ペルシャ人の渡来に関しては、上に述べたように天平8年(736)に遣唐使に従ってきた李密翳(りみつえい)が最初のペルシア人とされている。
その後、鑑真(がんじん)に付き添って来日し、鑑真の死後その遺志を引き継いで唐招提寺金堂を建立した安如宝( あんじょほう:不明〜815年)もペルシャ人だったとされている。
だが、松本氏によれば、それ以前にペルシャ人の渡来を記した記述が存在する。例えば、斉明天皇3年(657)に覩貨邏(とから)国の男2人、女4人が筑紫に漂着したので、
朝廷が召したという記録や、斉明天皇5年(659)に吐火羅(とから)人が妻の舎衛婦人とともに来たとする記録が『日本書紀』にある。
覩貨邏や吐火羅と表記されたトカラは、現在のタイ国に擬する説があるが、松本氏は中央アジアの西トルキスタン、現在のアフガニスタンにあったとするのが妥当であろうとされる。
さらに、推古20年(612)、百済から帰化したした人間が顔と体に斑白(白子のこと)があり、白癩病(はくらいびょう)と誤解され絶海の孤島に流そうとした。
しかし、自分は山岳の形をつくる才能があるというので、作らしてみると、須弥山と呉橋(中国風の石橋)を見事に作ったという。
おそらく中国から百済に来ていたペルシャ系の人間で、百済から我が国に渡来したものと思われる。
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2006_05_02.htm

>覩貨邏(とから)国の男2人、女4人が筑紫に漂着
>斉明天皇5年(659)に吐火羅(とから)人が妻の舎衛婦人とともに来たとする記録が『日本書紀』にある。
筑紫は今の福岡市と久留米市などの旧筑前筑後国、斉明天皇の時代の都は福岡の朝倉宮。
だから福岡はイケメン多いんだな。
http://www.youtube.com/watch?v=HoKzxvNJUG8
http://www.youtube.com/watch?v=uKJbMVgRpwo(6:51〜の学生時代の写真は日本人っぽく無い)
こう言った感じのイケメンや親は純粋な日本人なのに白人みたいな人が結構居る。
特に江戸時代以前から代々福岡県に住んでる人に限って。