関東に比べ畿内にD2系が少ないので、皇室はD2ではないと言う指摘があるが、
俺は神武実在派で10代天皇・崇神を4世紀前半、神武をおおよそ5世代前の3世紀前後の人物と見ている。

神武が大和入りした頃の氏族を見ると
ニギハヤヒ系の物部氏・尾張氏(北部九州系なのでO3か)
在地系で銅鐸集団だった出雲大物主系の鴨氏(O2b1か)
祭祀集団の忌部氏、中臣氏もいた可能性が高い。(O2b1か)
あと神武と共にやってきた大伴氏、久米氏。
まぁこんな感じか。
大伴や久米も九州時代からの付き合いだが、神武とは血が繋がってない。
そうすると、当時大和に存在したどの氏族も神武と血がつながってない可能性が高い。
(皇別氏族が出てくるのは後の時代)
物部などの豪族たちも天皇並に子孫を増やして行っただろうから、
神武(D2系統)が関西で少数派であっても何もおかしくない。