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最後の海軍大将 井上成美

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0001日本@名無史さんNGNG
に ついて語ってくれ。
0002日本@名無史さんNGNG
        」_ ヽ. i__  / /   ,!    !. トl 、 i i、
        {:::::`rt'´::::}/,./,'   l|   || l.|l i l |;!
        {:::::::H:::::::i !| l __」|   |l l」|_ | l ト   r、.  n
      `!ー1__fー' l.l.ヒlニ-┘`ー‐' `´ └'ヽ」l |′  | j丁| |
       | l'r‐|  f′ ,.==、     ,r=、/l  ! /`\.  !
        l ハ. '1  l ィi:f;;:::!i     |f;;:!|レ'l  |'´    ヽ \
      ,l i `H  l. ゝ二ノ    , ー' トl !、 !       ├- '
.       ,.l l   ! l  ト、      ┌‐ァ  , イ l l l |    ,. -′
     / l. l  l !  r'ユ.‐- ..._ゝ.' <l ,ヘ,! | l l   /
.    / /! l.   l. l.  ! \   ヽ_>、 ! ./ l| | l /  _/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    / / .レ   | r1  l  `<´   l./ ̄i レi.l. lヽ  \ 井上成美です。
    ,' / /l  | l !/  l‐--f ̄ ̄`「|::::::::::j///! l. |    l ヨロシク♪
.   i ,' ! !l  ,!l /l  ,! | ,. l::::::::::::;.木‐<V´! NV    \_________
   l.  N | /,'レi ヽ.l | !  , ゝ:;:/::::|。i:::、:ヽ\` `
0003日本@名無史さんNGNG
敗戦必至とみて、英語教育を続けさせた。
海兵の生徒らは、世の中に放り出された時に
一般教養は無くてはと、あの時代に
軍事学より普通学を優先させた男。
戦争は下手と言われたが、信念があったねぇ。
その海兵出身者が、日本復興に
どれだけ活躍したか。
0004日本@名無史さんNGNG
山本権兵衛
0005日本@名無史さんNGNG
井上成美海軍大将 海軍兵学校校長時敵国語を使用するなとの時代に
外国語を使えない海軍士官などあるものかと英語の授業をやめなかった。
早く卒業させて第一線にとの中央の声に対し、もう戦争は負けだ、
兵学校の教育はむしろ戦後復興を担う人材を育てることだとの決意
を内心に秘め抵抗した。そのあとの海軍次官の時もそうだが、あの狂気
の時代に思考が客観的、合理的だね軍人の枠を越えている。
0006日本@名無史さんNGNG
井上成美を「いのうえなるみ」ってよんでた
香具師いる?
0007日本@名無史さんNGNG
敗戦後の隠遁生活は涙を誘う。
0008日本@名無史さんNGNG
>>6
初めて知った時はそう読んでた
0009日本@名無史さんNGNG
クソ軍人のスレは軍事板でやってくれ!

0010日本@名無史さんNGNG
井上チルドレンから戦後総理が何人か出てるね。彼らの総理としての是非善悪はさておき。
0011日本@名無史さんNGNG
>>9 井上成美はクソ軍人じゃないぞ。
0012日本@名無史さんNGNG
軍事的に語ろうにもとるに足らん(笑
0013日本@名無史さんNGNG
リベラルな人物。仙台出身。
0014_NGNG
井上君は、
 教育参考館に掲げられた歴代大将を写真をさし、
 「歴代大将は、みんな国賊だ。全部はずせ。」
 と命令し、全部おろさせたと阿川君が言ってたよ。
0015日本@名無史さんNGNG
重慶戦略爆撃は、たしか井上の発案。
0016日本@名無史さんNGNG
井上成美ってサイテーな奴だな。↓

http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/from25to37ww2.htm

だが支那戦線では、我が陸海軍航空部隊が五月十五日から第四次奥地進攻作戦(百一号作戦)を発動し、
九月二十三日の我が軍による北部仏印進駐の頃まで支那軍民の反日抗日気運をみすみす煽り立てる
愚劣な重慶爆撃を連続反復し、−−−
0017日本@名無史さんNGNG
5月に対日賠償請求訴訟へ 重慶爆撃で4億円求め

 【上海4日共同】日中戦争中に中国重慶市で旧日本軍が行った「重慶大爆撃」の被害者や遺族ら10人が、
5月に日本政府を相手に、謝罪と3150万元(約4億円)の損害賠償を求める訴訟を日本で起こす方針を固めた。
「重慶大爆撃被害者親ぼく会」の王永鋼会長が4日、明らかにした。
 王会長によると、既に訴訟資料などは整えており、近く重慶を訪れる日本側弁護士との間で日程などを詰める。
 同親ぼく会の会員のうち、爆撃で家族を失ったり、自ら負傷したり、財産に損害を受けたりした
市民ら計373人が日本政府に損害賠償を求める意向で、今回の原告10人は第1陣という。
 王会長によると、原告らはできる限り早い提訴を求めているが、訴訟費用が不足しているため、
早くても5月になる。同市内の企業などに寄付を求めて工面する方針だ。(共同通信)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040204-00000172-kyodo-soci
0018日本@名無史さんNGNG
海兵を2番で出た。
0019日本@名無史さんNGNG
海軍大学校も優等卒。
0020日本@名無史さんNGNG
で、民間人を爆撃で大虐殺。
0021日本@名無史さんNGNG
勲一等を授与されたかのルメイ大将の勲功を忘れたのかい。
君は。
あの作戦こそ勝利への正しい道だったのさ。
0022日本@名無史さんNGNG
その叙勲は小泉純也防衛庁長官の強い薦めによる。
0023日本@名無史さんNGNG
だからどーした
0024日本@名無史さんNGNG
>>うそつくな 阿川読み直せ
0025日本@名無史さんNGNG
山本五十六・米内光正・この三人が海軍良識派
0026日本@名無史さんNGNG
米内光政の’間違いだった。
0027日本@名無史さんNGNG
阿川は海軍だから客観性に疑問がある。
0028日本@名無史さんNGNG
阿川さんの作品は「海軍はこんなに素晴らしかっただよ・・・」
というのが、メインだからな。
3人に関しては魅力的な人間なんだが、作品に関しては持ち上げ過ぎって
感がどうしてもいがめないので、小説という括りで読んだ方がいいな・・・
厨房時代に感化されたなー
0029日本@名無史さんNGNG
米内はなぜトラウトマン工作を潰したの?
0030日本@名無史さんNGNG
山本五十六は何が良識派なのかさっぱりわからんね。
アメリカの国力が強大でとてもかなわないなんてことは
狂信的な奴以外は皆知っていたことじゃないか。攻
0031日本@名無史さんNGNG
いや、ひこうきじゅうしだったからじゃない?
0032日本@名無史さんNGNG
飛行機重視と空母機動部隊を攻撃に使ったことだね。
(空母機動部隊の構想自体は小沢だっけ?)
軍人としては優れていたかもしれんが(でもい号作戦は駄目だな)
、政治家としては普通だ。
0033日本@名無史さんNGNG
米内大臣・井上次官で終戦への道に進んだ。
ある意味日本を救った一人と言っても
過言ではないだろう。
0034日本@名無史さんNGNG
>>33
果たして本当に救われたのかな?
0035日本@名無史さんNGNG
あれ以上ボロボロになるよりは、救われたと思うよ。
0036日本@名無史さんNGNG
阿川は陸軍を一方的に悪者にしてるが、必ずしもそうとは言えないのでは?
井上が立派だったのは認める。
0037日本@名無史さんNGNG
阿川は海軍のエリートにしか興味がない。
狭量さが鼻につく。
0038日本@名無史さんNGNG
兵にとっては陸軍>>>海軍だよね。
海軍の水兵なんて人間扱いされないもん。
0039日本@名無史さんNGNG
頭が良すぎて戦争下手と言われていた。
0040 NGNG
この人といえば先見性に富んでた「軍備計画書」だろ。
取り上げられなかったけど・・・。
まあ取り合げられたとしても15年の段階だから戦争には
間に合わなかったけど。
0041日本@名無史さんNGNG
米内の戦争後期の戦争指導は八百長
0042日本@名無史さんNGNG
敗戦後、横須賀の長井に隠棲した時には、八百屋、魚屋で買い物する際にも
計算尺持ち歩き、値段にいちいち文句言ってたので、計算尺ジジと嫌われて
いたらしい。
0043日本@名無史さんNGNG
日本の官僚社会では、その省庁の主流になっている論理に反対すれば、その人間は
間違いなく主流から外されるか、体よくお払い箱。なのに、海軍軍人あこがれの
GF長官まで成り上がった56は不思議だ!阿川の小説には作為と捏造が多過ぎる。
0044日本@名無史さんNGNG
海軍オタ(までの知識はないが半可通の海軍マニア)の某作家の作り話で
脚光を浴びた海軍将官物語の一つでがせう。小説は歴史ではないんですだ。
0045日本@名無史さんNGNG
井上提督、第一線の将校からは嫌われていたというかなめられていた。
トラック島で、井上長官の主催で母艦搭乗員の慰労宴の席で和服姿の井上の袴に
T大尉ら数人からビールをかけられた。井上氏、唇を歪めたが黙っていたとか。
0046日本@名無史さんNGNG
井上豆腐店の親父、祭の寄付など出し渋って、結構、ケチだから
商店街の嫌われ者。そんでもって、先日、車にはねられて大怪我。
0047日本@名無史さんNGNG
南雲を大和に乗せたら戦死した。
後任に小沢を乗せたらこいつも戦死した。
勘弁してよ。
0048日本@名無史さんNGNG
この前墓参りしてきました〜。山本、古賀、東郷、阿南、加藤等結構軍人の墓多かったなぁ。
0049日本@名無史さんNGNG
>43 阿川本が海軍に偏りすぎというのは同感だけど…

 連合艦隊の前は海軍次官だし、大臣は米内光政。で、転任の時大臣になったのは
同期の吉田善吾とくれば、別に不思議でもなんでもない。主流から外すもなにも、
大臣自身が買っていたわけだし。
 正直、山本五十六は外すにはすでに偉くなりすぎていた、というのが実際の所で
はないかと思うが。
0050 NGNG
>>49
山本は航空畑、軍政畑で当時の主流、砲術、水雷畑
からははずれてたでしょ。
次官からGF長官になるのも異例だったはず。
米内が右翼から山本を守るために海に逃がしたって
説がほんとかなと思うんだが。
0051日本@名無史さんNGNG
>50
 何を持って「主流」というかは人各々でしょうが、少なくとも山本五十六の経歴
は「主流からはずれた」という感じはしませんね。むしろ、赤レンガ組の超エリー
トという印象がありますが。
 後、次官から連合艦隊/第一艦隊長官のパターンは、栃内曽次郎とか小林躋造と
いった前例があるんで、「異例」とまでは言えないでしょう。全部で二十数人しか
いない中で、少なくとも3人いるわけだし。
0052日本@名無史さんNGNG
やっぱり予算と人事を握ってる軍政畑は強いよ。
0053日本@名無史さんNGNG
海軍はアホばっか。やっぱ外交官だね。
重光葵マンセー!
0054日本@名無史さんNGNG
野村吉三郎
0055日本@名無史さんNGNG
>53
その外交官の怠慢のせいで対米宣戦布告が遅れ、結果真珠湾は騙し討ちに
なった訳だが…。
0056日本@名無史さんNGNG
米内、井上、高木と言えば、終戦間際の狂った軍部、政府を押さえ、
終戦工作という命懸けの仕事を成し遂げた男達。
高木惣吉の井上海軍次官への報告は、全て口頭であったという。

どんな組織でも、全ての人材を使いこなすのは難しい。
0057日本@名無史さんNGNG
高木なんて、開戦前は独寄りの姿勢をとり、報告書などで独、伊、蘇との連合こそが
日本政府の摂るべき最も有利な政策、などと上司にだしながら、戦争末期から戦後に
かけて、そのスタンスを180度転換させ、あたかも初めから親英米派(穏健派)の如く
振る舞うような変節漢の書くことなど信じられるものか!他の高官の戦前の公的な発言
は、全て燃やしてしまったので、証拠がないのをいいことに勝手な捏造話がまかり通っている。
高木の発言や公文書はたまたま防衛研修所(名称変更?)に残っていたが。
0058日本@名無史さんNGNG
頑迷に考えを改めない人間も充分問題があると思うが?
0059日本@名無史さんNGNG
五十六も井上も官僚としては大合格の優秀なキャリア。
栄達は当然。そういうシステムなんだもん。
井上も海兵では2位で卒業している。
0060日本@名無史さんNGNG
山本と同期の堀悌吉は33期トップであり、将来を嘱望されていながら、条約派
ということで中将で海軍を追われている。主流から外れればハンモックナンバー
など意味がなくなるのも事実。このため、山本が条約派という色分けには疑問を
呈する研究者もいる。
0061日本@名無史さんNGNG
そういえば、塚原234だか243だかも井上と同時に大将昇進してなかったっけ?
0062日本@名無史さんNGNG
塚原二四三(36期)、井上成美(37期)ともにs20/5/15付で大将になっている。
塚原は、1連空司令官時代のs9年、中国空軍機の奇襲を受け、指揮所に集まっていた
司令官以下多数の幹部が戦死、あるいは負傷。塚原は左腕切断。
井上は、支那方面艦隊参謀長時代、s15/5〜9月にかけて実施した101号作戦に深く
関わっている。陸海共同作戦だが、海軍は54回出撃し、半分以上は重慶爆撃で1万d
近い爆弾を投下、多くの民家を焼き、多数の市民を殺傷した。
0063日本@名無史さんNGNG
井上が大将を渋ったとばっちりで塚原の昇進が遅れたんだ。
官僚は追い越し禁止だから可哀想だ。
006462NGNG
あ、ご免、塚原が重傷を負ったのはs14だった。s9年はまだ戦争になってない。
0065日本@名無史さんNGNG
酒井三郎の「大空のサムライ)によると、漢口に進出した基地航空隊が
奇襲を受け、多数の死傷者を出したのは、昭和14年10月3日になっている。
0066日本@名無史さんNGNG
)63
横鎮長官だった塚原は「おれは井上のせいで損した・・・」とぼやいたとか。
まぁ、わずか数か月で元大将になってしまったが。
0067日本@名無史さんNGNG
日本海軍の渡洋爆撃の以前に、中国機が台湾を空襲したと読んだ記憶があるが、
誰か詳しい人、教えてください。
0068日本@名無史さんNGNG
宮崎駿の雑想ノ−ト読みなはれ。
0069日本@名無史さんNGNG
戦争末期で大将になれなくてぼやくなんて、馬鹿だな。
0070日本@名無史さんNGNG
>>57
井上の部下を選ぶ目の確かさが分かる。
0071日本@名無史さんNGNG
当然の昇進だから不満も出るだろ
年金貰えないのと同じだ
0072日本@名無史さんNGNG
>>71
国が滅びる寸前なのにそんなこと言ってる場合かってこと。
危機感がないな。
0073 NGNG
まあ敗戦濃厚の時期に元帥になって喜んでる
馬鹿もいるしな。
0074日本@名無史さんNGNG
井上は第四艦隊長官で珊瑚海海戦を指揮する。
0075日本@名無史さんNGNG
頭が良すぎて戦争下手。
0076日本@名無史さんNGNG
>>75
なるfほど

山本長官の命令を受けた第4艦隊の機動部隊は9日午前2時、全速力で南下
したが、もはやアメリカ機動部隊を捉えることはできなかった。山本長官
はその報告を聞くと直ちに第4艦隊から機動部隊を取り上げてしまった。次
に予定しているミッドウェー作戦の日が迫っていたためであるが、同時に今
一歩の詰めを捨てた指揮官に不満だったからである。

この海戦の被害は日米双方ともほとんど同じだった。味方の損害に捕らわれ
過ぎるとき、敵の被害は見過ごされ作戦は停滞する。日本海軍第4艦隊は戦術
に勝って、戦略に負けたのである。
0077日本@名無史さんNGNG
詳細
http://www02.so-net.ne.jp/~asai/database/tea/inouye2.html
0078日本@名無史さんNGNG

珊瑚海海戦(さんごかいかいせん)とは、1942年(昭和17)5月7日・8日
に珊瑚海で起きた海戦である。この海戦は、人類史上初の空母機動部隊同
士の海戦となった。

日本海軍はこの戦いで敵根拠地ポートモレスビー攻略を断念した。しかし
この判断は大きなミスであった、モレスビーが敵の手に残り続けたことで
日本海軍の根拠地ラバウルは敵爆撃機の航続距離圏内に残り常に敵の攻撃
にさらされることになったからである。日本海軍はこの結果ラバウル航空
隊が後方で編成および補給を行う際にこの戦いに関与できないトラックま
で戻らなくてはならず、大きなハンデとなった、さらにもしモレスビー攻
略に成功していたならば、ガダルカナル島方面への進出も史実よりよっぽ
ど楽に出来たからである。 太平洋戦争の敗因としてよくミッドウェー海戦
が上げられるが、珊瑚海海戦での敗北で日本軍の敗北は決定していたともい
える。
0079丘サーファーNGNG
海軍大将がそんなに偉いんかい!
0080日本@名無史さんNGNG
太平洋戦争の敗因を作った張本人
0081日本@名無史さんNGNG
山本五十六という全てにおいて、中途半端な男に左遷された逸材。
0082日本@名無史さんNGNG
リベラルな人物。
0083日本@名無史さんNGNG
2.26事件において
・海軍省防衛
・岡田啓介首相(海軍大将)救出 →後、東条内閣を倒閣。(7.18.1944)
・鈴木貫太郎侍従長 救出 → 後、首相就任ポツダム宣言受諾。

終戦工作
・クーデターを抑えこむため、御前会議において2対2に持ちこみ、
天皇の御聖断により、終戦を決定。
0084日本@名無史さんNGNG
珊瑚海海戦において

(攻略部隊)
重巡「青葉」「加古」「衣笠」「古鷹」、軽空母「翔鳳」駆逐艦「漣」 
他、軽巡3、駆逐艦8、水上機母艦2、敷設艦1、輸送船12

(上陸支援、機動部隊)
空母「翔鶴」「瑞鶴」 
他、重巡3、駆逐艦6、給油艦1
    vs
空母「レキシントン」「ヨークタウン」 
他、重巡7、軽巡1、駆逐艦13、水上機母艦2、油漕艦2

【日本側戦果】

空母レキシントン大破(後沈没)
空母ヨークタウン小破
駆逐艦一隻、オイルタンカー一隻撃沈

【米軍側戦果】

空母翔鶴中破
軽空母祥鳳、駆逐艦一隻沈没
0085日本@名無史さんNGNG
>>84
つまり互角の戦力で、敵空母を事実上壊滅。戦略的撤退(井上)
(ヨークタウンはエレベータ一基使用不能のままミッドウェーに緊急投入)

ミッドウェーでは、
優勢な戦力で、自空母壊滅。戦略的完敗(山本)
0086日本@名無史さんNGNG
井上がミッドウェーで戦えば、情報戦で負けていても日本は順当勝ちできた。

珊瑚海海戦
第五航空戦隊
一航戦、二航戦からは一年生と馬鹿にされる存在であった。

ミッドウェー
第一航空戦隊、第二航空戦隊
ミッドウェーではかねてから日本軍の来襲を待ちかまえており、陸軍のB17も海上に
出して日本機動部隊を攻撃させるなど執拗に反撃を加えたが、日本機動部隊はかすり傷
もおわなかった。それは日本の零式艦上戦闘機(いわゆる零戦)の活躍によるところで
ある。来襲した米軍機を一切艦隊に近寄せず、多数の米軍機を撃墜した。陸上基地と空
母の航空戦では空母が不利だと言われていたが、その定説を覆す勢いで日本側は米軍機
を撃退した。
0087日本@名無史さんNGNG
>>86
ようするに南雲司令部が馬鹿だったってことね。
0088日本@名無史さんNGNG
井上に戦下手のレッテルを貼り、得られた戦訓を活用できない上司の責任。
どんな組織でも、不満、不平が正しく伝えられ、それを組織改善に昇華できない上司は、
集団を率いることができない。南雲は、経験、情報不足だっただけとも言える。


http://www02.so-net.ne.jp/~asai/database/tea/inouye2.html
せっかく井上が史上初の機動部隊同士の戦いから得た戦訓
「敵雷撃機は2、3000メートルの距離にて雷撃するも、これは艦の操艦にて回避可能。
しかるに急降下爆撃機は思いも掛けぬところから現れるから、注意を要する。」
だとか上申しても聞く耳持たず、
「翔鶴発着艦不能、瑞鶴搭載機半減なるも、翔鶴航空隊を無傷の瑞鶴に登場せしめ、ミッド
ウェーに参戦させるべし。」
と言っても採用しないのだから救いようがない。米軍は珊瑚海で傷ついたヨークタウンを
完全修理に三ヶ月掛かるところを応急修理の三日間だけで済ませ、エレベータ一基使用不
能のままミッドウェーに投入してきているのだから、最初から意気込みが違うのである。
結局日本は参戦可能な空母が一隻、内地でお昼寝中だったのだから。
0089日本@名無史さんNGNG
いくらいくさが下手だろうが、米内大臣を励まして(励ましてという言い方も変だが)終戦に持っていっただけでも井上大将の歴史的功績は永遠に不滅と考える。
0090日本@名無史さんNGNG
井上が戦上手でも戦下手でも、結局はアメリカに負けてると思うけどね。
戦術よりも戦略の人なんだろう。
0091日本@名無史さんNGNG
井上は賢いから最初からアメリカに勝てるはずはないと考えていただろう。
0092日本@名無史さんNGNG
>>91
それは海軍全体がそう思っていた。が陸軍の手前言えなかったのが・・・コラ、いそろくぅぅ!!!

