>>120 もっと勉強しろ

「ローマ文化国‐新羅」2005から要約
『いわゆる古新羅とは、
A.D4〜6世紀以前の数世紀の王たちの時代。
この国は他の半島の国とは違い中国文化とはつながりのない国家だった。』
その特徴は。

騎馬民族である
スキタイの流れをくむ「積石木廓墳」クルガンである。
百済・高句麗にはない、ローマングラスが大量に出土する。
大量の白樺樹皮製品に施された意匠(サカ族のものか)
サカ系樹木冠(王冠)を用いた。

と、簡単に示したが、これは、草原の道を通過して、
北魏(鮮卑系)との関係を深めながら移動していた北匈奴たち(ロシア南部にも広がったサカ族も混じった民族)によるもかもしれない。
この中には、サカ系とも思われるソグド人が、
交易に絶大な影響力をもっていたので間違いないだろう。

この、古新羅(伽耶も含む)系の移民が、奈良県橿原にある新沢千塚古墳群の住人たちだ。
結構,新羅では、その南ロシアから中央アジア出身の貿易商たちが住んでいて、混血も行われたという。
> 新羅美人が、その系統なら,
南九州に入った新羅系の人間に混血児がいた可能性がある。
すると、南九州にパルテア式古墳があるのもうなづける。