:09
>>226
「義家に関しては、生まれながらの坂東武者の棟梁といえるかも」
それは違うと思う。
義家は、やはり最後まで河内の武者。
後三年の役を私戦とされたため、郎党への報償は、すべて河内の本領の資産で与えている。
また、河内の所領をめぐり、兄の郎党と対立した自分の郎党のために、河内の本拠地で戦したくまでしている。
頼義は相模を関東進出の前線基地としたが、本拠地は河内の壷井。
壷井という地名の由来は、頼義が前九年の役で苦戦し、水に困ったため、水を入れた壷を埋めて教訓としたことにあるとされる。

伊勢平氏の伊勢、伊賀に対応する地が河内源氏の場合は河内。


0228日本@名無史さん2006/09/08(金) 00:32:04
>>227
母が直方娘。平直方の鎌倉の屋敷を継承してる。
中央軍事貴族の貴種としての、そういう意味で。
義家の生まれは現小田原市(楊下)かもよ。

発祥は関東だけど、伊勢平氏は東国に地盤がない。河内源氏とは違う。
0229日本@名無史さん2006/09/08(金) 13:49:59
>>228
平直方の鎌倉の屋敷は、義家の関東における拠点にすぎない。
義家の誕生地は、河内の本拠地の源氏館(香呂峰の館)だよ。だから墓も河内の壷井にある。
0230日本@名無史さん2006/09/08(金) 13:59:47
関東が河内源氏の事実上の本拠地となるのは、源頼朝の父親の源義朝からだろう。
義朝の父の為義の本拠地は京都及び関西であり、一説によると義朝は為義と対立して関東に下る。
義朝と義賢の対立は、関東における為義の代理的存在である義賢と、反為義的な義朝の対立ともされる。
保元の乱で為義の一族は敗れ、関東の義朝のみが残り、この時点で、
河内源氏の本拠地が、関西(河内、京都)から関東に移る。
0231日本@名無史さん2006/09/08(金) 21:09:35
>>229
関東と源氏の繋がりは頼義・義家以前からあった。
武蔵介だった満仲をはじめ、弟たちも関東の地方官を歴任してる。
そういう下地があったからこそ、後の源氏と東国の結びつきも生まれてる。
河内だけじゃなく、相模などにも頼義の家人がいた。

義家は軍事貴族、つまり都の武者だから、中級貴族として京都が生活の中心。
「都の武者」としては、京に近い本拠地の河内で郎党を養わなければならない。
実際、義朝が平治で負けたのは、畿内周辺に地盤がなくて兵を集められなかったから。
義朝の出生地は不明。京かもしれないし。相模説は『源威集』など。

>>230
その通りだと思う。
0232日本@名無史さん2006/09/08(金) 21:12:40
↑訂正
義家の出生地は不明。
0233日本@名無史さん2006/09/09(土) 14:33:48
>>231
ほぼ同意。
河内源氏と関東との関係は、頼信の頃からあった。
ただ、それでも関東は、河内源氏のいわば植民地域にすぎないだろう。
関東を本拠地とした最初の人物は、義朝で、頼信、頼義、義家によって形成された
関東の植民的基盤を自己の本拠地にした。
その意味では関東は、あくまでも義朝一族の本拠地にすぎないといえるだろう。


義家の出生地は厳密には不明だが、河内源氏の本拠地が河内であり、
頼義も軍事貴族だから、京都や河内にいることが多く、そのことから
義家の出生地で一番可能性が高いのは、あくまでも推論にすぎないが、
やはり河内の石川郡壷井の河内源氏の本拠地だろう。
0234日本@名無史さん2006/09/10(日) 01:14:35
>>197は有名なあの人の名前?
0235日本@名無史さん2006/09/10(日) 15:36:21
>233
>ただ、それでも関東は、河内源氏のいわば植民地域にすぎないだろう。

同意。
史実では頼朝が鎌倉に武家政権を立てたために関東が源氏の本拠地のように
なっているが、源平合戦直後は頼朝も真っ先に京都を目指そうとした。

三浦、千葉、上総らの反対で関東に留まったが、彼らが反対せずすんなり
入京できていたら、あるいは頼朝もその後は京都を中心とした生活を送った
かも知れない(父の義朝が鳥羽院の命令で上洛してからは京都が活動の中心
だったように)。
0236日本@名無史さん2006/09/13(水) 22:13:14
家康ってさあ、源氏をかたったじゃん?
その結果、征夷大将軍と氏の長者になるんだけど、
れっきとした源氏連中は偽モンだってわかってたんだよね?
なんで反対しなかったの?
徳川家がナンボ強かったっつったって、
源氏が連合したら勝てそうじゃね?
0237日本@名無史さん2006/09/14(木) 11:20:52
勝てそうにねえよ
0238日本@名無史さん2006/09/14(木) 13:07:50
>236
>源氏が連合したら勝てそうじゃね?