しかもミッドウェーすら勝てなかったという体たらく・・・。
0093日本@名無史さんNGNG
いかにうまく停戦に持ち込むかという戦略論が日本にはなかった(あり得なかった)ということだろうな。
タイみたいに、負けてばかりで勝たなくても一貫して国を維持している例もあるのだが。
0094日本@名無史さんNGNG
>>93
当時から解放戦争に則って戦略を立てれば、うまい講和ができたかも。
0095日本@名無史さんNGNG
阿川の本を読んでない人の意見を聞きたい
0096日本@名無史さんNGNG
賊軍仙台藩士の末裔でよく大将にまでなれたな
0097日本@名無史さんNGNG
井上にしても東条英機にしても軍人よりも官僚タイプだったのでは?
0098日本@名無史さんNGNG
読んでないよ〜。井上、小沢は双璧だ。
0099日本@名無史さんNGNG
船酔いする人だったんだよね(w
0100日本@名無史さんNGNG
井上大将は、海軍省軍務局軍務課長、海軍省軍務局長、海軍次官を歴任した。
つまり、文句なしの軍務畑のエリートだった。
つまり、一貫して人事的には高く評価されてきたわけよ。
一度だって左遷されたことはないと言ってよい。
0101日本@名無史さんNGNG
>>96
軍人の世界で薩長土肥が幅を利かせ、朝敵関係が睨まれていたのはせいぜい明治の話。
士官学校、兵学校の制度が軌道に乗り、成績上位者が出世する仕組みができる過程で、旧藩の関係は意味を失っていった。
それどころか、陸軍では、長州に対する反発さえ生じ、あべこべに山口県出身者を陸大合格者から排除するようにさえなったという。
そんなことなので、兵学校2番卒業(1番は皇族で、名誉の順位だったから、実質井上は1番)の井上が出世できないはずはなかったのだ。
0102日本@名無史さんNGNG
>>100
珊瑚海海戦後の兵学校校長などは左遷に入らないの?

0103日本@名無史さんNGNG
左遷というほどではないでしょう。
ポスト的には十分格は高い。
そりゃあ、フネに乗っていくさをしたくてしかたがなかった人ならば、左遷と思うかもしれないが、そもそも井上は軍務畑なのだし、本人はまったく左遷とは思っていなかったでしょう。
現に、次の異動で次官になったのですからネ。
戦争がもう少し長引いて米内が体力的に持たなくなれば、本当に井上が海軍大臣になったということもあり得たと思います。
0104日本@名無史さんNGNG
>>103
どうみても左遷じゃん。次の異動で次官って・・・。

http://www02.so-net.ne.jp/~asai/database/tea/inouye4.html
米内は現役に復帰して海相に就任した。
2・26で九死に一生を得た岡田の心血
を注いだ末の、そして異例の現役復帰であった。

「岡次官をそのまま使いますか。」
と問われた米内は言下に答えた。
「一夜にして放逐する。」
0105日本@名無史さんNGNG
>>96
長州閥、薩摩閥、陸大閥の変移、詳しいよ〜。
海軍はわからんなー。

陸軍派閥略史
http://www.kokubou.com/document_room/members/kodama02.htm
田村の死、日露戦争を経て、英才児玉源太郎・井上光が死に、児玉の
目指した情報網の確立は途絶え、諜報の天才福島安正は実りのない次
長となる。更に下劣な寺内人事が横行し、戦史課の英才東條英教や、
名将黒木為驕E西寛二郎・小川又次等が相次いで予備・後備になり、
猛将野津道貫が死に薩摩閥は衰え、長州最盛の時であるが、湖月会の
結束以後、大山・児玉を除き、日露戦争の満洲軍総司令部のメンバー
は陸大出で固められ、この辺りから陸大卒の天保銭組が現れ始め、
無天組と区別がされ始める。

0106日本@名無史さんNGNG
ちゅか、仙台の出身だけど、仙台藩士の末裔なの?
百姓末裔ぽい気もするが・・・。
0107日本@名無史さんNGNG
井上は戦下手と言うのは当時の軍令部の評価

むしろ練度の低い第四艦隊で、珊瑚海海戦を勝ってしまった事が、
日本海軍全体の傲慢になってしまった。
その結果、「井上は戦下手」という評価を下している
ということに気付く。
0108日本@名無史さんNGNG
>>104
藻前、それが釣りか。相当頭悪そうだな。知識ゼロか。
藻前が引用しているのは、米内大臣が岡次官を替えたことだろ。
岡ではだめだということで、井上を持ってきたんだろ。
それがどうして、井上が兵学校長から次官になったことが左遷になる根拠になるんだ。
兵学校長から次官は誰が見たって栄転だ。
0109日本@名無史さんNGNG
省略しすぎた。(⊃Д`)

>>102-104
>>>珊瑚海海戦後の兵学校校長などは左遷に入らないの?
>>左遷というほどではないでしょう。
>>現に、次の異動で次官になったのですからネ。
に対して
>どうみても(兵学校校長は)左遷じゃん。次の異動で次官(になった)って・・・
0110日本@名無史さんNGNG
兵学校校長は左遷と言わないまでも譴責人事だろうね。>>104さんに賛成。
0111日本@名無史さんNGNG
>>104
分かった。分かった。
次官になるような人物が、兵学校長になること自体が左遷だったと言いたかったのね。
そういう趣旨なら分からないでもない。
文章がそういう趣旨には読めなかったヨ。
0112日本@名無史さんNGNG
軍板の井上成美スレッドが機能しなくなってるので、こっちに来ました。

>>104
井上の海軍兵学校長転出を決めたのは当時のGF長官の山本五十六
だけど、井上と同期の(海兵37期)草鹿任一の後任だから、
これを左遷人事と見る人が多いようだ。

ただ、ある人(本当に誰だかわすれちゃいました)の本では「対米講和を
する上で、井上は中央に必要な人材だから、山本が故意に井上を第一線から
離して、(戦死する事のない)日本国内のポストをあてがった」という話を
読んだ事がある。

同時に大将になった塚原243のように、「鎮守府長官」というような、
地位をもらえなかったのは、宇垣少将のように井上を「いくさ下手」と
けなす人が多かったから、無理があったのかな、と思います。
0113日本@名無史さんNGNG
おっ、ようやく本格的な書き込み師が現れた。
これで、このスレも書き込み甲斐が出てきたぞ。

>>112
漏れも、同じような気がします。
左遷といえば左遷の要素はあるかもしれないが、やはりいざというときに必要な人材を国内でかつ安全な場所で温存するために、兵学校長にという意識は当時の海軍幹部にあったと思います。
たぶん、鎮守府長官の方が上がりポストという面が強かっただろうし、いつでも動かしやすいポストということで兵学校長になったのではないかなとも思っています。
0114日本@名無史さんNGNG
で、井上の「いくさ下手」だけど。
「井上成美のすべて」という本で、日本海軍が米国海軍との
機動部隊同士の決戦で、対等に渡り合ったのは珊瑚海海戦と
南太平洋海戦のたった2回しかなかったことを指摘している。

自分も大学図書館で防衛庁編纂の珊瑚海海戦の詳細な
記録を見たけど、井上中将の指揮は「定石通りの指揮」という印象を
受けた。
0115112NGNG
ああ、114=112です。ここは軍板と違ってIDがでないんだね。
0116日本@名無史さんNGNG
>>104の引用は、
ただでさえ異例の人事で米内が海相になったのに、
その米内が問答無用で井上を引っ張るという井上の次官就任のどこが、
順当な人事と言えるのか?という意味。

>>112
日本国内のポストなら、もっと他にいくらでもあるのでは?
0117日本@名無史さんNGNG
漏れは公務員のはしくれなので、いわゆる役人の世界の空気が分かるのですが、井上のような性格は典型的な「現場には不向きなタイプ」ですよね。
実際に指揮官として戦争のセンスがあったかどうかは別にしても、人柄自体がバリバリの水雷屋の将官などから受け入れられるとは考えにくい。
要は嫌われるというか敬遠される。
だから、人事としては、ああいうタイプは本当に優秀ならば軍務畑の王道を歩むし、たんなる偏屈であれば、学校の教官や燃料廠などの地味な分野に回されたと思います。
その意味で、兵学校長の人事が、人の目には、今の例えでいうと後者のパターンに見えた可能性はあります。
0118112NGNG
で、自分は井上成美は別に「いくさ下手」だとは思わないですね。

田中頼三も三川軍一もソロモン沖海戦で相当活躍したにも
かかわらず「戦意不足」と、当時の軍令部から批判を受けて
更迭されている。

じゃぁ、いっそのこと嶋田繁太郎や永野修身がGF長官だったら
相当のことをやってくれたんだろうな、と、
当時の海軍首脳に嫌味の一つもいいたくなる。

>>106「幕臣」の息子です。「仙台藩士」の息子ではありません。
0119日本@名無史さんNGNG
井上自身は、海軍の行く末、ひいては当時の国自体の行く末に大いなる疑問を感じ、兵学校ならばまだ自分の理想を実行できると思っていたのではないでしょうか。
実際、本人は自分は教育者になりたかったような意味のことを晩年インタビューで話していたと思います。
ある意味では、本人にとっても次官就任は青天の霹靂で、もっと兵学校で若者の教育をしたかったのだと思います。
0120日本@名無史さんNGNG
>>116
中将クラスだともう限られているのでは。
鎮守府長官以外では、海大校長、‥‥あと何があった?


0121112NGNG
中央で井上にふさわしい職は、当時、軍令部次長と海軍次官しかない
はずだけど、山本がどちらかに井上を配置したくても、
嶋田繁太郎が100%否認しただろう。

>>120さんの言うとおり、僕も海兵の校長以外では海軍大学校長
くらいしか思いつかない。あと、なんかポストあったっけ?
0122112NGNG
あ、鎮守府長官が一応あったか。(佐世保、横須賀、舞鶴、呉)
0123日本@名無史さんNGNG
鎮守府長官は、いわゆる大物のそれにふさわしい「処遇」ためにポストとして空けておく(用意しておく)必要があります。
鎮守府の長官は、地元の名士との付き合いなど「うまみ」がありますから。
つまり、井上の目には排撃すべき俗物が就くべきポストなのです。
井上の温存用には、やはり兵学校長が最適だったと思いますね。
0124112NGNG
>>123さん その貴重な情報初めて知りました。どうもありがとうございます。

米内さんは鎮守府長官経験者だけど、横鎮にいたとき、
井上成美が参謀長をしていた。

後に、米内さんが大臣になった後、大臣を井上成美に譲ろうとするけど、
断固拒否して、大将昇任の話も断っている。

鎮守府長官とか大臣とかそういうポストは嫌だったんだろうなあ。

あと、「井上成美のすべて」という本に井上成美直筆の
「大将進級の件に対する意見書」の写真がのってるんだけど、
本気でそういうのを自分で書いて大臣に提出する井上成美って、>>117さんの
言うとおり、一線部隊の指揮官からは嫌われるキャラだったと僕も思います。
0125日本@名無史さんNGNG
>>117
なるほどなー。凄く良く解かる。
いくら能力があっても、部下から嫌われちゃ指揮官としては駄目かもしれんなー。
(しかし書き込み師とは賑やかでいいものだなぁ。)
0126112NGNG
>船酔いする人だったんだよね(w

阿川さんの本にはそうあるけど、僕は疑問を持ってます。
なぜなら、井上成美の専門が海兵出身者には珍しい「航海術」だからです。


阿川さんの本によると、孫の丸田研一氏が屁をしたので、木か何かに縛り付けて
ぶったたいた、という逸話が出てくるが、当の丸田氏はそれを否定している。

阿川さんは提督三部作の中の主人公の中で一番井上成美を好きだったみたいだが、
米内さんのトラウトマン工作つぶしの話を書かなかったり、井上成美を
極端な人格の持ち主に描いているところが残念だ。

この点は「井上成美のすべて」で阿川氏への批判が、書かれていました。
0127日本@名無史さんNGNG
スレ違いだけど、トラウトマン工作で不思議なのは、米内だけじゃなくて
近衛も広田も末次もみんな興奮して交渉打ち切りだって言ってるんだよね。
何か裏がありそうな気がするんだが・・・
0128日本@名無史さんNGNG
指揮官として失格
0129日本@名無史さんNGNG
>>128
指揮官として合格の人は?
0130日本@名無史さんNGNG
南雲とか近藤とか小澤はちゃんと統率と指揮をしているよな?
0131日本@名無史さんNGNG
日本史で似たタイプだと石田三成辺り
0132日本@名無史さんNGNG
>>131そんな感じだな
0133日本@名無史さんNGNG
>>131
全然似てない。
0134日本@名無史さんNGNG
石田三成というよりかは、むしろ明智光秀の方がイメージが近いか。
こういう言い方をすると、誤解が生ずるかもしれないけど。
でも、あの時代の人で例えれば、そうなるような。

あるいは、江戸時代なら、松平定信とかね。

どっちにしても、誤解されそうだな。
0135日本@名無史さんNGNG
>>126
ちょっと違う感じもある。
漏れは、あいにく「山本五十六」は読んでないけど、「米内光政」と「井上成美」とを読み比べると、阿川が好きなのはどうみても米内だと思うよ。
阿川は、井上は人間性は流石に好きになれないが、識見は高く評価するという感じなのに対し、
米内は人間性も識見もとても高く評価しているという感じ。
とにかく米内の人間性はベタ誉め。姿勢もとても評価している。
阿川は、米内こそ海軍軍人の理想と見ているといっても過言ではない。
「井上成美」は、冒頭、井上を毛嫌いする旧軍人の声の紹介から始まっている。
全体に冷静に書かれた作品だよな(それがまた読み手としては快感なんだが)。
0136112NGNG
>漏れは、あいにく「山本五十六」は読んでないけど、「米内光政」と
>「井上成美」とを読み比べると、阿川が好きなのはどうみても
>米内だと思うよ。

自分も「山本五十六」は立ち読みを数回くりかえして
読み終えたので、実はきちんと読破しきったとはいえないんです。

>「井上成美」は、冒頭、井上を毛嫌いする旧軍人の声の紹介から
>始まっている。全体に冷静に書かれた作品だよな
>(それがまた読み手としては快感なんだが)。

”草鹿の任ちゃん”(草鹿任一)が代表格ですね。

僕が、阿川が井上成美を3人の中で一番買ってると思ったのは、
「米内光政」の最後の締めの文章と「山本五十六」で諫言役として
阿川が井上成美に役回りを与えてるから、そう思いました。

他の井上成美関係の本を読むと、どうも2人の間には日本の降伏条件に
ついての差異があったようで、米内さんが「降伏後の国体の護持」を
絶対条件にあげているのに対し、井上さんは「国体護持ではなく日本国の
護持」と主張している。
0137日本@名無史さんNGNG
さすがの阿川さんも井上は「畏怖」の対象であったと思います。
井上の厳しさがあるからこそ、彼の米内に対する目が甘く(優しく)なっているのかなという気もします。
その意味では、井上あっての米内だったのかもしれません。
0138112NGNG
まあ、上については結局、天皇制が護持されたことと井上成美の
兵学校時代の生徒がみな、海軍軍人(一部は兵学校生のまま終戦を迎えたが)
だったことからあまり触れられていないようですけど。

>>134「頭が抜群に切れ、真面目で理屈屋で融通が利かない」って印象
ですね。僕は海軍大学校教官時代に「井上大佐は推理小説を読むことや
将棋の名人を呼んで、戦略と将棋について考える事を薦めてくれた」との
沖縄出身の渡名喜守定元大佐が書いているのを見て、明智光秀よりかは
柔軟な印象を持っているのですが。
0139112NGNG
あと、井上英語塾で、ギターを弾いたり、歌を歌ったり
してる井上さんを見てると、海軍時代とはなにか別人のようだ。
憑き物がとれた、というか。

それほど、海軍ではクラスヘッドとして重責を担っていたんだなー
と思います。
0140日本@名無史さんNGNG
もし私が井上という人物に仕えて、一生懸命考えてまとめた報告書を提出したところ、一点一点理詰めに反論されたあげく、だめだと付き返されたら、おそらく彼を嫌いになると思います。
嫌いどころか、恨んだかもしれません。
実際、彼が航空本部長時代にそういう逸話があるようですね。

その意味で、唯一といっていいほど井上を使いこなせた米内という人物は本当に立派であったと私は思っています。
逆に、米内海相も、井上のこれでもかこれでもかという講和への執念があったからこそ、最後まで頑張れたのかなと考えたりもします。
本当に、米内と井上は不思議な縁だと思います。
0141日本@名無史さんNGNG
井上が「戦下手」と言われたのは珊瑚海もそうだけど
開戦当初のウェーク島攻略にてこづって一航艦の一部を
借りてようやく占領できたってのが1番の原因じゃない?
みんなが勝ったのにウェークだけ失敗。
そこで浮いちまって「戦下手」って先入観が出来てしまった
のではないかと。
でも4艦隊って青葉とかの旧式巡洋艦の艦隊でしょ?
その辺は失敗の要因には関係なかったのかな?
あんま軍事的なことはわからないのでここんとこの
戦史に詳しい人教えてください。ウェークでつまづいたのは
井上のせいですか?それとも他の要因があったのかな?
0142112NGNG
>>140ただ、井上は自分が米内さんに大将昇進させられたことが
不満だったようで、井上成美の大将昇進と次官から軍事参議官への転出は

1、米内さんが当時健康が悪かったため、次期海軍大臣に井上成美を
考えていたため、という説以外にも

2、終戦工作について井上と米内の意見が合わず、井上成美の大将昇進で
海軍次官のポストを取り上げるため

という話もあるそうです。

>>141詳しくは長くなるので書きませんが、ウェーキ島の米軍戦力を
大本営、軍令部が甘く見ていて、ロクな航空兵力無しで占領を試みたところ、
米軍の反撃をくらって、なんと戦闘機に駆逐艦が沈没させられてます。

で、強力な航空部隊を持つ南雲艦隊の一部を借りて、やっと攻略成功した事から
「航空(あるいは対空)能力のない艦船が、いかに空からの攻撃に弱いか」と
いう事例を日本軍が初めて体験した(はずの)戦闘、とされているそうです。
0143日本@名無史さんNGNG
理詰めの井上のような考え方では日本を終戦へソフトランディングさせることは不可能
0144日本@名無史さんNGNG
何も考えていない他の大多数の人間の考え方では日本を滅亡の淵にたたき込むことしか出来ないけどね
0145日本@名無史さんNGNG
イルボンでは理詰めの人間は嫌われるニダ
所詮、未開の村社会ニダ
0146日本@名無史さんNGNG
2.26に備えて下記のような事をやったのは、本当に井上?

