最後の海軍大将 井上成美
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0001日本@名無史さん
NGNG0002日本@名無史さん
NGNG{:::::`rt'´::::}/,./,' l| || l.|l i l |;!
{:::::::H:::::::i !| l __」| |l l」|_ | l ト r、. n
`!ー1__fー' l.l.ヒlニ-┘`ー‐' `´ └'ヽ」l |′ | j丁| |
| l'r‐| f′ ,.==、 ,r=、/l ! /`\. !
l ハ. '1 l ィi:f;;:::!i |f;;:!|レ'l |'´ ヽ \
,l i `H l. ゝ二ノ , ー' トl !、 ! ├- '
. ,.l l ! l ト、 ┌‐ァ , イ l l l | ,. -′
/ l. l l ! r'ユ.‐- ..._ゝ.' <l ,ヘ,! | l l /
. / /! l. l. l. ! \ ヽ_>、 ! ./ l| | l / _/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ / .レ | r1 l `<´ l./ ̄i レi.l. lヽ \ 井上成美です。
,' / /l | l !/ l‐--f ̄ ̄`「|::::::::::j///! l. | l ヨロシク♪
. i ,' ! !l ,!l /l ,! | ,. l::::::::::::;.木‐<V´! NV \_________
l. N | /,'レi ヽ.l | ! , ゝ:;:/::::|。i:::、:ヽ\` `
0003日本@名無史さん
NGNG海兵の生徒らは、世の中に放り出された時に
一般教養は無くてはと、あの時代に
軍事学より普通学を優先させた男。
戦争は下手と言われたが、信念があったねぇ。
その海兵出身者が、日本復興に
どれだけ活躍したか。
0004日本@名無史さん
NGNG0005日本@名無史さん
NGNG外国語を使えない海軍士官などあるものかと英語の授業をやめなかった。
早く卒業させて第一線にとの中央の声に対し、もう戦争は負けだ、
兵学校の教育はむしろ戦後復興を担う人材を育てることだとの決意
を内心に秘め抵抗した。そのあとの海軍次官の時もそうだが、あの狂気
の時代に思考が客観的、合理的だね軍人の枠を越えている。
0006日本@名無史さん
NGNG香具師いる?
0007日本@名無史さん
NGNG0008日本@名無史さん
NGNG初めて知った時はそう読んでた
0009日本@名無史さん
NGNG0010日本@名無史さん
NGNG0011日本@名無史さん
NGNG0012日本@名無史さん
NGNG0013日本@名無史さん
NGNG0014_
NGNG教育参考館に掲げられた歴代大将を写真をさし、
「歴代大将は、みんな国賊だ。全部はずせ。」
と命令し、全部おろさせたと阿川君が言ってたよ。
0015日本@名無史さん
NGNG0016日本@名無史さん
NGNGhttp://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/from25to37ww2.htm
だが支那戦線では、我が陸海軍航空部隊が五月十五日から第四次奥地進攻作戦(百一号作戦)を発動し、
九月二十三日の我が軍による北部仏印進駐の頃まで支那軍民の反日抗日気運をみすみす煽り立てる
愚劣な重慶爆撃を連続反復し、−−−
0017日本@名無史さん
NGNG【上海4日共同】日中戦争中に中国重慶市で旧日本軍が行った「重慶大爆撃」の被害者や遺族ら10人が、
5月に日本政府を相手に、謝罪と3150万元(約4億円)の損害賠償を求める訴訟を日本で起こす方針を固めた。
「重慶大爆撃被害者親ぼく会」の王永鋼会長が4日、明らかにした。
王会長によると、既に訴訟資料などは整えており、近く重慶を訪れる日本側弁護士との間で日程などを詰める。
同親ぼく会の会員のうち、爆撃で家族を失ったり、自ら負傷したり、財産に損害を受けたりした
市民ら計373人が日本政府に損害賠償を求める意向で、今回の原告10人は第1陣という。
王会長によると、原告らはできる限り早い提訴を求めているが、訴訟費用が不足しているため、
早くても5月になる。同市内の企業などに寄付を求めて工面する方針だ。(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040204-00000172-kyodo-soci
0018日本@名無史さん
NGNG0019日本@名無史さん
NGNG0020日本@名無史さん
NGNG0021日本@名無史さん
NGNG君は。
あの作戦こそ勝利への正しい道だったのさ。
0022日本@名無史さん
NGNG0023日本@名無史さん
NGNG0024日本@名無史さん
NGNG0025日本@名無史さん
NGNG0026日本@名無史さん
NGNG0027日本@名無史さん
NGNG0028日本@名無史さん
NGNGというのが、メインだからな。
3人に関しては魅力的な人間なんだが、作品に関しては持ち上げ過ぎって
感がどうしてもいがめないので、小説という括りで読んだ方がいいな・・・
厨房時代に感化されたなー
0029日本@名無史さん
NGNG0030日本@名無史さん
NGNGアメリカの国力が強大でとてもかなわないなんてことは
狂信的な奴以外は皆知っていたことじゃないか。攻
0031日本@名無史さん
NGNG0032日本@名無史さん
NGNG(空母機動部隊の構想自体は小沢だっけ?)
軍人としては優れていたかもしれんが(でもい号作戦は駄目だな)
、政治家としては普通だ。
0033日本@名無史さん
NGNGある意味日本を救った一人と言っても
過言ではないだろう。
0034日本@名無史さん
NGNG果たして本当に救われたのかな?
0035日本@名無史さん
NGNG0036日本@名無史さん
NGNG井上が立派だったのは認める。
0037日本@名無史さん
NGNG狭量さが鼻につく。
0038日本@名無史さん
NGNG海軍の水兵なんて人間扱いされないもん。
0039日本@名無史さん
NGNG0040
NGNG取り上げられなかったけど・・・。
まあ取り合げられたとしても15年の段階だから戦争には
間に合わなかったけど。
0041日本@名無史さん
NGNG0042日本@名無史さん
NGNG計算尺持ち歩き、値段にいちいち文句言ってたので、計算尺ジジと嫌われて
いたらしい。
0043日本@名無史さん
NGNG間違いなく主流から外されるか、体よくお払い箱。なのに、海軍軍人あこがれの
GF長官まで成り上がった56は不思議だ!阿川の小説には作為と捏造が多過ぎる。
0044日本@名無史さん
NGNG脚光を浴びた海軍将官物語の一つでがせう。小説は歴史ではないんですだ。
0045日本@名無史さん
NGNGトラック島で、井上長官の主催で母艦搭乗員の慰労宴の席で和服姿の井上の袴に
T大尉ら数人からビールをかけられた。井上氏、唇を歪めたが黙っていたとか。
0046日本@名無史さん
NGNG商店街の嫌われ者。そんでもって、先日、車にはねられて大怪我。
0047日本@名無史さん
NGNG後任に小沢を乗せたらこいつも戦死した。
勘弁してよ。
0048日本@名無史さん
NGNG0049日本@名無史さん
NGNG連合艦隊の前は海軍次官だし、大臣は米内光政。で、転任の時大臣になったのは
同期の吉田善吾とくれば、別に不思議でもなんでもない。主流から外すもなにも、
大臣自身が買っていたわけだし。
正直、山本五十六は外すにはすでに偉くなりすぎていた、というのが実際の所で
はないかと思うが。
0050
NGNG山本は航空畑、軍政畑で当時の主流、砲術、水雷畑
からははずれてたでしょ。
次官からGF長官になるのも異例だったはず。
米内が右翼から山本を守るために海に逃がしたって
説がほんとかなと思うんだが。
0051日本@名無史さん
NGNG何を持って「主流」というかは人各々でしょうが、少なくとも山本五十六の経歴
は「主流からはずれた」という感じはしませんね。むしろ、赤レンガ組の超エリー
トという印象がありますが。
後、次官から連合艦隊/第一艦隊長官のパターンは、栃内曽次郎とか小林躋造と
いった前例があるんで、「異例」とまでは言えないでしょう。全部で二十数人しか
いない中で、少なくとも3人いるわけだし。
0052日本@名無史さん
NGNG0053日本@名無史さん
NGNG重光葵マンセー!
0054日本@名無史さん
NGNG0055日本@名無史さん
NGNGその外交官の怠慢のせいで対米宣戦布告が遅れ、結果真珠湾は騙し討ちに
なった訳だが…。
0056日本@名無史さん
NGNG終戦工作という命懸けの仕事を成し遂げた男達。
高木惣吉の井上海軍次官への報告は、全て口頭であったという。
どんな組織でも、全ての人材を使いこなすのは難しい。
0057日本@名無史さん
NGNG日本政府の摂るべき最も有利な政策、などと上司にだしながら、戦争末期から戦後に
かけて、そのスタンスを180度転換させ、あたかも初めから親英米派(穏健派)の如く
振る舞うような変節漢の書くことなど信じられるものか!他の高官の戦前の公的な発言
は、全て燃やしてしまったので、証拠がないのをいいことに勝手な捏造話がまかり通っている。
高木の発言や公文書はたまたま防衛研修所(名称変更?)に残っていたが。
0058日本@名無史さん
NGNG0059日本@名無史さん
NGNG栄達は当然。そういうシステムなんだもん。
井上も海兵では2位で卒業している。
0060日本@名無史さん
NGNGということで中将で海軍を追われている。主流から外れればハンモックナンバー
など意味がなくなるのも事実。このため、山本が条約派という色分けには疑問を
呈する研究者もいる。
0061日本@名無史さん
NGNG0062日本@名無史さん
NGNG塚原は、1連空司令官時代のs9年、中国空軍機の奇襲を受け、指揮所に集まっていた
司令官以下多数の幹部が戦死、あるいは負傷。塚原は左腕切断。
井上は、支那方面艦隊参謀長時代、s15/5〜9月にかけて実施した101号作戦に深く
関わっている。陸海共同作戦だが、海軍は54回出撃し、半分以上は重慶爆撃で1万d
近い爆弾を投下、多くの民家を焼き、多数の市民を殺傷した。
0063日本@名無史さん
NGNG官僚は追い越し禁止だから可哀想だ。
006462
NGNG0065日本@名無史さん
NGNG奇襲を受け、多数の死傷者を出したのは、昭和14年10月3日になっている。
0066日本@名無史さん
NGNG横鎮長官だった塚原は「おれは井上のせいで損した・・・」とぼやいたとか。
まぁ、わずか数か月で元大将になってしまったが。
0067日本@名無史さん
NGNG誰か詳しい人、教えてください。
0068日本@名無史さん
NGNG0069日本@名無史さん
NGNG0070日本@名無史さん
NGNG井上の部下を選ぶ目の確かさが分かる。
0071日本@名無史さん
NGNG年金貰えないのと同じだ
0073
NGNG馬鹿もいるしな。
0074日本@名無史さん
NGNG0075日本@名無史さん
NGNG0076日本@名無史さん
NGNGなるfほど
山本長官の命令を受けた第4艦隊の機動部隊は9日午前2時、全速力で南下
したが、もはやアメリカ機動部隊を捉えることはできなかった。山本長官
はその報告を聞くと直ちに第4艦隊から機動部隊を取り上げてしまった。次
に予定しているミッドウェー作戦の日が迫っていたためであるが、同時に今
一歩の詰めを捨てた指揮官に不満だったからである。
この海戦の被害は日米双方ともほとんど同じだった。味方の損害に捕らわれ
過ぎるとき、敵の被害は見過ごされ作戦は停滞する。日本海軍第4艦隊は戦術
に勝って、戦略に負けたのである。
0077日本@名無史さん
NGNGhttp://www02.so-net.ne.jp/~asai/database/tea/inouye2.html
0078日本@名無史さん
NGNG珊瑚海海戦(さんごかいかいせん)とは、1942年(昭和17)5月7日・8日
に珊瑚海で起きた海戦である。この海戦は、人類史上初の空母機動部隊同
士の海戦となった。
日本海軍はこの戦いで敵根拠地ポートモレスビー攻略を断念した。しかし
この判断は大きなミスであった、モレスビーが敵の手に残り続けたことで
日本海軍の根拠地ラバウルは敵爆撃機の航続距離圏内に残り常に敵の攻撃
にさらされることになったからである。日本海軍はこの結果ラバウル航空
隊が後方で編成および補給を行う際にこの戦いに関与できないトラックま
で戻らなくてはならず、大きなハンデとなった、さらにもしモレスビー攻
略に成功していたならば、ガダルカナル島方面への進出も史実よりよっぽ
ど楽に出来たからである。 太平洋戦争の敗因としてよくミッドウェー海戦
が上げられるが、珊瑚海海戦での敗北で日本軍の敗北は決定していたともい
える。
0079丘サーファー
NGNG0080日本@名無史さん
NGNG0081日本@名無史さん
NGNG0082日本@名無史さん
NGNG0083日本@名無史さん
NGNG・海軍省防衛
・岡田啓介首相(海軍大将)救出 →後、東条内閣を倒閣。(7.18.1944)
・鈴木貫太郎侍従長 救出 → 後、首相就任ポツダム宣言受諾。
終戦工作
・クーデターを抑えこむため、御前会議において2対2に持ちこみ、
天皇の御聖断により、終戦を決定。
0084日本@名無史さん
NGNG(攻略部隊)
重巡「青葉」「加古」「衣笠」「古鷹」、軽空母「翔鳳」駆逐艦「漣」
他、軽巡3、駆逐艦8、水上機母艦2、敷設艦1、輸送船12
(上陸支援、機動部隊)
空母「翔鶴」「瑞鶴」
他、重巡3、駆逐艦6、給油艦1
vs
空母「レキシントン」「ヨークタウン」
他、重巡7、軽巡1、駆逐艦13、水上機母艦2、油漕艦2
【日本側戦果】
空母レキシントン大破(後沈没)
空母ヨークタウン小破
駆逐艦一隻、オイルタンカー一隻撃沈
【米軍側戦果】
空母翔鶴中破
軽空母祥鳳、駆逐艦一隻沈没
0085日本@名無史さん
NGNGつまり互角の戦力で、敵空母を事実上壊滅。戦略的撤退(井上)
(ヨークタウンはエレベータ一基使用不能のままミッドウェーに緊急投入)
ミッドウェーでは、
優勢な戦力で、自空母壊滅。戦略的完敗(山本)
0086日本@名無史さん
NGNG珊瑚海海戦
第五航空戦隊
一航戦、二航戦からは一年生と馬鹿にされる存在であった。
ミッドウェー
第一航空戦隊、第二航空戦隊
ミッドウェーではかねてから日本軍の来襲を待ちかまえており、陸軍のB17も海上に
出して日本機動部隊を攻撃させるなど執拗に反撃を加えたが、日本機動部隊はかすり傷
もおわなかった。それは日本の零式艦上戦闘機(いわゆる零戦)の活躍によるところで
ある。来襲した米軍機を一切艦隊に近寄せず、多数の米軍機を撃墜した。陸上基地と空
母の航空戦では空母が不利だと言われていたが、その定説を覆す勢いで日本側は米軍機
を撃退した。
0087日本@名無史さん
NGNGようするに南雲司令部が馬鹿だったってことね。
0088日本@名無史さん
NGNGどんな組織でも、不満、不平が正しく伝えられ、それを組織改善に昇華できない上司は、
集団を率いることができない。南雲は、経験、情報不足だっただけとも言える。
http://www02.so-net.ne.jp/~asai/database/tea/inouye2.html
せっかく井上が史上初の機動部隊同士の戦いから得た戦訓
「敵雷撃機は2、3000メートルの距離にて雷撃するも、これは艦の操艦にて回避可能。
しかるに急降下爆撃機は思いも掛けぬところから現れるから、注意を要する。」
だとか上申しても聞く耳持たず、
「翔鶴発着艦不能、瑞鶴搭載機半減なるも、翔鶴航空隊を無傷の瑞鶴に登場せしめ、ミッド
ウェーに参戦させるべし。」
と言っても採用しないのだから救いようがない。米軍は珊瑚海で傷ついたヨークタウンを
完全修理に三ヶ月掛かるところを応急修理の三日間だけで済ませ、エレベータ一基使用不
能のままミッドウェーに投入してきているのだから、最初から意気込みが違うのである。
結局日本は参戦可能な空母が一隻、内地でお昼寝中だったのだから。
0089日本@名無史さん
NGNG0090日本@名無史さん
NGNG戦術よりも戦略の人なんだろう。
0091日本@名無史さん
NGNG0092日本@名無史さん
NGNGそれは海軍全体がそう思っていた。が陸軍の手前言えなかったのが・・・コラ、いそろくぅぅ!!!
しかもミッドウェーすら勝てなかったという体たらく・・・。
0093日本@名無史さん
NGNGタイみたいに、負けてばかりで勝たなくても一貫して国を維持している例もあるのだが。
0095日本@名無史さん
NGNG0096日本@名無史さん
NGNG0097日本@名無史さん
NGNG0098日本@名無史さん
NGNG0099日本@名無史さん
NGNG0100日本@名無史さん
NGNGつまり、文句なしの軍務畑のエリートだった。
つまり、一貫して人事的には高く評価されてきたわけよ。
一度だって左遷されたことはないと言ってよい。
0101日本@名無史さん
NGNG軍人の世界で薩長土肥が幅を利かせ、朝敵関係が睨まれていたのはせいぜい明治の話。
士官学校、兵学校の制度が軌道に乗り、成績上位者が出世する仕組みができる過程で、旧藩の関係は意味を失っていった。
それどころか、陸軍では、長州に対する反発さえ生じ、あべこべに山口県出身者を陸大合格者から排除するようにさえなったという。
そんなことなので、兵学校2番卒業(1番は皇族で、名誉の順位だったから、実質井上は1番)の井上が出世できないはずはなかったのだ。
0102日本@名無史さん
NGNG珊瑚海海戦後の兵学校校長などは左遷に入らないの?
0103日本@名無史さん
NGNGポスト的には十分格は高い。
そりゃあ、フネに乗っていくさをしたくてしかたがなかった人ならば、左遷と思うかもしれないが、そもそも井上は軍務畑なのだし、本人はまったく左遷とは思っていなかったでしょう。
現に、次の異動で次官になったのですからネ。
戦争がもう少し長引いて米内が体力的に持たなくなれば、本当に井上が海軍大臣になったということもあり得たと思います。
0104日本@名無史さん
NGNGどうみても左遷じゃん。次の異動で次官って・・・。
http://www02.so-net.ne.jp/~asai/database/tea/inouye4.html
米内は現役に復帰して海相に就任した。
2・26で九死に一生を得た岡田の心血
を注いだ末の、そして異例の現役復帰であった。
「岡次官をそのまま使いますか。」
と問われた米内は言下に答えた。
「一夜にして放逐する。」
0105日本@名無史さん
NGNG長州閥、薩摩閥、陸大閥の変移、詳しいよ〜。
海軍はわからんなー。
陸軍派閥略史
http://www.kokubou.com/document_room/members/kodama02.htm
田村の死、日露戦争を経て、英才児玉源太郎・井上光が死に、児玉の
目指した情報網の確立は途絶え、諜報の天才福島安正は実りのない次
長となる。更に下劣な寺内人事が横行し、戦史課の英才東條英教や、
名将黒木為驕E西寛二郎・小川又次等が相次いで予備・後備になり、
猛将野津道貫が死に薩摩閥は衰え、長州最盛の時であるが、湖月会の
結束以後、大山・児玉を除き、日露戦争の満洲軍総司令部のメンバー
は陸大出で固められ、この辺りから陸大卒の天保銭組が現れ始め、
無天組と区別がされ始める。
0106日本@名無史さん
NGNG百姓末裔ぽい気もするが・・・。
0107日本@名無史さん
NGNGむしろ練度の低い第四艦隊で、珊瑚海海戦を勝ってしまった事が、
日本海軍全体の傲慢になってしまった。
その結果、「井上は戦下手」という評価を下している
ということに気付く。
0108日本@名無史さん
NGNG藻前、それが釣りか。相当頭悪そうだな。知識ゼロか。
藻前が引用しているのは、米内大臣が岡次官を替えたことだろ。
岡ではだめだということで、井上を持ってきたんだろ。
それがどうして、井上が兵学校長から次官になったことが左遷になる根拠になるんだ。
兵学校長から次官は誰が見たって栄転だ。
0109日本@名無史さん
NGNG>>102-104
>>>珊瑚海海戦後の兵学校校長などは左遷に入らないの?
