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源氏の種類

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0001日本@名無史さん2006/03/02(木) 17:52:58
源氏の一族を教えよう(知ってるかと思うが)
清和源氏 河内源氏 甲斐源氏 近江源氏 村上源氏 摂津源氏
足利源氏 新田源氏 三条源氏 宇田源氏・・・
ほかにあったかな?
0123日本@名無史さん2006/05/18(木) 19:05:50
>>122
それよりも源満仲が本当に源経基の子なのかどうかという話がある。
0124日本@名無史さん2006/05/18(木) 20:15:24
源満仲が誰の子かわからないけど源っていうくらいだからどっかの
天皇の子供なんでしょ?
0125日本@名無史さん2006/05/18(木) 20:17:09
現=元、つまりモンゴル人の血の濃さを象徴してるともとれるよね。
0126日本@名無史さん2006/05/18(木) 22:38:48
>>124
満仲は某天皇のひ孫くらいではあるかもしれないが、子ではありえない。
0127日本@名無史さん2006/05/18(木) 22:54:43
>>126

なのに源姓もらってるの?
孫は平じゃないの?
0128日本@名無史さん2006/05/18(木) 23:03:26
>>127
そんな決まりないよ
村上源氏の祖源師房は村上天皇の孫(村上天皇─具平親王─源師房)だし。
ただ傾向として子・孫だと源姓、孫以降だと平姓が多いとは言えるけど、絶対ではない。
0129日本@名無史さん2006/05/18(木) 23:19:48
>>127
伝えられる系図でも満仲は天皇の子ではないよ。

清和天皇--貞純親王--源経基--源満仲

つまり清和天皇のひ孫。満仲は、二代目だよ。
0130日本@名無史さん2006/05/18(木) 23:22:24
源姓か平姓かは、子とか孫で決まるのではないよ。
大半の皇孫は源氏で、平氏は桓武天皇の皇孫など少数。
0131清和源氏2006/05/18(木) 23:47:43
天皇の子供ではなくても清和天皇の血が繋がってるのだから

多少順序が違っててもいいじゃんか。ニワトリの卵を卵焼きにしてから、ブツブツに切っても
卵からソボロ卵を作ってから、固めて卵焼きにしても、同じようなものだよ。
0132日本@名無史さん2006/05/19(金) 02:32:39
つか、清和じゃなくて陽成の子孫が現在の清和源氏
0133日本@名無史さん2006/05/19(金) 09:41:38
清和と陽成は血が繋がってるから、同じ意味だろ

清和の子孫=陽成の子孫
0134日本@名無史さん2006/05/19(金) 20:16:43
清和天皇−陽成天皇−元平親王−経基王−多田満仲 
0135日本@名無史さん2006/05/19(金) 21:18:17
経基王−多田満仲の間が怪しい?
0136日本@名無史さん2006/05/19(金) 22:21:46
仮に多田満仲が、経基王の子ではないとしても、天皇の血を継いでいない
(源氏でも平氏でもない藤原氏でもない)人物が天皇の護衛をする貴族武官
であるはずがないので、源氏ではある。

但し、正確にどの天皇の子であり子孫であるかが不明なだけであって

清和天皇、陽成天皇、元平親王、これらの周辺の皇族の子であることは事実。
0137日本@名無史さん2006/05/19(金) 23:19:47
可能性1  皇族の子孫の多田満仲が正五位下まで出世し(この時点で源氏確実)、経基王の養子となり
      最終的に正一位まで出世

可能性2  経基王の兄弟か、あるいは親族(つまり元々正一位まで出世可能な血統)が順調に手柄を立て
      出世した
0138日本@名無史さん2006/05/19(金) 23:34:05
>>137

