ずいぶん進んでてびっくりした。
「何がゲームで、何はゲームではないか」という話をしているように見えるが、それであってるだろうか。

すこし引っかかったんだが

>>838の定義だと、音ゲー(ビートマニア、ポップンミュージック等)はゲームから除外されるんだろうか。
音ゲーにはどのボタンを押すか押さないかという選択が存在するが、押すことを要求されている際に「押すか押さないかという選択の葛藤」はおこらない。
誰だって全部支持されたとおりに押したがっており、葛藤が生じてる人を見かけたことはない。
あるのはただ、「支持されたとおりに押せる人と、押せない人」だけ。

音ゲーなんてまさに

>スイッチを上げると電灯がつく。スイッチを下げると電灯が消える。

だと思う。

私は先人の理論などには疎いけども、個人的に思う。
ゲーム性というのは「個人が目標を持ち、その目標を実現するために自己の能力を用いることにある」と。
だから、数学の問題を解く事の中にも、スポーツの中にも、パズルの中にも、トランプでピラミッドを造ることの中にもあるのではないかと。
横断歩道を、白線だけ踏んで渡ることの中にすらあると思う。
ゲーム性のないゲームは存在しないと思えるが、ゲームの中にしかゲーム性が存在しないとは思えない。
ある人にとってゲーム性のあるものが、他者にとってはゲーム性のないものであることもあるだろう。
そしてゲームとは、ゲーム性を詰め込んで、多くの人にとってゲーム性を持ちうるものである事を目的として調整したものではないかと思う。
故に、私にとっては音ゲーは十分にゲーム性を持つし、ゲーム性を多くの人が感じ取れるように調整されてもいるように思うのでゲームでもある。

先人達は私のような思考への反対をすでに行ってるのかな。