>>左遷というほどではないでしょう。
>>現に、次の異動で次官になったのですからネ。
に対して
>どうみても(兵学校校長は)左遷じゃん。次の異動で次官(になった)って・・・
0110日本@名無史さん
NGNG0111日本@名無史さん
NGNG分かった。分かった。
次官になるような人物が、兵学校長になること自体が左遷だったと言いたかったのね。
そういう趣旨なら分からないでもない。
文章がそういう趣旨には読めなかったヨ。
0112日本@名無史さん
NGNG>>104
井上の海軍兵学校長転出を決めたのは当時のGF長官の山本五十六
だけど、井上と同期の(海兵37期)草鹿任一の後任だから、
これを左遷人事と見る人が多いようだ。
ただ、ある人(本当に誰だかわすれちゃいました)の本では「対米講和を
する上で、井上は中央に必要な人材だから、山本が故意に井上を第一線から
離して、(戦死する事のない)日本国内のポストをあてがった」という話を
読んだ事がある。
同時に大将になった塚原243のように、「鎮守府長官」というような、
地位をもらえなかったのは、宇垣少将のように井上を「いくさ下手」と
けなす人が多かったから、無理があったのかな、と思います。
0113日本@名無史さん
NGNGこれで、このスレも書き込み甲斐が出てきたぞ。
>>112
漏れも、同じような気がします。
左遷といえば左遷の要素はあるかもしれないが、やはりいざというときに必要な人材を国内でかつ安全な場所で温存するために、兵学校長にという意識は当時の海軍幹部にあったと思います。
たぶん、鎮守府長官の方が上がりポストという面が強かっただろうし、いつでも動かしやすいポストということで兵学校長になったのではないかなとも思っています。
0114日本@名無史さん
NGNG「井上成美のすべて」という本で、日本海軍が米国海軍との
機動部隊同士の決戦で、対等に渡り合ったのは珊瑚海海戦と
南太平洋海戦のたった2回しかなかったことを指摘している。
自分も大学図書館で防衛庁編纂の珊瑚海海戦の詳細な
記録を見たけど、井上中将の指揮は「定石通りの指揮」という印象を
受けた。
0115112
NGNG0116日本@名無史さん
NGNGただでさえ異例の人事で米内が海相になったのに、
その米内が問答無用で井上を引っ張るという井上の次官就任のどこが、
順当な人事と言えるのか?という意味。
>>112
日本国内のポストなら、もっと他にいくらでもあるのでは?
0117日本@名無史さん
NGNG実際に指揮官として戦争のセンスがあったかどうかは別にしても、人柄自体がバリバリの水雷屋の将官などから受け入れられるとは考えにくい。
要は嫌われるというか敬遠される。
だから、人事としては、ああいうタイプは本当に優秀ならば軍務畑の王道を歩むし、たんなる偏屈であれば、学校の教官や燃料廠などの地味な分野に回されたと思います。
その意味で、兵学校長の人事が、人の目には、今の例えでいうと後者のパターンに見えた可能性はあります。
0118112
NGNG田中頼三も三川軍一もソロモン沖海戦で相当活躍したにも
かかわらず「戦意不足」と、当時の軍令部から批判を受けて
更迭されている。
じゃぁ、いっそのこと嶋田繁太郎や永野修身がGF長官だったら
相当のことをやってくれたんだろうな、と、
当時の海軍首脳に嫌味の一つもいいたくなる。
>>106「幕臣」の息子です。「仙台藩士」の息子ではありません。
0119日本@名無史さん
NGNG実際、本人は自分は教育者になりたかったような意味のことを晩年インタビューで話していたと思います。
ある意味では、本人にとっても次官就任は青天の霹靂で、もっと兵学校で若者の教育をしたかったのだと思います。
0120日本@名無史さん
NGNG中将クラスだともう限られているのでは。
鎮守府長官以外では、海大校長、‥‥あと何があった?
0121112
NGNGはずだけど、山本がどちらかに井上を配置したくても、
嶋田繁太郎が100%否認しただろう。
>>120さんの言うとおり、僕も海兵の校長以外では海軍大学校長
くらいしか思いつかない。あと、なんかポストあったっけ?
0122112
NGNG0123日本@名無史さん
NGNG鎮守府の長官は、地元の名士との付き合いなど「うまみ」がありますから。
つまり、井上の目には排撃すべき俗物が就くべきポストなのです。
井上の温存用には、やはり兵学校長が最適だったと思いますね。
0124112
NGNG米内さんは鎮守府長官経験者だけど、横鎮にいたとき、
井上成美が参謀長をしていた。
後に、米内さんが大臣になった後、大臣を井上成美に譲ろうとするけど、
断固拒否して、大将昇任の話も断っている。
鎮守府長官とか大臣とかそういうポストは嫌だったんだろうなあ。
あと、「井上成美のすべて」という本に井上成美直筆の
「大将進級の件に対する意見書」の写真がのってるんだけど、
本気でそういうのを自分で書いて大臣に提出する井上成美って、>>117さんの
言うとおり、一線部隊の指揮官からは嫌われるキャラだったと僕も思います。
0125日本@名無史さん
NGNGなるほどなー。凄く良く解かる。
いくら能力があっても、部下から嫌われちゃ指揮官としては駄目かもしれんなー。
(しかし書き込み師とは賑やかでいいものだなぁ。)
0126112
NGNG阿川さんの本にはそうあるけど、僕は疑問を持ってます。
なぜなら、井上成美の専門が海兵出身者には珍しい「航海術」だからです。
阿川さんの本によると、孫の丸田研一氏が屁をしたので、木か何かに縛り付けて
ぶったたいた、という逸話が出てくるが、当の丸田氏はそれを否定している。
阿川さんは提督三部作の中の主人公の中で一番井上成美を好きだったみたいだが、
米内さんのトラウトマン工作つぶしの話を書かなかったり、井上成美を
極端な人格の持ち主に描いているところが残念だ。
この点は「井上成美のすべて」で阿川氏への批判が、書かれていました。
0127日本@名無史さん
NGNG近衛も広田も末次もみんな興奮して交渉打ち切りだって言ってるんだよね。
何か裏がありそうな気がするんだが・・・
0128日本@名無史さん
NGNG0130日本@名無史さん
NGNG0131日本@名無史さん
NGNG0134日本@名無史さん
NGNGこういう言い方をすると、誤解が生ずるかもしれないけど。
でも、あの時代の人で例えれば、そうなるような。
あるいは、江戸時代なら、松平定信とかね。
どっちにしても、誤解されそうだな。
0135日本@名無史さん
NGNGちょっと違う感じもある。
漏れは、あいにく「山本五十六」は読んでないけど、「米内光政」と「井上成美」とを読み比べると、阿川が好きなのはどうみても米内だと思うよ。
阿川は、井上は人間性は流石に好きになれないが、識見は高く評価するという感じなのに対し、
米内は人間性も識見もとても高く評価しているという感じ。
とにかく米内の人間性はベタ誉め。姿勢もとても評価している。
阿川は、米内こそ海軍軍人の理想と見ているといっても過言ではない。
「井上成美」は、冒頭、井上を毛嫌いする旧軍人の声の紹介から始まっている。
全体に冷静に書かれた作品だよな(それがまた読み手としては快感なんだが)。
0136112
NGNG>「井上成美」とを読み比べると、阿川が好きなのはどうみても
>米内だと思うよ。
自分も「山本五十六」は立ち読みを数回くりかえして
読み終えたので、実はきちんと読破しきったとはいえないんです。
>「井上成美」は、冒頭、井上を毛嫌いする旧軍人の声の紹介から
>始まっている。全体に冷静に書かれた作品だよな
>(それがまた読み手としては快感なんだが)。
”草鹿の任ちゃん”(草鹿任一)が代表格ですね。
僕が、阿川が井上成美を3人の中で一番買ってると思ったのは、
「米内光政」の最後の締めの文章と「山本五十六」で諫言役として
阿川が井上成美に役回りを与えてるから、そう思いました。
他の井上成美関係の本を読むと、どうも2人の間には日本の降伏条件に
ついての差異があったようで、米内さんが「降伏後の国体の護持」を
絶対条件にあげているのに対し、井上さんは「国体護持ではなく日本国の
護持」と主張している。
0137日本@名無史さん
NGNG井上の厳しさがあるからこそ、彼の米内に対する目が甘く(優しく)なっているのかなという気もします。
その意味では、井上あっての米内だったのかもしれません。
0138112
NGNG兵学校時代の生徒がみな、海軍軍人(一部は兵学校生のまま終戦を迎えたが)
だったことからあまり触れられていないようですけど。
>>134「頭が抜群に切れ、真面目で理屈屋で融通が利かない」って印象
ですね。僕は海軍大学校教官時代に「井上大佐は推理小説を読むことや
将棋の名人を呼んで、戦略と将棋について考える事を薦めてくれた」との
沖縄出身の渡名喜守定元大佐が書いているのを見て、明智光秀よりかは
柔軟な印象を持っているのですが。
0139112
NGNGしてる井上さんを見てると、海軍時代とはなにか別人のようだ。
憑き物がとれた、というか。
それほど、海軍ではクラスヘッドとして重責を担っていたんだなー
と思います。
0140日本@名無史さん
NGNG嫌いどころか、恨んだかもしれません。
実際、彼が航空本部長時代にそういう逸話があるようですね。
その意味で、唯一といっていいほど井上を使いこなせた米内という人物は本当に立派であったと私は思っています。
逆に、米内海相も、井上のこれでもかこれでもかという講和への執念があったからこそ、最後まで頑張れたのかなと考えたりもします。
本当に、米内と井上は不思議な縁だと思います。
0141日本@名無史さん
NGNG開戦当初のウェーク島攻略にてこづって一航艦の一部を
借りてようやく占領できたってのが1番の原因じゃない?
みんなが勝ったのにウェークだけ失敗。
そこで浮いちまって「戦下手」って先入観が出来てしまった
のではないかと。
でも4艦隊って青葉とかの旧式巡洋艦の艦隊でしょ?
その辺は失敗の要因には関係なかったのかな?
あんま軍事的なことはわからないのでここんとこの
戦史に詳しい人教えてください。ウェークでつまづいたのは
井上のせいですか?それとも他の要因があったのかな?
0142112
NGNG不満だったようで、井上成美の大将昇進と次官から軍事参議官への転出は
1、米内さんが当時健康が悪かったため、次期海軍大臣に井上成美を
考えていたため、という説以外にも
2、終戦工作について井上と米内の意見が合わず、井上成美の大将昇進で
海軍次官のポストを取り上げるため
という話もあるそうです。
>>141詳しくは長くなるので書きませんが、ウェーキ島の米軍戦力を
大本営、軍令部が甘く見ていて、ロクな航空兵力無しで占領を試みたところ、
米軍の反撃をくらって、なんと戦闘機に駆逐艦が沈没させられてます。
で、強力な航空部隊を持つ南雲艦隊の一部を借りて、やっと攻略成功した事から
「航空(あるいは対空)能力のない艦船が、いかに空からの攻撃に弱いか」と
いう事例を日本軍が初めて体験した(はずの)戦闘、とされているそうです。
0143日本@名無史さん
NGNG0144日本@名無史さん
NGNG0145日本@名無史さん
NGNG所詮、未開の村社会ニダ
0146日本@名無史さん
NGNG軍務局第1課長時代
■海軍省構内にある東京通信隊に小銃を持たせる。
■軍事普及・宣伝の名目で戦車1台を海軍省に常置。
横須賀鎮守府参謀長時代
■砲術参謀を実情調査のため東京へ急派。
■掌砲兵20人を海軍省に派遣。
■緊急呼集。
■特別陸戦隊4個大隊2000名用意。
■軽巡木曾出港準備(特別陸戦隊が搭乗)
■麾下各部自衛警戒。
■岡田首相の救出
0147日本@名無史さん
NGNG0148日本@名無史さん
NGNG0149日本@名無史さん
NGNG0150日本@名無史さん
NGNGポストだったと思われ。
死に臨んでの最後の言葉が「海へ・・・江田島へ・・」というのはカッコ良すぎ。
っていうか、本当だろうか?
0151日本@名無史さん
NGNG古鷹商事(井上の兵学校時代の生徒がつくった会社)所有です。
0152日本@名無史さん
NGNG終戦工作に関して
この議題をテーブルに載せるまでの功績は、岡田・米内・井上らにも
あると思いますが、最終的に宣言を受諾し降伏するとういう部分での
最大の功労者は、自決した阿南陸相だと思います。
0153日本@名無史さん
NGNG0154日本@名無史さん
NGNGいわば無差別都市爆撃の鬼
ルメイの先輩
0155日本@名無史さん
NGNG陸軍の昼行灯
阿南の性格は実に温和であり、めったなことでは声を荒上げることはなかった。
天皇にとって最も親しく、本音を語り合える軍人が阿南だった。
不思議な人物だ。なぜ天皇を残して自殺したのだろうか。
0156日本@名無史さん
NGNGへぇ〜草鹿は悪いやつだなぁ〜
0157日本@名無史さん
NGNG全く誰も聞いてなかったみたいだな。
0158日本@名無史さん
NGNG勘違いしていた海軍軍人が多すぎ。
>>153
終戦までラバウル島を守りぬいた典型的な現場の指揮官だけあって、
同期の井上成美のことを嫌ったようですね。
0159日本@名無史さん
NGNG>重慶爆撃の推進者
>いわば無差別都市爆撃の鬼
>ルメイの先輩
ってのは井上成美のことね。
0161日本@名無史さん
NGNGhttp://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1057668155/
0163日本@名無史さん
NGNG以下は抜粋。長文陳謝。
・・・日本に進駐して半年も経った頃だろうか、同僚の一人が「クサカという
アドミラルを知っているか?」と聞いてきた。もちろん知っている。
草鹿任一、ラバウルで私の同僚、部下を多数殺した憎い敵だ。
「彼は今、日雇いの労働者として道路工事などで日銭を稼いでいる。彼の妻も
野山で摘んだ花や野草を売って生計を立てているそうだ」
私は心中、快哉を叫んだ。しかしその後で少し考えが変わった。
仮にも彼は一国のアドミラルだった男だ。そんな人間が手のひらを返したように
悲惨な暮らしを送っているというのはやはりよろしくないことに思えた。
「そうか。それではアドミラル・クサカを飢えないようにしてやろう」
私は復員局に電話し、善処するよう指示した。
それから数日経った頃、居室でデスクワークをしているといきなりドアが勢いよく開き、
ボロをまとった小柄な初老の日本人が血相を変えて飛び込んできた。
あまりの剣幕に私はデスクの引き出しから拳銃を取り出したほどだった。
「あなたはなぜ私を侮辱するのか!?私は誰の施しも受けない!特にアメリカ人からは
どんな情けも受けたくない!」
まくし立てると老人は分厚い封筒を床に叩きつけ、荒々しく部屋から出て行った。
私は激怒した。しかし落ち着いて考えてみると彼の行動は理解できるものであった。
私も彼の立場なら同じようにしただろうと考えた。
これがアドミラル・クサカと私の出会いだった。
0164日本@名無史さん
NGNG・・・しばらくして、私は先日の非礼を詫び、改めてアドミラルを
夕食に招待した。果たして彼は来てくれた。
しばし歓談して気づいたが、彼は実に英語が堪能だった。
夕食を終え、ワインを飲み干して彼は言った。
「本日はこのような席にお招きいただき誠に感謝に耐えない。と同時に
私の能力が至らなかったことを神に感謝したい。
なぜなら私の能力が充分であったならばあなたがたはラバウルの海に
散っているはずで、であれば今宵のような素晴らしい夕食に出会うことは
なかったであろうから」
0165日本@名無史さん
NGNG気骨だけではなぁ。まあ英語が堪能なのは評価に値するか。
良くも悪くも、プライドが高く、感情的っぽい。
0166日本@名無史さん
NGNG時として人間は感情的・非合理的な行動によって己の尊厳を保つ知恵ある動物なのだ。
0167日本@名無史さん
NGNG典型的な軍人て感じで、井上のような批判家とは合わなさそう。
0168日本@名無史さん
NGNG0169日本@名無史さん
NGNG文章秀才を、最前線にだしても勝てるわけはない。
年功序列と学歴尊重が、第二次世界大戦の敗戦を招いたし、昨今の
失われた10年の源にもなっている
0170日本@名無史さん
NGNG意地っ張りを高く評価するのは意地を張り通すことの難しさを知っている人間。
0171日本@名無史さん
NGNG往復ビンタをくらった。理由もわからないその殴り方はまことにひどいものである。
K提督が比較的英語が喋れる。見かねた提督がそのインドネシア番兵に対し、
特にいんぎんな調子で謝りながら話し掛けたのである。
しかしそれが却って彼を威猛高にしてしまった。乗船していたオランダ人が大勢見ていた
ので、それへの一種の気負いもあったらしいが、番兵ははじめ殴っていたH兵長から
急に矛先を転じ、提督に向かって襲いかかるようにビンタを取り出した。
坐ったまま黙って膝の上に手をついて殴られている白髪の頭が左右に揺れ、髪は乱れ、
汗が飛び散る。頬が赤黒く腫れてゆく。見るに忍びず、私自身あまりのつらさに目を閉じた。
尚もぴしり、ぴしりという音だ。胸の中が煮え繰り返るようである。
提督は「手を出すな」と小声で、目と共に合図しておられた。
かつてはラバウル方面軍の最高司令官であり、海軍兵学校長でもあった片だけに、
心静かに、屈辱にあえて耐えておられる。この場の様子は若き日の訓練時をも偲ばれ、
何か悲壮というか、崇高な、真の”武人”を見る思いであった。
0172日本@名無史さん
NGNGでは何で競う?派閥か?
ハンモックナンバーは、やる気と情報収集能力を測った結果。
(米内は低かったらしいが)
基準としてだけならば悪くない。
0173日本@名無史さん
NGNG海兵の成績が優秀な人たちだけではなかった。
あと、末次信正がなんで海兵の成績は目立ってないのに、何を理由に大将に
なったのか?レベルの質問には即答できるよね?>>169
0174日本@名無史さん
NGNG割合公平にやってたんだろ。
0175日本@名無史さん
NGNGハンモックナンバーが中より下だった米内が出世できたことは、ある種の海軍の良識の証拠だとも思える。
0176日本@名無史さん
NGNG米内は同期の主席、次席が「あいつは海軍上層部に
必要となる人物だ。俺たちが上に行くわけにはいかんぞ」
みたいなことを語り合って、自分達より米内が上にいけるように
したって話を聞いたことあるんだが、ほんとだろか?
0177日本@名無史さん
NGNG海軍軍人にしてはキザだといい評価があったほどで、一般には岩手県出身の鈍牛みたいなイメージがあるが、なかなか男前で、それで人気があったとか。
人間性もさることながら、そういう見栄の面での立派さでも得をしたようだ。
0178177
NGNG○ キザだという
0179日本@名無史さん
NGNG後、なぜ阿南が最後に「米内を斬れー」と言ったのだろう?
0180日本@名無史さん
NGNG特に意味はないっしょ。
0181日本@名無史さん
NGNG0182日本@名無史さん
NGNG> 後、なぜ阿南が最後に「米内を斬れー」と言ったのだろう?