軍務局第1課長時代
■海軍省構内にある東京通信隊に小銃を持たせる。
■軍事普及・宣伝の名目で戦車1台を海軍省に常置。

横須賀鎮守府参謀長時代
■砲術参謀を実情調査のため東京へ急派。
■掌砲兵20人を海軍省に派遣。
■緊急呼集。
■特別陸戦隊4個大隊2000名用意。
■軽巡木曾出港準備(特別陸戦隊が搭乗)
■麾下各部自衛警戒。
■岡田首相の救出
0147日本@名無史さんNGNG
最後のキッコーマン 安田成美
0148日本@名無史さんNGNG
実際に岡田首相を救出したのは、陸軍の憲兵だけどね。
0149日本@名無史さんNGNG
今も横須賀の自宅残ってるけど、遺族が住んでんのかのお?
0150日本@名無史さんNGNG
世評では左遷云々といわれているが、彼自身は兵学校長という仕事は満足できる
ポストだったと思われ。
死に臨んでの最後の言葉が「海へ・・・江田島へ・・」というのはカッコ良すぎ。
っていうか、本当だろうか?
0151日本@名無史さんNGNG
>>149
古鷹商事(井上の兵学校時代の生徒がつくった会社)所有です。
0152日本@名無史さんNGNG
ようやく悪禁が解けた。

終戦工作に関して
この議題をテーブルに載せるまでの功績は、岡田・米内・井上らにも
あると思いますが、最終的に宣言を受諾し降伏するとういう部分での
最大の功労者は、自決した阿南陸相だと思います。
0153日本@名無史さんNGNG
ラバウルの中将、草鹿任一とはどういう男だったのだろう。
0154日本@名無史さんNGNG
重慶爆撃の推進者

いわば無差別都市爆撃の鬼
ルメイの先輩
0155日本@名無史さんNGNG
>>152
陸軍の昼行灯
阿南の性格は実に温和であり、めったなことでは声を荒上げることはなかった。
天皇にとって最も親しく、本音を語り合える軍人が阿南だった。

不思議な人物だ。なぜ天皇を残して自殺したのだろうか。
0156日本@名無史さんNGNG
>>154
へぇ〜草鹿は悪いやつだなぁ〜
0157日本@名無史さんNGNG
しっかし、東郷元帥が訓示した「勝って兜の緒を締めよ」って、
全く誰も聞いてなかったみたいだな。
0158日本@名無史さんNGNG
>>157「兜の緒を締める」というのを八八艦隊の整備のことと
勘違いしていた海軍軍人が多すぎ。

>>153
終戦までラバウル島を守りぬいた典型的な現場の指揮官だけあって、
同期の井上成美のことを嫌ったようですね。
0159日本@名無史さんNGNG
>>154
>重慶爆撃の推進者

>いわば無差別都市爆撃の鬼
>ルメイの先輩

ってのは井上成美のことね。
0160日本@名無史さんNGNG
>>159
誰も聞いちゃいないよ

井上の話題になると、必ずと言っていいほど同じ事を繰り返す奴がいるが、同一人物か?
どうせならもうちっとまともに語れよ
0161日本@名無史さんNGNG
井上成美 総合スレッド vol.1 (軍事板)
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1057668155/
0162日本@名無史さんNGNG
>>158
最も平和な戦場ラバウルで、農耕してただけかも
0163日本@名無史さんNGNG
アーレイバークの自伝に拠れば草鹿も気骨のある素晴らしい人間だと思う。
以下は抜粋。長文陳謝。
・・・日本に進駐して半年も経った頃だろうか、同僚の一人が「クサカという
アドミラルを知っているか?」と聞いてきた。もちろん知っている。
草鹿任一、ラバウルで私の同僚、部下を多数殺した憎い敵だ。
「彼は今、日雇いの労働者として道路工事などで日銭を稼いでいる。彼の妻も
野山で摘んだ花や野草を売って生計を立てているそうだ」
私は心中、快哉を叫んだ。しかしその後で少し考えが変わった。
仮にも彼は一国のアドミラルだった男だ。そんな人間が手のひらを返したように
悲惨な暮らしを送っているというのはやはりよろしくないことに思えた。
「そうか。それではアドミラル・クサカを飢えないようにしてやろう」
私は復員局に電話し、善処するよう指示した。
それから数日経った頃、居室でデスクワークをしているといきなりドアが勢いよく開き、
ボロをまとった小柄な初老の日本人が血相を変えて飛び込んできた。
あまりの剣幕に私はデスクの引き出しから拳銃を取り出したほどだった。
「あなたはなぜ私を侮辱するのか!?私は誰の施しも受けない!特にアメリカ人からは
どんな情けも受けたくない!」
まくし立てると老人は分厚い封筒を床に叩きつけ、荒々しく部屋から出て行った。
私は激怒した。しかし落ち着いて考えてみると彼の行動は理解できるものであった。
私も彼の立場なら同じようにしただろうと考えた。
これがアドミラル・クサカと私の出会いだった。
0164日本@名無史さんNGNG
続き。
・・・しばらくして、私は先日の非礼を詫び、改めてアドミラルを
夕食に招待した。果たして彼は来てくれた。
しばし歓談して気づいたが、彼は実に英語が堪能だった。
夕食を終え、ワインを飲み干して彼は言った。
「本日はこのような席にお招きいただき誠に感謝に耐えない。と同時に
私の能力が至らなかったことを神に感謝したい。
なぜなら私の能力が充分であったならばあなたがたはラバウルの海に
散っているはずで、であれば今宵のような素晴らしい夕食に出会うことは
なかったであろうから」
0165日本@名無史さんNGNG
>>164
気骨だけではなぁ。まあ英語が堪能なのは評価に値するか。
良くも悪くも、プライドが高く、感情的っぽい。
0166日本@名無史さんNGNG
全ての人間が理性的、打算的に行動するわけでは無い。
時として人間は感情的・非合理的な行動によって己の尊厳を保つ知恵ある動物なのだ。
0167日本@名無史さんNGNG
冷静に見て>>164の話って、頭カチコチの軍人の匂いがする。
典型的な軍人て感じで、井上のような批判家とは合わなさそう。
0168日本@名無史さんNGNG
>>164を皮肉ととるか、負け惜しみととるか。
0169日本@名無史さんNGNG
学校の卒業成績順で、軍隊の指揮官を決めて、戦争に勝てるわけがない。
文章秀才を、最前線にだしても勝てるわけはない。
年功序列と学歴尊重が、第二次世界大戦の敗戦を招いたし、昨今の
失われた10年の源にもなっている
0170日本@名無史さんNGNG
>165
意地っ張りを高く評価するのは意地を張り通すことの難しさを知っている人間。
0171日本@名無史さんNGNG
(前略)言葉がよく分からないままに、もたついていたH兵長がいきなり番兵から
往復ビンタをくらった。理由もわからないその殴り方はまことにひどいものである。
K提督が比較的英語が喋れる。見かねた提督がそのインドネシア番兵に対し、
特にいんぎんな調子で謝りながら話し掛けたのである。
しかしそれが却って彼を威猛高にしてしまった。乗船していたオランダ人が大勢見ていた
ので、それへの一種の気負いもあったらしいが、番兵ははじめ殴っていたH兵長から
急に矛先を転じ、提督に向かって襲いかかるようにビンタを取り出した。
坐ったまま黙って膝の上に手をついて殴られている白髪の頭が左右に揺れ、髪は乱れ、
汗が飛び散る。頬が赤黒く腫れてゆく。見るに忍びず、私自身あまりのつらさに目を閉じた。
尚もぴしり、ぴしりという音だ。胸の中が煮え繰り返るようである。
提督は「手を出すな」と小声で、目と共に合図しておられた。
かつてはラバウル方面軍の最高司令官であり、海軍兵学校長でもあった片だけに、
心静かに、屈辱にあえて耐えておられる。この場の様子は若き日の訓練時をも偲ばれ、
何か悲壮というか、崇高な、真の”武人”を見る思いであった。
0172日本@名無史さんNGNG
>>169
では何で競う?派閥か?
ハンモックナンバーは、やる気と情報収集能力を測った結果。
(米内は低かったらしいが)

基準としてだけならば悪くない。
0173日本@名無史さんNGNG
>>169吊り氏なのは承知で書くけど、WW2の時海軍トップは必ずしも
海兵の成績が優秀な人たちだけではなかった。

あと、末次信正がなんで海兵の成績は目立ってないのに、何を理由に大将に
なったのか?レベルの質問には即答できるよね?>>169
0174日本@名無史さんNGNG
米内のような人材が登用されるところから見て、
割合公平にやってたんだろ。
0175日本@名無史さんNGNG
それはいえてるね。
ハンモックナンバーが中より下だった米内が出世できたことは、ある種の海軍の良識の証拠だとも思える。
0176日本@名無史さんNGNG
>>175
米内は同期の主席、次席が「あいつは海軍上層部に
必要となる人物だ。俺たちが上に行くわけにはいかんぞ」
みたいなことを語り合って、自分達より米内が上にいけるように
したって話を聞いたことあるんだが、ほんとだろか?
0177日本@名無史さんNGNG
米内は、見かけが立派というか、お洒落だったらしい。
海軍軍人にしてはキザだといい評価があったほどで、一般には岩手県出身の鈍牛みたいなイメージがあるが、なかなか男前で、それで人気があったとか。
人間性もさることながら、そういう見栄の面での立派さでも得をしたようだ。
0178177NGNG
× キザだといい
○ キザだという
0179日本@名無史さんNGNG
米内は本当にわざと負けようとしたの?
後、なぜ阿南が最後に「米内を斬れー」と言ったのだろう?
0180日本@名無史さんNGNG
阿南はテロリストだから人殺しがすきなんだよ。
特に意味はないっしょ。
0181日本@名無史さんNGNG
阿南といい東条といい天皇は、人を見る目が無い・・・
0182日本@名無史さんNGNG
>>179
> 後、なぜ阿南が最後に「米内を斬れー」と言ったのだろう?
今となっては誰も真相はわかんないね。
その言葉を直接聞いた竹下中佐は、酒の上での戯言だろうと言ってるけど、
竹下の立場や気持ちを考慮すると、彼の解釈には、何らかのバイアスが
掛かってるとも考えられるし。


0183日本@名無史さんNGNG
同じような立場で働く同僚だけど性格は相容れないものがあったんだろう
0184日本@名無史さんNGNG
自分は腹を切るつもりだったが、
米内は腹を切るつもりが無いということが美学的に許せなかったんでないかな。

天皇と国民と部下と、そして自分たちが一生をかけた組織、
そのすべてを欺いたという「つみ」に対しての身の処し方、とか。
0185日本@名無史さんNGNG
腹切るなら及川とか嶋ハンとか水野あたりだろう。
アメリカ様と戦して勝てると思い込んだ連中だろうがと。

先帝陛下だまして戦争いうのはいかにもで。
0186日本@名無史さんNGNG
米内には支那事変拡大という重罪がある。
別に腹切ってもおかしくない。
0187日本@名無史さんNGNG
阿南は立派な軍人だと思うよ。
もともと徹底抗戦派であった陸軍を率いていた陸軍大臣なんだから、その気になれば
陸軍大臣を辞職して鈴木内閣を倒すことも可能だったのに、ちゃんと大臣としての
責を全うして、和平の道を開いてから自決している。
彼の死を聞いて鈴木首相は
「そうか腹を切ったか。阿南という男は立派な男だな」と男泣きしたという。
0188日本@名無史さんNGNG
海兵でも米内の期あたりは、海大甲種学生課程修了かどうかが、
昇進に影響した時期らしい。
海兵の卒業席次が重視されるようになったのは、ワシントン軍縮後だそうだ。
(出典:熊谷光久『日本軍の人的制度と問題点の研究』国書刊行会)
0189日本@名無史さんNGNG
阿南自体が「徹底抗戦」というより陸軍の代表者としての「徹底抗戦」
だからな、一概に善悪はつけられないが責任感はあったと思う
あの時、陸相が腹を切った事で陸軍も収まっただろう
0190日本@名無史さんNGNG
「(前略) この天皇の命令に全陸軍が直ちに従うためには、
単なる命令だけでは底しない。電撃的ショックを必要とするのである。
全軍の信頼を集めている阿南将軍の切腹こそ全軍に最も強いショックを与え、
鮮烈なるポツダム宣言受諾の意思表示であった。之により全陸軍は、戦争継続態勢
からポツダム宣言受諾への大旋回を急速に始めた。 (後略)」
0191日本@名無史さんNGNG
というか天皇の意志は終戦なんだから、忠君を言うのなら
素直に従えよ。天皇機関説支持の自由主義者の方が天皇に忠実じゃんか。
0192日本@名無史さんNGNG
>191
「天皇が悪い側近に騙されている、真実の天皇の意志はゆがめられているのだ」という論理で
好き勝手やってきた方々に、真の忠義など期待できようはずもない。

彼らにとって天皇とは自分たちの暴走を正当化する「機関」に過ぎなかったのだ…
0193日本@名無史さんNGNG
陸軍全てが忠君思想の信奉者であったわけではない。
むしろ継戦のため障害となる昭和天皇を押し込めて、皇弟を擁立する動きまであった。
立憲君主制であれば天皇であろうと内閣の決定には従わなければならず、昭和天皇も
そのルールを自ら遵守しようと努めていた。
御前会議で天皇の決断を求め、それにより国策を決定するというのは一時的に、
立憲君主制による内閣政治が崩壊したということである。
その時まで天皇が「朕が意思は降伏和平、ポツダム宣言の受諾やむなし」という
意思を公にしたことはない。
であれば、戦争に勝つために軍が継戦して勝機を見出そうともがくのは当然。
0194日本@名無史さんNGNG
せめて海軍ネタに限定しろや。
0195日本@名無史さんNGNG
阿南はもう少しで大西郷になるところだったが、自ら命を絶つことで神輿から降りた。
最後は天皇との個人的な絆が物言ったんだろう。
外地の軍人たちには、阿南自決の報は、玉音放送よりダイレクトに、
敗戦という事実を突きつけたと思う。

ちなみに米内も海兵の成績はもう一つだったけど、阿南も陸大の再審を3回落ちてる。
更にいうと、統帥部の2人は両方、大学校首席。
0196日本@名無史さんNGNG
実質的なクラスヘッドの井上に海大受験の資格を与えるために
内規が変更されたというのは本当?
0197日本@名無史さんNGNG
井上は腹切らなくても良かったの?
つ〜か東條と嶋田は何で切らねーの?
情けね〜。
0198日本@名無史さんNGNG
>193
ただし、戦争継続の目的である「国体護持」への目算があったワケでもない。
結局「やめよう」と言い出すことが政治力学上できない、という理由が最たるモノだったワケで。

すでに「勝つために」戦争をすることが無意味なのは皆分かっていたんだよな…

>197
東条は自殺しようとして失敗したワケだが?
0199日本@名無史さんNGNG
陸軍は、せめて一度でいいから「本土決戦」がしたかったんだろう。
陸軍は、本土決戦に備えてかなりの戦闘機、戦車を国内に温存していた。
本土決戦で大々的に米軍を叩いて、日本軍の強さ、恐ろしさを見せ付ければ、講和(停戦)条件も少しは有利になるだろうという気持ちがあった。
だから、停戦に抵抗する気持ちが強かったといえる。

この点、海軍は、すでに戦闘能力を喪失していた(軍艦は、たしか長門しか残っていなかったよな)から、もう何を抵抗するか、というところがあったのだろう。
関心事は、もっぱら国体護持(天皇制存続)だったのだろう。
0200199NGNG
「軍艦は」は、「戦艦は」の間違い。
いずれにしても、空母も大半を失っており、航空戦力もわずかな国内の地上部隊だけで、もう海軍は人間集団としてのかたちだけの存在であったといっても過言ではない。
だから、最後まで抵抗した大西などは、もう陸軍と精神的に一体化していたのかもしれない。
0201NGNG
一死を以って、大罪を謝す。
  戦局日に日に非ず(草案)-------米内   
  戦局必ずしも好転せず(修正案)---阿南
まあ、終戦の詔書で米内とバトルったからな。
現実主義者米内は、実際に負けてるんだから、負けてると書けと言い張り、
理想主義者阿南は、いや負けてない。まだ本土決戦はやってない。だから
書き直せと。米内もこれは大事なことだから、妥協できないと言い張る。
最後は、米内が折れた。
300万皇軍将兵が尊い犠牲を思う理想主義者阿南にとって
米内のこの対応がゆるせなかった。これが米内を切れ!
の言葉の発端であろう。
0202日本@名無史さんNGNG
>199
つっても、天皇に「敵軍上陸地の防備はどうなってる?」と聞かれて返事できないような状況だったのだが。
「かなりの戦闘機・戦車」とはいえ、それで米軍に一戦挑めるというのは
客観的に見たら夜郎自大も良いトコという程度の装備しか無かった…
0203日本@名無史さんNGNG
阿南自体は、沖縄に全航空機を注ぎ込んで一撃を加え、後講和という考えだった。
だから大本営が早々に沖縄を見切り、本土決戦の準備を始めた事に怒り、
同郷の先輩である梅津と激しく論争した。
0204日本@名無史さんNGNG
なるほど。梅津美治郎がねえ。
やっぱり、軍人としては、最後までまだわが皇軍の戦闘力は十分に残っていると言いたかったんだろうな。
使い惜しみしていたわけだ。
それも、要は、最後まで自分達が「軍人」としてのプライドを維持したかったからだろう。
そうやって、ただでさえ少ない戦闘力を後回しをし続けていたのが陸軍だったといえる。
その意味では阿南はまだマシだったと言えるわけね。
0205日本@名無史さんNGNG
せめて海軍の話題にしようぜ
0206日本@名無史さんNGNG
>>204
まあ梅津というよりは第一部長の宮崎周一中将の考えだと思うけどね。
はやくから第一部長要員として期待されてた人だけど、人事の不手際で
支那にとばされ勘が狂ったのかな。
0207日本@名無史さんNGNG

何故、米内や永野はシナ事変にのめり込んでしまったのだろうか?
0208日本@名無史さんNGNG
宮崎周一は、本来非常に優秀な人物だったんだよねえ。
少なくとも本土決戦至上主義みたいな神がかりではなかったかと。
しかし、そんな宮崎も、ある種エリートらしさがそういう消極さに出たのかもな。
0209日本@名無史さんNGNG
海軍と陸軍は仲が悪かったな。よくそれで他国と戦争する気になったもんだ。
海軍は陸軍と戦いながら、アメリカとも戦っていたし、陸軍は中国や、東南アジアに兵を展開しながら、海軍と喧嘩してましたな。
あふぉな軍は、どこか違うよ。戦争に負けるはずだよ。
0210日本@名無史さんNGNG
陸軍士官学校と海軍兵学校とでは、どちらかといえば、頭のいいのは海兵を目指したらしい。
定員も海兵の方が少なかったし。
全体に、将官については海軍の方がエリートだという認識があったようだ。
また、陸軍では兵隊の士気というものが組織維持に不可欠で、将官も兵隊思いというマインドが強い者が多かったのに対し、海軍では兵隊(水兵)は機械の歯車のようなもので将官からは人間扱いされていなかったという話もある。
こういう将兵の意識の差が、あちこちで出ていたんだろうな。
0211日本@名無史さんNGNG
政治的には陸軍が強い。
0212日本@名無史さんNGNG
>209
陸海軍の仲が悪いのは日本に限った事じゃない。どこの国も大抵仲が悪い
らしい。
アメリカも例外ではなく、陸軍がB29の開発に成功した際、海軍が提供を
要求したが、日頃からの反目もあって断られたとのこと。