可能性2の補足  最終的に正一位まで出世する仮定でなんらかの政治的必要性から
         から経基王の養子になった。(そもそも経基王は貞純親王の子であるが
         兄弟である元平親王の養子である)
このように兄弟の養子になる事は当時はよくあることであったようだ。
0139日本@名無史さん2006/05/20(土) 09:48:27
正一位なの?
追贈?
0140日本@名無史さん2006/05/20(土) 10:35:52
源 満仲(みなもと の みつなか)は、平安時代中期の武将。清和源氏六孫王経基の子。
源頼光、源頼親、源頼信の父。摂津源氏の祖。多田を号したことから
「多田 満仲(ただ の みつなか、ただ の まんじゅう)」とも呼ば
れる。贈正一位。神号は多田大権現である
0141日本@名無史さん2006/05/20(土) 12:33:41
日の丸は、朝廷に貢献した大名などに下賜して有り難がらせて
またバカをやらすことに使われたもので、
いわば天皇家の象徴。
その朝廷は日本を征服支配した朝鮮人が作ったもの。
つまり、日の丸は、朝鮮人による日本支配の象徴なのである。
0142日本@名無史さん2006/05/20(土) 13:38:23
笑わそうとしてるの?
0143日本@名無史さん2006/05/21(日) 01:03:16
一つ聞きたいんだけど、満仲が経基王の養子だったとしたら、兄弟の
満政、満季、満実、満快、満生、満重、満頼らってどこから来てるの?
これ前から気になってたんだけど・・

0144日本@名無史さん2006/05/21(日) 02:48:15
武家の家系図なんて、ほとんどが、オレオレ家系図=自称・家系図だよ。

東国武将・東国武士は、基本的に土着の東国人。

朝廷が関西にあった関係で、家系図で関西系になっていても、
朝廷の味方である、朝廷と関係が深い氏族などでないと、高い官位がもらえなかった為、
高い官位をもらう為の、家系図を偽造しての出身の自称が多かったし、
子供ができなくて、養子をもらう事も多かったから、必ずしも家系図が正しいとは限らない。


徳川家康=松平家康も、三河守の官位をもらうときに、松平姓で頼んだら、朝廷から断られたので、
得川氏の子孫を自称し、名字を松平から徳川に変え、三河守の官位を得た。

http://www2.harimaya.com/aoi/tokukeiz.html

甲斐・武田氏の出自も、よくは、わかっていない。

本物の源・平とかであっても、京都を追放され、各地方に土着しているんだから、混血して、遺伝子的には、各地方人。


戦国武将って、口ヒゲ・あごヒゲ・ほおヒゲが濃いだろ。

コーカソイドか、コーカソイドとの混血じゃないと、口ヒゲ・あごヒゲ・ほおヒゲは濃くならない。

モンゴロイド・朝鮮人は、口ヒゲ・あごヒゲ・ほおヒゲが薄いか、ほとんど、はえない。
0145日本@名無史さん2006/05/21(日) 03:20:43
>>144
同文のコピペを他でも見た。
0146日本@名無史さん2006/05/21(日) 03:57:35
島津氏も大友氏も有名な偽源氏。

島津氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E6%B0%8F

大友氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E6%B0%8F
0147日本@名無史さん2006/05/21(日) 05:15:33
南部氏は甲斐源氏
0148日本@名無史さん2006/05/21(日) 08:59:04
島津と大友はともに頼朝の子孫を自称していた以上、多少は同族意識みたいなものはあったのかね?
それとも「ウチこそが本物で向こうは偽者だから無関係!」というスタンスだったのだろうか。
まあ内心では、自分のとこだって苦しいことを分かっていたから、敢えて強弁しているようなところはあったのだろうな。
結論として、同族意識なんてある訳がない、ということで。
0149日本@名無史さん2006/05/21(日) 10:48:55
京都国立博物館


鳥獣戯画 源氏絵巻 展示される!
0150日本@名無史さん2006/05/21(日) 19:29:37
>>148
あと、ここも↓
和賀氏
http://www.harimaya.com/o_kamon1/buke_keizu/html/waga_k.html
0151日本@名無史さん2006/05/21(日) 20:05:33
>148お互いに「自家も相手も偽系図」って判ってたろうから、同族意識なんてないだろね。