今となっては誰も真相はわかんないね。
その言葉を直接聞いた竹下中佐は、酒の上での戯言だろうと言ってるけど、
竹下の立場や気持ちを考慮すると、彼の解釈には、何らかのバイアスが
掛かってるとも考えられるし。
0183日本@名無史さん
NGNG0184日本@名無史さん
NGNG米内は腹を切るつもりが無いということが美学的に許せなかったんでないかな。
天皇と国民と部下と、そして自分たちが一生をかけた組織、
そのすべてを欺いたという「つみ」に対しての身の処し方、とか。
0185日本@名無史さん
NGNGアメリカ様と戦して勝てると思い込んだ連中だろうがと。
先帝陛下だまして戦争いうのはいかにもで。
0186日本@名無史さん
NGNG別に腹切ってもおかしくない。
0187日本@名無史さん
NGNGもともと徹底抗戦派であった陸軍を率いていた陸軍大臣なんだから、その気になれば
陸軍大臣を辞職して鈴木内閣を倒すことも可能だったのに、ちゃんと大臣としての
責を全うして、和平の道を開いてから自決している。
彼の死を聞いて鈴木首相は
「そうか腹を切ったか。阿南という男は立派な男だな」と男泣きしたという。
0188日本@名無史さん
NGNG昇進に影響した時期らしい。
海兵の卒業席次が重視されるようになったのは、ワシントン軍縮後だそうだ。
(出典:熊谷光久『日本軍の人的制度と問題点の研究』国書刊行会)
0189日本@名無史さん
NGNGだからな、一概に善悪はつけられないが責任感はあったと思う
あの時、陸相が腹を切った事で陸軍も収まっただろう
0190日本@名無史さん
NGNG単なる命令だけでは底しない。電撃的ショックを必要とするのである。
全軍の信頼を集めている阿南将軍の切腹こそ全軍に最も強いショックを与え、
鮮烈なるポツダム宣言受諾の意思表示であった。之により全陸軍は、戦争継続態勢
からポツダム宣言受諾への大旋回を急速に始めた。 (後略)」
0191日本@名無史さん
NGNG素直に従えよ。天皇機関説支持の自由主義者の方が天皇に忠実じゃんか。
0192日本@名無史さん
NGNG「天皇が悪い側近に騙されている、真実の天皇の意志はゆがめられているのだ」という論理で
好き勝手やってきた方々に、真の忠義など期待できようはずもない。
彼らにとって天皇とは自分たちの暴走を正当化する「機関」に過ぎなかったのだ…
0193日本@名無史さん
NGNGむしろ継戦のため障害となる昭和天皇を押し込めて、皇弟を擁立する動きまであった。
立憲君主制であれば天皇であろうと内閣の決定には従わなければならず、昭和天皇も
そのルールを自ら遵守しようと努めていた。
御前会議で天皇の決断を求め、それにより国策を決定するというのは一時的に、
立憲君主制による内閣政治が崩壊したということである。
その時まで天皇が「朕が意思は降伏和平、ポツダム宣言の受諾やむなし」という
意思を公にしたことはない。
であれば、戦争に勝つために軍が継戦して勝機を見出そうともがくのは当然。
0194日本@名無史さん
NGNG0195日本@名無史さん
NGNG最後は天皇との個人的な絆が物言ったんだろう。
外地の軍人たちには、阿南自決の報は、玉音放送よりダイレクトに、
敗戦という事実を突きつけたと思う。
ちなみに米内も海兵の成績はもう一つだったけど、阿南も陸大の再審を3回落ちてる。
更にいうと、統帥部の2人は両方、大学校首席。
0196日本@名無史さん
NGNG内規が変更されたというのは本当?
0197日本@名無史さん
NGNGつ〜か東條と嶋田は何で切らねーの?
情けね〜。
0198日本@名無史さん
NGNGただし、戦争継続の目的である「国体護持」への目算があったワケでもない。
結局「やめよう」と言い出すことが政治力学上できない、という理由が最たるモノだったワケで。
すでに「勝つために」戦争をすることが無意味なのは皆分かっていたんだよな…
>197
東条は自殺しようとして失敗したワケだが?
0199日本@名無史さん
NGNG陸軍は、本土決戦に備えてかなりの戦闘機、戦車を国内に温存していた。
本土決戦で大々的に米軍を叩いて、日本軍の強さ、恐ろしさを見せ付ければ、講和(停戦)条件も少しは有利になるだろうという気持ちがあった。
だから、停戦に抵抗する気持ちが強かったといえる。
この点、海軍は、すでに戦闘能力を喪失していた(軍艦は、たしか長門しか残っていなかったよな)から、もう何を抵抗するか、というところがあったのだろう。
関心事は、もっぱら国体護持(天皇制存続)だったのだろう。
0200199
NGNGいずれにしても、空母も大半を失っており、航空戦力もわずかな国内の地上部隊だけで、もう海軍は人間集団としてのかたちだけの存在であったといっても過言ではない。
だから、最後まで抵抗した大西などは、もう陸軍と精神的に一体化していたのかもしれない。
0201=
NGNG戦局日に日に非ず(草案)-------米内
戦局必ずしも好転せず(修正案)---阿南
まあ、終戦の詔書で米内とバトルったからな。
現実主義者米内は、実際に負けてるんだから、負けてると書けと言い張り、
理想主義者阿南は、いや負けてない。まだ本土決戦はやってない。だから
書き直せと。米内もこれは大事なことだから、妥協できないと言い張る。
最後は、米内が折れた。
300万皇軍将兵が尊い犠牲を思う理想主義者阿南にとって
米内のこの対応がゆるせなかった。これが米内を切れ!
の言葉の発端であろう。
0202日本@名無史さん
NGNGつっても、天皇に「敵軍上陸地の防備はどうなってる?」と聞かれて返事できないような状況だったのだが。
「かなりの戦闘機・戦車」とはいえ、それで米軍に一戦挑めるというのは
客観的に見たら夜郎自大も良いトコという程度の装備しか無かった…
0203日本@名無史さん
NGNGだから大本営が早々に沖縄を見切り、本土決戦の準備を始めた事に怒り、
同郷の先輩である梅津と激しく論争した。
0204日本@名無史さん
NGNGやっぱり、軍人としては、最後までまだわが皇軍の戦闘力は十分に残っていると言いたかったんだろうな。
使い惜しみしていたわけだ。
それも、要は、最後まで自分達が「軍人」としてのプライドを維持したかったからだろう。
そうやって、ただでさえ少ない戦闘力を後回しをし続けていたのが陸軍だったといえる。
その意味では阿南はまだマシだったと言えるわけね。
0205日本@名無史さん
NGNG0206日本@名無史さん
NGNGまあ梅津というよりは第一部長の宮崎周一中将の考えだと思うけどね。
はやくから第一部長要員として期待されてた人だけど、人事の不手際で
支那にとばされ勘が狂ったのかな。
0207日本@名無史さん
NGNG何故、米内や永野はシナ事変にのめり込んでしまったのだろうか?
0208日本@名無史さん
NGNG少なくとも本土決戦至上主義みたいな神がかりではなかったかと。
しかし、そんな宮崎も、ある種エリートらしさがそういう消極さに出たのかもな。
0209日本@名無史さん
NGNG海軍は陸軍と戦いながら、アメリカとも戦っていたし、陸軍は中国や、東南アジアに兵を展開しながら、海軍と喧嘩してましたな。
あふぉな軍は、どこか違うよ。戦争に負けるはずだよ。
0210日本@名無史さん
NGNG定員も海兵の方が少なかったし。
全体に、将官については海軍の方がエリートだという認識があったようだ。
また、陸軍では兵隊の士気というものが組織維持に不可欠で、将官も兵隊思いというマインドが強い者が多かったのに対し、海軍では兵隊(水兵)は機械の歯車のようなもので将官からは人間扱いされていなかったという話もある。
こういう将兵の意識の差が、あちこちで出ていたんだろうな。
0211日本@名無史さん
NGNG0212日本@名無史さん
NGNG陸海軍の仲が悪いのは日本に限った事じゃない。どこの国も大抵仲が悪い
らしい。
アメリカも例外ではなく、陸軍がB29の開発に成功した際、海軍が提供を
要求したが、日頃からの反目もあって断られたとのこと。
つまらん書き込みする前に、もうちょっと勉強しましょうね。
0213日本@名無史さん
NGNG日本は、「全く」それがなかった。
大本営だって、実質は陸軍部と海軍部とに分かれていた。
そこが問題な訳で、それを単に仲が悪いのはどこの国でも同じだというのも、あまり説得力がない。
指摘するのは、ちと失礼だけど、許してくれ。
0214日本@名無史さん
NGNG0215日本@名無史さん
NGNGもし、統合されていたら本土決戦実行なわけで、それを考えるとマジで恐ろしいでつ。
0216日本@名無史さん
NGNG0217日本@名無史さん
NGNG性癖とかで
0218日本@名無史さん
NGNG日露戦争前ということで、しょうがなく児玉がそれを呑んだのが事の始まり。
0219日本@名無史さん
NGNG参謀総長が陸軍海軍持ち回りでやるポストだってんならともかく、
そうでないなら参謀総長の下に海軍を置くのは
海軍がそれなり以上の規模になってきたら、無理があるさね。
問題はさらにその上の意志統合機関をつくろうとせず、
さらに内閣が意志統合機関としての役割を果たすのを
昭和以後放棄してしまったこと、だろうに。
0220日本@名無史さん
NGNGさらにその上に文民国務大臣である防衛庁長官を置く、というかたちで
戦前の軍制の問題点を二重にカバーするかたちになってる。
0221日本@名無史さん
NGNG>指摘するのは、ちと失礼だけど、許してくれ。
いやいや、御指摘御尤も。
ただ、日本は「全く」それがなかったというのも、ちと語弊があるのでは?
アメリカとはシステムが全く違うとはいえ、両軍を統帥すべき機関として
(天皇機関説的にいえば)、天皇という存在があったのだから。
事実、極めて例外的ではあるが終戦の際は、その大権で以て全軍に停戦を命
じているわけで。
しかし、実際問題として、それまではそのような大権も有名無実の如きもの
であったのだから、「なかった」に等しいのだが。
0222日本@名無史さん
NGNG現在の統幕議長を「統合幕僚長」にするらしい。
で、統幕の定員も大幅に増加すると。
軍事ヲタク的には、陸海空が分かれている方が面白いが、やはり真面目な議論としては戦前の旧軍の反省に立って、あるべき形を作って欲しいと思うね。
0223日本@名無史さん
NGNG陸軍と海軍の仲の悪いのは、日本に限らずどこの国でもそうみたいで、
アメリカもマッカーサーとニミッツが交代で指揮を執ってたよね。
んで、陸軍から空軍、海軍から海兵隊みたいに組織にも影響している。
0224日本@名無史さん
NGNGマッカーサーとニミッツは交代ではなく、指揮範囲が重ならないよう、領域を南西太平洋と中部太平洋に分けた。
キンケイド指揮下の第7艦隊は、陸軍のマッカーサー指揮下にあって、栗田艦隊がレイテ湾突入か?というとき、
小沢艦隊を追撃するニミッツ指揮下のハルゼー第3艦隊がレイテ湾方面をガラ空きにしてしまい、
戦後もハルゼーとキンケイドとがお互いに非難し合った。
0225日本@名無史さん
NGNG旧軍じゃ、そんなこと「絶対に」あり得なかったでしょ。
0226日本@名無史さん
NGNG0228日本@名無史さん
NGNGわが日本の旧軍は、文字どおり足の引っ張り合い。
極端に言えば、こういう感じ?
0229日本@名無史さん
NGNG決して指揮官には向かない
0230日本@名無史さん
NGNG0231日本@名無史さん
NGNG岩手県出身者ばかりだな。
0233打通さん
NGNG叩きのめした、岡村寧次大将を置いて他にないだろ。
海軍はとにかく資産家の出が多いからな、見栄えはいいけど戦意は今一つ。
しょせん財閥地主のボンボン達に国の命運は任せられないな。
やっぱり貧しい小作人出身の兵隊が一番つよい。
朝鮮戦争で「チンピラゴロツキ」も撃破できなかった米陸軍なんて、目くそ。
0234日本@名無史さん
NGNGファシスト捕虜六十万の獲得と満州・朝鮮北部の産業施設の接収
という多大な成果を迅速に挙げた。
大祖国戦争においての経験が電撃的ファシスト粉砕という戦果を収めたのである。
0235日本@名無史さん
NGNG海軍航空隊の消耗度は激しかったが、同じ数の航空機を誇る陸軍航空隊は役立たずであった。
なぜか? 航続距離の短い飛行機しか持たなかった陸軍は航空戦に参加することが少なかったし、
陸軍の航空兵は目標もない海の上を飛ぶような技術さえ教わることもなかったそうだ。
隼を作る資材をもっとゼロ戦に投入しておれば、初期の戦闘は変わっていただろう。
また、陸軍は、海軍の協力を得たくないばかりに、戦闘艦を自前で建造したそうだ。
軍艦を持つ陸軍と言うのも奇妙な印象を受けるが、陸軍と海軍の間には、暗くて深い溝があったのだ。
0237日本@名無史さん
NGNG船舶兵部隊が使用していた輸送艦のことは知っているが、まさかこのことかい?
0238日本@名無史さん
NGNG親の話では横須賀で飛行機や空母(?)に乗ってたらしいがそれらしい人物知らない?
激しくスレ違いでスマソ
0240日本@名無史さん
NGNG本当に本気で調べたいのなら、水交社(海軍退役軍人の親睦機関)に問い合わせれば。
小林姓は多そうだから、一人への特定は難しいかもしれないけど、出身県とかが分かれば、何とか目星がつくんじゃないの。
0243日本@名無史さん
NGNGかわいそうなひいじいさんだな。
0244本多 大和守
NGNG0245日本@名無史さん
NGNG赤城って、横須賀鎮守府所属だったんですかねえ。
もしそうなら、その小林参謀が238さんのひいじいさんの可能性が出てくるね。
0246日本@名無史さん
NGNG後は水校社で訊ねれば一発じゃん。
0247日本@名無史さん
NGNG水交社だろう。
0248日本@名無史さん
NGNG0250日本@名無史さん
NGNG0251日本@名無史さん
NGNG0252日本@名無史さん
NGNGなんで固辞すると立派なんですか?
0254日本@名無史さん
NGNG0255日本@名無史さん
NGNG処遇改善に努力した、と語っていた。
0256日本@名無史さん
NGNG0257日本@名無史さん
NGNG0258日本@名無史さん
NGNGインタビューはテープ(録音)じゃなかったっけ。
0259日本@名無史さん
NGNG0260日本@名無史さん
NGNG0261日本@名無史さん
NGNG0262日本@名無史さん
NGNG0263日本@名無史さん
NGNGうむ。テープ。
ただ、国家観とか大局的な話を期待していたのに、
機関学校出身者の人事がどうとか、公務員の縄張り争い
みたいな話である意味がっかり。今の公務員と一緒で
微笑ましくもある。
0264日本@名無史さん
NGNGうむ。テープ。
ただ、国家観とか大局的な話を期待していたのに、
機関学校出身者の人事がどうとか、公務員の縄張り争い
みたいな話である意味がっかり。今の公務員と一緒で
微笑ましくもある。
0266日本@名無史さん
NGNG以外に優しい一面など、あの大村益次郎に似てると思うのは俺だけ?
戦略、戦術のセンスは村田先生には遥かに及ばないけど・・・
0267日本@名無史さん
NGNG後方であれこれやってもらった方がよかったかな。
0269日本@名無史さん
NGNGあの石原莞爾と井上成美でディベートしたら
理論で打ち負かすのはどっちだろう?
0270日本@名無史さん
NGNG情報収集能力に差がありすぎて、論争になるかどうか。
0271日本@名無史さん
NGNG戦後に米軍の審問を受けた際、Deutsch語
だったら出来たのに、と残念がってた。
0272日本@名無史さん
NGNGそりゃ板垣は天皇が認める馬鹿だからな。
馬鹿と秀才じゃ仲はよくないだろ。
0273日本@名無史さん
NGNG阿川君の本なんかを読んでもよく分からない。
米内に「一日も早く」とせっついたというのは分かるのだが。
0274日本@名無史さん
NGNG次官は秘書。つまり米内の行動管理かな。
0275日本@名無史さん
NGNG当時の日本は民衆をバックにした「陸軍の日本」とインテリをバックにした「海軍の日本」に分裂していた
とすると、井上はインテリの頂点?
0277日本@名無史さん
NGNG0278日本@名無史さん
NGNG>馬鹿と秀才じゃ仲はよくないだろ。
石原莞爾と板垣征四郎は仲良かっただろう。
0279日本@名無史さん
NGNGもし井上が部下に居たら、井上の云う通りに動くだろう。
0280日本@名無史さん
NGNGでも西郷、大山は地頭良いけど、この人は・・・
0281日本@名無史さん
NGNG0282日本@名無史さん
NGNG板垣は清濁併せ呑む大人だけど、欠点は濁を呑みすぎるところ。
後輩の今村にも「貴方はだまされやすい人だから」とくぎを刺されてる。
井上と揉めたのは日独同盟を巡っての話かな?
あれも幕僚に担がれただけで、本人はそれほど確固たる識見を
持ってはいなかったと思う。
0283日本@名無史さん
NGNGあれで益々陸軍の独断専行の風潮が強まった。
満州にさえ出なければ、あのソ連参戦での悲劇はなかったのに。
0284日本@名無史さん
NGNG嶋田だ。典型的な官僚タイプの軍人。
見るところない人だね。
0285日本@名無史さん
NGNGただしやる前にもっと国際宣伝をして、列国の同情を買わないと。
日本人の一番苦手な分野だけど
個人的には阿川三人衆より古賀の方が上だと思う>軍人として
0286日本@名無史さん
NGNG0287日本@名無史さん
NGNG珊瑚海会戦はほぼ痛みわけだが、残りの燃料や艦隊の損傷を鑑み
あそこで深追いしなかったのは、良い判断だったと思います。
0288日本@名無史さん
NGNG0289日本@名無史さん
NGNG0290日本@名無史さん
NGNG0291日本@名無史さん
NGNGジミーカーター自身も空軍士官学校だったかの卒業生だったが
大統領時代の政策は徹底したハト派 兼 財政出動積極容認派。
井上ってリベラルって呼ばれるけど要は親米ってことでしょ。
ここに戦時ではない平時を仮定してみる。
井上はほんとうに軍縮にも乗り気だったのか?
0292日本@名無史さん
NGNGリベラルってのは「右翼」「左翼」と同じように相対的呼称だから、
業績を絶対値的に数えても何の意味もないよ?