つまらん書き込みする前に、もうちょっと勉強しましょうね。
0213日本@名無史さんNGNG
ただね、仲が悪くたって、その上に両者を統合する強力な装置があるでしょ、アメリカの場合は。
日本は、「全く」それがなかった。
大本営だって、実質は陸軍部と海軍部とに分かれていた。
そこが問題な訳で、それを単に仲が悪いのはどこの国でも同じだというのも、あまり説得力がない。
指摘するのは、ちと失礼だけど、許してくれ。
0214日本@名無史さんNGNG
陸海統一統帥部の構想は有る事は有ったけど、海軍が断固拒否してたからね。
0215日本@名無史さんNGNG
結果的には、統帥が統合されていなかったから、昭和20年8月15日で済んだわけで、皮肉にもこれで多くの国民が助かったといえる。
もし、統合されていたら本土決戦実行なわけで、それを考えるとマジで恐ろしいでつ。
0216日本@名無史さんNGNG
統合されていたらそもそも開戦しなかった可能性もあるワケで…
0217日本@名無史さんNGNG
井上成美について語ってくれ
性癖とかで
0218日本@名無史さんNGNG
山本権兵衛が、海軍軍令部長の地位を参謀総長と同格にする事を主張し、
日露戦争前ということで、しょうがなく児玉がそれを呑んだのが事の始まり。
0219日本@名無史さんNGNG
それは違うだろ…
参謀総長が陸軍海軍持ち回りでやるポストだってんならともかく、
そうでないなら参謀総長の下に海軍を置くのは
海軍がそれなり以上の規模になってきたら、無理があるさね。

問題はさらにその上の意志統合機関をつくろうとせず、
さらに内閣が意志統合機関としての役割を果たすのを
昭和以後放棄してしまったこと、だろうに。
0220日本@名無史さんNGNG
ちなみに現代の自衛隊では、制服組トップの統幕議長は空陸海の3軍持ち回り。
さらにその上に文民国務大臣である防衛庁長官を置く、というかたちで
戦前の軍制の問題点を二重にカバーするかたちになってる。
0221日本@名無史さんNGNG
>>213
>指摘するのは、ちと失礼だけど、許してくれ。

いやいや、御指摘御尤も。
ただ、日本は「全く」それがなかったというのも、ちと語弊があるのでは?
アメリカとはシステムが全く違うとはいえ、両軍を統帥すべき機関として
(天皇機関説的にいえば)、天皇という存在があったのだから。
事実、極めて例外的ではあるが終戦の際は、その大権で以て全軍に停戦を命
じているわけで。

しかし、実際問題として、それまではそのような大権も有名無実の如きもの
であったのだから、「なかった」に等しいのだが。
0222日本@名無史さんNGNG
今度、自衛隊は統幕を強化するらしいな。
現在の統幕議長を「統合幕僚長」にするらしい。
で、統幕の定員も大幅に増加すると。
軍事ヲタク的には、陸海空が分かれている方が面白いが、やはり真面目な議論としては戦前の旧軍の反省に立って、あるべき形を作って欲しいと思うね。
0223日本@名無史さんNGNG
海軍でも野村吉三郎みたいに海大出ではなく海外留学組がいるよね。

陸軍と海軍の仲の悪いのは、日本に限らずどこの国でもそうみたいで、
アメリカもマッカーサーとニミッツが交代で指揮を執ってたよね。
んで、陸軍から空軍、海軍から海兵隊みたいに組織にも影響している。
0224日本@名無史さんNGNG
>>223
マッカーサーとニミッツは交代ではなく、指揮範囲が重ならないよう、領域を南西太平洋と中部太平洋に分けた。
キンケイド指揮下の第7艦隊は、陸軍のマッカーサー指揮下にあって、栗田艦隊がレイテ湾突入か?というとき、
小沢艦隊を追撃するニミッツ指揮下のハルゼー第3艦隊がレイテ湾方面をガラ空きにしてしまい、
戦後もハルゼーとキンケイドとがお互いに非難し合った。
0225日本@名無史さんNGNG
仲が悪いったって、海軍部隊が陸軍司令官の指揮下に入れるというだけで、日米の差は明確。
旧軍じゃ、そんなこと「絶対に」あり得なかったでしょ。
0226日本@名無史さんNGNG
マッカーサーが有名になるのは日本統治と朝鮮戦争でだな。
0227223NGNG
>>224
ありがとう。誤解してたよ。

>>225
そうだね。
0228日本@名無史さんNGNG
アメリカの場合は、陸と海がお互いひがみ合いながらも切磋琢磨しているイメージ。
わが日本の旧軍は、文字どおり足の引っ張り合い。

極端に言えば、こういう感じ?
0229日本@名無史さんNGNG
東北人は戦闘員向き






決して指揮官には向かない
0230日本@名無史さんNGNG
フーン
0231日本@名無史さんNGNG
東条も板垣・及川・米内、皆実力があってトップに立ったのだよ。
岩手県出身者ばかりだな。
0232日本@名無史さんNGNG
>>228
つまり、日本人=無能
   メリケン人=有能
0233打通さんNGNG
名将と言ったら、大陸打通作戦で中国チンピラゴロツキをコテンパンに
叩きのめした、岡村寧次大将を置いて他にないだろ。

海軍はとにかく資産家の出が多いからな、見栄えはいいけど戦意は今一つ。
しょせん財閥地主のボンボン達に国の命運は任せられないな。

やっぱり貧しい小作人出身の兵隊が一番つよい。

朝鮮戦争で「チンピラゴロツキ」も撃破できなかった米陸軍なんて、目くそ。
0234日本@名無史さんNGNG
1945年8月極東満州における人民戦士のファシストへの鉄槌は、
ファシスト捕虜六十万の獲得と満州・朝鮮北部の産業施設の接収
という多大な成果を迅速に挙げた。
大祖国戦争においての経験が電撃的ファシスト粉砕という戦果を収めたのである。
0235日本@名無史さんNGNG
海軍の航空戦力は、陸軍とほぼ同等であった。しかし、体へい酔う戦争において
海軍航空隊の消耗度は激しかったが、同じ数の航空機を誇る陸軍航空隊は役立たずであった。
なぜか?    航続距離の短い飛行機しか持たなかった陸軍は航空戦に参加することが少なかったし、
陸軍の航空兵は目標もない海の上を飛ぶような技術さえ教わることもなかったそうだ。
隼を作る資材をもっとゼロ戦に投入しておれば、初期の戦闘は変わっていただろう。
また、陸軍は、海軍の協力を得たくないばかりに、戦闘艦を自前で建造したそうだ。
軍艦を持つ陸軍と言うのも奇妙な印象を受けるが、陸軍と海軍の間には、暗くて深い溝があったのだ。
0236日本@名無史さんNGNG
>>224
栗田が好機を得たのは、そういうわけだったのか。
>>233
一応海軍スレなんで。
大陸打通作戦で、海軍で活躍した奴は?
0237日本@名無史さんNGNG
陸軍が建造した軍艦って、マジ?
船舶兵部隊が使用していた輸送艦のことは知っているが、まさかこのことかい?
0238日本@名無史さんNGNG
おれのひいじいさんが海軍大佐だって両親から聞いたが肝心の名前が姓の小林しかわかってないんだ
親の話では横須賀で飛行機や空母(?)に乗ってたらしいがそれらしい人物知らない?

激しくスレ違いでスマソ
0239日本@名無史さんNGNG
>>238
お寺の過去帳で名前調べてみたら?
名前が分かれば、大佐クラスなら知っている椰子がいるかも。
0240日本@名無史さんNGNG
>>238
本当に本気で調べたいのなら、水交社(海軍退役軍人の親睦機関)に問い合わせれば。
小林姓は多そうだから、一人への特定は難しいかもしれないけど、出身県とかが分かれば、何とか目星がつくんじゃないの。
0241日本@名無史さんNGNG
>>239
墓は横須賀にあるらしいが詳しい位置は知らないみたい
来年は横須賀に行く予定があるからその時探してみる
0242日本@名無史さんNGNG
>>240
横須賀で生まれて横須賀で亡くなってます
本気で調べたいので問い合わせて見ます
0243日本@名無史さんNGNG
名前すら忘れられてるとは・・・
かわいそうなひいじいさんだな。
0244本多 大和守NGNG
うろ覚えで申し訳ありませんが、たしか、赤城にも、小林姓の参謀が乗ってるはずです。赤城は、沈ミッドウェーで沈みましたが、乗組員で助かった人は結構居たみたいですよ。
0245日本@名無史さんNGNG
すごいね。2ちゃんで聞いてみるのも意味があるね。
赤城って、横須賀鎮守府所属だったんですかねえ。
もしそうなら、その小林参謀が238さんのひいじいさんの可能性が出てくるね。
0246日本@名無史さんNGNG
っていうか墓に行けば生没年や名前わかるだろ。
後は水校社で訊ねれば一発じゃん。
0247日本@名無史さんNGNG
>>246
水交社だろう。
0248日本@名無史さんNGNG
お前ら、井上成美を語れ。
0249日本@名無史さんNGNG
>>248
言い出しっぺのお前がな。
0250日本@名無史さんNGNG
お前ら、つべこべ言わず一等大将井上成美を語れ。
0251日本@名無史さんNGNG
小沢は、井上と違い、海軍大将を固辞した。立派だ。
0252日本@名無史さんNGNG
>>251
なんで固辞すると立派なんですか?
0253日本@名無史さんNGNG
>>251
自分で調べて考えて、それからカキコしなさい。
君には、知識が足りない。文字が足りない。貢献が足りない。なにより意見が足りない。

・・・気がする。
0254日本@名無史さんNGNG
お前ら、つべこべ言わず三等大将島田繁太郎を語れ。
0255日本@名無史さんNGNG
井上さんの戦後インタビュー聞くと、機関学校出身者の
処遇改善に努力した、と語っていた。
0256日本@名無史さんNGNG
え、語った映像があるの??
0257日本@名無史さんNGNG
井上大将は戦後、英語塾を開いたからえらい。
0258日本@名無史さんNGNG
確かに、戦争末期、海軍機関学校は、海軍兵学校舞鶴分校になった(本来の海兵は江田島分校に)。

インタビューはテープ(録音)じゃなかったっけ。
0259日本@名無史さんNGNG
下がり過ぎあげ。
0260日本@名無史さんNGNG
誰も来ないね。
0261日本@名無史さんNGNG
東郷大将も3等大将。
0262日本@名無史さんNGNG
山本権兵衛は一等大将だろう。
0263日本@名無史さんNGNG
>>258
うむ。テープ。
 ただ、国家観とか大局的な話を期待していたのに、
機関学校出身者の人事がどうとか、公務員の縄張り争い
みたいな話である意味がっかり。今の公務員と一緒で
微笑ましくもある。
0264日本@名無史さんNGNG
>>258
うむ。テープ。
 ただ、国家観とか大局的な話を期待していたのに、
機関学校出身者の人事がどうとか、公務員の縄張り争い
みたいな話である意味がっかり。今の公務員と一緒で
微笑ましくもある。
0265日本@名無史さんNGNG
>>263-264
君もまるでテープみたいだね。
0266日本@名無史さんNGNG
この人の博識と頭の切れ、協調性のない偏屈さ、
以外に優しい一面など、あの大村益次郎に似てると思うのは俺だけ?
戦略、戦術のセンスは村田先生には遥かに及ばないけど・・・
0267日本@名無史さんNGNG
戦争はヘタッピな人だった。
後方であれこれやってもらった方がよかったかな。
0268日本@名無史さんNGNG
>>267
気のせいだよ。前半読んだら?
0269日本@名無史さんNGNG
板垣征四郎とは犬猿の仲だったらしいね?
あの石原莞爾と井上成美でディベートしたら
理論で打ち負かすのはどっちだろう?
0270日本@名無史さんNGNG
英語の堪能な井上と、英語のできない石原では・・・
情報収集能力に差がありすぎて、論争になるかどうか。
0271日本@名無史さんNGNG
 石原はドイツ語は上手かった。
戦後に米軍の審問を受けた際、Deutsch語
だったら出来たのに、と残念がってた。
0272日本@名無史さんNGNG
>>269
そりゃ板垣は天皇が認める馬鹿だからな。
馬鹿と秀才じゃ仲はよくないだろ。
0273日本@名無史さんNGNG
しかし井上が次官として具体的にどういう終戦工作をしたのかは
阿川君の本なんかを読んでもよく分からない。
米内に「一日も早く」とせっついたというのは分かるのだが。
0274日本@名無史さんNGNG
>273
次官は秘書。つまり米内の行動管理かな。
0275日本@名無史さんNGNG

当時の日本は民衆をバックにした「陸軍の日本」とインテリをバックにした「海軍の日本」に分裂していた
とすると、井上はインテリの頂点?
0276日本@名無史さんNGNG
>>275
は?
0277日本@名無史さんNGNG
インテリの極点
0278日本@名無史さんNGNG
>>272

>馬鹿と秀才じゃ仲はよくないだろ。
石原莞爾と板垣征四郎は仲良かっただろう。
0279日本@名無史さんNGNG
板垣は下僚に担がれる人だからね。
もし井上が部下に居たら、井上の云う通りに動くだろう。
0280日本@名無史さんNGNG
板垣ってある意味、西郷、大山タイプかも。
でも西郷、大山は地頭良いけど、この人は・・・
0281日本@名無史さんNGNG
西郷って頭よかたの?
0282日本@名無史さんNGNG
西郷はよく分からんが大山は本当はかなり出来る人。
板垣は清濁併せ呑む大人だけど、欠点は濁を呑みすぎるところ。
後輩の今村にも「貴方はだまされやすい人だから」とくぎを刺されてる。
井上と揉めたのは日独同盟を巡っての話かな?
あれも幕僚に担がれただけで、本人はそれほど確固たる識見を
持ってはいなかったと思う。
0283日本@名無史さんNGNG
板垣の最大の失敗は、石原に担がれた満州事変だろうな。
あれで益々陸軍の独断専行の風潮が強まった。
満州にさえ出なければ、あのソ連参戦での悲劇はなかったのに。
0284日本@名無史さんNGNG
>お前ら、つべこべ言わず三等大将島田繁太郎を語れ

嶋田だ。典型的な官僚タイプの軍人。
見るところない人だね。
0285日本@名無史さんNGNG
満州の権益を守ろうとする態度は正しい。
ただしやる前にもっと国際宣伝をして、列国の同情を買わないと。
日本人の一番苦手な分野だけど

個人的には阿川三人衆より古賀の方が上だと思う>軍人として
0286日本@名無史さんNGNG
古賀って何したの?いまいち影薄い。
0287日本@名無史さんNGNG
井上成美はそんなに戦下手でもないのでは?
珊瑚海会戦はほぼ痛みわけだが、残りの燃料や艦隊の損傷を鑑み
あそこで深追いしなかったのは、良い判断だったと思います。
0288日本@名無史さんNGNG
別に上手くもあるまい
0289日本@名無史さんNGNG
「薔薇って書ける?」の人?
0290日本@名無史さんNGNG
この人戦上手なら、竹中半兵衛みたいな雰囲気の人だ。
0291日本@名無史さんNGNG
井上のリベラルとジミーカーターのリベラルとどう違うの?
ジミーカーター自身も空軍士官学校だったかの卒業生だったが
大統領時代の政策は徹底したハト派 兼 財政出動積極容認派。
井上ってリベラルって呼ばれるけど要は親米ってことでしょ。
ここに戦時ではない平時を仮定してみる。
井上はほんとうに軍縮にも乗り気だったのか?
0292日本@名無史さんNGNG
>291
リベラルってのは「右翼」「左翼」と同じように相対的呼称だから、
業績を絶対値的に数えても何の意味もないよ?
0293日本@名無史さんNGNG
>>287
 理数に長けていて、諦めの良い人が海軍には多いけど、そういう点では井上も
その口なので、周りの人から見ると随分淡白な戦をしたものだと思われても仕方
が無いと思う。ただ戦の上手い下手で言えば、第4艦隊長官としての初陣である
緒戦のウェーキ島攻略で、敵情収集に淡白なところから始まって、多くのミスを
犯している。そして結局は第1機動艦隊に「帰りに大根を買って」帰らせること
をしてしまった。(南雲談)
 軍縮についての識見は、かなり若年の頃からそれなりの見識を持っていたらし
いですが、同期の小沢治三郎のような知将・猛将と言うタイプではなく、腹芸を
使うような狡からいことはしないが、軍政将と言うタイプではないでしょうか。
0294日本@名無史さんNGNG
>>293
なかなかの卓見、かなり帝国海軍にお詳しいですね。
負けたせいもあるのでしょうが、昭和期の海軍軍人が
日本海海戦時の秋山、島村、加藤友三郎らと比較すると
何とも見劣りするのは司馬遼太郎の言う、人材の払拭期だったのか
それとも、相手にしたアメリカが単に強すぎただけなのか
ご意見賜ればありがたくぞんじます。
0295日本@名無史さんNGNG
秋山は政治面ではかなりドキュソなんだけどな。
21か条要求の海軍側黒幕はこの人でしょ。
0296日本@名無史さんNGNG
男の中の男
0297日本@名無史さんNGNG
>>293
徹底的に嫌っていた南雲に言われちゃ落ち込んだんじゃないかな・・・。

軍縮については嫌々ながらも認めていたが、軍部大臣の文民就任は拒否する
姿勢だったね。まあ、当時賛成していた軍人はいないと思うけど、疑獄事件か
なんかで政治家に対して不審感が相当強かったのかも。
0298日本@名無史さんNGNG
>293
水雷屋の南雲が第一航艦の司令長官ってのが意味が分からん。
>294
大西、山口、井上、五十六、松永、三雲、小沢と(文字通り)腐るほど、人材は揃っていたのに・・・
0299日本@名無史さんNGNG
>>298
 そうなんですよね、人柄としては立派な人は結構いた。海兵32期はもうほと
んどいなくなっていたけど、35期の近藤大将、高須大将なんてのも結構優秀な
人です。井上・小沢等の37期も目が潰れてしまいそうなぐらいキラキラだし、
山口多聞は40期最高の人、43期には有馬正文なんていう非常に勿体無い人も
いましたね。
 でも、近代戦術を戦える人ってどれだけいました?山本五十六とか、大西瀧次
郎なんてのは情の人で、ちょっと冷静さに欠ける。小沢は頭は良いが、現実を直
視せずにアウトレンジ戦法と言うのは、黒島と大差ないご都合主義な自分勝手で
、秋山実之の最も嫌うところだと思うのですが。伊藤整一あたりもそんな感じだ
し、草鹿龍之介に至っては、刀剣キチガイで砲弾とかを刀で切るとか言い出しか
ねない人だしね。やはり人材払底期だったということでしょうか。
0300日本@名無史さんNGNG

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              \,. -、  」、仁二 L    l `ーiヾki´|`iー--,、    ,.. ‐'' "´´
  |             | ソ/ 〉/ー - 、、..ヽ_,__,.. -   |ヾヽ -‐ ''"´,/ ''; ';:'   ``_'ー-
 fk__ ,,.. __-‐__'''_"_´_ー--'' "'゙'゙'゙`ー -- 、_,..  -‐ ''"´   .,、-'   _    ,、_
  _>_  、y,    _      ̄  ̄ ̄´ ´      _,  _ ,,..-'´    ヾ,,_ ``
  `'´`ヽ `´  / /∠/   ,r' ヽ  ,、'_,r' '' ー-' ´´ ,,..、   _,. 、、
       ヽ  ,r''ヾ ''ー'´ヾ、;',y、   '',. 、,, ,. ー ''´ `'´   ''´
       V-''´` ゙
゙     ´´`´    `
0301日本@名無史さんNGNG
>>299
陸軍、海軍の垣根を越えて言えば、大村益次郎、児玉源太郎、大山巌
山本権兵衛、東郷平八郎、秋山真之、島村速雄と世界に誇るべき将軍、提督が明治期には居たのに
昭和期は陸、海共に小粒で視野が狭い人物が多すぎる。
0302日本@名無史さんNGNG
>299
ぶっちゃけた話、日露期の軍人がWW2戦っても史実とまったく変わらん結果になるよ。
何故なら、日露期は政治の側がもっとはるかに戦いやすい条件を築いていてくれたから、さ。

日本海海戦なんか、ありゃあ戦術や兵器よりそれ以前の段階ですでに勝ちは決まってたようなもんだ。
長い航海で船足が落ち、兵は疲労しきって士気もガタガタ、機敏な艦隊機動なんか出来るわけもない状態、
こんな状態を作り出してくれたのは軍人じゃなく外務省の奔走のおかげであり、
ロシア国内に厭戦気分を作り上げてくれたのは海軍の勝利じゃなく革命焚きつけてくれた工作員のおかげなんだし。