薩長は幕末に、鎌倉の頼朝の墓の近くに、惟宗(島津)忠久と大江広元の墓を各々移した。
源将軍家家臣・鎌倉殿御家人としてのルーツを示し、徳川家に対抗したのだろう。
0152日本@名無史さん2006/05/22(月) 00:57:22
毛利季光の墓も一緒に移したけどね。
0153日本@名無史さん2006/05/24(水) 14:28:05
あそこは島津家の私有地。
江戸中期に源朝臣重豪が一円購入したらしい。
0154日本@名無史さん2006/05/25(木) 10:37:39
凄い事に気が付いた。
源氏の家系図を見ていくと、鎌倉幕府成立つまりは源平合戦終結後に
急速に苗字が増えている!!!

それまでは源、もしくは源から別の一個の名前を名乗ってる。
でも、鎌倉幕府成立時以降に急に兄弟で別の苗字名乗ったり、いろいろな苗字を
一族が名乗ったりしている!

ひょっとして源平合戦で源氏が勝たなかったら苗字ってここまで色々無かったのか?
もしくは、源氏=苗字、苗字=源氏なのでは?

俺は物凄い大発見をしてしまったかもしれない・・・・
0155日本@名無史さん2006/05/25(木) 20:39:12
面白い人だな
0156日本@名無史さん2006/05/26(金) 00:55:05
マルチだよ。スルーしべし。
0157日本@名無史さん2006/05/26(金) 02:13:05
マジレスすれば鎌倉期(特に初期)には後世で言うところに苗字の概念は確立しているとは言い難いと思うのだが。
0158日本@名無史さん2006/05/26(金) 17:00:29
真源氏
 足利
偽源氏
 徳川
0159日本@名無史さん2006/06/02(金) 01:22:34
>>157
親子で苗字違ってたので?
0160日本@名無史さん2006/06/02(金) 17:55:35
貞純親王の母方の祖父「貞棟王」ってのは誰の子孫ですか?
0161日本@名無史さん2006/06/07(水) 23:00:00
源氏は最高だよね
0162日本@名無史さん2006/06/07(水) 23:05:11
屋敷とか領地とかを呼称として用いてますという感じなのかな
代々受け継ぐというよりはその人限りのニックネームみたいな?
0163日本@名無史さん2006/06/07(水) 23:32:23
光が苗字で源氏が名前だろ
源氏名はヒカルです
0164日本@名無史さん2006/06/11(日) 19:29:23
源氏は最高だよ
0165日本@名無史さん2006/06/11(日) 19:48:20
昔 酒呑童子系が清和源氏嫡流って言う粘着いたけどウェキで執筆したのって
奴か? 武家棟梁と源氏嫡流ってここで散々聞かされた。
0166日本@名無史さん2006/06/15(木) 05:01:43
>>165
酒呑童子系って何? そんな源氏があるのかねw
酒呑童子退治の説話のある源頼光の摂津源氏だろう。
系譜的には、摂津源氏が、源満仲に始まる清和源氏の嫡流になる。
ただし京都にいたため武家としての実力はそれほとではなく、
庶流の河内源氏よりはるかに劣る。
そしてこの河内源氏が東国に進取して武家棟梁となる。
0167日本@名無史さん2006/06/15(木) 08:50:24
箕田源氏
0168日本@名無史さん2006/06/15(木) 17:47:41
厳密には箕田源氏は存在しない。
嵯峨源氏の源宛が箕田に住み箕田宛と称しただけ。
箕田宛の子の源綱は、摂津(大阪)の渡辺に住み渡辺綱と称したが、
渡辺源氏とは言わないのと同様。
0169日本@名無史さん2006/06/16(金) 23:35:11
でも、渡辺源氏でググると色々でてくるよ
0170日本@名無史さん2006/06/18(日) 12:47:08
嵯峨源氏の傍系から農民に成ったのがいるけど、農民でも源氏なの?
0171日本@名無史さん2006/06/18(日) 13:54:28
>>169
見てみたが、それらは誤植というか字の間違い。