0293日本@名無史さん
NGNG理数に長けていて、諦めの良い人が海軍には多いけど、そういう点では井上も
その口なので、周りの人から見ると随分淡白な戦をしたものだと思われても仕方
が無いと思う。ただ戦の上手い下手で言えば、第4艦隊長官としての初陣である
緒戦のウェーキ島攻略で、敵情収集に淡白なところから始まって、多くのミスを
犯している。そして結局は第1機動艦隊に「帰りに大根を買って」帰らせること
をしてしまった。(南雲談)
軍縮についての識見は、かなり若年の頃からそれなりの見識を持っていたらし
いですが、同期の小沢治三郎のような知将・猛将と言うタイプではなく、腹芸を
使うような狡からいことはしないが、軍政将と言うタイプではないでしょうか。
0294日本@名無史さん
NGNGなかなかの卓見、かなり帝国海軍にお詳しいですね。
負けたせいもあるのでしょうが、昭和期の海軍軍人が
日本海海戦時の秋山、島村、加藤友三郎らと比較すると
何とも見劣りするのは司馬遼太郎の言う、人材の払拭期だったのか
それとも、相手にしたアメリカが単に強すぎただけなのか
ご意見賜ればありがたくぞんじます。
0295日本@名無史さん
NGNG21か条要求の海軍側黒幕はこの人でしょ。
0296日本@名無史さん
NGNG0297日本@名無史さん
NGNG徹底的に嫌っていた南雲に言われちゃ落ち込んだんじゃないかな・・・。
軍縮については嫌々ながらも認めていたが、軍部大臣の文民就任は拒否する
姿勢だったね。まあ、当時賛成していた軍人はいないと思うけど、疑獄事件か
なんかで政治家に対して不審感が相当強かったのかも。
0298日本@名無史さん
NGNG水雷屋の南雲が第一航艦の司令長官ってのが意味が分からん。
>294
大西、山口、井上、五十六、松永、三雲、小沢と(文字通り)腐るほど、人材は揃っていたのに・・・
0299日本@名無史さん
NGNGそうなんですよね、人柄としては立派な人は結構いた。海兵32期はもうほと
んどいなくなっていたけど、35期の近藤大将、高須大将なんてのも結構優秀な
人です。井上・小沢等の37期も目が潰れてしまいそうなぐらいキラキラだし、
山口多聞は40期最高の人、43期には有馬正文なんていう非常に勿体無い人も
いましたね。
でも、近代戦術を戦える人ってどれだけいました?山本五十六とか、大西瀧次
郎なんてのは情の人で、ちょっと冷静さに欠ける。小沢は頭は良いが、現実を直
視せずにアウトレンジ戦法と言うのは、黒島と大差ないご都合主義な自分勝手で
、秋山実之の最も嫌うところだと思うのですが。伊藤整一あたりもそんな感じだ
し、草鹿龍之介に至っては、刀剣キチガイで砲弾とかを刀で切るとか言い出しか
ねない人だしね。やはり人材払底期だったということでしょうか。
0300日本@名無史さん
NGNG_i_
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\,. -、 」、仁二 L l `ーiヾki´|`iー--,、 ,.. ‐'' "´´
| | ソ/ 〉/ー - 、、..ヽ_,__,.. - |ヾヽ -‐ ''"´,/ ''; ';:' ``_'ー-
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ヽ ,r''ヾ ''ー'´ヾ、;',y、 '',. 、,, ,. ー ''´ `'´ ''´
V-''´` ゙
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0301日本@名無史さん
NGNG陸軍、海軍の垣根を越えて言えば、大村益次郎、児玉源太郎、大山巌
山本権兵衛、東郷平八郎、秋山真之、島村速雄と世界に誇るべき将軍、提督が明治期には居たのに
昭和期は陸、海共に小粒で視野が狭い人物が多すぎる。
0302日本@名無史さん
NGNGぶっちゃけた話、日露期の軍人がWW2戦っても史実とまったく変わらん結果になるよ。
何故なら、日露期は政治の側がもっとはるかに戦いやすい条件を築いていてくれたから、さ。
日本海海戦なんか、ありゃあ戦術や兵器よりそれ以前の段階ですでに勝ちは決まってたようなもんだ。
長い航海で船足が落ち、兵は疲労しきって士気もガタガタ、機敏な艦隊機動なんか出来るわけもない状態、
こんな状態を作り出してくれたのは軍人じゃなく外務省の奔走のおかげであり、
ロシア国内に厭戦気分を作り上げてくれたのは海軍の勝利じゃなく革命焚きつけてくれた工作員のおかげなんだし。
そうした側面的支援をまったく欠いた状態で日露戦争をやってたとしたら、
秋山だろうが誰だろうがやっぱり敗れたよ。
0303日本@名無史さん
NGNG工業生産力が30倍も上では、国家総力戦のWWUでは話しにならない。
ただ
>日露期の軍人がWW2戦っても史実とまったく変わらん結果になるよ。
いや、秋山が参謀ならミッドウェーの戦いは勝てた。
局地戦では陸海共にもっと善戦しただろうし、インパールやノモンハンのような
馬鹿な戦いは、児玉や大山はしないはず。
そして、もっと早く講和の道を探ったはず。
0304日本@名無史さん
NGNGWW2自体やるはずが無かった。
石原は1936年の時点で統帥権干犯の大逆罪で死刑は確定だし、
日中戦争も起きず東西冷戦のはじまりまで大日本帝国は存続できていた。
三国干渉はハルノートよりはるかに道理の通らない無理押しだったにも関わらず、
「今はそれを拒絶し通せない」と踏んだら退くという常識が通った時代だったから。
0305日本@名無史さん
NGNGあれで益々陸軍(関東軍)の独断専行が横行し
辻や牟田口のように、自分の野望の為に国軍を私兵化する輩が出た。
辻や牟田口の対極が井上成美。しかし線が細すぎた・・・
0306日本@名無史さん
NGNG石原の能力は認めるが、法により罰を科さなかったのは拙かった。
結局石原の行為は黙認されたことになり
皆が真似をし、独断専行を許す結果となった。
0307日本@名無史さん
NGNGまともな戦争になったかもな。
0308日本@名無史さん
NGNG0309日本@名無史さん
NGNG全く同感です。明治の指導者、寺内正毅なんかではちょっと無理ですが、大山巌
や西郷従道、児玉源太郎や山本権兵衛、そして元勲伊藤博文などならば、世界の
模範児として国際世論の共感を得て味方につけ、それでもダメなら無理押しはし
ません。また、後年の陸軍首脳のように、自らの監督責任を問われるのを恐れて、
10月事件の長勇達を軟禁と称して妓楼に匿って、ますます増長して怪気炎を上
げさせるような馬鹿な真似はしなかったし、賞罰を明らかにしていたはずです。
(山県有朋の場合は、山城屋事件など明治当初から疑獄事件を起こしているので
、ちょっと疑問が残るが・・・)
事の是非で国の方向を明確化するから、そもそもシベリアの泥棒根性出兵や、
その失敗による世間の避難を浴びなかっただろう。(せめて木越安綱であれば)
となれば、陸軍において事の黒白が捻じ曲がることも無かったでしょう。そうす
れば異端児の理想家石原莞爾の暴走を許す土壌は醸成されなかっただろうし、そ
の石原の陰に隠れて悪事を働き、満州国の理想と言うものを更に捻じ曲げた、花
谷正のこそ泥も暗躍することは出来なかったでしょう。そうなれば国際社会の非
難を浴びることも無かったでしょう。勿論それ以前の河本大作による満州某重大
事件も起こらないか、起こっても犯罪の究明はしっかりと行われて、自浄してい
たことでしょう。ですから、もし石原が現れても、至急逮捕して裁判の下に粛清し
て自浄していたでしょうね。
そうすれば、中国との悲しい十五年も無く、それに付け入られたその後の太平
洋戦争も起こるはずは無いと思うんです。
0311日本@名無史さん
NGNGマレー沖海戦あたりで、小沢のかわりに秋山実之がでてきて、何ができると?
東郷平八郎なんか、海軍の近代化を阻んだ大御所なわけだが。
海軍大将を見ると航空分野と関係の無い、古い人間が多い。
とくに大角、加藤、末次、高橋から南雲等、数派は開戦時のお荷物。
堀悌吉、大西、小沢、井上、山口など、航空派をもっと早く引き上げていれば・・・
人材は揃っていたと思われ。ただ派閥争いで劣勢すぎて、使われ所が悪すぎた。
海軍大将77人
ttp://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub5-6.html
五人の高級士官座談会 だれが真の名提督か NEW
ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/jinjiotu/jinji2-annai.html
0312日本@名無史さん
NGNGあれって言うのは「乃木軍司令官のお許しを頂いて、不肖第3軍の軍議に与る
事となった。」ということですか?だとすれば上級司令官の大山巌の一札を懐中
に呑んでいたので、事務手続き上何の問題も無いとは思うんですが?
石原の場合は、関東軍司令官本庄繁は只黙認する他無く、肖像画を描かせに行っ
たりして、わざと作戦会議をサボタージュして参謀長三宅光治を苦境に追い込ん
だけだから、事務手続き上明らかに避難されるべきで、同列に扱われるのは、児
玉がかわいそうだと思うんですが。
0313日本@名無史さん
NGNG明治政府は英国の手のひらの上で誕生したようなものだから、
維新に関わった世代はそれなりに身の程をわきまえていただけ。
伊藤にしろ大山にしろ本質は泥棒根性。
昭和期にも良識のある政治家や軍人は腐るほどいたけど、
狂気を拡大再生産する歯車の前に為す術がなかった。
基地外陸軍と陸軍の独断専行を許す原因をつくった山縣が一番悪い。
0314日本@名無史さん
NGNG頭でっかちの奴らが大量に育成された。
数少ない生き残りは、ボケて使えない輩ばっかり。
日露戦争ってのは、アメリカ&イギリスの力を借りて、
やっと引き分けに持ち込んだ程度なのに、その教訓をしっかり後輩に教えずに、
いい気になっていた彼らを見ると、昭和期の軍人とそんなに変わんない気がする。
結局、明治期の軍人は引継ぎ作業を怠って、勝手に自社に変える
派遣社員さんみたい。
0315日本@名無史さん
NGNG官僚主義を近代以降の組織から無くすることは、組織論的に言えば不可能ですよ。
「いきすぎた官僚主義」が組織に害を為す、そういうものではありますが
それを是正する方法は組織内の自己改善ではなく、官僚組織の外部からの監視である、っつーのが
組織論を語るときの常識なんで……。
そして組織論を語るときのもうひとつの常識は、
「腐った林檎の出現を止めることはできない。
組織の機能性とは腐った林檎をいかに早期に発見し取り除けるか」、これ。
あなたの言い方だと、セクショナリズムが存在せず常に自己監視を行える「理想組織」が存在しうるかのような印象を受けますが
そんな人間集団なんつーのは本質的に存在し得ない類のモノですよ。
組織の優劣とは過ちを犯さないことではなく犯した過ちを早く改められるかどうかで決まるのです。
0316日本@名無史さん
NGNG乃木東郷は國の華!
0317日本@名無史さん
NGNG0318日本@名無史さん
NGNG明治期の東郷は慎重居士でバランス感覚の取れたすぐれた提督だったと思う。
加藤寛治や末次こそ海軍を駄目にした最大の元凶。
0319日本@名無史さん
NGNG陸軍と民衆を抑えるすべが無かったなー。
海軍が対独開戦でもぶちたてて、陸軍と相殺するくらいの政治力を発揮すれば良かったかも。
米国は、太平洋の対岸に大国が出現するのを、懸命に邪魔していた。
陸軍は、民衆の支持のもと、活躍する場を求め、大陸を席巻し、大東亜帝国を夢見、米国の邪魔に憤慨した。
海軍は、基本的には、政治介入を避け、政治決定がなされた時には全力を尽くしたら、開戦の片棒を担いでいた。
外務は、戦争が嫌で、三国同盟を進めたら、開戦の片棒を担いでいた。
内閣は、対中戦争に勝つために大政翼賛会を結成したら、世間が対米決戦に走ってしまい、開戦の片棒を担いでいた。
重臣は、テロが怖くて保身に走った。
天皇は、君臨すれども統治せずで、嫌々ながら議会決定を尊重した。
0320日本@名無史さん
NGNG「兵学校のな、生徒教育の本当の効果は、大体二十年後に現れる。いいか二十年後だぞ、井上君」
阿川の小説の中で一番感動した所、鈴木貫太郎は敗戦後の日本の復興も視野に入れ、この事を言う為にわざわざ江田島に来た。
0321日本@名無史さん
NGNGきちんといたと考える。彼らがトップにいれば、戦争の遠因となる
三国同盟に加わることはなかっただろう。
だけど、軍縮の時に上の条件を満たす、優秀な条約派を切りすぎたと思う。
0322日本@名無史さん
NGNGそれを伝え聞いた江戸川乱歩が大喜びした。
0323日本@名無史さん
NGNGなんで見事に繋がってしまうんだろう?
0324日本@名無史さん
NGNGこの2つでものを考えれば対米英戦は反対って考えに
至るでしょ。
0325日本@名無史さん
NGNG0326日本@名無史さん
NGNG0327日本@名無史さん
NGNG0328日本@名無史さん
NGNG実況スレ
G.I.ジェーン ◆ G.I.JANE
http://live8.2ch.net/test/read.cgi/livetx/1086844913/
0329日本@名無史さん
NGNG実況スレ
G.I.ジェーン ◆ G.I.JANE
http://live8.2ch.net/test/read.cgi/livetx/1086844913/
0330日本@名無史さん
NGNG日本海軍で「条約派ー航空派ー反戦派」と言える?
たとえば将官で生粋の航空派は、あの大西滝治郎以外にいる?
航空派といわれる有名どころを見ると、畑はそれぞれ、
山本五十六(砲術)、井上成美(航海)、小沢治三郎(水雷)、山口多聞(水雷)。
むしろ海軍の航空派士官には、藤井斉を筆頭に、源田実、板谷茂、小園安名、高橋赫一といった、
憲兵から危険人物視される人物が多かったようですが。
0331日本@名無史さん
NGNGそこまで生粋を追求したら、派閥抗争が語れないと思われ。
0333日本@名無史さん
NGNG日米戦反対を唱えた人間なら陸軍にだって何人もいる。
0335日本@名無史さん
NGNG自ら嶋繁を倒す位の野心ある人だったら・・・
0336日本@名無史さん
NGNG「井上成美のすべて」によると、
「村田重治少佐(58)、関衛少佐(58)高橋定大尉(61期)らが・・」
とあります。
この部分は海兵58期の方が書いてられるので、事実なのでしょう。
この本はほとんどの部分を海兵卒の方が書いてられますが、さすがに
この時の井上の態度には批判を加えています。
0337日本@名無史さん
NGNG山梨勝之進、左近司政三、堀悌吉、寺島健ら
ほとんどは大角海相時に予備役に入れられている。
艦隊派・・・軍令部系統
加藤寛治、末次信正、高橋三吉、南雲忠一、伏見宮
軍縮=軍人のリストラなわけですから、
「ほっとけば日本経済あぼーん、でも軍縮成立すればおれがあぼーん」
ということで、軍人連中は困っていた訳です。
そこに政友会(犬養毅ら)が、年金問題における管直人よろしく
統帥権干犯で民政党浜口内閣を攻撃したもので、海軍部内は大混乱。
結局伏見宮軍令部総長、東郷元帥を後ろ盾にした艦隊派が、海軍省のトップクラス
に詰腹を切らせたというところでしょう。
山本、井上はともに軍政畑も長く、航空本部長も務めているので、
「条約派−航空派」といっていいかもしれません。
しかし他の航空屋の将官(だけでなしに太平洋戦争時活躍した将官)のほとんどは、
ロンドン条約当時はまだ佐官クラスで、
現場部隊の指揮官・参謀か軍令部勤務あたりでしょう。
強いて色分けするなら心情的には艦隊派、
それか内心はともかく表立っては政治的見解を示していないものと思われます。
0338日本@名無史さん
NGNG昭和9年12月に予備役となる迄は、
かなり過激なロンドン軍縮反対派だったらしいけど。
だから条約派ではないんじゃない?
0340日本@名無史さん
NGNG記者の質問に対し、「日本が原則を譲歩するという事はできない。僕が代表で
ある限り、原則の譲歩は絶対にしない。これは僕の信念だ。・・・・・」
日本の主張は、これまでの比率主義を廃止し、一律総トン主義による制限方式。
結果は周知の如く、協定はならず建艦競争が激化して・・・・・。彼はかなりの強硬派。
0341日本@名無史さん
NGNG阿川が条約派と思い込むのもむりはない。
0342日本@名無史さん
NGNG0343日本@名無史さん
NGNG阿川によると、山本は航空派で、総トン主義など興味は無く信念でも無いと。
それに彼が居る時は交渉は継続し、彼が辞めてから交渉は決裂だったとなってますネ。
その辺はどう御思いになって?
0344日本@名無史さん
NGNG山本は望んでなったかどうかは知らぬが、航空部門勤務が多かったので
当然ながら、航空を擁護する発言が多かったはず。だからといって、
軍縮予備交渉で、海軍の総意に近い主張を否定するような動きはしない、
と思う。記者に対する答えは彼の本音ではないのか?
0345343
NGNG誰に対するレス?
0346日本@名無史さん
NGNG0347343
NGNG同意。本音じゃない気がします。
0348日本@名無史さん
NGNG0350日本@名無史さん
NGNG皇道派<<<「統制派」 >対立< 艦隊派(伏見宮) >対立<航空派
0351日本@名無史さん
NGNG0352日本@名無史さん
NGNG0353日本@名無史さん
NGNG彼ら戦争終結派の努力に対し、現代の日本人はもっと感謝せねばならん。
例え直接の玉音放送の引き金が、原爆とソ連の満州への参戦としても。
0356日本@名無史さん
NGNGボロ負けで戦力の無い海軍と陸軍を統合しようという話があったが、
米内井上がそれを妨害したことで、ポツダム宣言受諾派の頭数が少なくとも一つは増えたわけで・・・。
0357日本@名無史さん
NGNG頭数が一つ減っていたら、鈴木総理が「同数なんで、聖断をもって結論といたします」という
寝技が使えないので非常に困る。
むしろ、その前に多数決で本土決戦をすることに決まってしまうし。
0358日本@名無史さん
NGNGまあどちらにしても過大評価されすぎ>海軍良識派
0359日本@名無史さん
NGNG知多地方視聴覚ライブラリー協議会
http://www.chitakyoiku.ed.jp/avl/vtr%20itiran.htm
終戦工作の手始めとして、高木惣吉は東条内閣の打倒を目指しました。
しかし、サイパン玉砕後も東條に退陣の意志はありません。遂に東條の
暗殺を決意します。この覚悟が岡田海軍大将を始め多くの要人を動かし、
東條内閣は総辞職します。高木惣吉に柴 俊夫、その妻に石田えり。和
平の橋を命がけで架けようとしたドキュメンタリードラマです。
0360日本@名無史さん
NGNGこれは8月10日22:50の最高戦争指導会議の話ですか?
構成員とされる6人は、
鈴木首相、東郷外相、阿南陸相、米内海相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長だったと思います。
もし海軍が陸軍に吸収合併されていたら、
2−2になるか、作戦を指導する軍令部が残って受諾2−継戦3という形になるのでは?
あともう一つ
米内・山本・井上にレッテルはるなら、海軍良識派でなしに親英米派のほうが適当だと思いますが?
0362日本@名無史さん
NGNG海軍兵学校長海軍中将草鹿任一 作詞
佐波真 作曲
1、霊鷹峯に棲みしてふ
松もみどりの山を負ひ
水清澄の江田湾に
臨みて立てる生徒館
2、燦たり菊の御紋章
仰げば高し君の恩
朝な夕なに銘じつつ
海の守りの魂磨く
3、厳たり五条の御聖訓
附してかしこむ臣の道
日毎夜毎に念じつつ
ふねのいくさの技を練る
4、教ゆる人も学ぶ子も
心は同じすめらぎの
醜の御楯と誓ふ身を
鍛え鍛へむいざ共に
0365日本@名無史さん
NGNG0366日本@名無史さん
NGNG0367日本@名無史さん
NGNG親英米派というレッテルは違和感があります。
井上は、駐伊時代の経験から、イタ公は全く信用できず、
ドイツ人はまともだが、ヒットラーは黄禍論以上の差別主義者で
絶対組むべき相手でないことを主張しています。
この時に、イギリス人の方がよっぽど信用できる、とは言っています。
しかし蒋介石及び宋美麗にたぶらかされて援蒋を続ける英米に大きな怒りを表明しています。
また、重慶爆撃の頃、すでに間接的に米軍とも戦わざるを得なくなり、
その米軍のずるさを糾弾しています。
(もちろん、直接戦闘は絶対避けていますが・・・・)
彼は、英米との戦争は絶対勝てる見込みのないことから不可とし、
外交交渉をとことん続けるべきとした良識派であり、
決して親英米であったわけではないと思います。
山本は駐米時代に多くの米軍提督と友達になり、米国の強さをよく理解してましたが、
だからといって、やはり親米派とは言えないのでは。
米軍に一泡ふかすことが、彼の生き甲斐だったような気がしてならない・・・。
まあ、井上の突き上げを認めて、3国同盟を反対し続けた点は、明らかに良識派と言えるが、
バクチ好きの性格から来る、強硬派の行動も多くあった。
米内は、良識派としか形容できないと思う。やはり駐露経験の影響は感じられず、
どこかの国にシンパを持っているという印象の行動はほとんど無い。
0368日本@名無史さん
NGNG伝記刊行会の『井上成美』に書いてありますが・・・
日独防共協定、最初の日独伊3国同盟、実際に結ばれた3国同盟は、
仮想敵国が違うので、同列に扱うのはいかがなものかと・・・
特に後2者はほとんど別物
締結された3国同盟は、ソ連まで仲間に引き込む4国協商が視野に入ったものですから
0369日本@名無史さん
NGNG28日 進歩党の代議士が質問にたった。
昭和15年2月2日に支那事変に対する政府の無策を批判する演説により除名処分を受けた斎藤隆夫である。
昭和6年の満州事変から、軍人が政治に干渉し、その弊害留まるところなく今日の悲運を招いた軍部大臣と
合いまみゆることは陸海軍省廃止と決まった今日、これが最後と思われた。それゆえ、あえてこの機会に、
なぜこのような事態を招いたのか大臣の所見をお聞きしたい…と。
この質問に対し、最後の陸軍大臣・下村定陸軍大将が答弁にたつ。
戦後はじめて、自らが犯した歴史的罪業について、当事者たる陸相が説明するのである。
それこそ満場水をうったように静まったという。
「いわゆる軍国主義の発生につきましては、陸軍内の者が軍人としての正しきものの考え方を誤ったこと、
とくに指導の地位にあります者がやり方が悪かったことと、これが根本であると信じます。
このことが内外のいろいろな情勢と、複雑な因果関係を生じまして、ある者は軍の力を背景とし、
ある者は勢いに乗じましていわゆる軍国主義の発生につきましては、陸軍内の者が軍人としての
正しきものの考え方を誤ったこと、とくに指導の地位にあります者がいわゆる独善的な、横暴な措置を
とった者があると信じます。ことに許すべからざることは、軍の不当なる政治干渉であります。
かようなことが、重大な原因となりまして、今回のごとき悲痛な状態を、国家にもたらしましたことは、
何とも申し訳がありませぬ。」
そういって陸相は深く頭を下げた。
0370日本@名無史さん
NGNG「私は陸軍の最後にあたりまして、議会を通じてこの点につき、全国民諸君に衷心からお詫びを申し上げます。
陸軍は解体を致します。過去の罪責に対しまして今後、事実をもってお詫び申し上げること、
事実をもって罪をつぐなうことは出来ませぬ。まことに残念でありますが、
どうか従来からの国民各位のご同情に訴えまして、この陸軍の過去における罪悪のために、
純忠なる軍人の功績を抹消し去らないこと、ことに幾多戦没の英霊にたいして、深きご同情を賜らんことを
この際切にお願いいたします。」
声涙下る陸相の「過去の陸軍を代表して率直にその過誤を陳謝された名演説」は多くの議員を感動せしめ
粛然となった議場より、もう良い、とやさしく陸相の発言を止めようとする声もあがったという。
2日後の11月30日 内地復員を終えた陸海軍省が廃止、
残務整理と外地からの復員業務のための復員省ができる。
この日下村陸相は宮中に参内、復員が順調に進んでいることと、改めて敗戦のお詫びを奏上した。
8月15日以来背広姿であられる天皇は、この日、久しぶりに大元帥服をお召しになった。
ほんとうにご苦労であった。
と大元帥陛下は勅語を賜り、最後の儀式は終わった。
ただちに天皇は軍服を背広にお召し代えになった。大日本帝国陸海軍は永遠に姿を消した。
0371日本@名無史さん
NGNG陸軍にだけ詫びさせておいて、知らん顔の海軍は品性下劣。
0372367
NGNG資料をよくご存じのようですので、言うまでもないことですが・・・
井上が日独防共協定に賛成したのは、国際連盟脱退後の孤立状況を憂えてのこと。
満州からノモンハン(これは極秘だったようですが)へ突っ走る陸軍の、
当座の敵であるソ連を牽制できる唯一の手段として、
嫌な相手とでも協定として組むしかない、と考えたためです。
「マインカンプ」を原書で読んでいた井上は、ヒトラーにかぶれる、
海軍の石川以下の第1委員会をたしなめて、
ナチスは信じられないと何度も表明し、
自動参戦条項のある同盟には絶対反対の立場を取りました。
ソ連を相手にする協定が、対英米も含む軍事同盟になろうというわけですから、当然承服できるわけもない。
結局、ドイツを信頼できないと考えていた井上の読みは当たり、
ドイツはいきなり独ソ不可侵条約を結び、
日本の軍人・政治家の全ての期待を裏切った。
平沼の総辞職の時の言葉は非常に有名ですが、
ある意味、日本の外交力の非力さというか、人の良すぎさに、
今さら呆れざるを得ない。
最後の実際の3国同盟は、井上は一切関与できなかったが、
自動参戦条項が消えたことで、成立を許してしまった海相に噛み付いてますね。
既に開戦している当事国と軍事同盟を結ぶことは、
そのような自動参戦条項の内容以前の問題であって、
英米に宣戦布告しているに等しいと。
井上は、このようにそれぞれの協定・同盟に対して、
状況に合わせて最善の対応策を建議しています。
小生も、これらを混同して書いたつもりは無いのですが・・・
0373日本@名無史さん
NGNG下克上により、政府方針をねじ曲げて、政治を独占した陸軍は、
謝ったところで、その罪は消えない。
海軍は、その補翼責任を全うできず、大敗を招いた責任はあっても、
政治への著しい干渉は、陸軍とは比べようもないほど少ない。
謝りようがないでしょう。
0374日本@名無史さん
NGNG阿川の「米内光政」じゃ、下村陸相の答弁の後に
米内海相の答弁が当然あると思ってた議員達が
かなり憤慨して、のちにこのとき何故答弁に立たなかった
のかと誰かが聞いたら米内は「国会の議録を良く見てごらん。
質問者の指名は陸軍大臣だけであって海軍大臣とは
言ってないんだから僕が答弁するわけにいかないじゃないか」
とか言ったとか記述があるんだが、これは作り話?
