爆撃による無差別市民大虐殺の創始者=井上成美

 最初の重慶に対する空襲は、下半城と呼ばれる重慶の下町地区に対して行われ、
2日間の死傷者数は6,278人、家屋損壊4,889棟に上ったといわれる。
 この重慶爆撃が世界戦史上、最初の意図的・組織的・継続的な無差別都市攻撃であり、
戦略爆撃の開祖といわれるものである。
 
 この重慶に対する日本海軍の「百一号作戦」と呼ばれる無差別爆撃の戦略は、
良識派と思われている当時のシナ方面艦隊参謀長・井上成美・海軍中将が、
日露戦争における日本海海戦に匹敵すると称して立案し、
その下で大西滝治郎・海軍少将が航空隊の指揮を執り、
九六式陸攻を使って発進基地・武漢から行われた。
http://www.araki-labo.jp/jecono25.htm

愚劣な無差別殺戮者であった井上↓

だが支那戦線では、我が陸海軍航空部隊が五月十五日から第四次奥地進攻作戦(百一号作戦)を発動し、
九月二十三日の我が軍による北部仏印進駐の頃まで支那軍民の反日抗日気運をみすみす煽り立てる
愚劣な重慶爆撃を連続反復し、−−−
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/from25to37ww2.htm