>>895
コスティキャンが引用してるウィル・ライトの発言によれば、
『シム・シティ』はゲームではなく玩具だということなので、
その見解によれば音ゲーはゲームではないということになる。

ゲーム理論の元祖であるフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによれば、
“意味のある”(=トリビアルではない)ゲームには
複数のプレイヤーが必要だという。
その意味で、1人ゼロ和ゲームは“意味のある”ゲームではない。
ひとり遊びは、本人の評価があり、それがいつも同じではなく、
良かったり悪かったりするなら、非ゼロ和である。1人非ゼロ和ゲームは
3人ゼロ和ゲームと構造的に同じなので、複数のプレイヤーによる
ゲームとみなすことができる。
ただし、「任意の六桁以下の数の加算」のような、正解手順を
完全に把握できるような行為は、そのつど違う局面であっても、
おそらくはほとんど変わらない評価しか与えないので、
ゲームとしては退屈である。コスティキャンはそうしたゲームの
例として、トランプの一人遊びである『ペーシェンス』を挙げている。

必勝手順、あるいは“必ず引き分けになる手順”が見つかってしまった
単純なゲーム、たとえばマルバツやニムは、その手順を理解した時点で
(新しいカモが次々見つかる場合を除いて)退屈になると思われる。