0375日本@名無史さん
NGNG海軍の対中国政策は陸軍のそれと比べ穏健なように見えますが、
第二次上海事変は海軍がむしろ積極的な姿勢を示しています。
また、日中戦争中の「蒋介石を相手にせず」声明が出たときの大本営政府連絡会議で
中国側との交渉継続を主張する多田参謀次長に、米内が内閣総辞職をちらつかせて
抑えつけたといいます。
日本の武力による対中政策が、日本を太平洋戦争へ導いていったのは、まあそう
間違いじゃないでしょう。
米内・山本・井上は武力的な対中国策をとる陸軍に対しては否定的な見解はとっているものの、、
中国との和平交渉に対して関与したり、同意したような文書・発言は
あまり聞いたことがありません。(上記の例やら、重慶爆撃やら陸軍に相乗り
しているのでは?というようなのは見かける)
日中戦争を泥沼化させ、太平洋戦争へと導いていった責任の一翼を担っていると
思えますので、良識派という言い方には抵抗感がありますね。
0376日本@名無史さん
NGNG昨今の公務員並みに無責任ですな。流石低能トーホグ人。
連帯責任(むしろ対米戦争は「海軍の戦争」と言えるので敗戦責任は陸軍以上)がありなが
ら何ら恥じることなく陸相答弁を聞いていたわけだ、この恥知らずは。
0377日本@名無史さん
NGNG下村陸相の答弁の意味がまるっきり分かってないのですねぇ……
>376
「戦争に負ける」ことと「負ける戦争を推し進める」こととは別。
この違いがわからん奴は歴史を語るな。
0378日本@名無史さん
NGNG陸軍の暴走をとどめる最後の防波堤として海軍に期待していた人々がいたわけで、
それに応えることができずに日本が敗戦を迎えたことに責任を感じて
戦後井上は長井に隠棲したわけですよね。
海軍の戦争責任を痛感するからこそ、井上は戦後及川や沢本らを直接問い詰めたわけですよね。
・・・そこに下村陸相ですか・・・しかも誰が見ても煽りとわかる>>376に釣られて・・・
0379日本@名無史さん
NGNG井上信者、キモいよ。(w
0380日本@名無史さん
NGNG0381日本@名無史さん
NGNG井上より先見性があり、日本の将来に命を懸けた人物はいない。
0382日本@名無史さん
NGNG今の野党の様に無責任に好き勝手の言える時代じゃないんだから。
また米内が多少の陸軍への迎合の姿勢を見せたのも政治的に仕方ない所もある。
0383日本@名無史さん
NGNG石原莞爾には「陸軍が強盗なら海軍は巾着切り」と言われたし、
海南島攻略で英仏と直接ぶつかる方向へ日本を持って行ったのは、
他ならぬ米内海相。
一時期、昭和天皇に「米内は気が狂ったか?」と言われたとか。
0384日本@名無史さん
NGNG0385日本@名無史さん
NGNG撃沈または拿捕されたので、船が一隻もありませんでした
戦後は大戦を勝抜いた旧我大日本帝國海軍の優秀艦艇を貰って再建しましたが、全海軍の總旗
艦「丹陽」からして、昭和15年に竣工した我「陽炎」級駆逐艦「雪風」です
因みに「雪風」は不沈を謳はれた名鑑で、中華民國海軍はこれを昭和40年代まで重用し、練
習艦を経て解体しました
日本側が買収して記念艦にしやうとしたら、シナ人根性でわざと妨害したのです
「雪風」は支那海軍なんか全然相手にしてなかったので、随分な逆恨みです
大戦で我を痛打した米海軍の名艦が米國で記念艦になってゐるのを、我々は嘉しこそすれ、文
句は無いんですが、そこが浅ましいシナ人根性なんでせうね
0386日本@名無史さん
NGNGソース出せ。露ほども信じられない。
0388日本@名無史さん
NGNG海軍の選択
http://miyajee.e-city.tv/kaigunnosentaku.html
0390日本@名無史さん
NGNG彼らは基本的に機会主義者だよ。
0391日本@名無史さん
NGNG由来青島、アモイ等の例の如く、海軍は極端なる占領地方式を採るの傾向あり。
又日支新関係調整方針の審議に表れたる如く、政治経済の前面に亘り権益を
設定せんとの嫌いあり。和平解決のため甚だしき障碍となるを以って、
戦争指導当局は極力之を阻止し来りたるも、陸海協調の義理もあり、其の目的を
航空作戦及封鎖作戦の基地設定に限定し、将来政治及経済問題に関連せしめざるの
一札を入れしめ、作戦当局は1月19日第二十一軍をして、海軍と協同し海口附近の
要域を攻略せしむるの処置をとる。
(註)後海軍は約束を無視し、政治及経済問題に亘り全面的に進出す。
0392日本@名無史さん
NGNG政府の同意を得ておくことが必要であるので、この点に関しては五相会議で
米内海相から前後何回か提案し、ついにこの会議の了承するところとなった。
14年1月10、11日両日の五相会議で、最終的の話題となったが、まだ決定まで
行っていなかった。この日軍令部作戦課は、既に五相会議の了承を得たといって
御前会議開催の準備を進め、参謀本部作戦課に連絡したので問題となり、
稲田作戦課長が軍令部の草鹿作戦課長に抗議を申し込む一幕もあった。
とにかく海軍の海南島占領の執念は強いものであった。」
0393日本@名無史さん
NGNGそもそも軍隊が政治不在で国家戦略を論じること自体、変なんだが。
0394日本@名無史さん
NGNG0395日本@名無史さん
NGNG油が欲しくて南にいって、禁輸を食らったってそんなアホな話はないよ。
0396日本@名無史さん
NGNGそのまま陸軍にも当てはまるんだが。
陸軍はどうして北進したかったの?
そもそも軍隊が政治不在で(ry
0397日本@名無史さん
NGNG/ 丶、
r'" _,,......_ \
l ,.ィr‐ァ-.、 `ヽ、 ヽ、
〉" / /ト、 ミヽュ、ヽ、 i
// l! /|l|ヾヽヽヽヽ `ヽ、 | 英霊のご冥福をお祈り致します
レ! ! :l! lr=, `ヾ,rf==ミ ヽ \ ノ
|!| l、 |' i::;;! l !: ;リ|ト、ヽ ヽ
|ハゞ;! `´, `~´ ;! | |l ヽ ヾミ;、
|l ト、ゝ、 ー ,,.ィ | |トl ヾ、 ヽ
ハ'; \ト` ーr‐ ",./''^!ノl l!\、!ヾヽ、
" ` ,レ((y'´ ,.イ' \
,rク´,.ィ~;V^ヽr'´ ,.==\
/ < "ノく: ミヽ ,:;'" ヽ
0398367
NGNG上海事変以降の海軍積極行動は、政府方針ですから当然です。
上海事変は、蒋介石側からの上海空襲という、宣戦布告に等しい
挑発から始まったもので、本当の意味の日支戦争の開始点。
作戦行動として、海軍が陸軍と共同して、南京攻略、重慶爆撃を進めるのは、
積極的行動というのではなく、純粋な戦闘行為です。
そもそもまともな政府の存在しないシナを相手に、粘り強い交渉を続け、
事変の度に講和を達成して、そのたびに裏切られてきた日本は、
その対支政策においては、海軍のみならず陸軍までもが良識派の部類に入る。
幣原外交のような単なる譲歩外交では、シナは増長するだけで、
テロの続発を招いて国益を損ねただけ。
結局は満州事変のような強硬策への暴走を招いてしまった。
対支外交においては、協調外交をすることが良識派とは言えない。
あと、トラウトマン工作について、
米内は、蒋介石と親交がありましたが、西安事件以降の蒋介石を
信頼していなかったのだと思います。
それまでは、表面上も本音も親日・反共であった蒋介石は、
張学良の寝返りを目の当たりにして、抗日戦争に自らの生き残りをかけるしか無くなった。
さらに抗日戦を支援してくれる英米の金のあじをしめた。
そのことを米内はじめとする海軍首脳は見切っていたのではないでしょうか。
つまり、蒋介石と講和しても、同じ事の繰り返しで、
また第3次の上海事変が勃発するだけ。
シナ側は戦争を泥沼化させればさせるほど得をする構造となっていた。
米内としては、蒋介石を徹底的に叩くしか、
シナに抗日・侮日政策を止めさせる手は無いと考えていたと思います。
(もちろん推測ですが、合理的な行動の説明にはなります。)
0399367
NGNGこの意見、常識となっているのですが、実際はそんなに単純ではなかったと思います。
海軍の南進論は、建前上も本音も、英米の援蒋ルートの撲滅でした。
フィリピン、仏印、蘭印から広東へのルートを断つには、海南島確保が絶対必要であった。
それに成功したあとは、しつこく続く仏印経由の陸路を断つために、
北部仏印進駐が必要となり、ドイツ快進撃による仏弱体化の漁夫の利もあって、
外交交渉により進駐に成功した。
これに対して、屑鉄禁輸で対抗してきた米国は、明らかに行きすぎの政策。
ただでさえ関税高騰でブロック化しきっている経済圏を狭め、
日本に、ほらかかってこい、と言わんばかりの手段でした。
これに対して日本は自重。(国内世論、海軍強硬派は、即時対米開戦を主張)
ただし、続く南部仏印進駐は、結果的に非常にまずい政策となった。
これも、当初の目的は援蒋ルートの完全撲滅であったが、
既に英は対独戦に手一杯で、蒋介石のことにかまっている暇はなし。
仏は占領下にあり、仏政権との外交交渉と言っても、
日本の行為はほとんど火事場泥に近かった。
さらに、これに対する米国の対応は、予想を超えた強硬策の石油禁輸であり、
ほとんど宣戦布告と言えるものであった。
井上は、この南部仏印進駐直前に、その噂を聞きつけ、
わざわざ重慶の作戦本部から、空路で突然帰国し、
海軍政策部門のトップと幕僚に「まさかもう一つの作戦などしないだろうな」
と念押しに行っています。
この時は、幕僚にごまかされてしまいますが・・・・
海軍幕僚達には、この南部仏印作戦は日米戦に結びつかないとするものと、
すでに日米戦は避けられずあきらめていたものがいたとのことですが、
この作戦こそがターニングポイントとなると読んでいた井上は、炯眼であったと思います。
0400日本@名無史さん
NGNG0401日本@名無史さん
NGNG南部仏印進駐は言い訳の仕様がないよな。
0402日本@名無史さん
NGNGわざわざ重慶の作戦本部から、空路で突然帰国し、
南部仏印進駐は昭和16年7月末だが、この直前といっても、井上はこの頃
航空本部長(s15/10)、第4艦隊長官(s16/8)で、重慶にはいない。
だから、この記述には基本的な誤りがあり、これ以外の記述も信頼できない。
0403日本@名無史さん
NGNG0404日本@名無史さん
NGNG視野に入れていたから、このような甘い条件を呑むはずがない。
蒋介石が華北の主権保持の要求に対し、閣議では、広田外相、杉山陸相、
近衛らが、「大体、敗者としての言辞無礼なりとの結論に達し、その他
みな賛同せり」(堀場一雄著『支那事変戦争指導史』と強気で、新たな
日本側の要求(満州国の承認、日本占領地を非武装地帯にする、賠償の支払い)
が加わり、まとめる気などサラサラなかった。
0406日本@名無史さん
NGNG元大将で優雅な晩年送れたのが負け戦でパー。そんで、対米戦
始めたヤシに八つ当たりしてる。自分だって結構シナ相手には・・・。
0407日本@名無史さん
NGNG0409日本@名無史さん
NGNG正真正銘のムノウ人物みたいだが?
0410日本@名無史さん
NGNG砲撃した
その間、シナには一隻の軍艦も無かった
始めは小型水上艦艇ぐらい有ったが、開戦劈頭、瞬時に壊滅して一隻も残らぬという
凄まじい弱さだった
0411日本@名無史さん
NGNG「日本の海軍はそもそも米英と戦争するようにできておりません、独伊の海軍にいたっては問題になりません」
平然と言っているが、当時の状況から考えると
実は命が賭かった発言。
0412399
NGNG失礼。
399の文の最後の2つの段落にある南部仏印作戦は、北部仏印作戦の書き間違いです。
重慶の作戦本部、というのは、上海にあった重慶爆撃担当の、
シナ方面艦隊司令部のことです。
この井上の行動は有名なはずですが・・・・
援蒋ルート撲滅の北部仏印進駐と同時に、
効果を上げつつあったシナ方面の第一航空連隊を引き上げた。
この時の、矛盾した指令に井上は辞職を表明して抵抗しています。
自らが、もうひとつの作戦を止めるように釘を刺せなかった事への自戒も含めて。
井上は、北部仏印進駐をターニングポイントと感じ、こういった行動に出たのです。
しかしこの時点での、海軍の中堅幕僚の意識は、399の最後で間違いない。
ご承知の通り、南部仏印の時は、全司令長官が一斉に噛み付いているとおり、
誰もが英米戦を覚悟する作戦でした。
中堅幕僚の機密日誌によれば、狙いはシンガポールの確保と有ります。
その先の戦争計画は、インド洋経由で北部アフリカのドイツ軍と連携する、
と言う壮大なものから、蘭印の石油を含む資源確保といった戦術的なものまで、
いろいろ出てきていますが、
もう一つ強調しておきたいのが、漁業資源の確保による食糧自給です。
石油は海軍の使用分にして2年分以上の備蓄が有りましたが、
意外にも国民の食糧確保のための領海拡大は、切羽詰まった必要があったとのことです。
まあ、信用するかどうかは、皆さんの自由ですけどね・・・
0413日本@名無史さん
NGNGかった。しかし、北部仏印進駐は別で、西原一策少将の西原機関が現地と交渉を
行って、無血進駐を完成させながら、諸外国への外交に与える影響を可能な限り
軽減する処置を模索していた。しかし、現地軍のアホな中隊長が勝手に乗り込んで
しまって、すんでのところでパーにしてしまうところだった。海軍が云々言って
も、陸軍部内のタガが緩みきってしまっているんじゃ、どうしようもない状況じ
ゃないんですか。
0414日本@名無史さん
NGNG道が判らなくて、荒崎のバス停でお喋りしていたおばあちゃんに「井上成美さん
の家は何処ですか?」と聞いてみたら、ちょっと考えた後に「大将の家のこと?」
と返されました。教えてもらった通りに旧宅に辿り着いたけど、今でも地元の人達
に大将と呼ばれているのには何か不思議な感じがしました。
家自体は手が加わってなく、屋根は一部落ちていました。これからあの家は
どうなるんでしょうね。家の下に広がる海が印象的でした。
0416日本@名無史さん
NGNG保存に向けた議論が市議会でなされたんじゃないかな?
いつだったか忘れたけど議事録を読んだ事がある。
0417日本@名無史さん
NGNGs15年8月に上京したのは、参謀長要望事項として、支那方面への航空機大量投入
の意見具申のため。これはもちろん、彼が参謀長として立案したと言われる支那
奥地(重慶、成都)への爆撃強化のため、96式陸攻と新型戦闘機の投入の要請。
当時、海軍は内地から派遣した第1連合航空隊(1連空)と在支の第2連合航空隊があり、
南方進出のため、1連空を引き抜くという噂も聞えてきたらしく、その牽制のために
反対意見を述べたもの。この空爆は101号作戦と呼ばれ、嶋田支那方面艦隊長官時代に
本格化したが、井上のこの無差別空爆の経歴は何故か阿川本などではパスされている。
0418日本@名無史さん
NGNG照準機の性能不足、標的が市街地に隣接してるなどの悪条件が重なって
結果として無差別になってしまっただけじゃないの?
0419日本@名無史さん
NGNG0420日本@名無史さん
NGNGhttp://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000089.html
0421日本@名無史さん
NGNG非難声明を出したほか、非人道的な都市空爆だとして、各国の非難を浴びた。
この時の行動が、後の米軍による無差別爆撃を正当化させる口実になったとも
いえなくもない。
0422日本@名無史さん
NGNG0423日本@名無史さん
NGNGきっと勝気な和田アキ子みたいな風貌だろうけどw。
0424日本@名無史さん
NGNGhttp://miyajee.e-city.tv/nazetosigakuusyuusareta.html
0426日本@名無史さん
NGNG亀レスだが丹陽(雪風)が返還されなかったのは1970年に台風で座礁してしまったから。
あと船体は解体されたものの主錨と舵輪は日本に返還されて江田島の海上自衛隊第一術科学校に保存されている。
0427日本@名無史さん
NGNG重慶に本当に元から居た一般市民って、その時どれくらいいたんでしょうねw
そもそも蒋介石軍の重慶入りについていったのは市民と言えるのか?
便衣兵+便衣兵予備軍なのか?
米英から支給される銃器でもって、市街にあふれた便衣兵は一般市民?
シナ方面軍の市街爆撃は、有効な戦術として評価されるべきと思うけど。
日支戦で、無差別爆撃と言えば、上海事変のシナ軍がやった爆撃では?