家康が生きていた時代に源経基や満仲の子孫全てが一つにまとまるのは
不可能。各々の利害関係も絡んでくるし、単に経基や満仲が共通の先祖
というだけでは無理。そのことは家康よりももっと前の時代に頼朝の
同族殺し、足利対新田、細川対山名、細川対一色などをみても分かる
ように同氏族間で闘っている。
0239日本@名無史さん2006/09/14(木) 14:26:10
>238

源氏の血が一滴も入ってないヤツに、氏の長者まで許したのは、

1.みんな腰抜だった。
2.とりあえず天下が源氏のモンになるなら、偽モンでも良かった。
3.戦国やってんのも疲れたし、平和になるなら天下人は誰でも良かった。

の複合って感じ?
0240日本@名無史さん2006/09/14(木) 15:15:16
>239

戦国時代だと源氏かどうかということは、そんなに問題じゃなかったのでは。
もちろん実力があって、なおかつ源氏の出であれば世間にアピールしやすい
ことも確かだが。そういう意味でいうと武田家あたりが天下を取っていたら
偽源氏とは言われなかったかも。
0241日本@名無史さん2006/09/18(月) 03:53:41
信憑性がある戦国大名って武田とか佐竹とか
徳川は、ほとんど信憑性ないね
0242日本@名無史さん2006/09/18(月) 10:09:10
島津もな
0243日本@名無史さん 2006/09/18(月) 11:25:41
>236
旧帝大で中世史の権威の先生が「源氏長者や奨学院別当職は実体も何も無いただの肩書き」と言っていた
氏の長者には大した意味はないね。
0244日本@名無史さん2006/09/18(月) 21:21:26
実体がないのは百も承知だろ。権威というか名前がほしかっただけ。
0245日本@名無史さん2006/09/18(月) 23:10:58
嵯峨源氏は最高だよ。
0246日本@名無史さん2006/09/18(月) 23:38:58
>>245 元は止ん事無きご身分だったのに、九州で海賊になるとはorz
0247日本@名無史さん2006/09/24(日) 23:52:43
>>246
でも明治大帝の外祖母を出したよ。
0248源氏の末睿です2006/09/25(月) 10:49:27
あのー 私 清和源氏の末睿なんですけど… 信じないですよねャ けなさないで下さいませんか?
0249日本@名無史さん2006/10/03(火) 02:19:09
松浦愛子−中山慶子−明治天皇
0250日本@名無史さん2006/10/03(火) 08:49:23
>>248
ハァ?
0251日本@名無史さん2006/10/03(火) 18:40:41
源氏は最高だよ
0252日本@名無史さん2006/10/05(木) 11:29:22
江戸時代の大名(旗本)家において、ある程度家系に信憑性があって
少なくとも江戸初期までは確実に源氏の血を引いているもののうち、
それぞれの流派で最も石高の多い家を挙げてみます。
間違いなどあれば教えてください。
清和源氏足利流  最上家(出羽山形67万石)→細川家(肥後熊本54万石)
清和源氏新田流  里見家(安房館山12万石)→山名家(但馬村岡6千7百石)
清和源氏義光流  小笠原家(豊前小倉15万石)・柳沢家(大和郡山15万石)
         →南部家(陸奥盛岡20万石)
清和源氏頼政流  太田家(遠江掛川等5万石)
清和源氏土岐流  土岐家(上野沼田3万5千石)
宇多源氏     黒田家(筑前福岡52万石)
村上源氏     有馬家(筑後久留米21万石)
嵯峨源氏     松浦家(肥前平戸10万石)
※あとwikiには戸田氏が清和源氏の本流に近い家であるという記述が
あるのですが、信憑性は・・・?
0253日本@名無史さん2006/10/05(木) 21:52:40
>>252
黒田w
0254日本@名無史さん2006/10/06(金) 01:40:52
織田は何家なんですか?信長
0255日本@名無史さん2006/10/06(金) 03:13:41
>>252
里見と黒田は異説あり。

宇多源氏で確実なところは、京極・朽木・亀井あたりか。
0256日本@名無史さん2006/10/06(金) 18:10:12
黒田は完璧な偽源氏
0257日本@名無史さん2006/10/07(土) 05:59:05
>>252
義光流は由緒正しき佐竹氏が名実共にトップかと
0258日本@名無史さん2006/10/07(土) 23:22:57
義光というのは「新羅(シルラ)義光」のことだよね?
0259日本@名無史さん2006/10/07(土) 23:25:07
しらぎさぶろうよしみつ
0260日本@名無史さん2006/10/07(土) 23:26:15
はちまんたろうよしいえ
かものじろうよしつな
0261日本@名無史さん2006/10/08(日) 00:38:04
桓武天皇は百済天皇だな
0262日本@名無史さん2006/10/08(日) 00:57:38
くだらない
0263日本@名無史さん2006/10/08(日) 08:25:36
新羅源氏・源義光
0264日本@名無史さん2006/10/08(日) 21:27:27
シルラ・ギコウって朝鮮源氏なの?
0265日本@名無史さん2006/10/08(日) 23:11:25
頭わるしw

264 :日本@名無史さん :2006/10/08(日) 21:27:27
シルラ・ギコウって朝鮮源氏なの
0266日本@名無史さん2006/10/09(月) 07:04:55
>>265
おまえも似たようなものだよww
0267日本@名無史さん2006/10/09(月) 20:36:17
顔真っ赤だなww

266 :日本@名無史さん :2006/10/09(月) 07:04:55
>>265
おまえも似たようなものだよww
0268日本@名無史さん2006/10/09(月) 21:24:41
>267

釣られたことも気づかずにいる奴(嗤
0269日本@名無史さん2006/10/09(月) 21:31:16
釣ったことにして必死にプライドを保ってるやつwww

268 名前:日本@名無史さん :2006/10/09(月) 21:24:41
>267

釣られたことも気づかずにいる奴(嗤
0270日本@名無史さん2006/10/10(火) 00:50:30
>>269
こいつよっぽど悔しかったみたいだなwwww
0271日本@名無史さん2006/10/10(火) 01:23:41
自称半万年の歴史wwww

270 名前:日本@名無史さん :2006/10/10(火) 00:50:30
>>269
こいつよっぽど悔しかったみたいだなww
0272日本@名無史さん2006/10/10(火) 01:25:47
シルラ(新羅)源氏
0273日本@名無史さん2006/10/10(火) 01:33:57
源氏: 新羅
平氏: 百済
0274日本@名無史さん2006/10/10(火) 02:28:01
源氏は最高だよね。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています