>>586
じゃんけんはまずクソゲーだろうという話はおいといて、

例えば将棋を一人プレイ用ゲームとしてデザインする場合、当然相手のAIを作ることになる
すると具体的には幾つかの手を評価し、点数を付けた上でAIは手を進める。
ここでランダム性を一切排除した場合、こちらが同じ動きをする限り相手は全く同じ動きをする。
つまり確実に相手に勝つためには、将棋のルールや定石を一切知らなくとも、いつか勝てるまで同じことを繰り返せば良い。
これは確かに将棋AIとしては間違っていないが、果たして『娯楽』として成立してると言えるか。

この状態はしばしば難易度の高いシューティングゲームやアクションゲーム等に見られたりする。具体名を挙げると斑鳩とか。
それらはあまりにも解法が狭い故に、「開発者の用意した解法を見つけ、なぞる」というパズルゲーム化してしまっている。

これを避けるために、AIの動きには少なからぬ「揺らぎ」を用意することが必須となる。
プレイヤーはAIの動きによって逐一考えなければならず、ゲームジャンルが変わることなくその土俵で娯楽を楽しむことが出来る。
要は「極めさせない」のが重要。ランダム性無しの一通りだったらすぐに天井が見える。五、六通りあれば長く遊べる。
逆に天井が限りなく遠い位置になるとプレイヤーのモチベーションも大きく下がってしまう。
そこのバランスこそが乱数のバランス。