タスクシステム総合スレ part3
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0001名前は開発中のものです。
2008/11/09(日) 11:51:40ID:+pjnJyQQpart2 http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/gamedev/1196711513/
part1 http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/gamedev/1173708588/
0386名前は開発中のものです。
2008/12/31(水) 01:04:00ID:K//GK7EM多数のジョブを並行、並列に処理する能力は科学計算、軍事、宇宙開発など様々な分野で必要とされた。
特にリアルタイムという要求は軍事や宇宙開発と絡むことが多かった
【2DSTGの礎を探る】
第2次大戦中、米海軍がMITに艦攻のフライトシミュレータの基礎研究を依頼した。
海軍は風洞試験の結果をリアルタイムで再現する航空機解析・空力数値計算を希望していた。
当初MITはアナログコンピュータでこれを試み、後に海軍の提案でデジタルコンピュータの
開発に注力しWhirlwind I を作る。しかしその頃には軍はコンピュータを航空機解析よりも
戦術情報処理や指揮統制業務の能力向上に役立てることに関心が移っていたという
おりしもソ連がファットマンをコピーしたと思われるプルトニウム爆弾の実験(RDS-1)を成功させ
米国内が大騒ぎしていた時期でもあり、Tu-4長距離爆撃機による米本土への核攻撃も可能(※)と
分析されていた。空軍はこれに備えるために地上要撃管制(GCI)の連結と自動化に取り組んでいた。
空力計算の数値積分結果を逐次・リアルタイムでベクタースキャン型CRTに投影し・可視化しようと
していたMITのシステムは空軍の要求に堪えるものと評価され、Whirlwind I は防空システム用
コンピュータのプロトタイプとなる。ニューイングランドのGCIのデータを電話回線経由でMITに転送し
Whirlwind1がこれをリアルタイム処理するというデモンストレーションが成功し、Whirlwind1をベースに
大規模化したコンピュータAN/FSQ-7として正式化され、IBMが主契約をゲットして量産した。
http://www.mitre.org/about/photo_archives/sage_photo.html
0387名前は開発中のものです。
2008/12/31(水) 01:05:23ID:K//GK7EM多数の敵機を捕捉・追跡しながら迅速・適切に邀撃戦力を配当する(意思決定をサポートする)
SAGEシステムが50年代から本格運用された。これは後にICBMによる全面核戦争を想定した
防衛システムや海軍機動部隊の艦隊防空システムなどの礎となる。
SAGEコントロールルームのオペレータはベクタースキャン型CRTとライトペンの組み合わせによるGUIで
直感的な操作を行なうことができた。この技術はCADの礎となった。(アーケードのガンシューもこれ)
SAGEは逐次更新されF-102デルタダガー邀撃機のオートパイロットやCIM-10ボマーク長距離SAMの
中間指令誘導もできるようになった。こうしたリモートコントロールの技術は宇宙機やUAVの礎となる
(※)ソ連はそのころB-29の劣化コピーであるTu-4を配備していたがその航続距離はB-29よりも
劣っていたことが後に判明する。片道切符で欧州の主要都市を核攻撃する能力はあったが
米本土まで出張る能力はなかった。後にターボプロップ式の超長距離大型爆撃機(Tu-95:ベア)
の配備が始まってようやく片道切符であればモスクワ-ワシントンDC間を無給油で核爆弾を
お届け可能となった。
米国はTu-4の航続距離とTu-95の保有数を過剰に見積もり、戦術情報処理・指揮統制業務の
自動化や超音速でぶっ飛んでいく邀撃戦闘機や長距離SAMなどの研究開発に多額のお金を
投じることとなる
この防空システムで培われた技術はIBMやDECのメインフレームの礎にもなった。特に後者の
PDPシリーズにとってWhirlwind I は直系の親筋にあたる。MITの学生が作ったSpace War!などに
代表されるベクタースキャン型CRTのSTGはPDPシリーズで作られた
(終わり。寝る)
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