渡辺綱のことを「渡辺源次」(嵯峨源氏の渡辺氏の次男という意味)の「源次」が「源氏」に変換ミスされ、そのままになっているだけ。
渡辺氏は嵯峨源氏の後裔だが、歴史上、渡辺源氏とは言わないし、そういう言葉も伝わっていない。
0172日本@名無史さん2006/06/18(日) 14:05:08
>170
農民は苗字はないが、姓はあるから(古代の律令制参照)、
その場合、苗字は無いから普段は、苗字無しの「権兵」だとしても、
公的な何かに関係した時は嵯峨源氏の源姓を名のることが出来る。
ただ、名のっても、別にどうということもないのが現実。
嵯峨源氏の頃は、まだ家格が安定しておらず、三代目くらいになると、
天皇のひ孫になり、都ではうだつは上がらない。
そこで、荘官や郡司として地方に下り、土着して武士化してサバイバルするしかない。
武士として生き残れなかった者が帰農して農民になるのだが、それほど多くはない。
0173日本@名無史さん2006/06/20(火) 23:42:08
>>171
箕田宛の子の源綱は、摂津(大阪)の渡辺に住み渡辺綱と称した
嵯峨源氏の渡辺氏の次男という意味
矛盾してなしか?
0174日本@名無史さん2006/06/21(水) 03:43:10
>>173
渡辺綱の通称が「源次」なんだよ。だから、渡辺源次綱ともいう。
この「源次」は、綱の嫡流の通称として継承され、
松浦氏の祖になる渡辺久も通称は渡辺源次といい、渡辺源次久という。
0175日本@名無史さん2006/06/21(水) 18:38:01
「源―」という名は町人百姓でも源氏
「藤―」という名は町人百姓でも藤原氏
「平―」「―平」という名は町人百姓でも藤原氏
「吉―」「―吉」という名は町人百姓でも橘氏
0176日本@名無史さん2006/06/21(水) 20:59:35
渡辺党は自称源氏
0177日本@名無史さん2006/06/21(水) 23:23:42
>>175
「平―」「―平」という名は町人百姓でも藤原氏
平氏の間違い?
0178日本@名無史さん2006/06/22(木) 00:23:56
>176
江戸時代ならともかく、平安時代では無理。
まだ源氏の代数がそれほど経っていないからね。
0179日本@名無史さん2006/06/30(金) 13:08:19
age
0180日本@名無史さん2006/06/30(金) 13:58:36
>>9
超マイナーで有名な人が1人もいないけど、
清和源氏には井上氏というのがいるよ。

源頼季(よりすえ)っていう人が
信濃の井上荘園に住み着いて井上を名乗ったことに始まる。
信濃源氏。武田や上杉に仕えた。

俺の先祖なんだが。
0181日本@名無史さん2006/07/01(土) 02:28:53
>>180
詳しい系図を述べよ。
0182日本@名無史さん2006/07/01(土) 11:52:38
>>173
源内、平内、藤内などもある
0183日本@名無史さん2006/07/02(日) 21:06:44
>>181
河内源氏初代源頼信の三男。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E5%AD%A3

源頼季
源頼季(みなもと の よりすえ、生没年未詳)は、平安時代中期の武将。
源頼信の三男で信濃源氏・井上氏族の始祖。

兄弟に頼義、頼清、頼任、義政らがある。 兄・頼清と共に
信濃に所領を得て、信濃源氏を形成する(頼清は村上氏の始祖)。

河内源氏初代源頼信の三男として河内国石川郡壷井
(現大阪府羽曳野市)に生まれ、当初近江国に本拠を置いていた。
しかし、長元元年(1028年)、関東の下総で平忠常の乱が勃発。
父の頼信は、乱を平定して東国に勢力を張った。
その功績を以って三男である頼季も信濃に封を得て、
嫡男満実とともに長久年間に高井郡井上(現長野県須坂市)に移住し、
地名をもって名字とし井上頼季と名乗り井上氏の祖となった。