そうした側面的支援をまったく欠いた状態で日露戦争をやってたとしたら、
秋山だろうが誰だろうがやっぱり敗れたよ。
0303日本@名無史さんNGNG
そりゃ〜大東亜戦争では、日本史史上のどんな英雄豪傑をもってしても勝てないよ。
工業生産力が30倍も上では、国家総力戦のWWUでは話しにならない。
ただ
>日露期の軍人がWW2戦っても史実とまったく変わらん結果になるよ。
いや、秋山が参謀ならミッドウェーの戦いは勝てた。

局地戦では陸海共にもっと善戦しただろうし、インパールやノモンハンのような
馬鹿な戦いは、児玉や大山はしないはず。
そして、もっと早く講和の道を探ったはず。
0304日本@名無史さんNGNG
そもそも日露期の人間が日本の舵をとっていたなら、
WW2自体やるはずが無かった。

石原は1936年の時点で統帥権干犯の大逆罪で死刑は確定だし、
日中戦争も起きず東西冷戦のはじまりまで大日本帝国は存続できていた。
三国干渉はハルノートよりはるかに道理の通らない無理押しだったにも関わらず、
「今はそれを拒絶し通せない」と踏んだら退くという常識が通った時代だったから。
0305日本@名無史さんNGNG
自分は石原莞爾は好きだが、満州事変は拙かった。
あれで益々陸軍(関東軍)の独断専行が横行し
辻や牟田口のように、自分の野望の為に国軍を私兵化する輩が出た。
辻や牟田口の対極が井上成美。しかし線が細すぎた・・・
0306日本@名無史さんNGNG
満州事変がなければ、石原が表舞台に登場することはなかったと思いますが
石原の能力は認めるが、法により罰を科さなかったのは拙かった。
結局石原の行為は黙認されたことになり
皆が真似をし、独断専行を許す結果となった。
0307日本@名無史さんNGNG
それでも石原が戦争指導してたらまだしももうちっとは
まともな戦争になったかもな。
0308日本@名無史さんNGNG
なんで終戦工作真っ最中に朝鮮に温泉旅行に行ったのかなぁ?
0309日本@名無史さんNGNG
>>304
 全く同感です。明治の指導者、寺内正毅なんかではちょっと無理ですが、大山巌
や西郷従道、児玉源太郎や山本権兵衛、そして元勲伊藤博文などならば、世界の
模範児として国際世論の共感を得て味方につけ、それでもダメなら無理押しはし
ません。また、後年の陸軍首脳のように、自らの監督責任を問われるのを恐れて、
10月事件の長勇達を軟禁と称して妓楼に匿って、ますます増長して怪気炎を上
げさせるような馬鹿な真似はしなかったし、賞罰を明らかにしていたはずです。
(山県有朋の場合は、山城屋事件など明治当初から疑獄事件を起こしているので
、ちょっと疑問が残るが・・・)
事の是非で国の方向を明確化するから、そもそもシベリアの泥棒根性出兵や、
その失敗による世間の避難を浴びなかっただろう。(せめて木越安綱であれば)
となれば、陸軍において事の黒白が捻じ曲がることも無かったでしょう。そうす
れば異端児の理想家石原莞爾の暴走を許す土壌は醸成されなかっただろうし、そ
の石原の陰に隠れて悪事を働き、満州国の理想と言うものを更に捻じ曲げた、花
谷正のこそ泥も暗躍することは出来なかったでしょう。そうなれば国際社会の非
難を浴びることも無かったでしょう。勿論それ以前の河本大作による満州某重大
事件も起こらないか、起こっても犯罪の究明はしっかりと行われて、自浄してい
たことでしょう。ですから、もし石原が現れても、至急逮捕して裁判の下に粛清し
て自浄していたでしょうね。

 そうすれば、中国との悲しい十五年も無く、それに付け入られたその後の太平
洋戦争も起こるはずは無いと思うんです。
0310日本@名無史さんNGNG
>>309
日露戦争時の児玉と乃木のやり取りは、司馬さんの作り話?
アレって思いっきり軍法会議物だと思うけど・・・
石原もそれを真似しただけのような気がする。
0311日本@名無史さんNGNG
>303
マレー沖海戦あたりで、小沢のかわりに秋山実之がでてきて、何ができると?
東郷平八郎なんか、海軍の近代化を阻んだ大御所なわけだが。
海軍大将を見ると航空分野と関係の無い、古い人間が多い。
とくに大角、加藤、末次、高橋から南雲等、数派は開戦時のお荷物。
堀悌吉、大西、小沢、井上、山口など、航空派をもっと早く引き上げていれば・・・
人材は揃っていたと思われ。ただ派閥争いで劣勢すぎて、使われ所が悪すぎた。

海軍大将77人
ttp://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub5-6.html

五人の高級士官座談会 だれが真の名提督か NEW
ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/jinjiotu/jinji2-annai.html
0312日本@名無史さんNGNG
>>310
 あれって言うのは「乃木軍司令官のお許しを頂いて、不肖第3軍の軍議に与る
事となった。」ということですか?だとすれば上級司令官の大山巌の一札を懐中
に呑んでいたので、事務手続き上何の問題も無いとは思うんですが?
石原の場合は、関東軍司令官本庄繁は只黙認する他無く、肖像画を描かせに行っ
たりして、わざと作戦会議をサボタージュして参謀長三宅光治を苦境に追い込ん
だけだから、事務手続き上明らかに避難されるべきで、同列に扱われるのは、児
玉がかわいそうだと思うんですが。
0313日本@名無史さんNGNG
>>309
明治政府は英国の手のひらの上で誕生したようなものだから、
維新に関わった世代はそれなりに身の程をわきまえていただけ。
伊藤にしろ大山にしろ本質は泥棒根性。

昭和期にも良識のある政治家や軍人は腐るほどいたけど、
狂気を拡大再生産する歯車の前に為す術がなかった。
基地外陸軍と陸軍の独断専行を許す原因をつくった山縣が一番悪い。
0314日本@名無史さんNGNG
維新&明治初期の先輩たちが作った官僚主義によって、
頭でっかちの奴らが大量に育成された。
数少ない生き残りは、ボケて使えない輩ばっかり。

日露戦争ってのは、アメリカ&イギリスの力を借りて、
やっと引き分けに持ち込んだ程度なのに、その教訓をしっかり後輩に教えずに、
いい気になっていた彼らを見ると、昭和期の軍人とそんなに変わんない気がする。

結局、明治期の軍人は引継ぎ作業を怠って、勝手に自社に変える
派遣社員さんみたい。
0315日本@名無史さんNGNG
>314
官僚主義を近代以降の組織から無くすることは、組織論的に言えば不可能ですよ。
「いきすぎた官僚主義」が組織に害を為す、そういうものではありますが
それを是正する方法は組織内の自己改善ではなく、官僚組織の外部からの監視である、っつーのが
組織論を語るときの常識なんで……。

そして組織論を語るときのもうひとつの常識は、
「腐った林檎の出現を止めることはできない。
 組織の機能性とは腐った林檎をいかに早期に発見し取り除けるか」、これ。
あなたの言い方だと、セクショナリズムが存在せず常に自己監視を行える「理想組織」が存在しうるかのような印象を受けますが
そんな人間集団なんつーのは本質的に存在し得ない類のモノですよ。
組織の優劣とは過ちを犯さないことではなく犯した過ちを早く改められるかどうかで決まるのです。
0316日本@名無史さんNGNG
愛國かるた「の」

 乃木東郷は國の華!
0317日本@名無史さんNGNG
大雑把な香具師を、大物扱いする悪癖が有る限り駄目だね。
0318日本@名無史さんNGNG
大正、昭和初期の老害東郷は論外として
明治期の東郷は慎重居士でバランス感覚の取れたすぐれた提督だったと思う。
加藤寛治や末次こそ海軍を駄目にした最大の元凶。
0319日本@名無史さんNGNG
>>313
陸軍と民衆を抑えるすべが無かったなー。
海軍が対独開戦でもぶちたてて、陸軍と相殺するくらいの政治力を発揮すれば良かったかも。


米国は、太平洋の対岸に大国が出現するのを、懸命に邪魔していた。
陸軍は、民衆の支持のもと、活躍する場を求め、大陸を席巻し、大東亜帝国を夢見、米国の邪魔に憤慨した。
海軍は、基本的には、政治介入を避け、政治決定がなされた時には全力を尽くしたら、開戦の片棒を担いでいた。
外務は、戦争が嫌で、三国同盟を進めたら、開戦の片棒を担いでいた。
内閣は、対中戦争に勝つために大政翼賛会を結成したら、世間が対米決戦に走ってしまい、開戦の片棒を担いでいた。
重臣は、テロが怖くて保身に走った。
天皇は、君臨すれども統治せずで、嫌々ながら議会決定を尊重した。
0320日本@名無史さんNGNG
井上が校長時代の江田島を訪ねた鈴木貫太郎が
「兵学校のな、生徒教育の本当の効果は、大体二十年後に現れる。いいか二十年後だぞ、井上君」
阿川の小説の中で一番感動した所、鈴木貫太郎は敗戦後の日本の復興も視野に入れ、この事を言う為にわざわざ江田島に来た。
0321日本@名無史さんNGNG
昭和の海軍軍人でも明治の海軍軍人のような合理性を持った人は
きちんといたと考える。彼らがトップにいれば、戦争の遠因となる
三国同盟に加わることはなかっただろう。

だけど、軍縮の時に上の条件を満たす、優秀な条約派を切りすぎたと思う。
0322日本@名無史さんNGNG
江田島の校長時代、探偵小説を推奨したので、
それを伝え聞いた江戸川乱歩が大喜びした。
0323日本@名無史さんNGNG
条約派ー航空派ー反戦派
なんで見事に繋がってしまうんだろう?
0324日本@名無史さんNGNG
条約派→現実把握能力の持ち主、航空派→戦争形態への先見性の持ち主
この2つでものを考えれば対米英戦は反対って考えに
至るでしょ。
0325日本@名無史さんNGNG
陸軍の反戦派の大物って誰かいましたかね?(石原莞爾除く)
0326日本@名無史さんNGNG
武藤章
0327日本@名無史さんNGNG
田中静壱
0328日本@名無史さんNGNG

実況スレ

G.I.ジェーン ◆ G.I.JANE
http://live8.2ch.net/test/read.cgi/livetx/1086844913/
0329日本@名無史さんNGNG

実況スレ

G.I.ジェーン ◆ G.I.JANE
http://live8.2ch.net/test/read.cgi/livetx/1086844913/
0330日本@名無史さんNGNG
>>323
日本海軍で「条約派ー航空派ー反戦派」と言える?
たとえば将官で生粋の航空派は、あの大西滝治郎以外にいる?
航空派といわれる有名どころを見ると、畑はそれぞれ、
山本五十六(砲術)、井上成美(航海)、小沢治三郎(水雷)、山口多聞(水雷)。
むしろ海軍の航空派士官には、藤井斉を筆頭に、源田実、板谷茂、小園安名、高橋赫一といった、
憲兵から危険人物視される人物が多かったようですが。
0331日本@名無史さんNGNG
>330
そこまで生粋を追求したら、派閥抗争が語れないと思われ。
0332日本@名無史さんNGNG
>>330
面白いから、艦隊派も分かる範囲でキボーン。
0333日本@名無史さんNGNG
大体反戦派ってなによ?
日米戦反対を唱えた人間なら陸軍にだって何人もいる。
0334日本@名無史さんNGNG
>>45
亀だが、阿川氏の本に「瑞鶴艦爆隊長の高橋定大尉」とはっきり実名が出ているのに、
何で名前が伏せてあるんだ?
名誉毀損というほどのもんでもないだろうに。
0335日本@名無史さんNGNG
井上は自分で政治嫌いを喧伝していたところに限界を感じる。
自ら嶋繁を倒す位の野心ある人だったら・・・
0336日本@名無史さんNGNG
>>45>>334
「井上成美のすべて」によると、
「村田重治少佐(58)、関衛少佐(58)高橋定大尉(61期)らが・・」
とあります。

この部分は海兵58期の方が書いてられるので、事実なのでしょう。
この本はほとんどの部分を海兵卒の方が書いてられますが、さすがに
この時の井上の態度には批判を加えています。
0337日本@名無史さんNGNG
条約派・・・ロンドン軍縮会議時、海軍省のトップにいた人たち
       山梨勝之進、左近司政三、堀悌吉、寺島健ら
       ほとんどは大角海相時に予備役に入れられている。
艦隊派・・・軍令部系統
       加藤寛治、末次信正、高橋三吉、南雲忠一、伏見宮

 軍縮=軍人のリストラなわけですから、
「ほっとけば日本経済あぼーん、でも軍縮成立すればおれがあぼーん」
ということで、軍人連中は困っていた訳です。
 そこに政友会(犬養毅ら)が、年金問題における管直人よろしく
統帥権干犯で民政党浜口内閣を攻撃したもので、海軍部内は大混乱。
 結局伏見宮軍令部総長、東郷元帥を後ろ盾にした艦隊派が、海軍省のトップクラス
に詰腹を切らせたというところでしょう。
 
 山本、井上はともに軍政畑も長く、航空本部長も務めているので、
「条約派−航空派」といっていいかもしれません。
 しかし他の航空屋の将官(だけでなしに太平洋戦争時活躍した将官)のほとんどは、
ロンドン条約当時はまだ佐官クラスで、
現場部隊の指揮官・参謀か軍令部勤務あたりでしょう。
 強いて色分けするなら心情的には艦隊派、
それか内心はともかく表立っては政治的見解を示していないものと思われます。 

0338日本@名無史さんNGNG
山本五十六は同期の親友、ロンドン会議時に軍務局長だった堀悌吉が
昭和9年12月に予備役となる迄は、
かなり過激なロンドン軍縮反対派だったらしいけど。
だから条約派ではないんじゃない?
0339日本@名無史さんNGNG
>>338
ロンドン軍縮会議予備交渉に日本代表として派遣された時、山本は軍縮を
まとめようとしていたんじゃなかったっけ?
0340日本@名無史さんNGNG
昭和9年、ロンドンの海軍軍縮予備交渉から帰国した山本中将は列車内で
記者の質問に対し、「日本が原則を譲歩するという事はできない。僕が代表で
ある限り、原則の譲歩は絶対にしない。これは僕の信念だ。・・・・・」
日本の主張は、これまでの比率主義を廃止し、一律総トン主義による制限方式。
結果は周知の如く、協定はならず建艦競争が激化して・・・・・。彼はかなりの強硬派。
0341日本@名無史さんNGNG
小説家・阿川某の作品しか読まず、歴史資料を見ない輩なら
阿川が条約派と思い込むのもむりはない。
0342日本@名無史さんNGNG
阿川じゃなかとです、山本ですがな。
0343日本@名無史さんNGNG
>341
阿川によると、山本は航空派で、総トン主義など興味は無く信念でも無いと。
それに彼が居る時は交渉は継続し、彼が辞めてから交渉は決裂だったとなってますネ。
その辺はどう御思いになって?
0344日本@名無史さんNGNG
官僚は現在のポストに応じた発言をするのは、今も昔も変わらぬ傾向。
山本は望んでなったかどうかは知らぬが、航空部門勤務が多かったので
当然ながら、航空を擁護する発言が多かったはず。だからといって、
軍縮予備交渉で、海軍の総意に近い主張を否定するような動きはしない、
と思う。記者に対する答えは彼の本音ではないのか?
0345343NGNG
>344
誰に対するレス?
0346日本@名無史さんNGNG
343です。
0347343NGNG
>344
同意。本音じゃない気がします。
0348日本@名無史さんNGNG
ウェーキ攻略作戦の様は何だ
0349日本@名無史さんNGNG
>>348
既出だね。少しだけど。
>>141-142
0350日本@名無史さんNGNG
艦隊派が最も、対米強硬派だったような・・・

皇道派<<<「統制派」 >対立< 艦隊派(伏見宮) >対立<航空派
0351日本@名無史さんNGNG
伏見宮は途中で末次に愛想尽かして条約派に乗り換えた
0352日本@名無史さんNGNG
かしこきあたりに筆を及ぼしてはいけません
0353日本@名無史さんNGNG
岡田啓介、鈴木貫太郎、米内光政、井上成美、高木惣吉
彼ら戦争終結派の努力に対し、現代の日本人はもっと感謝せねばならん。
例え直接の玉音放送の引き金が、原爆とソ連の満州への参戦としても。
0354日本@名無史さんNGNG
>>353
米内、井上、高木は何もしてないね。海軍ボロ負けで発言力無しだったようだ。
終戦は木戸と重光の計画成就。
0355日本@名無史さんNGNG
>>353
松谷誠は?
0356日本@名無史さんNGNG
>>354
ボロ負けで戦力の無い海軍と陸軍を統合しようという話があったが、
米内井上がそれを妨害したことで、ポツダム宣言受諾派の頭数が少なくとも一つは増えたわけで・・・。

0357日本@名無史さんNGNG
>>356
頭数が一つ減っていたら、鈴木総理が「同数なんで、聖断をもって結論といたします」という
寝技が使えないので非常に困る。
むしろ、その前に多数決で本土決戦をすることに決まってしまうし。
0358日本@名無史さんNGNG
統帥部が一つになってたら受諾派3−継戦派2になる

まあどちらにしても過大評価されすぎ>海軍良識派
0359日本@名無史さんNGNG
こんなビデオあるらしい。どうなんだろ???

知多地方視聴覚ライブラリー協議会
http://www.chitakyoiku.ed.jp/avl/vtr%20itiran.htm
終戦工作の手始めとして、高木惣吉は東条内閣の打倒を目指しました。
しかし、サイパン玉砕後も東條に退陣の意志はありません。遂に東條の
暗殺を決意します。この覚悟が岡田海軍大将を始め多くの要人を動かし、
東條内閣は総辞職します。高木惣吉に柴 俊夫、その妻に石田えり。和
平の橋を命がけで架けようとしたドキュメンタリードラマです。
0360日本@名無史さんNGNG
>>358
これは8月10日22:50の最高戦争指導会議の話ですか?
構成員とされる6人は、
鈴木首相、東郷外相、阿南陸相、米内海相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長だったと思います。
もし海軍が陸軍に吸収合併されていたら、
2−2になるか、作戦を指導する軍令部が残って受諾2−継戦3という形になるのでは?
あともう一つ
米内・山本・井上にレッテルはるなら、海軍良識派でなしに親英米派のほうが適当だと思いますが?


0361日本@名無史さんNGNG
>>360
AB統合に関してですが、陸海軍省が統一されるという話、
私は聞いた事がありません。統帥部の統一なら知ってますが。
0362日本@名無史さんNGNG
   生徒に示す
          海軍兵学校長海軍中将草鹿任一 作詞
          佐波真 作曲

1、霊鷹峯に棲みしてふ
  松もみどりの山を負ひ
  水清澄の江田湾に
  臨みて立てる生徒館

2、燦たり菊の御紋章
  仰げば高し君の恩
  朝な夕なに銘じつつ
  海の守りの魂磨く

3、厳たり五条の御聖訓
  附してかしこむ臣の道
  日毎夜毎に念じつつ
  ふねのいくさの技を練る

4、教ゆる人も学ぶ子も
  心は同じすめらぎの
  醜の御楯と誓ふ身を
  鍛え鍛へむいざ共に
0363日本@名無史さんNGNG
>>361
それって参謀総長と軍令部総長の上に最高幕僚長を設置するってものとは違うんですか。
いずれにしても海軍の反対でポシャッたのには違いないはずですが。
0364日本@名無史さんNGNG
>>363
陸軍が考えていたのは
1、陸海統帥部総長の上に大本営総長を設ける
2、明治22年以来の参軍を復活させる
3、一人の参謀総長の下に陸海空の三次長を置く
0365日本@名無史さんNGNG
案は幾つもありますた
0366日本@名無史さんNGNG
どいつもこいつも自分の出世しか考えていなかったと・・。
0367日本@名無史さんNGNG
>>360

親英米派というレッテルは違和感があります。

井上は、駐伊時代の経験から、イタ公は全く信用できず、
ドイツ人はまともだが、ヒットラーは黄禍論以上の差別主義者で
絶対組むべき相手でないことを主張しています。
この時に、イギリス人の方がよっぽど信用できる、とは言っています。
しかし蒋介石及び宋美麗にたぶらかされて援蒋を続ける英米に大きな怒りを表明しています。
また、重慶爆撃の頃、すでに間接的に米軍とも戦わざるを得なくなり、
その米軍のずるさを糾弾しています。
(もちろん、直接戦闘は絶対避けていますが・・・・)

彼は、英米との戦争は絶対勝てる見込みのないことから不可とし、
外交交渉をとことん続けるべきとした良識派であり、
決して親英米であったわけではないと思います。


山本は駐米時代に多くの米軍提督と友達になり、米国の強さをよく理解してましたが、
だからといって、やはり親米派とは言えないのでは。
米軍に一泡ふかすことが、彼の生き甲斐だったような気がしてならない・・・。
まあ、井上の突き上げを認めて、3国同盟を反対し続けた点は、明らかに良識派と言えるが、
バクチ好きの性格から来る、強硬派の行動も多くあった。

米内は、良識派としか形容できないと思う。やはり駐露経験の影響は感じられず、
どこかの国にシンパを持っているという印象の行動はほとんど無い。

0368日本@名無史さんNGNG
井上は日独防共協定には賛成していたと
伝記刊行会の『井上成美』に書いてありますが・・・
日独防共協定、最初の日独伊3国同盟、実際に結ばれた3国同盟は、
仮想敵国が違うので、同列に扱うのはいかがなものかと・・・
特に後2者はほとんど別物
締結された3国同盟は、ソ連まで仲間に引き込む4国協商が視野に入ったものですから
0369日本@名無史さんNGNG
  昭和20年11月26日 帝国議会において、冒頭質問から「戦争責任」が採り上げられた。
 28日 進歩党の代議士が質問にたった。
 昭和15年2月2日に支那事変に対する政府の無策を批判する演説により除名処分を受けた斎藤隆夫である。
 昭和6年の満州事変から、軍人が政治に干渉し、その弊害留まるところなく今日の悲運を招いた軍部大臣と
 合いまみゆることは陸海軍省廃止と決まった今日、これが最後と思われた。それゆえ、あえてこの機会に、
 なぜこのような事態を招いたのか大臣の所見をお聞きしたい…と。

 この質問に対し、最後の陸軍大臣・下村定陸軍大将が答弁にたつ。
 戦後はじめて、自らが犯した歴史的罪業について、当事者たる陸相が説明するのである。
 それこそ満場水をうったように静まったという。

 「いわゆる軍国主義の発生につきましては、陸軍内の者が軍人としての正しきものの考え方を誤ったこと、
 とくに指導の地位にあります者がやり方が悪かったことと、これが根本であると信じます。
 このことが内外のいろいろな情勢と、複雑な因果関係を生じまして、ある者は軍の力を背景とし、
 ある者は勢いに乗じましていわゆる軍国主義の発生につきましては、陸軍内の者が軍人としての
 正しきものの考え方を誤ったこと、とくに指導の地位にあります者がいわゆる独善的な、横暴な措置を
 とった者があると信じます。ことに許すべからざることは、軍の不当なる政治干渉であります。
 かようなことが、重大な原因となりまして、今回のごとき悲痛な状態を、国家にもたらしましたことは、
 何とも申し訳がありませぬ。」

 そういって陸相は深く頭を下げた。
0370日本@名無史さんNGNG
このあまりに率直な詫びように、議場内には勃然として大きな拍手が沸き起こった。

 「私は陸軍の最後にあたりまして、議会を通じてこの点につき、全国民諸君に衷心からお詫びを申し上げます。
 陸軍は解体を致します。過去の罪責に対しまして今後、事実をもってお詫び申し上げること、
 事実をもって罪をつぐなうことは出来ませぬ。まことに残念でありますが、
 どうか従来からの国民各位のご同情に訴えまして、この陸軍の過去における罪悪のために、
 純忠なる軍人の功績を抹消し去らないこと、ことに幾多戦没の英霊にたいして、深きご同情を賜らんことを
 この際切にお願いいたします。」

 声涙下る陸相の「過去の陸軍を代表して率直にその過誤を陳謝された名演説」は多くの議員を感動せしめ
 粛然となった議場より、もう良い、とやさしく陸相の発言を止めようとする声もあがったという。

 2日後の11月30日 内地復員を終えた陸海軍省が廃止、
 残務整理と外地からの復員業務のための復員省ができる。
 この日下村陸相は宮中に参内、復員が順調に進んでいることと、改めて敗戦のお詫びを奏上した。
 8月15日以来背広姿であられる天皇は、この日、久しぶりに大元帥服をお召しになった。

 ほんとうにご苦労であった。

 と大元帥陛下は勅語を賜り、最後の儀式は終わった。
 ただちに天皇は軍服を背広にお召し代えになった。大日本帝国陸海軍は永遠に姿を消した。

0371日本@名無史さんNGNG
>>369-370
陸軍にだけ詫びさせておいて、知らん顔の海軍は品性下劣。
0372367NGNG
>>368

資料をよくご存じのようですので、言うまでもないことですが・・・
井上が日独防共協定に賛成したのは、国際連盟脱退後の孤立状況を憂えてのこと。
満州からノモンハン(これは極秘だったようですが)へ突っ走る陸軍の、
当座の敵であるソ連を牽制できる唯一の手段として、
嫌な相手とでも協定として組むしかない、と考えたためです。

「マインカンプ」を原書で読んでいた井上は、ヒトラーにかぶれる、
海軍の石川以下の第1委員会をたしなめて、
ナチスは信じられないと何度も表明し、
自動参戦条項のある同盟には絶対反対の立場を取りました。
ソ連を相手にする協定が、対英米も含む軍事同盟になろうというわけですから、当然承服できるわけもない。

結局、ドイツを信頼できないと考えていた井上の読みは当たり、
ドイツはいきなり独ソ不可侵条約を結び、
日本の軍人・政治家の全ての期待を裏切った。
平沼の総辞職の時の言葉は非常に有名ですが、
ある意味、日本の外交力の非力さというか、人の良すぎさに、
今さら呆れざるを得ない。
最後の実際の3国同盟は、井上は一切関与できなかったが、
自動参戦条項が消えたことで、成立を許してしまった海相に噛み付いてますね。
既に開戦している当事国と軍事同盟を結ぶことは、
そのような自動参戦条項の内容以前の問題であって、
英米に宣戦布告しているに等しいと。
井上は、このようにそれぞれの協定・同盟に対して、
状況に合わせて最善の対応策を建議しています。
小生も、これらを混同して書いたつもりは無いのですが・・・
0373日本@名無史さんNGNG
>>371

下克上により、政府方針をねじ曲げて、政治を独占した陸軍は、
謝ったところで、その罪は消えない。

海軍は、その補翼責任を全うできず、大敗を招いた責任はあっても、
政治への著しい干渉は、陸軍とは比べようもないほど少ない。
謝りようがないでしょう。
0374日本@名無史さんNGNG
>>371
阿川の「米内光政」じゃ、下村陸相の答弁の後に
米内海相の答弁が当然あると思ってた議員達が
かなり憤慨して、のちにこのとき何故答弁に立たなかった
のかと誰かが聞いたら米内は「国会の議録を良く見てごらん。
質問者の指名は陸軍大臣だけであって海軍大臣とは
言ってないんだから僕が答弁するわけにいかないじゃないか」
とか言ったとか記述があるんだが、これは作り話?
0375日本@名無史さんNGNG
>>367
海軍の対中国政策は陸軍のそれと比べ穏健なように見えますが、
第二次上海事変は海軍がむしろ積極的な姿勢を示しています。

また、日中戦争中の「蒋介石を相手にせず」声明が出たときの大本営政府連絡会議で
中国側との交渉継続を主張する多田参謀次長に、米内が内閣総辞職をちらつかせて
抑えつけたといいます。

日本の武力による対中政策が、日本を太平洋戦争へ導いていったのは、まあそう
間違いじゃないでしょう。
米内・山本・井上は武力的な対中国策をとる陸軍に対しては否定的な見解はとっているものの、、
中国との和平交渉に対して関与したり、同意したような文書・発言は
あまり聞いたことがありません。(上記の例やら、重慶爆撃やら陸軍に相乗り
しているのでは?というようなのは見かける)
日中戦争を泥沼化させ、太平洋戦争へと導いていった責任の一翼を担っていると
思えますので、良識派という言い方には抵抗感がありますね。










0376日本@名無史さんNGNG
>>374
昨今の公務員並みに無責任ですな。流石低能トーホグ人。
連帯責任(むしろ対米戦争は「海軍の戦争」と言えるので敗戦責任は陸軍以上)がありなが
ら何ら恥じることなく陸相答弁を聞いていたわけだ、この恥知らずは。
0377日本@名無史さんNGNG
>375
下村陸相の答弁の意味がまるっきり分かってないのですねぇ……

>376
「戦争に負ける」ことと「負ける戦争を推し進める」こととは別。
この違いがわからん奴は歴史を語るな。
0378日本@名無史さんNGNG
>>377
陸軍の暴走をとどめる最後の防波堤として海軍に期待していた人々がいたわけで、
それに応えることができずに日本が敗戦を迎えたことに責任を感じて
戦後井上は長井に隠棲したわけですよね。
海軍の戦争責任を痛感するからこそ、井上は戦後及川や沢本らを直接問い詰めたわけですよね。
・・・そこに下村陸相ですか・・・しかも誰が見ても煽りとわかる>>376に釣られて・・・



0379日本@名無史さんNGNG
>>378
井上信者、キモいよ。(w
0380日本@名無史さんNGNG
男で成美という漢字遣いもどーかと・・・
0381日本@名無史さんNGNG
>>379
井上より先見性があり、日本の将来に命を懸けた人物はいない。
0382日本@名無史さんNGNG
あの狂気の時代背景の中で井上の取った行動は立派でしょう!
今の野党の様に無責任に好き勝手の言える時代じゃないんだから。
また米内が多少の陸軍への迎合の姿勢を見せたのも政治的に仕方ない所もある。
0383日本@名無史さんNGNG
日中戦争で米内は、揚子江方面以南については陸軍より積極的。
石原莞爾には「陸軍が強盗なら海軍は巾着切り」と言われたし、
海南島攻略で英仏と直接ぶつかる方向へ日本を持って行ったのは、
他ならぬ米内海相。
一時期、昭和天皇に「米内は気が狂ったか?」と言われたとか。
0384日本@名無史さんNGNG
支那事変と呼べよ、変態!
0385日本@名無史さんNGNG
 支那人が好きで始めた支那事変ですが、支那海軍はあっという間に日本海軍に完敗し、残らず
撃沈または拿捕されたので、船が一隻もありませんでした
 戦後は大戦を勝抜いた旧我大日本帝國海軍の優秀艦艇を貰って再建しましたが、全海軍の總旗
艦「丹陽」からして、昭和15年に竣工した我「陽炎」級駆逐艦「雪風」です
 因みに「雪風」は不沈を謳はれた名鑑で、中華民國海軍はこれを昭和40年代まで重用し、練
習艦を経て解体しました
 日本側が買収して記念艦にしやうとしたら、シナ人根性でわざと妨害したのです
 「雪風」は支那海軍なんか全然相手にしてなかったので、随分な逆恨みです
 大戦で我を痛打した米海軍の名艦が米國で記念艦になってゐるのを、我々は嘉しこそすれ、文
句は無いんですが、そこが浅ましいシナ人根性なんでせうね 
0386日本@名無史さんNGNG
>>383
ソース出せ。露ほども信じられない。
0387日本@名無史さんNGNG
>>386
最後の行の天皇発言は知らんけど、それ以外は事実だよ。
つーか常識だろ。
0388日本@名無史さんNGNG
>>386
海軍の選択
http://miyajee.e-city.tv/kaigunnosentaku.html
0389日本@名無史さんNGNG
>>388
それほとんど憶測じゃん。
米内がトラウトマン工作に反対した理由は未だに推測の域を出ないはず。
0390日本@名無史さんNGNG
まあ、米内や井上が英米協調論者だったってのは神話だな。
彼らは基本的に機会主義者だよ。
0391日本@名無史さんNGNG
海軍は、広東作戦以来海南島に着目し来りしが、12月には入り問題を再燃す。
由来青島、アモイ等の例の如く、海軍は極端なる占領地方式を採るの傾向あり。
又日支新関係調整方針の審議に表れたる如く、政治経済の前面に亘り権益を
設定せんとの嫌いあり。和平解決のため甚だしき障碍となるを以って、
戦争指導当局は極力之を阻止し来りたるも、陸海協調の義理もあり、其の目的を
航空作戦及封鎖作戦の基地設定に限定し、将来政治及経済問題に関連せしめざるの
一札を入れしめ、作戦当局は1月19日第二十一軍をして、海軍と協同し海口附近の
要域を攻略せしむるの処置をとる。
(註)後海軍は約束を無視し、政治及経済問題に亘り全面的に進出す。
0392日本@名無史さんNGNG
「この作戦は仏印に近いため、フランスを刺激するので、実行するとなれば
政府の同意を得ておくことが必要であるので、この点に関しては五相会議で
米内海相から前後何回か提案し、ついにこの会議の了承するところとなった。
14年1月10、11日両日の五相会議で、最終的の話題となったが、まだ決定まで
行っていなかった。この日軍令部作戦課は、既に五相会議の了承を得たといって
御前会議開催の準備を進め、参謀本部作戦課に連絡したので問題となり、
稲田作戦課長が軍令部の草鹿作戦課長に抗議を申し込む一幕もあった。
とにかく海軍の海南島占領の執念は強いものであった。」
0393日本@名無史さんNGNG
海軍はどうして南進したかったの?
そもそも軍隊が政治不在で国家戦略を論じること自体、変なんだが。
0394日本@名無史さんNGNG
油が欲しかったから
0395日本@名無史さんNGNG
でも、対日石油禁輸は南部仏印進駐が原因でしょ?
油が欲しくて南にいって、禁輸を食らったってそんなアホな話はないよ。
0396日本@名無史さんNGNG
>>393
そのまま陸軍にも当てはまるんだが。

陸軍はどうして北進したかったの?
そもそも軍隊が政治不在で(ry
0397日本@名無史さんNGNG
          ,,.-―――- .、
         /         丶、
       r'"   _,,......_       \
       l  ,.ィr‐ァ-.、 `ヽ、      ヽ、
        〉" / /ト、 ミヽュ、ヽ、     i     
        // l! /|l|ヾヽヽヽヽ `ヽ、    |   英霊のご冥福をお祈り致します
      レ! ! :l! lr=, `ヾ,rf==ミ ヽ \  ノ     
      |!| l、 |' i::;;!   l !: ;リ|ト、ヽ ヽ
        |ハゞ;! `´,   `~´ ;! | |l ヽ ヾミ;、    
         |l ト、ゝ、 ー   ,,.ィ | |トl ヾ、 ヽ   
       ハ'; \ト` ーr‐ ",./''^!ノl l!\、!ヾヽ、
      "  `  ,レ((y'´  ,.イ' \
        ,rク´,.ィ~;V^ヽr'´   ,.==\
          / < "ノく: ミヽ  ,:;'"    ヽ
0398367NGNG
>>375
上海事変以降の海軍積極行動は、政府方針ですから当然です。
上海事変は、蒋介石側からの上海空襲という、宣戦布告に等しい
挑発から始まったもので、本当の意味の日支戦争の開始点。
作戦行動として、海軍が陸軍と共同して、南京攻略、重慶爆撃を進めるのは、
積極的行動というのではなく、純粋な戦闘行為です。

そもそもまともな政府の存在しないシナを相手に、粘り強い交渉を続け、
事変の度に講和を達成して、そのたびに裏切られてきた日本は、
その対支政策においては、海軍のみならず陸軍までもが良識派の部類に入る。

幣原外交のような単なる譲歩外交では、シナは増長するだけで、
テロの続発を招いて国益を損ねただけ。
結局は満州事変のような強硬策への暴走を招いてしまった。
対支外交においては、協調外交をすることが良識派とは言えない。

あと、トラウトマン工作について、
米内は、蒋介石と親交がありましたが、西安事件以降の蒋介石を
信頼していなかったのだと思います。
それまでは、表面上も本音も親日・反共であった蒋介石は、
張学良の寝返りを目の当たりにして、抗日戦争に自らの生き残りをかけるしか無くなった。
さらに抗日戦を支援してくれる英米の金のあじをしめた。
そのことを米内はじめとする海軍首脳は見切っていたのではないでしょうか。
つまり、蒋介石と講和しても、同じ事の繰り返しで、
また第3次の上海事変が勃発するだけ。
シナ側は戦争を泥沼化させればさせるほど得をする構造となっていた。
米内としては、蒋介石を徹底的に叩くしか、
シナに抗日・侮日政策を止めさせる手は無いと考えていたと思います。
(もちろん推測ですが、合理的な行動の説明にはなります。)
0399367NGNG
>>394
この意見、常識となっているのですが、実際はそんなに単純ではなかったと思います。

海軍の南進論は、建前上も本音も、英米の援蒋ルートの撲滅でした。
フィリピン、仏印、蘭印から広東へのルートを断つには、海南島確保が絶対必要であった。
それに成功したあとは、しつこく続く仏印経由の陸路を断つために、
北部仏印進駐が必要となり、ドイツ快進撃による仏弱体化の漁夫の利もあって、
外交交渉により進駐に成功した。

これに対して、屑鉄禁輸で対抗してきた米国は、明らかに行きすぎの政策。
ただでさえ関税高騰でブロック化しきっている経済圏を狭め、
日本に、ほらかかってこい、と言わんばかりの手段でした。
これに対して日本は自重。(国内世論、海軍強硬派は、即時対米開戦を主張)

ただし、続く南部仏印進駐は、結果的に非常にまずい政策となった。
これも、当初の目的は援蒋ルートの完全撲滅であったが、
既に英は対独戦に手一杯で、蒋介石のことにかまっている暇はなし。
仏は占領下にあり、仏政権との外交交渉と言っても、
日本の行為はほとんど火事場泥に近かった。
さらに、これに対する米国の対応は、予想を超えた強硬策の石油禁輸であり、
ほとんど宣戦布告と言えるものであった。

井上は、この南部仏印進駐直前に、その噂を聞きつけ、
わざわざ重慶の作戦本部から、空路で突然帰国し、
海軍政策部門のトップと幕僚に「まさかもう一つの作戦などしないだろうな」
と念押しに行っています。
この時は、幕僚にごまかされてしまいますが・・・・

海軍幕僚達には、この南部仏印作戦は日米戦に結びつかないとするものと、
すでに日米戦は避けられずあきらめていたものがいたとのことですが、
この作戦こそがターニングポイントとなると読んでいた井上は、炯眼であったと思います。
0400日本@名無史さんNGNG
400get
0401日本@名無史さんNGNG
北部仏印進駐までは援蒋ルート封鎖のためという正当化ができるが、
南部仏印進駐は言い訳の仕様がないよな。
0402日本@名無史さんNGNG
>399 井上は、この南部仏印進駐直前に、その噂を聞きつけ、
    わざわざ重慶の作戦本部から、空路で突然帰国し、

南部仏印進駐は昭和16年7月末だが、この直前といっても、井上はこの頃
航空本部長(s15/10)、第4艦隊長官(s16/8)で、重慶にはいない。
だから、この記述には基本的な誤りがあり、これ以外の記述も信頼できない。