というか、この爆撃を企画指揮したのは米軍顧問。
(錦州では日本軍はすごく気を遣っている)
まあ、戦時および戦後プロパガンダは圧倒的にシナと英米がうまいので、
日本軍もしくはドイツ軍は何をやっても、責められる。
ピカソのゲルニカだって、プンプン臭いまつが。
0428日本@名無史さん
NGNGそれ言うんだったら、
「日本の都市住民はそれ自体が戦争遂行装置だから爆撃しても罪じゃない」と言い張る米人の理屈と
何にもかわらんことになるぞ…
0430日本@名無史さん
NGNG阿川弘之の小説読んだなそういえば・・・・
この人の海軍物は・・・読んでてこっちがこっぱずかしくなるな
0431日本@名無史さん
NGNGどう恥ずかしいの?
・
0432日本@名無史さん
NGNG/ 丶、
r'" _,,......_ \
l ,.ィr‐ァ-.、 `ヽ、 ヽ、
〉" / /ト、 ミヽュ、ヽ、 i
// l! /|l|ヾヽヽヽヽ `ヽ、 | 英霊のご冥福をお祈り致します
レ! ! :l! lr=, `ヾ,rf==ミ ヽ \ ノ
|!| l、 |' i::;;! l !: ;リ|ト、ヽ ヽ
|ハゞ;! `´, `~´ ;! | |l ヽ ヾミ;、
|l ト、ゝ、 ー ,,.ィ | |トl ヾ、 ヽ
ハ'; \ト` ーr‐ ",./''^!ノl l!\、!ヾヽ、
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/ < "ノく: ミヽ ,:;'" ヽ
0433日本@名無史さん
NGNG宮崎繁三郎
http://book.okigunnji.com/book/4769809700.htm
大東亜戦争でもっとも悲惨な戦場となったビルマ(現ミャンマー)のインパール作戦において、敵将からも絶賛されるほどの見事な戦闘を繰り広げた知られざる名将がこの、宮崎繁三郎中将です。
ノモンハン事変から敗戦に至るまで、宮崎将軍はついに不敗でした。
ノモンハン事変では彼の指揮する歩兵第16連隊のみが戦闘に勝利を収めました。
0434日本@名無史さん
NGNG0435434
NGNG井上提督との事だからね。
0436日本@名無史さん
NGNGコンビ組ました方がよっぽど手っ取り早い。
0437日本@名無史さん
NGNGヘタレ仙台人同士で組ませたら、今度こそ亡国だよ。
0438日本@名無史さん
NGNG米内は重要な所で、判断ミスするな。
山本の命を差し出してでも、開戦を食い止めるべきだった。
0439日本@名無史さん
NGNG0440日本@名無史さん
NGNG退役後、内務大臣としての乱暴な対中、対米姿勢は問題だが、これも14年
早々辞職しているし、対外強硬派は末次以外にも海軍にはイパイいた。
0441日本@名無史さん
NGNG自称「太平洋戦争は漏れが始めた」こと石川信吾とかな。
0442日本@名無史さん
NGNG0443日本@名無史さん
NGNG三国同盟に賛成したのだから責任はあるのでは。この及川を吉田の後任大臣に
つかせるよう工作したのが石川信吾だという。及川を近衛に推薦したのが外務省
顧問で超親独派の白鳥敏夫。白鳥から「海軍で三国同盟に無条件で賛成する大将
は誰か」と聞かれた石川は「及川大将である」と答えている。この後、石川は
及川を訪ね、同盟の必要性を説いたという。
0444クラ@出先
NGNG石川信吾という獅子身中の虫が、岡 敬純の庇護の下に策動した
ことはあまりにも有名。ただ、岡という人は政治的には無臭に近
いのに、部内で評判の悪かった石川をなぜ予備役編入から救い、
策動を許したのか?理解に苦しむ。
0445日本@名無史さん
NGNG即、米国の対日石油禁輸措置にまで進むとは考えなかった、と述懐
している(本当にそう考えたか、責任逃れかはわからぬが)。その中で
石川だけは、戦後になっても「私は対米戦をやるならこの秋だと確信して
いた。石油の禁輸は当然あるものと覚悟していた」と述べており、確信犯。
0446日本@名無史さん
NGNG石川信吾等に比べて、米内の動きはあまりに緩慢。
ついでに休戦においても小磯、鈴木の閣僚だったのに、軍人は政治に関わらないと動かない始末。
反対派、休戦派が大人しすぎたと言えるのでは無いだろうか。
0447日本@名無史さん
NGNG0449日本@名無史さん
NGNG何とかして次官から追い払うためという話もある。大将で次官ポスト
では大臣とのバランスがとれないし前例がない。後講釈で、井上を
大臣にするため、という弁護もあるが、これは?
0450日本@名無史さん
NGNGhttp://pc5.2ch.net/test/read.cgi/prog/1084784737/
0451日本@名無史さん
NGNG井上 成美
*昭19(1944). 8. 5 空襲始まる。
小磯内閣−昭和19年7月22日成立
昭19(1944). 8. 5 海軍次官/将官会議議員
*昭20(1945). 3.10 東京大空襲
鈴木(貫)内閣−昭和20年4月7日成立
昭20(1945). 5.15 海軍大将 軍事参議官
終戦ー昭和20(1945)年8月14日
たぶん海相のストックとしたのだろう。
米内が命を賭ける気になったのが、その頃だと言うことだろうか。
しかし致命的な遅れだった。
0452日本@名無史さん
NGNG>451
見方を変えればどちらの意味にも取れますよね。
私としては451の「ストック」の方が自然に思えますが。
0453日本@名無史さん
NGNG0454日本@名無史さん
NGNG横須賀の料亭「小松」のおかみさんが亡くなったらしいですね。
合掌・・・
0455日本@名無史さん
NGNG0456日本@名無史さん
NGNG0457日本@名無史さん
NGNGフィンランドみたいな講和は、日本には無理だったから、
井上の即講和のほうが正しかったな。
0458日本@名無史さん
NGNG0459世界@名無史さん
NGNG歴代の提督を直に接してきた偉大な人物がまた一人さる。
こうやって当時を知る人物がいなくなって行く。
小松のトラック支店まで立ち上げたんだよな。
井上もトラック支店によく行ったそうじゃないか。
0460日本@名無史さん
NGNGや運搬も海軍が行った。だけど、ここも戦争末期、米機の空襲で焼失、従業員も
数人死んでいる。
0461日本@名無史さん
NGNG0462日本@名無史さん
NGNG汚らわしい
0463世界@名無史さん
NGNGこの人は7,8年前か、新聞の特集(確か朝日の神奈川県版だったか)
で日本人は終戦のために尽力した岡田大将の恩を忘れてはいけない。
と通なことをおっしゃていた。
0464日本@名無史さん
NGNG0465日本@名無史さん
NGNG知り合う機会のある人間は多いが、だからといってその人間がエライとは
限らん。
0466日本@名無史さん
NGNG0468日本@名無史さん
NGNG「あれは理想だ、現実とは違う」と安易に逃げ腰の姿勢で臨んだ他のあらゆる将官に比べ、
今村大将の軍政官としての振る舞いは、彼ただ一人が真の勇気の持ち主であったことを
何より雄弁に物語っているだろう。
WW2の日本陸軍には、知将勇将数あれど(牟田口みたいな駄将も居るが…)、
「英雄」の名を贈ることがゆるされるのは、今村均ただ一人のみである。
0469日本@名無史さん
NGNG0470日本@名無史さん
NGNGそんな女を喜んで抱いてた山本、米内は最低だ。
0471日本@名無史さん
NGNG上記の今村均、宮崎繁三郎に大賛同します。
またこの二人は仁将でもある。
0472日本@名無史さん
NGNG今村均、本間雅晴、山下奉文、、
0473日本@名無史さん
NGNG0474日本@名無史さん
NGNG0475日本@名無史さん
NGNG0476日本@名無史さん
NGNG井上成美もこの人の事は一目置いていたみたいだね。
0477日本@名無史さん
NGNG「資格がない」と固辞し、ついに受けなかった。この後、小沢は海軍総隊兼
聯合艦隊兼海上護衛総隊などの長官に就いている(実体は何もないが)。
0478日本@名無史さん
NGNG朝日の海軍記者だった杉本健が昭和39年春、阿川を戦前は正反対の立場だった
井上と石川を引き合わせることにした。井上は長井の自宅で意外に元気だったが
銀座のある茶寮で会ったが、すでに体調不良が明かで、とくに作ってもらった
オカユにも手をつけず、風雲児と言われたかつての面影はなかった、という。
この年の12月17日、石川はこの世を去った。
0479478
NGNG0480日本@名無史さん
NGNG野菜だけで4日も過ごすなんてことが多かったみたい。だから、痩せてしまい
着ている服もガバガバ。
0481大學教授
NGNG0482日本@名無史さん
NGNG宮のメガメにかなったのでないかい?でなきゃ、ハンモックNo下位で仕事でも
さほど目立たなかった米内が大将なんて不思議。同期の嶋田もかなりの美丈夫。
米内は伏見宮とは反対のスタンスだったというが、上司の前で己の立場を鮮明に
する官僚はいないからな〜。
0483日本@名無史さん
NGNG0484日本@名無史さん
NGNG朝日の緒方竹虎だけだった(山梨勝之進大将もいたという説もある)。
0485日本@名無史さん
NGNG0486467
NGNG0487日本@名無史さん
NGNG0489478
NGNG書き方が悪かったみたいだ。阿川と井上、阿川と石川が会っただけで
井上と石川は会っていない。話の内容は書いてなかった「提督と新聞記者には」
話の内容は阿川が作品の中で書いたので重複すると判断したんだろ。
0491日本@名無史さん
NGNG条約派
財部彪、岡田啓介、小林躋造、野村吉三郎
山梨勝之進、左近司政三、堀悌吉、山本五十六
艦隊派
東郷平八郎、伏見宮博恭
加藤寛治、末次信正、南雲忠一、永野修身
0492日本@名無史さん
NGNG井上さん、あなたがやった事は今でも怨まれてますよ。
0493日本@名無史さん
NGNG| 聯合艦隊旗艦戦艦大和
__♀.._ |
[ =::',=] | /
iニ==ニ二}二二';:]二ニ|==ニi /
`ー-、=::三三',三--|'´ ._/
f iェェ||ェェ_.',`ー、.|  ̄ ̄/
j | || .彡',ミ/|\__/
ゝ!-iヽ、fiiiiiii';iiiiii| ̄/
_{= =j | || ||.', r-'`-ュ
i、_`ー'-:-|,r|"| 'i_''__ii_L_
rr=--;=-iiコ==ニl|=ニ ニ=|l=ニi
`ー;-r ojjj__r=-i-IIIIIニニ=、
i _rr}-|-irrr'_i __ノ_二ニi----゙j.
| iニiiiiニ,-'ニてエエエヽ、_ニニニ小ニニニ!、_..
| _,ミ_,;='- '´,=Iニiニiニi lロ! r-:r。;_r。;_r。、i-
,r'´゚`ー、_r=j_r''_ヽ_`二f ミム_| 。 ノ_:_:|__//_//_//-'-、 _
f´n _ >----i三ri二二二i ,r-'nnj、--、____ロ______ヽ_ ...................................
/_, -'Lニ r'´ニ ニ` iL/トー -/- '-lニl二j > ', r -、 r -、 r -二lニl_n_:::::::::::::::::::::::::| |:::::::
f ー、_ L-、_= = -" |_/_;_nnn__レ/゚ .', ',(〇) ',(〇) ',(〇)i.ヽ ` ー 7 - - :| | -、.| |、
i ` ー-、 _ - iニニニニニニニiiiiiiii レiiiiii} ロ lニニi r -、ヾIIIヾェ| | | | |
:::::::::} :: ... ` ー --,-、 _ ヾエエエIIIコi=--ョョュュュ________l_lj--ヾエI| |彡ミ
;;;;;;;;;ヽ :: 〈´:::::lヾ、ニヽ、===========----rニ=-エエLコ--、-..-..-..-..-..--、|三
0494日本@名無史さん
NGNG0495日本@名無史さん
NGNG0496日本@名無史さん
NGNG0497日本@名無史さん
NGNG,.-‐ー''''''""´´  ̄ ``" "'''ー- ...,,,_
(;;;;:; ~`")
ヽ;;;:;,,.. γリ^大^ヾ-、 /
\;;:;::...(λY´Ω )ヽノ)、 ノ
[}{二'ゝ⌒',,ルノ⌒ノ''' ー _ {〕 〈, ´
/ヽ、,,. ` -=='''´ '''´ ̄ ヽ
人  ̄`" ´ ,,..='’ヾ
,γ`"''-、、,,,___ _,,,,、、-ー='''""彡⌒ヽ
( 〉∠てこ"'`i、;;'ュ_ ,τ;テ こヲゝ= ミι) )
ヾi '':;__,,,...ノ;;il `;;、.,,,ニ_/ 〈 「皇国ノ興廃、コノ一戦ニアリ
)ヽ ;;;;;:...ノ;;i ヾ;:,, ´ ィ〉 各員一層奮闘努力セヨ。」
{ `' ''^´':;il; `'''':;:; !ノ
} /;i' !ヽ |
|、 /;{;,_ ) ヽ、 i
i ,;' ノ `'''ー';⌒ i iヽ、 \ /、
,;<,,;;.,;;...,,;;.,.,、、、,、、、、、〉 )/´|
ト、`ー´ ̄ ━━─- / |
_______,,,,...ヽヾ、,, ,_v、、 _,..-´/ |ヽ,_,,,.._
ヾ i`ヾ、`´ ;, ` ´ ノ レ´ノ⌒
i!;;;,...`ー -.....=‐''''"´ ノ
ゝ;;;:;:;,.. i! /
0498日本@名無史さん
NGNG0499日本@名無史さん
NGNG0501日本@名無史さん
NGNGでも、陸軍からの転入だね
0502塚原243
NGNG0503日本@名無史さん
NGNG0504小沢ジサ
NGNGなんつうつまらん川柳(駄句)作るぐらいなら大将なんか受けるなよ!
0505日本@名無史さん
NGNG0506日本@名無史さん
NGNGただ命のまま
0507日本@名無史さん
NGNG0509日本@名無史さん
NGNG0510日本@名無史さん
NGNG厨房の心の拠り所を発見しますた。
前田哲男『戦略爆撃の思想』―ゲルニカ―重慶―広島への軌跡
http://www2.freejpn.com/~az1156/page166.html
第1章 重慶爆撃への道 1931‐37年(抗日首都の誕生;戦略爆撃の誕生 ほか)
第2章 無差別爆撃の始まり 1939年(五月の新首都;中攻爆撃機発進 ほか)
第3章 101号作戦 1940年―井上成美のもう一つの顔(無差別爆撃の立案;日本海軍航空隊 ほか)
第4章 真珠湾への道(一九四一年)
第5章 爆撃の下で周恩来とその同志
第6章 重慶から広島へ
0511日本@名無史さん
NGNGよって重慶爆撃は差支へない
もっと爆撃すれば良かった
0512日本@名無史さん
NGNG0513日本@名無史さん
NGNG出鱈目書くな
0514日本@名無史さん
NGNG0515日本@名無史さん
NGNG兵学校卒業成績が悪かった小沢は、大将昇進を打診されたとき、
前線で司令官を務めている自分より先任の中将2人を予備役入りさせることになるから、と固辞する口実があった。
小沢を連合艦隊司令長官に就任させるときも、この小沢より先任の中将などが小沢の指揮下に入らないよう、
連合艦隊を含め、海軍実戦部隊の大幅な編成替えが行われた。
別スレに
>961 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/08/15(日) 14:48
>日本海軍では、少将に進級したときの序列が予備役に編入されるまで変ることがなかった。
>抜擢のまったく不可能なこの制度は、適材適所が重要な戦時においては致命的な欠陥となった。
>一方、米海軍におけるニミッツの例をみるまでもなく、能力に応じた抜擢主義は効果的だった。
とあるが、井上が大将になったのも、小沢がならなかったのも、日本海軍の硬直した人事の結果ではある。
0516日本@名無史さん
NGNG中将進級が14/11/15、大将進級20/5/15と全く同じ。一方、小沢は少将11/12/1、
中将15/11/15と1年遅れ、同時に大将になると、従来のの慣例を崩すことになる。
年功序列の弊害ここに極まれり。だが、小沢が自己規制したということ?
0517日本@名無史さん
NGNG残り少なく名前だけの連合艦隊。係留したままの戦艦や飛行機飛ばせない空母
あとは小艦艇で、実質的な戦力は基地航空隊と特攻艇だけだもんね。
0518日本@名無史さん
NGNG史実そのものじゃないか。
井上は大量虐殺犯。
0519日本@名無史さん
NGNGじゃ、軍令部次長時代に化学兵器使用を承認した小沢も大量虐殺犯になりかけてたか。
つーか、小沢は敵よりも味方を大量に虐殺し(ry
0520日本@名無史さん
NGNG支那人は馬鹿で書けなかったから
ま、勉強したこと無いのに法律論に口を出すんじゃないぞ
0521日本@名無史さん
NGNG0522日本@名無史さん
NGNG上官も見て見ぬフリが多かった。ヘタに注意して奥地で孤立した
場合など、後から弾が飛んでくる。
0523日本@名無史さん
NGNG0524日本@名無史さん
NGNG0525日本@名無史さん
NGNG0526日本@名無史さん
NGNG相手がアウトローなら、捕虜にした場合、国際法に従った扱いをする必要はないから
勝手に殺すも拷問して手足もぐのも勝手ですよ〜ん。刑法なんか必要なし(蒋介石軍)。
0527日本@名無史さん
NGNG当時の有能な航空屋だったら、戦略爆撃を試すのは当然だろーな。
井上の先取性と有能がまた一つ証明された。
井上成美
昭14(1939).10.18 軍令部出仕
昭14(1939).10.23 CSF参謀長/3F参謀長
昭14(1939).11.15 CSF参謀長
昭15(1940).10. 1 航空本部長
昭16(1941). 8.11 4F長官
0528日本@名無史さん
NGNG0529日本@名無史さん
NGNG0530日本@名無史さん
NGNG「新軍備計画論」を実践できる配置
0531日本@名無史さん
NGNG0532日本@名無史さん
NGNG軍令部総長ってのはダメかな・・・・
0533日本@名無史さん
NGNG0534日本@名無史さん
NGNG0535日本@名無史さん
NGNG0537日本@名無史さん
NGNG( ( ・ω・) 日本人は金寄越せブー
しー し─J
0538日本@名無史さん
NGNG撮影スタッフに悪態ついてそうw
0540日本@名無史さん
NGNG小人は此に反す
0541日本@名無史さん
NGNG読んだ。井上に関しては、
嶋田司令官が、「自分の任期中に支那事変を片付けたい」と言い、
飛行機こそ、戦艦に代わる次の海上主兵と確信してやまない男達、
井上成美、大西瀧次郎、山口多聞、寺岡謹兵、山本親雄らが、続々と大陸の地を踏み、
参謀長井上が、百一号作戦を日本海海戦に匹敵すると唱え、推進。
そして挫折。
それを踏まえた「新軍備計画論」
という内容だった。
0542日本@名無史さん
NGNG0543日本@名無史さん
NGNG0544日本@名無史さん
NGNG0545日本@名無史さん
NGNG0546日本@名無史さん
NGNG井上に対する長井の町民の陰口
0547日本@名無史さん
NGNG0548日本@名無史さん
NGNG1基地航空兵力を中心とする航空の飛躍的充実と、基地の要塞化
2洋上補給路確保のための海上護衛の重視
3潜水艦部隊の増強
0549日本@名無史さん
NGNG0550日本@名無史さん
NGNGドーリットルの東京初空襲で大陸の浙江省に不時着したB−25の搭乗員8人が
捕虜になったが、陸軍は8人を非戦闘員殺害の罪で死刑を宣告した。
天皇の仁慈とかで、このうち5人は減刑されたが3人は刑を執行された。こうした
二重基準を重慶爆撃擁護者ははどう見るのかな?
0551日本@名無史さん
NGNG特にエピソードも聞かないが、何かあるの?
