【縄文人】 部落の女には美人が多い 【蝦夷説】
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0162名無しさん@お腹いっぱい。
2009/11/18(水) 16:42:14ID:sJ2ZoCce島津氏は、秦の始皇帝の末裔と称する渡来人の秦氏の子孫・惟宗氏の流れを汲む惟宗基言の子の惟宗広言が、
主筋である藤原摂関家筆頭の近衛家の日向国島津荘(現宮崎県都城市)の荘官(下司)として九州に下り、
その子の惟宗忠久が、源頼朝から同地の地頭に任じられ島津を称したのがはじまりとされ、
のちに薩摩国出水平野に城を築き、拠点を移している。
島津氏の先祖惟宗氏は元々讃岐国香川郡が本領。
よって鹿児島でも肝属氏など元々の土着系(隼人)の顔と島津氏(渡来系)の薄い顔の2種類が居る。
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