>>262
ゲーム世界より形而上的なものを=メタとよびます、それは現実世界のことと考えてください。
ゲーム世界より「高次」なのが現実です。

それから、メタ消失的=メタ世界(ここでは現実)の何かを失う的なこと
メタ消失的恐怖=現実世界の何かが壊れたら怖い
という意味で使っていることも書いておきます。

「セーブが消えたら怖い」のは、つまり現実の所有物だからです。
「セーブが消えたら怖い」が成り立つには、ゲーム世界から干渉されない必要があります。
ゲーム世界に取り込まれたデータになった瞬間、ピーチ姫やマリオと同質のものになります。

「セーブ消失をうまくゲームに組み込む」、それ自体はまあ面白みはある。(というか実際に例もある)
しかし、
「セーブが消えたら怖い」というそもそもの「消失に対する恐怖」がなくなって、
恐怖演出論としては成り立たない。
ゲーム内で消える前提で作られたもの=マリオの一機を消失しても「それ自体に対する」恐怖はない。

もう一つ言うと、
「メタ消失」で恐怖を描こうとするから悪意になってしまうのであって、

メタ的な恐怖演出は昔から山のように存在しています。

たとえば、
「この漫画(下位世界)を読むと、あなたは(現実世界で)呪われます。三日以内に云々しないと……」
というような。

恐怖とメタは切っても切り離せない。
しかし、「メタ消失」的な恐怖を描く場合、現実から何かを奪うしか無い。

それは悪意でしかない。