あとね、今川義元の家臣に小笠原氏というのがいて、これも清和源氏だよ。
この小笠原氏はのちに家康に仕えて、小泉氏を名乗る。
小泉総理の母方の祖父、小泉又次郎逓信大臣はこの一族のはず。
父純也氏は桓武平氏鮫島氏。
0184日本@名無史さん2006/07/08(土) 00:40:02
小泉総理の祖父は確かとび職出身だぜ。
苗字は明治以降、適当につけたものなんじゃないかな。
0185日本@名無史さん2006/07/08(土) 00:50:38
鮫島? 名家だけど、明治以降難職だろ?


>>184小学生?
0186日本@名無史さん2006/07/08(土) 01:46:37
>>183
小笠原って、甲斐源氏出身で室町期に信濃守護になった小笠原とは違うの?
0187日本@名無史さん2006/07/10(月) 10:23:15
>>186
それの分家。
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/ogasa_tk.html
こいつらのことだろ。
0188日本@名無史さん2006/07/13(木) 02:30:10
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ogasa_tk.html
0189日本@名無史さん2006/08/02(水) 18:07:52
明治以降に臣籍降下した皇族って、本姓あるんですか?あるならやっぱり源姓?
0190日本@名無史さん2006/08/03(木) 12:35:00
「嫡流」の考え方そのものが時代とともに変化してきたよね。
本来は嫡男の系統をいうものだったのだろうけど、武家氏族が増大してそれぞれの
流派が独自に勃興するにつれて、「嫡流」は血統の優先順位だけでなく、同氏族の
中で最も繁栄をしている家に「嫡流」或いは、「棟梁」の座が明渡さられることで
も決められるようになったんだよね。
その代表例が清和源氏だよね。
清和源氏の嫡流は源頼光の摂津源氏だった。三位頼政の頃までは正しく摂津源氏が
清和源氏嫡流だったんだけど、頼政一族は平家に討たれて勢いを失い、それと入替
る形で頼朝一族の河内源氏が「源氏の棟梁」を名乗って旗揚げした。
頼朝一族はいろいろあったものの、結局は天下を取って、名実ともに「棟梁」とな
った。しかし、この頼朝はただの「源氏の棟梁」であるだけでなく、「武家の棟梁
」となったところに大きな意味があって、後の時代に「征夷大将軍」=「政権担当
者」=「清和源氏」=「源氏の長者」という図式が出来上がった。
これ以降、実力のある一族が、同氏族のなかでも「棟梁」=「嫡流」であるという
便利な考えが定着していったのだと思う。
長々と何が言いたいかというと、清和源氏の嫡流は、本来的な意味から言えば、血
統の順番からいって摂津源氏に近い土岐源氏あたりで、実力のある一族という点か
らは新田氏の末裔を称する徳川氏なのではないだろうか・・・
0191日本@名無史さん2006/08/05(土) 00:09:33
源氏は最高だよ。
0192日本@名無史さん2006/08/07(月) 13:27:33
源頼政一族の後の摂津源氏の嫡流は、どこになるの?
0193日本@名無史さん2006/08/07(月) 13:40:27
>>192
美濃の土岐氏でしょ。
0194日本@名無史さん2006/08/07(月) 18:19:44
>>192
それはとても難しいです。
血統的には摂津源氏嫡流=清和源氏嫡流であることは確かで、
頼政がその摂津源氏嫡流=清和源氏嫡流なので、血統的には、
頼政の末裔系統が清和源氏嫡流だといえるかもしれません。
例えば、太田道灌の太田氏や、本願寺の重臣下間氏とその末裔
の池田重利という小大名などは、その系統です。
その他に、摂津源氏の中には、その祖である多田満仲の多田姓を
継ぐ多田源氏などもあります。この系統は兵庫のほうに多田神社
という源氏を祭った神社があるのですが、そこの宮司一族が多田
源氏嫡流ではないでしょうか。
しかし、摂津源氏嫡統や多田源氏は後の世で、これといった繁栄
をしていません。摂津源氏の系統中では、土岐源氏が最も繁栄したのは確か
です。しかし、土岐氏は美濃でおこり、美濃源氏という一氏族集団を形成し
ています。確かに、繁栄ベースで摂津源氏嫡流を決めるならば、土岐氏かも
しれません。しかし、その場合、繁栄ベースですから、摂津源氏の嫡流とは
考えられても、清和源氏嫡流とはいえませんよね。その場合、清和源氏嫡流
は征夷大将軍家です。そこに、大きな違和感が生まれます。つまり、本来、
摂津源氏嫡流が清和源氏嫡流であるのに、繁栄ベースでは、摂津源氏嫡流が
清和源氏嫡流ではなくなってしまいます。
つまり、摂津源氏の嫡流は、血統的には、頼政の子孫の系統のどれか
だといえるでしょう。しかし、その血統の嫡統順位が、今ではおそらく
あいまいになってしまっているかもしれないので、多田氏が摂津源氏
嫡流とも考えられます。