0552日本@名無史さん
NGNG現地の部隊長が勝手に行ったこと。陸軍全体の意志ではないので
二重基準ではないです。比較の対象が違います。もっと勉強してね。
例えば、沖縄戦で海軍の特攻戦隊の将兵が住民を殺害したという
例がありますが、軍令承行令に基づいた行為ではありません。
軍刑法で罰せられる犯罪です。海軍には兵科将校である現役士官しか、
指揮権はありませんし、民間人に命令する権限もありません。
組織の末端の新入りが行った過ちを、組織全体に
責任を求めるのは無茶でしょう。
遺族がより大きな責任者を求める心情はわかりますが。
0553日本@名無史さん
NGNG>海軍には兵科将校である現役士官しか、
>指揮権はありませんし、民間人に命令する権限もありません。
全体的な趣旨は間違ってはいないけど、
階級と職権を混同してるきらいがありますな。
階級によらずとも特に命令で指揮権を与えられてしまう場合というのも、
辺境の小規模な部隊の場合ちょびちょびありますんで。
0554日本@名無史さん
NGNG0555日本@名無史さん
NGNG現地の司令官が行った裁判だが、その後、捕虜の身柄は東京に送られ
この件の処置は陸軍省に判断を仰いだはず。東条は米国の報復(日本の
処刑)を恐れ反対したが、杉山総長や参謀本部はみせしめのため処刑すれば
今後、内地への空爆は減ると主張。結果、陸軍省が起草した軍律を遡及して
適用することで正当化された。
0556日本@名無史さん
NGNG0557日本@名無史さん
NGNG0558日本@名無史さん
NGNG戦争でないので戦時国際法の適用外です
0559日本@名無史さん
NGNG0560日本@名無史さん
NGNG0561日本@名無史さん
NGNG何と云ふ暴言、罰当たりな非国民でありませふか!
0562日本@名無史さん
NGNG重要なのは、中国人と米国人の待遇の違い。
中国人が野蛮略奪民族だったのが、双方の悲劇を呼んだ。
0563日本@名無史さん
NGNG0564日本@名無史さん
NGNG大本営は事変でも設置できます
0565日本@名無史さん
NGNG0566日本@名無史さん
NGNG0567日本@名無史さん
NGNG俺より英語ができるとはなかなかやるなと思った
0568日本@名無史さん
NGNG0569日本@名無史さん
NGNG「大将進級の件に関する意見書」(井上が自分の対象進級に反対して
米内さんに提出した意見書)を見る限り、日本語力も
ほとんどの2ちゃんねらーより上だという印象を受ける。
ちなみに、この人は字もまた恐ろしくきれいだ。
0570日本@名無史さん
NGNG0571日本@名無史さん
NGNGこの戦争は、しくじったとか何とかいう簡単な問題じゃないよ。単に作戦の失敗だけじゃないんだ。
悪いことをやったという、その反省の意味から、あなたの学校の高級の学生に
テーマを与えて、なぜこうなったかということをみんなで調査して、
みんなで寄り集まってディスカッションをやったらどうか。
(海軍大将井上成美 海上自衛隊幹部学校長との座談記録)
0572日本@名無史さん
NGNG0573日本@名無史さん
NGNG0574日本@名無史さん
NGNG「そのころ(明治30年代)、山屋他人さんが、いわゆるT字戦法を
編み出しました。・・・・・私は、山屋さんがT字戦法の最初の主唱者
であったと記憶しております」と語っているが・・・。
0575日本@名無史さん
NGNG0576日本@名無史さん
NGNG戦争のことをああだこうだと語る旧軍人に対しては非常な不快を覚えていたらしい。
特に島田繁太郎とか。
0577日本@名無史さん
NGNG0578日本@名無史さん
NGNGここ長井の浜に、井上成美を下って訪ねて来る人が増えたと、地元の人は言う。
0579日本@名無史さん
NGNG0580日本@名無史さん
NGNG海軍大臣適任
0581日本@名無史さん
NGNG0582日本@名無史さん
NGNG0584日本@名無史さん
NGNG0585日本@名無史さん
NGNG0586日本@名無史さん
NGNG0587日本@名無史さん
NGNG0588日本@名無史さん
NGNG0589日本@名無史さん
NGNG0591日本@名無史さん
NGNG0592日本@名無史さん
NGNG創作じゃない
0593日本@名無史さん
NGNG書かれていることが全て事実と思い込むところがミソ。
0594日本@名無史さん
NGNG0595日本@名無史さん
NGNG個人の記憶がすべて真実とは限らないだろう。
例えば、江田島の校長を退任だったかの際、飛行機で上京の際、帯同した
尉官が不時着したという記憶がない、と言ったりしてる。汽車だったのか
航空機だったのかさえ分からなくなっている。また、北印だかどこだかへ
進駐する話を聞いた井上が支那艦隊参謀長として抗議に上京したなんて書いてるが
これは事実じゃない。実際は、連合航空隊を1個引揚げると聞いた井上が反対を
具申のため上京したもの。重慶爆撃を主導した井上や支那艦隊にとっては面子に関わる
問題だから。小さいことを上げればまだあるけど、一一挙げても意味ないだろ
0596日本@名無史さん
NGNG飛行機の不時着は、降伏後フィリピンに降伏交渉で行って帰って来た際の横山少将の話ではないか。
0597日本@名無史さん
NGNG> 実際は、連合航空隊を1個引揚げると聞いた井上が反対を具申のため上京したもの。
> 重慶爆撃を主導した井上や支那艦隊にとっては面子に関わる問題だから。
後学のために知りたいんだが、ソース何?
> 小さいことを上げればまだあるけど、一一挙げても意味ないだろ
「一事が万事」っていうのは歴史を扱う者の態度じゃないと思われ。
日常生活で一々挙げるのは偏執狂だと思われても仕方がないが、歴史を語る場合には日
常不可欠なのではないだろうか。
0598日本@名無史さん
NGNG機長は平野中尉で井上と副官が乗ったのみ、岡山県でエンジン不調となり陸軍
の飛行場に不時着したが、副官の帯刀主計大尉は飛行機に乗った覚えがない、
汽車だったと言ってる。こうなると、機長と副官のどちらかの記憶が違っている
この作品ではないが、山本と古賀峰一の発言が同じだったり、山本が水から石油を
つくる詐欺を実験させた、という話が、別の作者は大西瀧治郎がやったことになっている
このように、作家に話した人物が他の人物の発言を取り違えたり、記憶が薄れて
人物を混同してる例が多々ある。だから、個人の思い出話だけの話は全幅の信頼はおけない。
歴史とするならば、1級資料が必要だが、小説なので誰もとがめない。
0599日本@名無史さん
NGNG↑ これが載っていた資料、どれだったか見つからない。なにせ、現代史関係の本が
山と詰まれているので探すの大変。だが、間違いない
孫引きだったが、原典は『戦史叢書 中国方面海軍作戦(2)』のはず。
0600日本@名無史さん
NGNGのうち、 「だが、間違いない」の部分は取り消す。別に誤りを認めた
わけではないが、他人の記憶を信用できないと書いたのに、自分の
記憶は間違いないとするのは自己矛盾だから
0601日本@名無史さん
NGNG間違いはありえるが、それは何だって同じだ
0602日本@名無史さん
NGNG0603日本@名無史さん
NGNG0604日本@名無史さん
NGNG0605日本@名無史さん
NGNG0606日本@名無史さん
NGNG0607日本@名無史さん
NGNG陸戦隊用意!
巡洋艦那珂急速出港用意!
0608日本@名無史さん
NGNG火事と喧嘩は江戸の華。
0609満人
NGNG0610日本@名無史さん
NGNG0611日本@名無史さん
NGNG0612日本@名無史さん
NGNG0613日本@名無史さん
NGNG0614日本@名無史さん
NGNG0615日本@名無史さん
NGNG将官はたくさんいるんだから戦術家やら軍政家やらいろんなタイプがいていい罠。
むしろいてくれないと困るだろう。
全員がすべての分野で優れた才能を持っているというのが理想ではあるけど。
0616日本@名無史さん
NGNG0618日本@名無史さん
NGNG一芸型の人間を評価しないのって、ほんと日本人の業病だな。
0619日本@名無史さん
NGNGそれももちろん正しいんだけど、
「用兵ができなきゃダメ」みたいに、何か一つの分野だけが異常に尊ばれ、
その分野に秀でていない人間がクズみたいに扱われるのも問題だね。
腕っ節だけはやたらに強いアッパラパーが妙に尊敬されたりさ。
0620日本@名無史さん
NGNGゼネラルとは総合者の語義だよ
0621日本@名無史さん
NGNG0622日本@名無史さん
NGNG>618
0623日本@名無史さん
NGNG一九五〇年一二月四日、グロムイコは中国大使の王嫁祥と面会した。
会見のメモにグロムイコはこう書いている。
<前略>
王嫁祥は、最近中国では、かつて朝鮮問題である程度動揺を表明していた
少数派の民主諸党派においてさえも、威勢のよい雰囲気があるとした。朝鮮の
前線にいる人々からの手紙を引き合いに出して、王嫁祥は、アメリカ人は質の
良くない兵士で、中国の同志たちの意見によると、彼らは日本人よりもずっと
戦いが下手であると語った。
0624日本@名無史さん
NGNG総合的指導者がいないことだ
0626日本@名無史さん
NGNG「総合的指導者」と「ゼネラリスト」は同じ意味じゃないんだが?
0627日本@名無史さん
NGNG0628日本@名無史さん
NGNG/ 丶、
r'" _,,......_ \
l ,.ィr‐ァ-.、 `ヽ、 ヽ、
〉" / /ト、 ミヽュ、ヽ、 i
// l! /|l|ヾヽヽヽヽ `ヽ、 | 英霊のご冥福をお祈り致します
レ! ! :l! lr=, `ヾ,rf==ミ ヽ \ ノ
|!| l、 |' i::;;! l !: ;リ|ト、ヽ ヽ
|ハゞ;! `´, `~´ ;! | |l ヽ ヾミ;、
|l ト、ゝ、 ー ,,.ィ | |トl ヾ、 ヽ
ハ'; \ト` ーr‐ ",./''^!ノl l!\、!ヾヽ、
" ` ,レ((y'´ ,.イ' \
,rク´,.ィ~;V^ヽr'´ ,.==\
/ < "ノく: ミヽ ,:;'" ヽ
0629日本@名無史さん
NGNGそういうのは英霊っては呼ばないとおもうぞ。
0630日本@名無史さん
NGNG大東亜戦争の英霊に額くことに、井上大将も賛成であられやう
0631日本@名無史さん
NGNG0632日本@名無史さん
NGNGなんかどこの組織にも放置されてやむなくDに進んだ
人間みたいな愚痴だなw
0633日本@名無史さん
NGNG0634日本@名無史さん
NGNG0635日本@名無史さん
NGNG息の掛かった者がいて、真珠湾・ミッドウエー・レイテ・陸奥爆沈とかの奇怪な
行動は、それによるという意見についてはどう思われますが。
0636日本@名無史さん
NGNG/ 丶
, ' r、'´ _ _ ヽ
/ /ヽヽ__ ' ´ _____,, イ ヽ
,' ,' {_r'‐'',ニ二、ー===-‐'|l 、`、
iヽ i // '´  ̄`ヽヽ l| l i
,' ヽ l / 、>‐=、、 =ニヽ ! l l
,' /⌒ l | ´ /(__,!゛ `、! | ! 支那事変は全勝よ!
,' ! '^> |! i。_oソ , ニ、, ノ 丿
,' ヽ ヽ ` ─ '⌒Y, ' /
/ |`T 、 j /}´ ,'^!
/ l l i iヽ i` ーァ /ノ / /
/ | | i i ! \ l_/ ノ | {ヽ / /
,' | | i iノ 丶、 __ , イ | | l } 〃 二ヽ
,' r| | '´\_ / ,' ,′ | | |└'{_/ ,─`、
,' , --─/ l | ─ 、 `X´ト、 ,′ | | | '-イ_ィ、 〉
0637日本@名無史さん
NGNGそんなら是非とも包囲されたいね
0638日本@名無史さん
NGNG0639日本@名無史さん
NGNG0640日本@名無史さん
NGNG0641日本@名無史さん
NGNGそうそう。
大体2ちゃんの荒らしの95パーセントはサヨクが原因だからな…。
なんでこんないびつな国になっちゃったんだろう…。
0642日本@名無史さん
NGNGアレキサンダーや、シーザーやナポレオンが、兵士たちと危険を分かち合いながら、
馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもうなくなった。
これからの英雄は、安全で静かで、もの憂い事務室にいて、書記官たちに取り囲まれて座る。
一方何千という兵士たちが、電話一本で、機械の力によって殺され、息の根を止められる。
これから先に起こる戦争は、女性や、子どもや、一般市民全体を殺すことになるだろう。
やがてそれぞれの国には、大規模で、限界のない、一度発動されたら、
制御不可能となるような破壊のためのシステムを、生み出すことになる。
人類は、初めて自分たちを絶滅させることができる道具を手に入れた。
これこそが、人類の栄光と苦労の全てが最後に到達した運命である。
by ウィンストン・チャーチル
NHKスペシャル・映像の世紀「大量虐殺の完成」より
これは日本が合理的で優れた外交戦略により美味しい果実のみを得る事が出来た第一次大戦の回想。
歴史の皮肉を垣間見る事が出来る。
0643日本@名無史さん
NGNG0644日本@名無史さん
NGNG0645日本@名無史さん
NGNG0646日本@名無史さん
NGNG0647日本@名無史さん
NGNG0648日本@名無史さん
NGNG0649日本@名無史さん
NGNG素朴さだ(多分
井上成美自体、今の世間ではマイナーだから、わずかな資料(阿川弘之の本とか)の書き方でイメージが形成されるのは当然のことだ
0650日本@名無史さん
NGNG最初の重慶に対する空襲は、下半城と呼ばれる重慶の下町地区に対して行われ、
2日間の死傷者数は6,278人、家屋損壊4,889棟に上ったといわれる。
この重慶爆撃が世界戦史上、最初の意図的・組織的・継続的な無差別都市攻撃であり、
戦略爆撃の開祖といわれるものである。
この重慶に対する日本海軍の「百一号作戦」と呼ばれる無差別爆撃の戦略は、
良識派と思われている当時のシナ方面艦隊参謀長・井上成美・海軍中将が、
日露戦争における日本海海戦に匹敵すると称して立案し、
その下で大西滝治郎・海軍少将が航空隊の指揮を執り、
九六式陸攻を使って発進基地・武漢から行われた。
http://www.araki-labo.jp/jecono25.htm
愚劣な無差別殺戮者であった井上↓
だが支那戦線では、我が陸海軍航空部隊が五月十五日から第四次奥地進攻作戦(百一号作戦)を発動し、
九月二十三日の我が軍による北部仏印進駐の頃まで支那軍民の反日抗日気運をみすみす煽り立てる
愚劣な重慶爆撃を連続反復し、−−−
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/from25to37ww2.htm
0651日本@名無史さん
NGNG首都を爆撃することによって、相手の戦意を失わせるのが目的だったんだろ。
アメリカも東京に大規模な爆撃をしているし。
例え重慶を爆撃しなかったとしても、反日抗日気運は大して変わらんと思う。
0652日本@名無史さん
NGNG0653日本@名無史さん
NGNG0654日本@名無史さん
NGNG井上批判をする奴は共産党じゃなくてアンチ海軍の陸ヲタ。
連中からしたら井上は「陸軍に戦争責任押し付けて海軍善玉説をつくった元凶」ってことになるから。
0655日本@名無史さん
NGNG井上は戦後、海軍兵学校卒業者の中でも煙たがられていたそうだから、それはないと思う。
高木惣吉も赤煉瓦勤務がほとんどだったから、戦後の「海軍善玉説」論者では異端扱いされていたらしい。
「海軍善玉説」の元凶は、プランゲ周辺にいてGHQに協力した連中だろう。
0656日本@名無史さん
NGNG史的にいえばそれで間違いじゃないんだけど、
陸ヲタは戦後になって「海軍の良識派」という扱いを受けた「海軍三羽烏」を
非難することで陸の責任を回避できると思い込んでるから、しょうがないんだよ。
【昭和の悲劇】米内光政と山本五十六は愚将だった
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1029062665/
とかを見ればそこらへんの思考回路がよーくわかる。
0657日本@名無史さん
NGNGべらべらと自分のことを棚に上げてた人だろ。
次官の時の終戦工作の実績も実は無し。「大臣手ぬるい」と米内を突き上げてただけ。
戦後に海軍善玉陸軍悪玉イメージを広めることだけに功績があった。
典型的な官僚だな。
0658日本@名無史さん
NGNG対中強硬派の米内、元々は艦隊派の中でも強硬派だった山本ほどには
海軍善玉説でも救済されていない気がする。
0659日本@名無史さん
NGNG〇對支
0660日本@名無史さん
NGNG戦後、一切、口を開かなかったが井上は喋りすぎ。
0661日本@名無史さん
NGNG連携する必要があった宮中、海軍穏健派(?)、一部文官系官僚が
つくり上げた虚構。
0662日本@名無史さん
NGNG∧_∧ +
(0゚・∀・) 電波浴イイ!!
(0゚∪ ∪ +
と__)__) +
0663日本@名無史さん
NGNG0664日本@名無史さん
NGNG0665日本@名無史さん
NGNG伊藤提督の希望は30分前の確実な通告だ
0666日本@名無史さん
NGNG阿川は、「井上成美」で重慶爆撃を一行サラットと触れただけですませるし、
海軍に甘いのは事実。しかし、無条件の絶対賛美でもない。
本人も認めるように、限界はあっても極力「評せず伝える」が基本姿勢。
それは随筆を読めばよくわかる。
0667日本@名無史さん
NGNGそれはもっと後の話。当初、海軍は無通告を要請した。
だが、東郷は反対していたが天皇の意思などで、渋々同意したが、
当初、1時間前の通告予定をさらに30分前に縮めた。
0668667
NGNG詳しくは東京裁判記録でもみるべし
0669日本@名無史さん
NGNG0670日本@名無史さん
NGNG0671日本@名無史さん
NGNG0672日本@名無史さん
NGNG0673日本@名無史さん
NGNG| |
| |_∧
| |#`Д´>
| |⊂ノ ともだちでいてね。
| |∧∧ ∧∧
|_| 中\ / 台\ ∧_∧ うん。
|共|`ハ´) ( *゚ー゚ ) (・ω・` )
| ̄|⊂ノ ( つ旦O O旦⊂ )
| | ノ と_)_) (__(__ ̄)
0674日本@名無史さん
NGNG0675日本@名無史さん
NGNG0676日本@名無史さん
NGNG近くにはいてほしくない。
そんな人。
0677日本@名無史さん
NGNG0678日本@名無史さん
NGNG0679日本@名無史さん
NGNG0680日本@名無史さん
NGNG0681日本@名無史さん
NGNG0682日本@名無史さん
NGNG0683日本@名無史さん
NGNG0684日本@名無史さん
NGNG0685日本@名無史さん
NGNG0686日本@名無史さん
NGNG幼年学校閥親ドイツ反英米開戦積極派勢力の日本焼け野原化責任を
隠蔽したいやつらにとって、海軍左派トリオって目の上のタンコブ的存在で、
絶対に評価されちゃ困る人物なんだろうな。
0687日本@名無史さん
NGNGその一部を記念館化し(それほど広くないですが)、それを
管理しながら、建替えた部分に住まわれている方がいるのですが
あの方は井上成美とどのような関係なんでしょうか?
ご存知の方いらっしゃいましたらお教えください。
0688日本@名無史さん
NGNG井上邸
0689日本@名無史さん
NGNG当時そのトリオの近くにいて、戦後も敬愛している
旧海軍の人達ももうこの世の人ではありませんからね。
これから親ドイツ反英米開戦積極派勢力のトンデモな反撃が
激しくなるかもしれませんね。
0690日本@名無史さん
NGNG今からですか?
0691日本@名無史さん
NGNG0692日本@名無史さん
NGNG0693日本@名無史さん
NGNG次に独が落ちて・・・残る日本は「単独」・・「一国」で世界を相手
に戦争したのです。結果は初めから明らかですわね、 でもでも
でもその意気は素晴らしい!単独一国で世界相手に戦争をしたのです
よ。負けるのは当たり前ですがとにかくそこまでやった頑張った日本
人に誇りを感じています。
ナンバーンよりオンリーワン↓
0694日本@名無史さん
NGNG0695日本@名無史さん
NGNGイタリアって降参したっけ?
0696日本@名無史さん
NGNG0697日本@名無史さん
NGNG0698日本@名無史さん
NGNG本気でそんなこと思ってるの?