0403日本@名無史さんNGNG
トラウトマン工作はまとまんないだろ?
0404日本@名無史さんNGNG
トラウトマン工作が始まったころ、陸軍も参謀本部も南京攻略を
視野に入れていたから、このような甘い条件を呑むはずがない。
蒋介石が華北の主権保持の要求に対し、閣議では、広田外相、杉山陸相、
近衛らが、「大体、敗者としての言辞無礼なりとの結論に達し、その他
みな賛同せり」(堀場一雄著『支那事変戦争指導史』と強気で、新たな
日本側の要求(満州国の承認、日本占領地を非武装地帯にする、賠償の支払い)
が加わり、まとめる気などサラサラなかった。
0405日本@名無史さんNGNG
>>404
都合の良いとこだけ抜き出すなよ
0406日本@名無史さんNGNG
井上タンてたんなるヘンクツ親爺。海軍さへ続いておれば、
元大将で優雅な晩年送れたのが負け戦でパー。そんで、対米戦
始めたヤシに八つ当たりしてる。自分だって結構シナ相手には・・・。
0407日本@名無史さんNGNG
陸軍はトラウトマン工作に賛成だったと言っても陸相は反対してた
0408日本@名無史さんNGNG
>>406
対米戦の深刻度合いと、対中戦のそれは、全く別物だと思うが。
その功罪を同一視するようじゃ、立体社会に向いてないと・・・
0409日本@名無史さんNGNG
米内は金魚大臣(見てくれだけ)てアダ名がついてたらしいが、
正真正銘のムノウ人物みたいだが?
0410日本@名無史さんNGNG
 日本海軍第六艦隊(潜水艦隊)の活躍たるや、西は大西洋まで作戦し、東は米本土を
砲撃した
 その間、シナには一隻の軍艦も無かった
 始めは小型水上艦艇ぐらい有ったが、開戦劈頭、瞬時に壊滅して一隻も残らぬという
凄まじい弱さだった
0411日本@名無史さんNGNG
>>409
「日本の海軍はそもそも米英と戦争するようにできておりません、独伊の海軍にいたっては問題になりません」

平然と言っているが、当時の状況から考えると
実は命が賭かった発言。
0412399NGNG
>>402

失礼。
399の文の最後の2つの段落にある南部仏印作戦は、北部仏印作戦の書き間違いです。
重慶の作戦本部、というのは、上海にあった重慶爆撃担当の、
シナ方面艦隊司令部のことです。

この井上の行動は有名なはずですが・・・・

援蒋ルート撲滅の北部仏印進駐と同時に、
効果を上げつつあったシナ方面の第一航空連隊を引き上げた。
この時の、矛盾した指令に井上は辞職を表明して抵抗しています。
自らが、もうひとつの作戦を止めるように釘を刺せなかった事への自戒も含めて。

井上は、北部仏印進駐をターニングポイントと感じ、こういった行動に出たのです。
しかしこの時点での、海軍の中堅幕僚の意識は、399の最後で間違いない。


ご承知の通り、南部仏印の時は、全司令長官が一斉に噛み付いているとおり、
誰もが英米戦を覚悟する作戦でした。
中堅幕僚の機密日誌によれば、狙いはシンガポールの確保と有ります。
その先の戦争計画は、インド洋経由で北部アフリカのドイツ軍と連携する、
と言う壮大なものから、蘭印の石油を含む資源確保といった戦術的なものまで、
いろいろ出てきていますが、
もう一つ強調しておきたいのが、漁業資源の確保による食糧自給です。
石油は海軍の使用分にして2年分以上の備蓄が有りましたが、
意外にも国民の食糧確保のための領海拡大は、切羽詰まった必要があったとのことです。


まあ、信用するかどうかは、皆さんの自由ですけどね・・・
0413日本@名無史さんNGNG
南部仏印進駐については、最早事ここに極まれりと言うもので、どうしようもな
かった。しかし、北部仏印進駐は別で、西原一策少将の西原機関が現地と交渉を
行って、無血進駐を完成させながら、諸外国への外交に与える影響を可能な限り
軽減する処置を模索していた。しかし、現地軍のアホな中隊長が勝手に乗り込んで
しまって、すんでのところでパーにしてしまうところだった。海軍が云々言って
も、陸軍部内のタガが緩みきってしまっているんじゃ、どうしようもない状況じ
ゃないんですか。
0414日本@名無史さんNGNG
話が変わってしまって申し訳ないです。4月下旬に長井の旧宅へ行ってきました。
道が判らなくて、荒崎のバス停でお喋りしていたおばあちゃんに「井上成美さん
の家は何処ですか?」と聞いてみたら、ちょっと考えた後に「大将の家のこと?」
と返されました。教えてもらった通りに旧宅に辿り着いたけど、今でも地元の人達
に大将と呼ばれているのには何か不思議な感じがしました。
家自体は手が加わってなく、屋根は一部落ちていました。これからあの家は
どうなるんでしょうね。家の下に広がる海が印象的でした。
0415日本@名無史さんNGNG
>>414
海自に報告すれば?
0416日本@名無史さんNGNG
>414
保存に向けた議論が市議会でなされたんじゃないかな?
いつだったか忘れたけど議事録を読んだ事がある。
0417日本@名無史さんNGNG
井上が後に南部仏印進駐に反対したのは事実であるにせよ、北部仏印進駐前の
s15年8月に上京したのは、参謀長要望事項として、支那方面への航空機大量投入
の意見具申のため。これはもちろん、彼が参謀長として立案したと言われる支那
奥地(重慶、成都)への爆撃強化のため、96式陸攻と新型戦闘機の投入の要請。
当時、海軍は内地から派遣した第1連合航空隊(1連空)と在支の第2連合航空隊があり、
南方進出のため、1連空を引き抜くという噂も聞えてきたらしく、その牽制のために
反対意見を述べたもの。この空爆は101号作戦と呼ばれ、嶋田支那方面艦隊長官時代に
本格化したが、井上のこの無差別空爆の経歴は何故か阿川本などではパスされている。
0418日本@名無史さんNGNG
重慶爆撃って無差別爆撃なのか?
照準機の性能不足、標的が市街地に隣接してるなどの悪条件が重なって
結果として無差別になってしまっただけじゃないの?
0419日本@名無史さんNGNG
民家が破壊され、民間人が大量に死んだことは間違いない。
0420日本@名無史さんNGNG
重慶爆撃は無差別爆撃なのですか?
http://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000089.html
0421日本@名無史さんNGNG
この重慶爆撃は、一般市民の被害が大きかったので、6月13日には、アメリカが
非難声明を出したほか、非人道的な都市空爆だとして、各国の非難を浴びた。
この時の行動が、後の米軍による無差別爆撃を正当化させる口実になったとも
いえなくもない。
0422日本@名無史さんNGNG
白村江の戦い以来1400年、支那は日本に負けっ放しです
0423日本@名無史さんNGNG
女でも大将がいたんだね。
きっと勝気な和田アキ子みたいな風貌だろうけどw。
0424日本@名無史さんNGNG
無差別爆撃について述べた良書ですね。
http://miyajee.e-city.tv/nazetosigakuusyuusareta.html
0425日本@名無史さんNGNG
>>424 戦略爆撃の思想のほうがいいと思うが。
アメリカの日本空襲にモラルはあったかと併読でね。
0426日本@名無史さんNGNG
>>385
亀レスだが丹陽(雪風)が返還されなかったのは1970年に台風で座礁してしまったから。
あと船体は解体されたものの主錨と舵輪は日本に返還されて江田島の海上自衛隊第一術科学校に保存されている。
0427日本@名無史さんNGNG
>>421

重慶に本当に元から居た一般市民って、その時どれくらいいたんでしょうねw

そもそも蒋介石軍の重慶入りについていったのは市民と言えるのか?
便衣兵+便衣兵予備軍なのか?
米英から支給される銃器でもって、市街にあふれた便衣兵は一般市民?

シナ方面軍の市街爆撃は、有効な戦術として評価されるべきと思うけど。


日支戦で、無差別爆撃と言えば、上海事変のシナ軍がやった爆撃では?
というか、この爆撃を企画指揮したのは米軍顧問。
(錦州では日本軍はすごく気を遣っている)

まあ、戦時および戦後プロパガンダは圧倒的にシナと英米がうまいので、
日本軍もしくはドイツ軍は何をやっても、責められる。
ピカソのゲルニカだって、プンプン臭いまつが。
0428日本@名無史さんNGNG
>427
それ言うんだったら、
「日本の都市住民はそれ自体が戦争遂行装置だから爆撃しても罪じゃない」と言い張る米人の理屈と
何にもかわらんことになるぞ…
0429日本@名無史さんNGNG
>>428
ウヨ厨なんぞ真面目に相手にせんでも・・・
0430日本@名無史さんNGNG

阿川弘之の小説読んだなそういえば・・・・
この人の海軍物は・・・読んでてこっちがこっぱずかしくなるな


0431日本@名無史さんNGNG
どう恥ずかしいの



どう恥ずかしいの?



0432日本@名無史さんNGNG
          ,,.-―――- .、
         /         丶、
       r'"   _,,......_       \
       l  ,.ィr‐ァ-.、 `ヽ、      ヽ、
        〉" / /ト、 ミヽュ、ヽ、     i     
        // l! /|l|ヾヽヽヽヽ `ヽ、    |   英霊のご冥福をお祈り致します
      レ! ! :l! lr=, `ヾ,rf==ミ ヽ \  ノ     
      |!| l、 |' i::;;!   l !: ;リ|ト、ヽ ヽ
        |ハゞ;! `´,   `~´ ;! | |l ヽ ヾミ;、    
         |l ト、ゝ、 ー   ,,.ィ | |トl ヾ、 ヽ   
       ハ'; \ト` ーr‐ ",./''^!ノl l!\、!ヾヽ、
      "  `  ,レ((y'´  ,.イ' \
        ,rク´,.ィ~;V^ヽr'´   ,.==\
          / < "ノく: ミヽ  ,:;'"    ヽ
0433日本@名無史さんNGNG
 陸軍にも人材あり
 宮崎繁三郎
http://book.okigunnji.com/book/4769809700.htm
大東亜戦争でもっとも悲惨な戦場となったビルマ(現ミャンマー)のインパール作戦において、敵将からも絶賛されるほどの見事な戦闘を繰り広げた知られざる名将がこの、宮崎繁三郎中将です。
ノモンハン事変から敗戦に至るまで、宮崎将軍はついに不敗でした。
ノモンハン事変では彼の指揮する歩兵第16連隊のみが戦闘に勝利を収めました。
0434日本@名無史さんNGNG
同郷の仙台出身の今村均大将とコンビ組んで欲しかった....。
0435434NGNG
念のため。
井上提督との事だからね。
0436日本@名無史さんNGNG
つか米内の後を吉田でなく山本に継がせて
コンビ組ました方がよっぽど手っ取り早い。
0437日本@名無史さんNGNG
>>435
ヘタレ仙台人同士で組ませたら、今度こそ亡国だよ。
0438日本@名無史さんNGNG
>>436
米内は重要な所で、判断ミスするな。
山本の命を差し出してでも、開戦を食い止めるべきだった。
0439日本@名無史さんNGNG
海軍の戦争責任を問うなら、嶋繁と永野に末次だろ。
0440日本@名無史さんNGNG
末次は昭和12年に予備役になってるから、戦争の直接の責任はないだろ。
退役後、内務大臣としての乱暴な対中、対米姿勢は問題だが、これも14年
早々辞職しているし、対外強硬派は末次以外にも海軍にはイパイいた。
0441日本@名無史さんNGNG
>>440
自称「太平洋戦争は漏れが始めた」こと石川信吾とかな。
0442日本@名無史さんNGNG
及川氏は?
0443日本@名無史さんNGNG
及川古志郎は積極的な対米英強硬派ではないものの、部内の大勢に流されて
三国同盟に賛成したのだから責任はあるのでは。この及川を吉田の後任大臣に
つかせるよう工作したのが石川信吾だという。及川を近衛に推薦したのが外務省
顧問で超親独派の白鳥敏夫。白鳥から「海軍で三国同盟に無条件で賛成する大将
は誰か」と聞かれた石川は「及川大将である」と答えている。この後、石川は
及川を訪ね、同盟の必要性を説いたという。
0444クラ@出先NGNG
>>441,443
石川信吾という獅子身中の虫が、岡 敬純の庇護の下に策動した
ことはあまりにも有名。ただ、岡という人は政治的には無臭に近
いのに、部内で評判の悪かった石川をなぜ予備役編入から救い、
策動を許したのか?理解に苦しむ。
0445日本@名無史さんNGNG
戦後になって、当時要路にあった海軍軍人たちは、南部仏印進駐が
即、米国の対日石油禁輸措置にまで進むとは考えなかった、と述懐
している(本当にそう考えたか、責任逃れかはわからぬが)。その中で
石川だけは、戦後になっても「私は対米戦をやるならこの秋だと確信して
いた。石油の禁輸は当然あるものと覚悟していた」と述べており、確信犯。
0446日本@名無史さんNGNG
>>439
石川信吾等に比べて、米内の動きはあまりに緩慢。
ついでに休戦においても小磯、鈴木の閣僚だったのに、軍人は政治に関わらないと動かない始末。
反対派、休戦派が大人しすぎたと言えるのでは無いだろうか。
0447日本@名無史さんNGNG
戦争終結など、言い出したら陸軍の少壮将校にぶっ殺されますがな。
0448日本@名無史さんNGNG
>>447
米内は日本全土の空爆よりも、自分の命が惜しかったというのは、確かに妥当な評価。
0449日本@名無史さんNGNG
米内が井上をしきりに大将にしたがったのも、終戦を急がせる井上を
何とかして次官から追い払うためという話もある。大将で次官ポスト
では大臣とのバランスがとれないし前例がない。後講釈で、井上を
大臣にするため、という弁護もあるが、これは?
0450日本@名無史さんNGNG
天羽優子--------------gt;天羽苛子
http://pc5.2ch.net/test/read.cgi/prog/1084784737/
0451日本@名無史さんNGNG
>>449
井上 成美
*昭19(1944). 8. 5 空襲始まる。
小磯内閣−昭和19年7月22日成立
昭19(1944). 8. 5 海軍次官/将官会議議員
*昭20(1945). 3.10 東京大空襲
鈴木(貫)内閣−昭和20年4月7日成立
昭20(1945). 5.15 海軍大将 軍事参議官
終戦ー昭和20(1945)年8月14日

たぶん海相のストックとしたのだろう。
米内が命を賭ける気になったのが、その頃だと言うことだろうか。
しかし致命的な遅れだった。
0452日本@名無史さんNGNG
>449
>451

見方を変えればどちらの意味にも取れますよね。
私としては451の「ストック」の方が自然に思えますが。
0453日本@名無史さんNGNG
米内が一石二鳥を目論んだとか
0454日本@名無史さんNGNG
海軍について書かれている小説読むと必ずといっていいほど登場してくる
横須賀の料亭「小松」のおかみさんが亡くなったらしいですね。
合掌・・・
0455日本@名無史さんNGNG
「魚勝」もとっくに移転したし、米が浜の「小松」も昔の面影はどこにもない。
0456日本@名無史さんNGNG
急げば終戦になると言うものでもない。
0457日本@名無史さんNGNG
米内や小磯が目指した、
フィンランドみたいな講和は、日本には無理だったから、
井上の即講和のほうが正しかったな。
0458日本@名無史さんNGNG
即講和では反乱となり下策。
0459世界@名無史さんNGNG
阿川海軍小説おなじみの、料亭小松の女将の山本直枝さんが死去
歴代の提督を直に接してきた偉大な人物がまた一人さる。
こうやって当時を知る人物がいなくなって行く。

小松のトラック支店まで立ち上げたんだよな。
井上もトラック支店によく行ったそうじゃないか。
0460日本@名無史さんNGNG
「小松」トラック支店は4艦隊長官だった井上がつくらせたもの。だから、資材調達
や運搬も海軍が行った。だけど、ここも戦争末期、米機の空襲で焼失、従業員も
数人死んでいる。
0461日本@名無史さんNGNG
「偉大な人物」は言過ぎじゃないでせうか
0462日本@名無史さんNGNG
ただの置屋だろ
汚らわしい
0463世界@名無史さんNGNG
偉大ですとも。この人は。
この人は7,8年前か、新聞の特集(確か朝日の神奈川県版だったか)
で日本人は終戦のために尽力した岡田大将の恩を忘れてはいけない。
と通なことをおっしゃていた。
0464日本@名無史さんNGNG
呆け老人だろ、養護施設に入っていた。
0465日本@名無史さんNGNG
世の中には、商売上、政治家や経営者、官僚など社会的地位の高い人間と
知り合う機会のある人間は多いが、だからといってその人間がエライとは
限らん。
0466日本@名無史さんNGNG
ノーパンシャブシャブの経営者なんぞも大蔵官僚の間では人気者。
0467日本@名無史さんNGNG
>>437
広島人の漏れとしては今村大将ははへたれとは思えないのだが。
0468日本@名無史さんNGNG
「大東亜共栄圏」の理想に対して
「あれは理想だ、現実とは違う」と安易に逃げ腰の姿勢で臨んだ他のあらゆる将官に比べ、
今村大将の軍政官としての振る舞いは、彼ただ一人が真の勇気の持ち主であったことを
何より雄弁に物語っているだろう。

WW2の日本陸軍には、知将勇将数あれど(牟田口みたいな駄将も居るが…)、
「英雄」の名を贈ることがゆるされるのは、今村均ただ一人のみである。
0469日本@名無史さんNGNG
実際に今村大将と仲良かったのは小沢
0470日本@名無史さんNGNG
芸者ってみんな家が貧乏で売られてきた人達でしょ。
そんな女を喜んで抱いてた山本、米内は最低だ。
0471日本@名無史さんNGNG
確かにスケールは小さいが、WWUでの帝国陸軍の知将、勇将の代表は
上記の今村均、宮崎繁三郎に大賛同します。
またこの二人は仁将でもある。
0472日本@名無史さんNGNG
南方軍は逸材が揃ってたな。
今村均、本間雅晴、山下奉文、、
0473日本@名無史さんNGNG
井上提督はたしか東北人
0474日本@名無史さんNGNG
先代駄菓子
0475日本@名無史さんNGNG
塚原二四三提督も一緒に進級したんだっけ?
0476日本@名無史さんNGNG
自分は海軍軍人の中ではあの三笠の参謀の加藤友三郎が一番好きだな。
井上成美もこの人の事は一目置いていたみたいだね。
0477日本@名無史さんNGNG
井上、塚原らと同時に米内から大将進級の内示を受けた小沢治三郎は
「資格がない」と固辞し、ついに受けなかった。この後、小沢は海軍総隊兼
聯合艦隊兼海上護衛総隊などの長官に就いている(実体は何もないが)。
0478日本@名無史さんNGNG
阿川が「山本五十六」を「文藝朝日」(当時あった)に連載することになり
朝日の海軍記者だった杉本健が昭和39年春、阿川を戦前は正反対の立場だった
井上と石川を引き合わせることにした。井上は長井の自宅で意外に元気だったが
銀座のある茶寮で会ったが、すでに体調不良が明かで、とくに作ってもらった
オカユにも手をつけず、風雲児と言われたかつての面影はなかった、という。
この年の12月17日、石川はこの世を去った。
0479478NGNG
銀座の茶寮で会ったのは、石川信吾のことね。
0480日本@名無史さんNGNG
米内家も敗戦後はご多分に漏れず、食料の不足に悩まされ、コメが尽きると
野菜だけで4日も過ごすなんてことが多かったみたい。だから、痩せてしまい
着ている服もガバガバ。
0481大學教授NGNG
米内提督は美丈夫でした
0482日本@名無史さんNGNG
当時、実権を握ってた伏見宮が美丈夫や見てくれのいい士官好みだったので
宮のメガメにかなったのでないかい?でなきゃ、ハンモックNo下位で仕事でも
さほど目立たなかった米内が大将なんて不思議。同期の嶋田もかなりの美丈夫。
米内は伏見宮とは反対のスタンスだったというが、上司の前で己の立場を鮮明に
する官僚はいないからな〜。
0483日本@名無史さんNGNG
ご免、嶋田は山本の同期ですた!
0484日本@名無史さんNGNG
昭和23年、米内の臨終の際、枕頭で最後の死水をとったのは家族以外では
朝日の緒方竹虎だけだった(山梨勝之進大将もいたという説もある)。
0485日本@名無史さんNGNG
で、石川信吾と井上成美はどんな会話をしたの?
0486467NGNG
今村ネタふると結構レスあるからここの兄弟スレとして今村スレ立ててみよっかな?と言ってみる。
0487日本@名無史さんNGNG
寺内、山下、本間、今村・・・南方軍総合スレッド
0488日本@名無史さんNGNG
>>487
ビルマ攻略の飯田祥二郎も忘れないでおくれ
0489478NGNG
>485
書き方が悪かったみたいだ。阿川と井上、阿川と石川が会っただけで
井上と石川は会っていない。話の内容は書いてなかった「提督と新聞記者には」
話の内容は阿川が作品の中で書いたので重複すると判断したんだろ。
0490日本@名無史さんNGNG
>>487
いいねー。最強南方軍、降臨スレ。
0491日本@名無史さんNGNG
あっている?