0195日本@名無史さん2006/08/07(月) 19:39:29
>>189
源平藤橘などの「姓」は明治になって廃止されたので、それ以降に臣籍降下した者に
本姓にあたるものはなく、「山階」とか「筑波」などはいずれも名字である。
0196日本@名無史さん2006/08/10(木) 04:03:06
陸奥六郎源義時
0197日本@名無史さん2006/08/10(木) 08:11:28
岡野毒郎源友彦
0198日本@名無史さん2006/08/10(木) 09:18:20
>>196
河内源氏の八幡太郎義家の六男。

>>197
無知な馬鹿が書いた適当な名前。
0199日本@名無史さん2006/08/10(木) 11:37:10
実はうちの墓に

姓○○ 名○○
源 義○

とかいう墓が沢山あるのです
うちは源氏の流れをくむなんて言ってます
自分でも調べたんですけど有名な源氏じゃないみたい
なんちゃって源氏とちゃんとした源氏はどこで見分ければいいでしょうか
ちなみに家紋は「丸に抱きおもだか」です
0200日本@名無史さん2006/08/13(日) 23:29:13
保守
0201日本@名無史さん2006/08/14(月) 00:39:29
>>195
レスありがとう。
ただ、もちろん書いてくれたことは知ってます。
その上で敢えて質問しました。本姓がないと、なにか不都合(例えば華族同士の付き合いとかで)ないのかなと思った次第です。
0202日本@名無史さん2006/08/19(土) 01:52:45
保守
0203日本@名無史さん2006/08/25(金) 18:33:10
捕手
0204日本@名無史さ2006/08/25(金) 18:45:30
大本州を天下統一
0205鎌倉っ子2006/08/29(火) 22:27:47
源氏は大阪が本拠地だったんだ・・・・
0206日本@名無史さん2006/08/29(火) 23:00:06
>>199

源氏が否かの区別は、事実、その人物がいたかどうか。そして、その子々孫々の続柄の真偽性にかかっている。
古いところから系図を辿り、有名でない人物名から、いくつかの系図を見比べて系譜上の違いがないかどうか。
少しでも怪しければ疑ってかかるべき。

