抽象的な言い方だが、
ゲームの面白さは、プレイヤーに心地よい学習過程を体験させられることにあると言える。

ゼビウスが出た当初は、360度の敵弾攻撃は、未体験のものであった。
その未体験の攻撃に適応するための学習過程こそが、面白さであった。
R-TYPEは、計算に基づいて配置された前後左右からの敵波状攻撃への適応過程こそが、未体験の面白さであった。

一方、絵や効果音を入れ替えただけというクローン・ゲームから得られる限界的な学習効果は、少ない。

パターン化作業も、必然的に訪れる学習過程の一部であるが、プレー総時間の後の方に来るのが望ましい。
パターン化作業だけが遊びの本質になっているというのは、目新しい要素に適応する学習過程が無いからであろう。

学習効果とは言いながら、社会的に無益な方向に、脳味噌が特化されていくのは皮肉だが。