条約派
財部彪、岡田啓介、小林躋造、野村吉三郎
山梨勝之進、左近司政三、堀悌吉、山本五十六

艦隊派
東郷平八郎、伏見宮博恭
加藤寛治、末次信正、南雲忠一、永野修身
0492日本@名無史さんNGNG
今日のヨルダン戦での重慶市民を見て思った。

井上さん、あなたがやった事は今でも怨まれてますよ。
0493日本@名無史さんNGNG
                          |
                          |    聯合艦隊旗艦戦艦大和
                  __♀.._   |
                  [ =::',=]   |        /
             iニ==ニ二}二二';:]二ニ|==ニi   /
              `ー-、=::三三',三--|'´   ._/
                f iェェ||ェェ_.',`ー、.|  ̄ ̄/
                j |  || .彡',ミ/|\__/
                ゝ!-iヽ、fiiiiiii';iiiiii| ̄/
                _{= =j  | || ||.', r-'`-ュ
               i、_`ー'-:-|,r|"| 'i_''__ii_L_ 
               rr=--;=-iiコ==ニl|=ニ ニ=|l=ニi
               `ー;-r ojjj__r=-i-IIIIIニニ=、  
       i        _rr}-|-irrr'_i __ノ_二ニi----゙j. 
       |      iニiiiiニ,-'ニてエエエヽ、_ニニニ小ニニニ!、_..  
       |     _,ミ_,;='- '´,=Iニiニiニi lロ! r-:r。;_r。;_r。、i-  
     ,r'´゚`ー、_r=j_r''_ヽ_`二f ミム_|  。 ノ_:_:|__//_//_//-'-、 _   
    f´n  _  >----i三ri二二二i ,r-'nnj、--、____ロ______ヽ_        ...................................
   /_, -'Lニ r'´ニ ニ` iL/トー -/- '-lニl二j > ', r -、 r -、 r -二lニl_n_:::::::::::::::::::::::::| |:::::::
   f ー、_   L-、_= = -"  |_/_;_nnn__レ/゚  .', ',(〇) ',(〇) ',(〇)i.ヽ  ` ー 7 - - :| | -、.| |、
   i   ` ー-、 _          -    iニニニニニニニiiiiiiii レiiiiii} ロ lニニi  r -、ヾIIIヾェ| |   | | |
:::::::::}    :: ...  ` ー --,-、 _         ヾエエエIIIコi=--ョョュュュ________l_lj--ヾエI| |彡ミ
;;;;;;;;;ヽ    ::      〈´:::::lヾ、ニヽ、===========----rニ=-エエLコ--、-..-..-..-..-..--、|三
0494日本@名無史さんNGNG
こばやし へそぞう
0495日本@名無史さんNGNG
こめない みつまさ
0496日本@名無史さんNGNG
左近司のバカヤロウ
0497日本@名無史さんNGNG

 ,.-‐ー''''''""´´  ̄     ``" "'''ー- ...,,,_
    (;;;;:;                           ~`")
     ヽ;;;:;,,..   γリ^大^ヾ-、              /
       \;;:;::...(λY´Ω )ヽノ)、             ノ
        [}{二'ゝ⌒',,ルノ⌒ノ''' ー    _ {〕 〈, ´
         /ヽ、,,. ` -=='''´   '''´ ̄      ヽ  
       人     ̄`"  ´          ,,..='’ヾ  
        ,γ`"''-、、,,,___   _,,,,、、-ー='''""彡⌒ヽ
        ( 〉∠てこ"'`i、;;'ュ_  ,τ;テ こヲゝ= ミι) )  
        ヾi '':;__,,,...ノ;;il   `;;、.,,,ニ_/     〈  「皇国ノ興廃、コノ一戦ニアリ
          )ヽ  ;;;;;:...ノ;;i     ヾ;:,, ´     ィ〉       各員一層奮闘努力セヨ。」
          {  `' ''^´':;il;     `'''':;:;      !ノ        
         }      /;i'     !ヽ       |      
          |、  /;{;,_     ) ヽ、      i
           i ,;' ノ  `'''ー';⌒ i iヽ、 \    /、
           ,;<,,;;.,;;...,,;;.,.,、、、,、、、、、〉 )/´|
           ト、`ー´ ̄  ━━─-  /   |
       _______,,,,...ヽヾ、,,  ,_v、、    _,..-´/     |ヽ,_,,,.._
           ヾ i`ヾ、`´  ;,  ` ´  ノ     レ´ノ⌒ 
            i!;;;,...`ー -.....=‐''''"´     ノ
                ゝ;;;:;:;,.. i!        /
0498日本@名無史さんNGNG
似てない
0499日本@名無史さんNGNG
最初の海軍大将は誰だっけ
0500日本@名無史さんNGNG
>>499
従道
0501日本@名無史さんNGNG
ありがとう
でも、陸軍からの転入だね
0502塚原243NGNG
俺も最後の海軍大将だ。忘れるな!
0503日本@名無史さんNGNG
支那事変で片腕を御國に捧げた勇将の名を騙るなよ
0504小沢ジサNGNG
負け戦大将だけはやはりでき
なんつうつまらん川柳(駄句)作るぐらいなら大将なんか受けるなよ!
0505日本@名無史さんNGNG
一旦断ったのに発令されたんだろ
0506日本@名無史さんNGNG
人事権は本人に無いから仕方が無い
ただ命のまま
0507日本@名無史さんNGNG
でも、小沢治三郎は同時に内示されたが断り通したが
0508日本@名無史さんNGNG
>>492
それではあなたが日本人を代表して謝罪されてはいかがでしょうか?
もちろん私財を投じて物心両面の謝罪をしていただきたいのです。
0509日本@名無史さんNGNG
人事権は大臣にあって本人にありません
0510日本@名無史さんNGNG
>>508
厨房の心の拠り所を発見しますた。

前田哲男『戦略爆撃の思想』―ゲルニカ―重慶―広島への軌跡
http://www2.freejpn.com/~az1156/page166.html
第1章 重慶爆撃への道 1931‐37年(抗日首都の誕生;戦略爆撃の誕生 ほか)
第2章 無差別爆撃の始まり 1939年(五月の新首都;中攻爆撃機発進 ほか)
第3章 101号作戦 1940年―井上成美のもう一つの顔(無差別爆撃の立案;日本海軍航空隊 ほか)
第4章 真珠湾への道(一九四一年)
第5章 爆撃の下で周恩来とその同志
第6章 重慶から広島へ
0511日本@名無史さんNGNG
支那事変は戦争ではないので戦時国際法の適用を受けない
よって重慶爆撃は差支へない
もっと爆撃すれば良かった
0512日本@名無史さんNGNG
そのかわり殺人罪が適用されますぞ!
0513日本@名無史さんNGNG
されないよ国内法なんだから
出鱈目書くな
0514日本@名無史さんNGNG
中華民国の刑法の存在は無視ですか?
0515日本@名無史さんNGNG
井上の場合は、井上が大将にならないと塚原が大将になれない、という理由があったんじゃなかったか?
兵学校卒業成績が悪かった小沢は、大将昇進を打診されたとき、
前線で司令官を務めている自分より先任の中将2人を予備役入りさせることになるから、と固辞する口実があった。
小沢を連合艦隊司令長官に就任させるときも、この小沢より先任の中将などが小沢の指揮下に入らないよう、
連合艦隊を含め、海軍実戦部隊の大幅な編成替えが行われた。
別スレに
>961 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/08/15(日) 14:48
>日本海軍では、少将に進級したときの序列が予備役に編入されるまで変ることがなかった。
>抜擢のまったく不可能なこの制度は、適材適所が重要な戦時においては致命的な欠陥となった。
>一方、米海軍におけるニミッツの例をみるまでもなく、能力に応じた抜擢主義は効果的だった。
とあるが、井上が大将になったのも、小沢がならなかったのも、日本海軍の硬直した人事の結果ではある。
0516日本@名無史さんNGNG
そういえば、塚原(36期)、井上(37期)は2人とも少将進級がs10/11/15、
中将進級が14/11/15、大将進級20/5/15と全く同じ。一方、小沢は少将11/12/1、
中将15/11/15と1年遅れ、同時に大将になると、従来のの慣例を崩すことになる。
年功序列の弊害ここに極まれり。だが、小沢が自己規制したということ?
0517日本@名無史さんNGNG
小沢が連合艦隊などの司令長官になった5月末には、めぼしい水上艦艇など
残り少なく名前だけの連合艦隊。係留したままの戦艦や飛行機飛ばせない空母
あとは小艦艇で、実質的な戦力は基地航空隊と特攻艇だけだもんね。
0518日本@名無史さんNGNG
>>510

史実そのものじゃないか。
井上は大量虐殺犯。
0519日本@名無史さんNGNG
>>518
じゃ、軍令部次長時代に化学兵器使用を承認した小沢も大量虐殺犯になりかけてたか。
つーか、小沢は敵よりも味方を大量に虐殺し(ry
0520日本@名無史さんNGNG
中華民国の刑法は小野清一郎博士が書いた
支那人は馬鹿で書けなかったから
ま、勉強したこと無いのに法律論に口を出すんじゃないぞ
0521日本@名無史さんNGNG
馬鹿の屁理屈に従えば支那軍全部殺人犯と殺人未遂犯
0522日本@名無史さんNGNG
支那大陸で戦してた日本兵は一皮剥けば、強姦、略奪、殺人犯
上官も見て見ぬフリが多かった。ヘタに注意して奥地で孤立した
場合など、後から弾が飛んでくる。
0523日本@名無史さんNGNG
そらぁ〜、子供や孫に中国での出来事を話さないのも無理ない。
0524日本@名無史さんNGNG
釣れますか?
0525日本@名無史さんNGNG
などと文王ソバに寄り
0526日本@名無史さんNGNG
戦争でないのに人を殺し、空爆で家屋を破壊すれば、単なるなゴロツキ集団(日本軍)。
相手がアウトローなら、捕虜にした場合、国際法に従った扱いをする必要はないから
勝手に殺すも拷問して手足もぐのも勝手ですよ〜ん。刑法なんか必要なし(蒋介石軍)。
0527日本@名無史さんNGNG
>>518-523
当時の有能な航空屋だったら、戦略爆撃を試すのは当然だろーな。
井上の先取性と有能がまた一つ証明された。

井上成美
昭14(1939).10.18 軍令部出仕
昭14(1939).10.23 CSF参謀長/3F参謀長
昭14(1939).11.15 CSF参謀長
昭15(1940).10. 1 航空本部長
昭16(1941). 8.11 4F長官
0528日本@名無史さんNGNG
「井上はいかん、あれは学者だ、戦には不向きだ」(伏見稲荷乃宮)
0529日本@名無史さんNGNG
それなら海軍大臣
0530日本@名無史さんNGNG
海兵校長もよいが、戦備促進できる配置が良い
「新軍備計画論」を実践できる配置
0531日本@名無史さんNGNG
総理大臣
0532日本@名無史さんNGNG

軍令部総長ってのはダメかな・・・・
0533日本@名無史さんNGNG
軍政畑に置くべき
0534日本@名無史さんNGNG
空軍大臣ではどうだ?
0535日本@名無史さんNGNG
後にAV女優の名前にされるとは夢にも思うまい。
0536日本@名無史さんNGNG
>>535
やっぱり口が悪いのか?(w
0537日本@名無史さんNGNG
 ε ⌒ヘ⌒ヽフ
 (   ( ・ω・) 日本人は金寄越せブー
  しー し─J
0538日本@名無史さんNGNG
>536

撮影スタッフに悪態ついてそうw
0539日本@名無史さんNGNG
>>538
単なる「悪態」では井上成美の名が泣くな。
やっぱり普通は言いにくいだろう真実をズバリと言い放ってその場にいる人を凍らせて欲しい。
0540日本@名無史さんNGNG
君子は人の美を成す
小人は此に反す
0541日本@名無史さんNGNG
>>510
読んだ。井上に関しては、

嶋田司令官が、「自分の任期中に支那事変を片付けたい」と言い、
飛行機こそ、戦艦に代わる次の海上主兵と確信してやまない男達、
井上成美、大西瀧次郎、山口多聞、寺岡謹兵、山本親雄らが、続々と大陸の地を踏み、
参謀長井上が、百一号作戦を日本海海戦に匹敵すると唱え、推進。
そして挫折。
それを踏まえた「新軍備計画論」

という内容だった。
0542日本@名無史さんNGNG
「新軍備計画論」は何処で読めますか?
0543日本@名無史さんNGNG
防衛庁防衛研究所 史料閲覧室
0544日本@名無史さんNGNG
ネット上では駄目です可?
0545日本@名無史さんNGNG
井上提督の机上には常に計算尺と英々辞典が置かれてゐた
0546日本@名無史さんNGNG
計算尺ジジィ
井上に対する長井の町民の陰口
0547日本@名無史さんNGNG
計算尺で乱打してやれ!
0548日本@名無史さんNGNG
http://www.hi-ho.ne.jp/takayoshi/kaijo/2.html
1基地航空兵力を中心とする航空の飛躍的充実と、基地の要塞化

2洋上補給路確保のための海上護衛の重視

3潜水艦部隊の増強
0549日本@名無史さんNGNG
同期の草鹿仁一提督もイイ!
0550日本@名無史さんNGNG
井上の計画した重慶爆撃は平気で実施した日本軍も
ドーリットルの東京初空襲で大陸の浙江省に不時着したB−25の搭乗員8人が
捕虜になったが、陸軍は8人を非戦闘員殺害の罪で死刑を宣告した。
天皇の仁慈とかで、このうち5人は減刑されたが3人は刑を執行された。こうした
二重基準を重慶爆撃擁護者ははどう見るのかな?
0551日本@名無史さんNGNG
草鹿仁一てラバウルに置き去りにされた提督という以外
特にエピソードも聞かないが、何かあるの?
0552日本@名無史さんNGNG
>>550
現地の部隊長が勝手に行ったこと。陸軍全体の意志ではないので
二重基準ではないです。比較の対象が違います。もっと勉強してね。
例えば、沖縄戦で海軍の特攻戦隊の将兵が住民を殺害したという
例がありますが、軍令承行令に基づいた行為ではありません。
軍刑法で罰せられる犯罪です。海軍には兵科将校である現役士官しか、
指揮権はありませんし、民間人に命令する権限もありません。
組織の末端の新入りが行った過ちを、組織全体に
責任を求めるのは無茶でしょう。
遺族がより大きな責任者を求める心情はわかりますが。
0553日本@名無史さんNGNG
>552
>海軍には兵科将校である現役士官しか、
>指揮権はありませんし、民間人に命令する権限もありません。

全体的な趣旨は間違ってはいないけど、
階級と職権を混同してるきらいがありますな。
階級によらずとも特に命令で指揮権を与えられてしまう場合というのも、
辺境の小規模な部隊の場合ちょびちょびありますんで。
0554日本@名無史さんNGNG
自問自答?
0555日本@名無史さんNGNG
>552
現地の司令官が行った裁判だが、その後、捕虜の身柄は東京に送られ
この件の処置は陸軍省に判断を仰いだはず。東条は米国の報復(日本の
処刑)を恐れ反対したが、杉山総長や参謀本部はみせしめのため処刑すれば
今後、内地への空爆は減ると主張。結果、陸軍省が起草した軍律を遡及して
適用することで正当化された。
0556日本@名無史さんNGNG
本土空襲は陸戦法規違反だから死刑は当然である
0557日本@名無史さんNGNG
じゃ、重慶空爆を命じた嶋田(支那方面艦隊長官)も死刑だな、無期は何でや?
0558日本@名無史さんNGNG
犯罪になりません
戦争でないので戦時国際法の適用外です
0559日本@名無史さんNGNG
赤魔、返事が出来ません
0560日本@名無史さんNGNG
元帥海軍大将山本五十六
0561日本@名無史さんNGNG
暴支膺懲、圧政に苦しむ支那民族解放の聖戦を戦争でないとは
何と云ふ暴言、罰当たりな非国民でありませふか!
0562日本@名無史さんNGNG
戦争が法で裁けるなら、それは戦争で無くて競技だな。
重要なのは、中国人と米国人の待遇の違い。

中国人が野蛮略奪民族だったのが、双方の悲劇を呼んだ。
0563日本@名無史さんNGNG
支那事変中にも大本営は設置された
0564日本@名無史さんNGNG
シナと言へよ

大本営は事変でも設置できます
0565日本@名無史さんNGNG
http://www.globetown.net/~hatabou/zura.mpeg
0566日本@名無史さんNGNG
井上提督は東北人
0567日本@名無史さんNGNG
50年以上前の人間のくせに
俺より英語ができるとはなかなかやるなと思った
0568日本@名無史さんNGNG
英語は有用だが、学問ではない
0569日本@名無史さんNGNG
>>567
「大将進級の件に関する意見書」(井上が自分の対象進級に反対して
米内さんに提出した意見書)を見る限り、日本語力も
ほとんどの2ちゃんねらーより上だという印象を受ける。

ちなみに、この人は字もまた恐ろしくきれいだ。
0570日本@名無史さんNGNG
英語出来て日本語出来なかったら馬鹿
0571日本@名無史さんNGNG
私は、なぜこんなばかな戦争をやったか、ということを反省すべきなんだと思います。
この戦争は、しくじったとか何とかいう簡単な問題じゃないよ。単に作戦の失敗だけじゃないんだ。
悪いことをやったという、その反省の意味から、あなたの学校の高級の学生に
テーマを与えて、なぜこうなったかということをみんなで調査して、
みんなで寄り集まってディスカッションをやったらどうか。
(海軍大将井上成美 海上自衛隊幹部学校長との座談記録)
0572日本@名無史さんNGNG
幹部学校講話は読みたいが何処に在りますか
0573日本@名無史さんNGNG
山梨勝之進提督の幹部学校講話は良かった
0574日本@名無史さんNGNG
山梨大将は海自幹部学校講話で
「そのころ(明治30年代)、山屋他人さんが、いわゆるT字戦法を
編み出しました。・・・・・私は、山屋さんがT字戦法の最初の主唱者
であったと記憶しております」と語っているが・・・。
0575日本@名無史さんNGNG
そうだろうと思うよ
0576日本@名無史さんNGNG
晩年はギターを爪弾いたりなんかしながらほとんど無償で田舎の子供に英語を教えていたそうな。
戦争のことをああだこうだと語る旧軍人に対しては非常な不快を覚えていたらしい。
特に島田繁太郎とか。
0577日本@名無史さんNGNG
井上英語塾のミスター井上
0578日本@名無史さんNGNG
横須賀からバスで40分。
ここ長井の浜に、井上成美を下って訪ねて来る人が増えたと、地元の人は言う。
0579日本@名無史さんNGNG
下って → 慕って
0580日本@名無史さんNGNG
軍政家としての井上は秀抜だが、用兵はどうかな
海軍大臣適任
0581日本@名無史さんNGNG
海兵校長最適任
0582日本@名無史さんNGNG
一介の英語狂師
0583日本@名無史さんNGNG
>>580
それで十分だよ。
適材適所。
0584日本@名無史さんNGNG
充分だ、な
0585日本@名無史さんNGNG
4F長官、11AF、南東方面艦隊長官は不適任だったのかな?
0586日本@名無史さんNGNG
山本首相−井上海相
0587日本@名無史さんNGNG
軍務の方で評価されるべき人物。
0588日本@名無史さんNGNG
山本ー井上ラインでは、陸軍が陸相出さないから、当然ながら流産内閣
0589日本@名無史さんNGNG
おお、具体的だ!
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