また、一方で自分の戸籍や宗門人別帳など現代から昔に遡り、昔の祖先とつながるかどうかを観る。

どこまで明らかにできるかは人にもよるが、これで少なくとも系図の真偽性だけはある程度の判断が可能。
0207日本@名無史さん2006/08/29(火) 23:15:23
フーゾクとかの子を源氏名とか付いてるけど
あの場合の「源氏名」ってどういう意味なの?
なんで源氏っていうんだ?
0208日本@名無史さん2006/08/29(火) 23:36:45
源氏物語の登場人物430人の中、実名なのは6人だけであとは全部通称・愛称など。
そのために水商売で使う別名を「源氏名」と言う。
0209日本@名無史さん2006/08/29(火) 23:46:24
へぇ〜
なんか勉強になった
dクスコ
0210日本@名無史さん2006/08/30(水) 03:35:43
>>205
源氏の本拠地は、現在でいえば、大阪府羽曳野市壷井。
ここには、源氏氏神や菩提寺跡、八幡太郎義家らの墓などがある。
0211日本@名無史さん2006/08/30(水) 12:07:26
>210

河内源氏に限っていえばそのとおりだが、河内源氏も含む
清和源氏全体の元々の本拠地は摂津多田荘(現在の兵庫県川西市)。

ここには清和源氏の霊廟とされ、満仲と頼光の墓所もある多田神社
(多田院)がある。

足利家や徳川家もそのことを認めており、歴代の足利将軍家は
尊氏以降、遺骨を多田院に分納しているし、歴代の徳川将軍家も
それに倣って位牌を多田院に納めている。

この他に多田神社には清和源氏の末裔によって構成されている
清和源氏同族会もある。
0212日本@名無史さん2006/08/30(水) 21:10:51
>211
そう、摂津源氏が清和源氏の嫡流だからね。
大阪の河内源氏は武家源氏の主流で武家棟梁だが、清和源氏の庶流だから。
0213日本@名無史さん2006/08/30(水) 21:13:59
大阪府羽曳野市の壷井八幡宮は、源頼義が石清水八幡宮を勧請し、河内源氏の氏神。
併設されている壷井権現には、源頼信、頼義や、八幡太郎義家、加茂次郎義綱、新羅三郎義光が祀られている。
0214日本@名無史さん2006/08/30(水) 21:20:33
清和源氏三神社

六孫王神社(京都市南区)源経基を祀る。源満仲が創建。清和源氏発祥の神社。
多田神社(兵庫県川西市多田)源満仲、頼光、頼信、頼義、義家を祀る。清和源氏霊廟。
壷井八幡宮(大阪府羽曳野市壷井)清和源氏の河内源氏の氏神。源頼信、頼義、義家、義綱、義光を祀る壷井権現を併設。
0215日本@名無史さん2006/08/31(木) 11:32:59
関西の源氏
関東の平氏
ですね。
0216日本@名無史さん2006/08/31(木) 22:49:07
佐竹
新田
足利
志田
0217日本@名無史さん2006/09/01(金) 05:30:13
>216
源氏の庶流分家で、関東地域の支店みたいなものだね。
0218日本@名無史さん2006/09/01(金) 07:42:24
武士の家系図は全部平安以降の仮冒ですよ

真相は蝦夷の末裔達が系図屋に頼んで有力な御門氏の系図に繋げただけ
(見栄っ張りの韓国人が皆で名門金氏族を詐称したのと同じシステムです)
その為、プライドの高い安東氏は意地になって「ウチは蝦夷の末裔だ」と主張したんです
0219日本@名無史さん2006/09/06(水) 02:16:40
>281
0220日本@名無史さん2006/09/06(水) 02:19:11
>281
全部仮冒かどうかは分からんよ。
板東平氏などは大半が仮冒だといわれるが、実際は、
土地の豪族の娘が、平氏の子種を宿し、子供は娘の実家が育て、娘の実家の苗字を名のったということだろう。
0221日本@名無史さん2006/09/06(水) 18:35:12
三浦青竜とかいうの居たね。御浦の子孫?
0222日本@名無史さん2006/09/07(木) 05:12:13
六孫王神社は清和源氏発祥の地
壷井八幡宮は河内源氏の氏神
しかし、頼朝父祖以来の本拠地は鎌倉(を中心にした相模国)

こんな風に認識してた俺は間違ってる?
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