俺にとってはイタリア(国家ではなく国民)こそすばらしいと思うぞ。
イタリア国民は、バカな独裁者にそそのかされて三国同盟に加わったものの
「勝てない」とみるや、さっさとムッソリーニをぶっ殺して降伏。戦争被害も
最小限で済んだ。
これを汚いとか軟弱というのは裏切られた同盟国の負け惜しみ。これこそ
国際政治における「したたかさ」というものです。
次点はドイツ。ベルリン陥落まで戦い抜いた。最後の最後まで戦った。
ゲルマン魂ここにあり。
最悪は日本(と日本人)。東京陥落まで戦い抜くでもなく、負けは明らかなのに
「認めたくない」「責任は取りたくない」とダラダラと降伏を引き延ばし
無駄な血を流した。
結局、沖縄陥落と原爆投下とソ連参戦で降伏。実に中途半端だ。
自称「愛国者」と称する人間でその国の役に立ったのはチャーチルとドゴールくらいなもん。
たいてい「愛国者」と称する人間が国を滅ぼすのさ。
イタリアを救ったのは、国家を愛してもいない、信用してもいない、
大切なのは家族、恋人、友だけ、「国のためになんか死ねるか」と
鼻で笑う「民度の高い」市井の人々だった。
「愛国心はならずものの最後の逃げ場」
いまのアメリカを見ればよくわかる。「国を愛しなさい」なんて教育するもんじゃない。
0699日本@名無史さん
NGNG陸軍大将 安藤利吉 ・・・ 最後の台湾総督(19代)
は、どちらも仙台二高(当時旧制二中)出身。
旧制仙台二中から海軍兵学校に入校。
井上は1889(明治22)年12月9日、大日本帝国憲法発布の年に仙台に生まれた。
父は幕府の直参、母は伊達一門。
維新とともに家は落ちぶれ、生活は大変だった。
成美は十三人兄弟全部が男で、下から二番目だった。
0700日本@名無史さん
NGNG0701日本@名無史さん
NGNG“敵には最大の被害を”
これが戦争というもの。
近代戦争は総力戦。国民の戦争協力を打ち砕くため市民を標的にした
戦略爆撃は当然。
だから俺は、アメリカが日本に原爆を落としたことも東京第空襲も
理解できる。
だから俺は、「大量破壊兵器」だとか「非人道的兵器」だとかいう言葉は、
言葉をもてあそんだ「ギャグ」としか思えない。
0703日本@名無史さん
NGNG言い分だろう。
支那事変には戦時国際法が適用されないし、民間時虐殺は敵の常套手段だし、そもそも
支那の人口は無尽蔵だから民間人殺害を企図したところで切りも無く、全く無意味であっ
て、我が軍もそんな意図は持たなかった。
壊れた蓄音機のように同じ一行レスを繰返す粘着700は、敵国の宣伝を真に受け、いわれ
なく祖国をののしる狂人に過ぎない。
0704日本@名無史さん
NGNG日本軍の空爆は1939年から2年半にわたった。軍事施設をねらった空爆はそれ以前にもあった。しかし、
重慶には軍事施設は何もなかった。明らかに市民生活の場をねらった空爆である。同じ時期(1939年4月26日)
ドイツ空軍「コンコルド軍団」がスペイン北部のバスク地方の街、ゲルニカを空爆した。これが世界最初の
無差別爆撃かもしれない。しかし、それから一週間後(1939年5月3日)に始まった重慶空爆は、ゲル二カ空爆が
一回なのに対し、2年半、218回繰り返された。それを考えれば、世界が最悪の無差別大量殺戮という冒しては
いけない領域に踏み込んだのは、悲しいかな、日本軍の手によってなのである。
「この殺戮に関して重大なのは、敵のテロの目的である。南京と上海はすでに爆撃されていた。しかしそれ
は軍事上の目的だった。それに対し、重慶の古壁の中には、軍事目標は何一つなかった。にもかかわらず、日
本軍は、重慶を灰塵と化す対象に選んだのだ。そして、彼らが理解し得ない精神を挫き、政府の抵抗を打ち破
ろうとした。その後、わが軍が日本軍を攻撃するようになっても、私はいささかも良心の呵責を感じなかった。
無分別なテロであった重慶爆撃は、私の政治観に直截かつ根源的な影響を与えた。」
(重慶爆撃の時、現地にいた雑誌『タイム』特派員セオドア・ホワイトの証言)
0705日本@名無史さん
NGNG今度が、このご恩返しです。
よくも立派に発毛の為に戦ってくれたと褒めてやってください。
嗚呼、我らハゲヅラ特攻隊。 向かう所は、毛母細胞へ急降下!
0706日本@名無史さん
NGNG>無分別なテロであった重慶爆撃
>無分別なテロであった重慶爆撃
>無分別なテロであった重慶爆撃
>無分別なテロであった重慶爆撃
>無分別なテロであった重慶爆撃
0707日本@名無史さん
NGNG0709日本@名無史さん
NGNG大政翼賛会中央訓練所長・八角三郎「祭礼を怠るな(時の言葉)」
高瀬五郎海軍中佐・西谷弥兵衛「米国の参戦とその後の世界を語る」
社説「太平洋は我等の池であつた」
勅任逓信監察官・奥村喜和男「指導者原理とは何といふことか(現代思想講話)」
西村鏡男「海軍航空本部長・井上成美中将伝」
吉田三郎「英米罪悪史(イギリスの巻)」
0710日本@名無史さん
NGNG井上提督くらいの数学的能力なら、日常の買い物に計算尺、要らないよ。
あれは室内の三角関数や平方根、立方根、対数の概算で威力を発揮するシロモノ。
掛け算割算も出来るけど、室外で瞬時に使うなら、せいぜい有効数字1〜2桁程度
暗算能力に長けた人なら瞬時に計算できるはず。
計算尺って、外で使うと、とにかく大変。
って言うか、本来、買い物の計算はソロバンでするもので
(当然、井上提督にも素養はあるはず)
計算尺ではできないよ。
0711大陸浪人
NGNG0712日本@名無史さん
NGNG0713日本@名無史さん
NGNG0714日本@名無史さん
NGNG0715日本@名無史さん
NGNGttp://www.hosei2.ed.jp/hs/school/history.html
しかも兄貴は無天中将
0716日本@名無史さん
NGNG「日中戦争で日本軍は、敵が国際法を無視したにも拘らず自らはこれを守り、
日本軍人であることに誇りを持っていた。
中国兵は卑怯にして残虐極まりない軍隊で、例えば中国軍の捕虜になると、
四肢を斬り分けられ、生きながらに火炙(あぶ)りにされたり、磔(はりつけ)
にされたりしたのである。
更に日本兵の屍に対しても、酸鼻を極めた蛮行を行っている。
即ち死者の首を切り落とし面皮を剥ぎとり、或は男根を切り落し、胸部を
切り開いて石を詰め込み、首は両耳を穿って紐や針金を通し、さながら魚
を串刺しにしたように口から喉に紐を通して持ち運びする等々、それが中国
軍の戦争様式であり、日本軍には絶対に見ることのできない支那の戦争文化
である」
0717日本@名無史さん
NGNG0718日本@名無史さん
NGNG何も知らないから、日本が悪いなんてトンデモ説になるんだな
0719日本@名無史さん
NGNG0720日本@名無史さん
NGNG0721日本@名無史さん
NGNG0722日本@名無史さん
NGNG0723日本@名無史さん
NGNGttp://tokyo.cool.ne.jp/kaiten_website/kaiten.swf
0724日本@名無史さん
NGNG言いたいこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣きたいこともあるだろう。
これらをじっとこらえていくのが
男の修行である。
(山本五十六)
0725日本@名無史さん
05/01/18 09:38:530726日本@名無史さん
05/01/18 11:27:31過去には秋山好古大将という大物すらいるからな。
0727日本@名無史さん
05/01/18 13:03:36http://auto.sina.com.cn/
0728ななし
05/01/18 13:30:090729ななし
05/01/18 13:30:46>726ね。
0730日本@名無史さん
05/01/19 19:33:38日本が文明国であることを世界に知らしめた有賀長雄の名著「日清戦役国際法論」
に寄せた序言の中において、
「日本は独り内部の法制に於いて世界最文明国の班列に達したるに非ず。
国際法の範囲に於いても亦同然たり。経験は日本政府が能く其の採択する所の文明の
原則を実行するに堪うるを表示せり。すなわち日本は清国に対する一八九四年の戦争
に於いてこの事を証明したり。この戦役に於いて日本は敵の万国公法を無視せしに拘らず
自ら之を尊敬したり。日本の軍隊は至仁至愛の思想を体し、常に慈悲を以て捕虜の支那人
を待遇し、敵の病傷者を見ては未だかつて救護を拒まざりき。
日本は尚未だ一八六八年十二月十一日のセントピータスブルグ宣言に加盟せずと雖も、
無用の苦痛を醸すべき兵器を使用することを避け、又敢えて敵抗せざる住民の身体財産を
保護することに頗る注意を加えたり。日本はいずれの他の国民も未だかつて為さざる所を為せり。
其の仁愛主義を行うに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民の租税を免じ、無代価にて之を
給養するに至れり。兵馬倉皇の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を
救助するの策は挙げて行わざるなし。見るべし日本軍隊の通過する所必ず衛生法を
守らしむるの規則を布きたるを。」
と日本政府と日本軍を褒め称えた。
フランスのフィガロ紙従軍記者とイリュストラシオン紙従軍記者は、
「余等は日本帝国の如き慈愛心に富める民あるを、この広大な地球上に発見し得るかを怪しむなり」と驚嘆し、
「ひるがえって清軍を見よ。日本軍卒の一度、彼等の手に落つや、あらゆる残虐の刑罰をもって、
これを苦しむるにあらずや。或いは手足を断ち、或いは首を切り、睾を抜く、その無情、実に野蛮人
にあらざればよくすべきの業にあらず、しかし日本はこれあるにかかわらず暴に酬ゆるに徳をもってす。
流石に東洋君子国たるに愧じずと云うべし。」
と述べて清軍の残虐行為を非難し、日本軍の遵法精神を
「大日本帝国軍隊は世界に対して誇るに足る名誉を有する」と大絶賛したのであった。
0731日本@名無史さん
05/01/19 21:36:35このフランス人は日清どっちの陣営で観戦してたの?
記事の内容から日本側で取材したようですが。
そりゃまずいとこは隠しますわな。
戦争で捕虜虐待など両軍やっちゃうって。
勝てば官軍なんだから、目立たないだけで。
イラクでのアメリカのやり方みりゃーわかるでしょう。
0732日本@名無史さん
05/01/20 09:43:59iiiiiiiillllllllllllllllllllllllllllllllllllllll| ゙゙!lllllllllllllir .,,,iilllllllllllllll!゙゙′
.llllllllllllllllllllllllll!!!!!!!!!!!!!!!!!″ ゙゙!!ll!゙",,,iilllllllllllll!!゙゙゜
.゙゙゙゙゙゙”゛ llllllllllliiiiiiii,,,,,,,、 ,,,iillllllllllll!!゙゙゜ ___,,,,,
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: llllllllll, lllllllllllllllllll!゙゜ ,lllllllllll ,,,illllllllll!゜ .llllllllllllli,_ ,,,,,,,,iiiiiii、
: 'lllllllllllliiilllllllllllllll!!゙’ ,lllllllllll° .,,,,iiillllllllllll!゙゜ ゙!llllllllllllllllliillllllllllllllllllllllll,、
.゙!!lllllllllllllllll!!!゙゙` .l!!llllllll° .゙!lllllll!!!゙° ゙゙!!llllllllllllllllllllllllllllll
0733日本@名無史さん
05/01/29 09:17:540734日本@名無史さん
05/02/01 11:15:22||
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0735日本@名無史さん
05/02/01 17:39:09http://211.155.23.140/biku/general/jap-jscm.htm
↑これ読むと井上成実は好意的な評価をされてるようですね。
反戦、贖罪派として。
0736日本@名無史さん
05/02/17 11:01:090737日本@名無史さん
05/02/19 12:16:000738日本@名無史さん
05/02/21 09:51:13|
| ヽ  ̄ \
_ д_n=== |=| ̄\_
|」_」_」 |/゜゜|U|゜゜| ̄ヽ゜ ゜\二≡=============
__ |─゜─゜-|_゜゜_=゜゜\。__\。/:____
n/ \  ̄ ̄ ̄ ̄── −o 。 。 ゜/≡≡]]\  ̄\_
| ̄ ┘ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ └ヽ ┐
| / ゜゜ ゜|゜ ゜ ゜ ゜ ゜ .゜|゜ ゜ ゜ ゜ ゜|゜ ゜ ゜|゜ \
└\。_。. |。_゜_。_゜_。_゜__。|。_゜_。_゜___。|。_゜_ 。|。__。 )ヽ
/ |゜ ・─・ ゜|゜ ・─・ ゜|゜ ・─・ ゜|゜ ・─・ ゜|゜ ・─・ ゜|゜ ・─・ ゜|゜゜/ヽ
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ヽ ┴ ┴ ┴ ┴ ┴ ┴ ┴ ┴ ┴ ┴ ┴ ┴ ┴ ┴ ┴ ┴ ┴
0739日本@名無史さん
05/02/21 10:19:420740日本@名無史さん
05/02/26 15:04:170741日本@名無史さん
05/02/26 15:44:270742日本@名無史さん
05/03/07 09:35:550743日本@名無史さん
05/03/07 21:04:090744日本@名無史さん
2005/03/27(日) 21:05:140745日本@名無史さん
2005/03/28(月) 18:27:570746日本@名無史さん
2005/04/08(金) 15:03:070747日本@名無史さん
2005/04/28(木) 04:59:350748日本@名無史さん
2005/05/05(木) 09:36:16「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦
したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から
追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の
功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分
をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。」
タイ ククリット・プラモード 元首相
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産
して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南ア
ジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であ
るのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。
12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して
重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床
に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。」
マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れ
て逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。
しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞ
れの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教
育をおこなってくれたのです。」
インドネシア モハメッド・ナチール 元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の
戦争を日本が代表して敢行したものです。」
0749日本@名無史さん
2005/05/06(金) 08:03:43良かったと発言してみたり、井上大将は意外に浅薄な人だと思う。
井上の発言は聞いた直後はなるほど、と思うが後々考え直すとわけがわからない。
小澤治三郎談
同期は井上の程度を知っていた・・・。
0750日本@名無史さん
2005/05/13(金) 19:52:38軍政家としては秀抜であった
0751日本@名無史さん
2005/05/18(水) 00:12:47ではありません
警備会社は軍隊の代りになりません
警備会社には海軍無く、空軍無く、地上部隊も砲兵、工兵、
戦車兵無く、何より偵察衛星を含む情報部無く、歩兵、それも最軽火器のみです
その歩兵すら、米軍や仏軍はハイテク化を進めてゐます
外見は愛慕並のサイボーグみたいです
故に民間警備会社に戦争は出来ません
いちころで負け、皆殺しにされたのもそのせいです
フランス外人部隊にしても仏軍の一部ですが、堂々の正規戦闘に向く組織ではあり
ません
軍隊と警察の間に警察軍を置く國あり
シナ、フィリピンの如し
警備会社の仕事はせいぜいその代替までです
さういふ訳で民間警備会社では手も足も出ません
この種会社の幹部は、下級幹部の果てまで、軍や特務機関、警察の経験者です
猛者でも重傷、人事不省で心ならずも捕虜になってしまふことは昔もありました
あの御仁の顔は、確かに昔見た、下士官の顔ですね
生還を祈ります
0752日本@名無史さん
2005/05/19(木) 23:38:17─┬=====┬─┬─┬ 向ふところ敵無し!
ヽ┴-----┴ 、/_ / 最強チハ車
==||:|: 乃 :|: 「r-┴──o
____________ |:|:__ :|: ||--┬┘
|ミ///ロ-D/ ~~|ミ|丘百~((==___
. └┼-┴─┴───┴──┐~~'''''-ゝ-┤
((◎)~~~O~~~~~O~~(◎))三)──)三)
ゝ(◎)(◎∩◎)(◎)(∩)ノ三ノ──ノ三ノ
0753日本@名無史さん
2005/05/19(木) 23:41:56阿川弘之の本で読んだけどたいした人だ。
日本人にはなかなか受け入れられなさそうだけど
ああいう人が今の日本にいるときっとよくなる
0754羽柴誠三
2005/05/20(金) 06:40:200755日本@名無史さん
2005/05/22(日) 23:19:58勝負になりません
やっぱり警察行動です
0756日本@名無史さん
2005/05/22(日) 23:38:510757日本@名無史さん
2005/05/23(月) 04:54:540758日本@名無史さん
2005/05/30(月) 22:59:040759日本@名無史さん
2005/06/07(火) 09:09:270760日本@名無史さん
2005/06/07(火) 18:13:13高校と同格の陸士、海兵校長が陸海軍中将で名だたる将星だったことを想起せられ度し
終戦工作の海軍次官井上成美大将は海兵校長から、沖縄決戦の総帥牛嶋満大将は陸士校
長から、直接の異動です
安部能成一高校長も文部大臣です
昔は教育に最大の豫算と、最高の人材を投入しました
今は明らかに手を抜いてゐます
彼と等しく受けし種
咲きて我世の花たれば
薔薇と匂へ蘭麝の香
土またさらば芳しう
では法廷に注力しますので、また今度
0761日本@名無史さん
2005/06/07(火) 22:03:44(´ ` ' 、r
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0762日本@名無史さん
2005/06/09(木) 00:16:450763日本@名無史さん
2005/06/11(土) 19:27:040764日本@名無史さん
2005/06/12(日) 09:50:390765日本@名無史さん
2005/06/12(日) 13:45:46井上は、これに先立つこと約半年の50年年12月15日死去
0766日本@名無史さん
2005/06/14(火) 01:09:47みなさまおはようございます。
井上中将でしたら七十期氏のおっしゃられるとうり、我々の方が詳しいと思います。
こういう言い方は何ですが、中将本人がおっしゃられていたとうり
「海軍兵学校最後の『まともな』校長」であったと思います。
入学初期の頃は、きわめてリベラルな雰囲気を持たれ
戦闘教本や精神教本を完全否定され、
独自の戦略論を持たれる反骨精神の方と言う印象が強かったのですが
はっきりと偉大なる人物と認識するようになったのは、
在任中最後の2ヶ月間であります。
というのも井上中将は我々の入校から約半年のお付き合いでしたが
昭和19年8月をもって、次官へ転任されております。
19年8月という時期は、6月にサイパンが陥落して事実上の敗北が決定した直後で
その前後から、井上中将は今までの海軍兵学校校長がまず行わなかった様な事を
なされてから、転任なされていかれました。
何かと言いますと、宿舎で枕を並べて夜が明けるまで生徒と話されたり
(当然、その分隊には翌日寝坊したものが続出しましたが、特段処罰はされませんでした)
昼食時に食堂で、生徒とおなじ席に座り食事時間をはるかに延長して
ひたすら生徒の身の上話や猥談などや、またかと思えば
「万が一帝國に敗北が訪れるならどのような形か?また如何に復興するか?」などの話を
などといった海兵の本分を明らかに逸脱したお話を夕食の時間になるまで
ひたすら議論するようになられました。
0767日本@名無史さん
2005/06/14(火) 01:11:53今思えばマリアナ失陥以降は明らかに「海軍軍人」ではなく、「政治家」や「実業家」を
養成される様な教育をなされるようになり、驚嘆し今更ながらに尊敬いたしております。
井上中将の在任中最後の2ヶ月間の海兵は明らかに戦後空間を醸し出しており
自分は亡き後の海兵が、どのような校長に率いられようともやがて必ず訪れる、
終戦(敗戦)時に精神までも玉砕精神に染まって、軽挙妄道に走らないように
先手を打たれていたように思います。
生徒の中には敗北主義と議論を吹っかける者もおりましたが、大本営が
隠匿する資料までも閲覧させてもらえましたので、一定期間後には
ほとんどの生徒が最早勝利の見込み一分もなしという現実を理解しておったと思います。
(中にはそのせいで精神衰弱に陥る者もおりました。通例から言うと、海兵ではそういった
『学習続行を行うに不適格なる状況に陥りし者』は情け容赦なく対向にするのですが
井上中将は「殺し合いをするなら退校だが、再建者なら少々軟弱者でも問題ないと」と結局退校には
なされませんでした。)
体験者に聞く太平洋戦争(第二次世界大戦)
http://2ch.dumper.jp/0000080686
0768日本@名無史さん
2005/06/16(木) 22:17:32千早猛彦少佐の有名な電文です
戦死後、聯合艦隊司令長官より全軍布告、海軍大臣より二階級特進、任海軍大佐
0769流線特急亞細亞
2005/06/30(木) 11:12:03海兵生徒が中将の校長に議論を挑めると思ふか?
海兵では退校とも言はない
免生という
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